nexdsd JAPAN 性分化疾患情報サイト

体の性の様々な発達(性分化疾患)に関する情報を発信します。

「訊いてはいけない、知ってはいけない」

      

 今回は、CAISを持つ女性のライフストーリーをご紹介しましょう。ここまでハンドブックを読んでいただいた方には、性分化疾患のことは、本人に秘密にするのではなく、年齢に応じて話をしていくようにしようという方向で書かれていることにお気づきかと思います。これは、病院で何度も検査や手術を受けたりお薬を飲んだりと、なぜそうしなければならないのか分からない知らされないままにされてきて、かえって自分自身の存在に疑義や不安、時には恐怖を抱えてこざるを得なかった人々がいたという経緯があります。少し想像していただきたいのですが、子どもの頃から何故かわからないまま病院に行く、お父さん・お母さんに「なぜ?」と訊くと、ぎょっとした顔になったり涙が流れるのを見ることになる、いつしかこれは、訊いてはいけないこと、不安・恐怖に思うこととなっていき、下手をするとそれは自分自身の存在への不安・恐怖に繋がっていってしまうということもあったのです。これは単純に性自認の問題ということではなく、親子の関係、自分という「存在」「人生」についての話でしょう。性分化疾患”が”生きるのではなく、”自分自身が”自分自身の存在・人生を生きるという意味での話なのです。

 当然のことですが、体のことについて知らされるということは、ほとんどの人にとってはショックを受ける事態になるでしょう。これまでご紹介したライフストーリーでも、ほとんどの方が重いさまよいの時期を経てこられています。親御さんにとっても、とても重い決断をされることになるでしょう。だからこそ、話すにしても、同じような思いをされている方同士のサポートが必要になってくると思います。もちろん、ご家族やご本人の状況に応じて、話すか話さないか、話すとして、どのようなタイミングでどのように話すのか、それぞれに違ってくると思います。(後日、PAISを持つ女の子のお母さんが、娘さんに話をしていく体験談の翻訳をご紹介したいと思います)。私たちのプロジェクトは、どういう選択でも支持をしていきたいと思っています。

 今回ご紹介するライフストーリーは、様々な彷徨を経ながらも、自分自身で自分自身の存在を掴み、性分化疾患のことを自分を定義するものにするのではなく、むしろ自分の強さにされていった女性の物語です。

 自分たちが成長してどういう人間になりたいのか、自分自身の人生をどう生きるのか、そんな話をしたい時ってありますよね。そういう場面で、私と私の一番の友達は、まず自分がAISを持っていること、そしてAISが私のこれまでの成長や決断にどれほど影響してきたか、まずそこから話をはじめます。


 皆さんは、私と私のこれまでの「旅」のことをご存じないでしょうから、簡単にお話します。


 ヘルニアが見つかったのは5歳頃。両親は、私には子どもが持てないことを話しました。両親は、遺伝子のいたずらで私には「精巣性女性化症」があると告げられたのです。自分は何か違う何か特別で(でもどうしてそうなのか本当には知らないまま)、子どもを持つことができないということ以外は何も知らないまま私は成長しました。大学で取った社会学の講義で、その表層性に大きな感情と疑問、怒りの渦を感じるまでは。でも、その講義からの4年間で、私はXY染色体のことを知り、AISのことを知り、AISSGUSA*1を紹介してもらい、今に至っています。


 私は何よりも赤ちゃんを望んでいました。子どもの頃は、そのほとんどをネガティブな感情に流されるままにしてきました。だって、私の人生の目的は完全に自分自身の子どものお母さんになることだったのですから。養子で子どもをもらうのは私にはフェアではないように思い、そのことは考えたくありませんでした。自分の身体のことは言われた事以外は何も分からないままでした。私は特殊だ。私は人と違っている。生理は絶対来ない。子どもは絶対産めない。セックスは苦痛だからやめた方がいい。同じような状態の人には絶対会えない。そういうこと以外は何も。


