読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

nexdsd JAPAN 性分化疾患:家族のためのハンドブック

Consortium on the Management of DSDが発行している「性分化疾患:家族のためのハンドブック」の翻訳など、性に関する様々な体の発達状態を持つ人々と家族の方々をサポートできる情報をお送りします。

エヴァが生まれた日

   
 今回は、5α還元酵素欠損症(5αリダクターゼ酵素欠損症)を持つお子さんのお母さんの体験談をお送りします。

 5α還元酵素欠損症とは、どのような体の状態でしょうか?ここでは、アメリカの性分化疾患を持つ人々の支援団体、Accord Allianceの解説を引用しましょう。

 通常、胎児が遺伝子的に(46,XY染色体を持つ)男性の場合、胎児はどのように発達していくのでしょうか?胎児の発達の早期、原性腺(性腺になっていく細胞)が精巣に発達していきます。そしてその精巣はテストステロンを放出します。胎児の体は5α還元酵素(5αリダクターゼ酵素:5−AR)と呼ばれる科学酵素を作り出し、5α還元酵素は、テストステロンの一部をジヒドロテストステロンに変換します。そして、そのジヒドロテストステロンが、一般的な男性のタイプの外性器を発達させるのです。


 一般的な男の子では、思春期に入ると、精巣が大量のテストステロンを生成します。(5α還元酵素は、思春期では、体に影響を与えるテストステロンに、何らの必要もありません)。そうして、男の子の体は男性の体へと成熟していくのです。男の子のペニスは大きくなり、声変わりが起きて、男性特有の顔つき、体毛、体つきに発達していきます。


 もし胎児が5α還元酵素欠損症を持っているという場合、それはその胎児の体に5α還元酵素が無いことを意味します。そのため、発達の早期で、まず原性腺は精巣に発達しテストステロンを生成し始めるのですが、5α還元酵素が無いために、テストステロンがジヒドロテストステロンに変換されることはありません。その結果、胎児の外性器は、女性に一般的な形のように形成されていくことになります。そういう子どもは、外性器は形成不全の状態か、全く女性に特有の形をして生まれてくるのです。(5α還元酵素欠損症を持っている子どもは、女性だろうと思われて、女性として育てられることもあります)。


 思春期になると、この子の精巣は大量のテストステロンを作り出します。(思春期では、性的な成熟を促進するテストステロンに、5α還元酵素が必要ないことを思い出してください)。このため、この子どもは(どちらの性別で育てられていたかに関わらず)、男性に特有の思春期を迎えることになります。つまり、陰茎が大きくなってペニスのようになり、男性に一般的なような声になり、男性特有の顔つき、体毛、体つきになっていくのです。

 

 5α還元酵素欠損症は、性分化疾患のひとつですが、数が少ない性分化疾患の中でも稀なもので、生まれた時に外性器発達不全の状態であることも多いのですが、外性器発達不全の原因にも様々なものがあり、5α還元酵素欠損症の診断が判明するには時間がかかる場合もあります。ほとんどの場合はその間(そしてそれ以降も)、お子さんをどうしてあげればいいのか、親御さんは大変苦しい思いをされることになります。その上で、この体験談のお母さんは、お医者さんとのいい出会いに恵まれず、かなりつらい思いをされています。

 性分化疾患を持つ人で、生まれて以降、性別変更をしなければいけないほどの体の変化が起きるケースはほとんどなく、また生まれた時に判定された性別を変更する人はほとんどいません。ただし、5α還元酵素欠損症の思春期以降での体の変化は大きなもので、南太平洋のこの体の状態を持つ人が多い古来からの地域では、思春期以降男性として生きていくことを習わしとして決めているところもありますが、近代以降の社会地域では、ご本人がそのまま女性として生きてきたい(自分の体を何とかしたい)と思われる女性の方もいて(ある調査では、約40%の人がそのまま女性で生きていきたいと希望されるとの調査結果も出ています)、男性への性別変更を望まれる方も、そのまま女性として生きていきたいと望まれる方も、つらい思いをされることも多いです。(外性器発達不全の状態で生まれ、早期に5α還元酵素欠損症が判明したお子さんの場合は、男の子として育てることを推奨されるお医者さんもいらっしゃいます)。

 私たちが親御さんの体験談をご紹介する時は、いつも皆さんにお願いしようと思っているのですが、親御さんの様々な決断・思いに、様々な「意見」をお持ちの方も多いと思います。性分化疾患という体の状態に興味をもつ人については、希少性から医学的興味をもつ人もいれば、ある種の「解放」の希望を持ちたいという興味を持つ方もいらっしゃるようです。そういう方の中には、「親・本人はこう思うべきだ・こうあるべきだ」という「意見」をお話される方もいらっしゃるようですが、私たちは、周りからの「意見」ではなく、単純化して切り捨てることなく、自分の「意のままに」しようとするのではなく、複雑な状況や複雑な思い・葛藤を複雑なままに、「ありのままに」寄り添っていくことが重要だと考えています。私たちが大切にするのは、総論ではなく、一人ひとりの人間で、私たちの出発点は、いつも「個人」でありたいと思っています。

 性分化疾患を持って生まれたお子さんを持つ親御さんの中には、まだ体験が生々しいままになっている方もいらっしゃると思います。自分自身で振り返りができるとお考えであれば、目を通していただければと思います。 

エヴァが生まれた日


 娘が生まれてから1年たちますが、あの日のことを話すとやっぱり涙が止まらなくなります。あの日は、私の人生でも、もっとも信じがたく恐ろしい思いをした日でした。

 2010年11月22日午前1時ごろ、本当にひどい陣痛と出血で、私は夫に病院に連れて行ってもらいました。まだ35週と6日にしかなっていませんでしたので、入院の準備もしておらず、いくつか検査をしたら帰れるのだろうと思っていましたので、何も持たずに病院に行きました。その12時間後、私たちの娘、エヴァは生まれました。


 彼女は今でもそうなのですが、穏やかに静かにこの世界に生まれてきました。自発呼吸がありませんでしたので、私たちは彼女をさすり続けねばならず、産声も覚えていません。彼女は申し分のない赤ちゃんでした。生まれてすぐにFacebookにもポストを送信しました。「生まれました!4週間早い目の2950グラムです!」。夫は苗字の綴りを間違ってポストしてしまい、私の母からたくさんからかわれました。


 やった!生まれた!お薬も使わず自分でやり遂げた!でも、私が飛び上がらんばかりの思いだったのは、お医者さんが真剣な顔をして入ってきて、スタッフに声をかけているのを見かけるまででした。夫と私は部屋に取り残されました。お医者さんの表情から、何か嫌なことが起きていることが分かりました。エヴァの性器が通常よりも肥大しているのが見つかり、検査したところ精巣のように思われる。お医者さんたちは私たちに告げました。性別がすぐにはっきりしない性器を持って生まれた赤ちゃんは、もしナトリウムを正常に処理できない身体なら、死に至ることもありうる。なので、すぐに赤ちゃんを新生児室に移したい。そう言われたこと以外はあまり覚えていません。


 誕生から2時間後、エヴァは新生児室に一晩移され、次の朝には隣の街の病院の新生児集中治療室(NICU)に搬送されることになりました。それからの時間、たくさんのお医者さんが部屋を行ったり来たりしつづけましたが、娘が何とかその一晩を生き延びられるよう必死で祈ってた以外のことは、あまり覚えていません。