 けれどもおかしなことに、私はそういう答え方を受け入れていました。「それだけのことだから」という答え方では絶対納得しないような好奇心旺盛な性格ではありましたが、私は確かにただの子どもでしかなかったのです。2005年秋、社会学の講義の最初にビデオを見たあの運命的な日まで、兵隊が従うのととても似たモットーを、私は自分に課していました。「聞くな話すな」と。もっとも、私の場合は「聞くな知るな」でしたが。何故自分が違っているのか、私は知りたくありませんでしたし、違うことを認めたくもありませんでした。自分がどんなふうに人と違うのか知らない限り、私は皆と同じでいられました。「何も特殊なところなんてないんだ」と。どんなことであっても私は普通でいたかったのです。何も知らないままの状態で、私は自分の人生の大半を送るようにしてきました。私は人に同情してもらいたかったし、人に注目してもらいたかったし、自分が持ち得ないものを(ただ自分が持ち得ないという理由だけで)望んでいました。今ではもう分かります。私は子どもを産みたいという希望に長い間すがりついていたのです。子どもを持てないなんてフェアじゃない、他の女性が使えるのと同じカードの手札を私も持っていたい、ただそんな理由だけで。自分は人と違うと言うことは分かっていても、何故そうなのか理解しないまま、私は大きくなってきました。理解してしまうと、私は自分が今までとは違ってしまうと思い込んでいたのです。


 どんなふうに自分は「違う」のか理解したとき、けれども私はそうは感じませんでした。私は依然としてちゃんと私のままでした。私が私であることには変わりなかったのです。いつも面白い話を集めるのが趣味で、聞いてくれる人に話をしたり歌ったり、タマネギが嫌いで犬とダンスが大好きな、女の子っぽい女の子のままでした。自分の子どもは産めないということを、ある時点で受け入れた、ひとりの女の子のままでした。私をじっと見守り続け、どうせ私は奇人ショーの見世物だと皆に思わせようとした時も、戸惑いながらも私を私のままに見てくれていた友達や家族、そして演劇への愛情が私の人生に新しい夢をもたらしてくれたこと、それにAISサポートグループとそれを作った本当に素晴らしい女性たちのおかげで、人生の大半で私の頭の上を覆っていた厚く暗い雲を、ついに晴らすことができたのです。


 最初AISは私にとっては大げさな自己憐憫でした。けれどもそれは今は私を定義するものではありません。もし信じていただけるなら、私はAISのことを好きになりつつあります。今まで絶対想像さえできないような形で、私を勇気付けさえしているのです。AISは、それなしでは分からなかっただろう新しい夢と展望を与えてくれました。健やかな謙虚さへの確信、常に物事を深く見続ける態度、自己研鑽の態度、それに絶対無理だろうと思っていた道を歩む勇気も、この一人の少女には決して想像もできなかった以上の愛情も。違いというものを受け入れにくそうな保守的な私の家族たちが見せてくれた無条件の愛情と受容。生まれる前から私のことを知っていて、自分で想像していた以上のすばらしい人生を描いてくれていた神様の無条件の愛(神は私が抱えられない以上のことは与えず、私が抱えるべきものの10倍、常に祝福してくれている)。私の秘密を共有してくれて、かつ時々褒めてくれるようになった以外は何も変わらないまま付き合ってくれた友達の深い愛情。様々な社会的・経済的・民族的立場にありつつ、似たような状態を抱え、ひとつ所に集えるようになり、ただお互いを支え愛している女性たちのグループから得られた、新しい姉妹のような愛情。そしてもちろん自分自身を愛することもです。AISのおかげで、私は自分で立つ力、自己を受け入れること、それに、無理だと思っていたような自己確信を手に入れました。AISによる経験が良くも悪くも、私を強い女性に成長させたと思います。今はただ、私を成長させてくれた皆さんに感謝したいです。私は自分の人生を愛しています。まだまだ障害はありますが、怖くはありません。私には愛がありますから。愛し、愛されるという。


 一番の友達と私がこのことについて話すとき、最初に言うことばで締めたいと思います。AISは私の個人的な成長と、自分で人生を開いていくことに、大きな影響を与えて*2くれました。私は神様に祝福されています。


 私の経験と自己実現を、皆さんと分かち合えればと思います。

      

*1:訳者注:[http://www.aisdsd.org/:title=AIS-DSDサポートグループ]の以前の名称

*2:訳者注:原語の”affect”は、「病気にかかる」という意味と「影響を与える」という意味がある