 火曜日の朝、エヴァは救急車で東隣の街の病院に搬送され、NICUに入りました。スタッフからは、まずは少し家に戻って一度シャワーを浴びて、少しの間身体を休めてくださいと言ってもらえました。病院の皆さんはとてもいい人たちで、NICUにいる間エヴァをみてくれるチームの方との話し合いがはじまりました。小児内分泌学医のH先生。彼はとてもいい人で、アンドロゲン不応症のことと、来週精巣を除去しようと思うことを説明してくれました。エヴァは未熟児の状態で生まれており、ナトリウム処理の問題があるかもしれないから、数週間かそれ以上入院をしてもらうことになるだろうとH先生はおっしゃいました。ちょうどサンクスギビングデイ*1の週なので、検査結果は遅れるかもしれない。だから検査結果が戻るまで、性別判定はそれまで待たなくてはならないと先生から告げられました。でも、夫も私も妊娠中から「女の子の赤ちゃん」と言っていましたので、こういう状況はすぐに飲み込むことはできず、先生方には赤ちゃんを「女の子」と扱うように主張しました。


 両親は入院中ずっとそばに居てくれましたので、誰かがエヴァの横に交代でいることができました。前日に出産したばかりでしたので、私は肉体的にも精神的にも具合が悪く、別のところで横になったままでした。私が病室に入ったとき、父と夫がエヴァのそばに居てくれていました。父と夫、エヴァの周りを医療スタッフの人たちが取り囲んでいました。父がエヴァを抱いていたのですが、その表情から、父がなにか差し迫ったものを感じているのが分かりました。話を進めていた医師が自己紹介し(小児泌尿器科医でした)、話が続けられました。私はまず、私がそばに居ることなく赤ちゃんの検査をしたことに腹が立ってきて、その医師の話を聞けば聞くほどに、更に腹が立ってきました。彼は娘の誕生を私たちが周りに知らせたことを激しく責め立て、もっと検査が終わるまで、家族にも友人にも話すべきではなかったと言い、夫のスペイン語(夫の母国語です)にまで難癖をつける場面もありました。彼は、思春期で男の子になる女の子の話を延々と続け、娘の性器の外見を男の子みたいに見えるようにする再構築手術について話し始めました。「あなた方ふたり(私と夫のことです)が関係している可能性はあるか?」といったようなことを私は言われ、私の生殖能力の問題がエヴァに関係しているかもしれないということも言われました。私には多嚢胞性卵巣症候群があり、私の体内の過剰な男性ホルモンがエヴァの発達に影響した可能性もあるとまくし立てました。今から考えるなら、部屋に入った時に、私はその医師の話を止めさせるべきでした。新しく来て何が起こっているか分からず恐怖に苛まれている私たちふたりに、あまりに多くの情報が無造作に投げつけられ、その医師は「症例」を見つけて興奮しているようだったのですから。


 私は母の許可を得ておばに今起きていることを話したのですが、そうするとおばはアコード・アライアンスのウェブサイトのリンクを送ってくれました。ウェブサイトに載っていた「家族のためのハンドブック」には、あの医師が言ってることと全く逆のことが勧めてあり、信頼できる小さなグループに話をするよう勇気づけてくれるものでした。またこのウェブサイトは、医師のテストケースにさせないよう赤ちゃんを守る勇気も与えてくれました。数日語、私と夫は娘を抱いて、あの小児泌尿器科医がインターン生*2を連れて入ってくるのを待っていました。医師はインターン生に検査をさせていいか聞きましたが、私たちははっきりと断りました。医師はそのインターン生に検査を任さなければ、退院するまでもう自分には会えないことになると言いましたが、私たちはそれで構わないと告げました。彼はドカドカ足を鳴らして立ち去り、もう戻ってくることはありませんでした。


 次の週が開けたとき、最初にお会いした内分泌学医のH先生が再び私たちを訪ね、検査結果からエヴァはCAISを持っており、女性として育てるべきだと言いました。血液検査の結果は数週間かかるので、エヴァを家に連れ帰ってあげるよう許可を出してもらいました。H先生は、3ヶ月の時点でこの子のからだに変化がないかどうか確かめるためにもう一度会いたい、娘さんとの生活を楽しんでほしい、これから何年も色々なことに一緒に対処して行きましょうとおっしゃって頂きました。


 3ヶ月後私たちはH先生を再び訪れました。エヴァには何の変化もありませんでした。しかしこの時、H先生は、娘さんはCAISに近いがCAISではないかもしれないと思うとおっしゃったのです。私はネットでたくさんの検索をしていましたので、この話は私をとてもナーバスにさせました。。私たちはサポートグループを探すように勧められていませんでしたし、性分化疾患について何の情報ももらっていませんでしたが、何かがあるのだということは分かりました。私は既にYahooのAIS/DSDサポートグループを検索で見つけていたのです。エヴァのために医療チーム体制を整えてほしいと思いましたが、NICUで会ったあの泌尿器科医のところに戻る気にはなりませんでした。ですので、ここから数時間のところにある別の病院のお医者さんに会いに行く許可を得て、約束を取り付けたのです。


 エヴァが6ヶ月の時に私たちはD先生のところに訪ねましたが、彼女は、エヴァが生まれた時になぜすぐに自分が呼ばれなかったのか憤慨されました。私たちにとっては、医療「チーム」が出来上がるまでに長い時間がかかってしまったことを不満に思っていましたが、B先生が加わることでやっとチームが出来上がり、うれしかったです。


 6週間後、エヴァにはAISの変異が見つからず、とりあえずは「PAISに近い状態」という診断がされた結果を受け取りました。


 この結果を受け取って、私たちはB先生を再び訪ねました。エヴァの身体に起きていることを麻酔して調べるためです。レントゲンだけでは見えないところがあって、それでは正確に分からないため、MRIも実施されました。その結果、エヴァには膣腔がなく、将来的には外科手術が必要になるだろうとのことでした。


 この結果に心乱されてから数カ月後、H先生が5α還元酵素欠損症(5ARD)についての新しい研究論文を読んだので、そのことを知らせて、もう一度エヴァを検査したいと連絡がありました。エヴァには4日間、注射や採血を受けさせましたが、結論は出ず、結局5α還元酵素欠損症の遺伝検査を受けねばならないことになりました。なぜ最初からそれができなかったのでしょう?私には分かりません。


 8週間後、遺伝学医の先生から連絡があり、携帯にかけ直してもらうようメッセージが残されていました。いい知らせでないことはすぐに判りました。エヴァの初めての誕生日の前日、結果5α還元酵素欠損症で確定しました。結果を受け取る事を待望していたわけではないですが、やっと診断が確定したことで落ち着くことができました。この診断で、親が普通に楽しみにする、この子がこれからどういう子になっていくかという思いに、新しい予感が加わったように思えます。どういう子になっていくのか楽しみです。娘の人生はまだこれからです。ずっと「エヴァ」のままでいるのか、それは私たちにはわかりません。けれども、それ以上に、この子を待っている手術のことやこころの傷つき、痛みを考えると涙が出てこない日はありません。「困難は、それを乗り越えられる人だけにやってくる」という言葉に励まされようと思っていますが、たいていはその困難はとても重いものに感じます。「女の子用」と書かれたものは買わないようにしました。娘がいつか自分の人生を振り返って、私たち両親がなにか一つの方向を彼女を押し付けようとしていたと思うことがないようにと想ったからです。夫も私も、私達の人生が娘と終えるのか、息子と終えるのか、そのことは気にしていません。けれども、娘が自分自身で決断を下さねばならないその時を想うと、少し胸が痛くなる毎日です。


(dsdfamiliesから追記:臨床医の方から次のコメントを付け加えてもらうよう依頼を受けました。:「イギリスでは大多数の患者の赤ちゃんには常に、泌尿器科医と内分泌学医、遺伝学医を含む学際チーム医療を提供しており、エヴァさんのような複雑なケースの診断からもっと早く診断がつけられるケースまで、それぞれが持つ技術を集約するようにしています」。

(原文)dsdfamilies Personal Stories Eva’s birth story

*1:訳者注:誕生祭というアメリカの祝日

*2:訳者注:医学部卒業後に実地訓練を受けている研修医