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セメンヤは悪質なジェンダー戦争の犠牲者である : DSDsとスポーツ(4)

セメンヤは悪質なジェンダー戦争の犠牲者である

Janice Turner  May 4 2019, 12:01am

南アフリカインターセックス・アスリートは,女性スポーツの生き残りのためのテストケースとして扱われている間も,深く落ち着いた態度を崩さなかった。

www.thetimes.co.uk

 バックウォーターアスレチックミーティングに参加していた,当時まだ10代のキャスター・セメンヤは,女子競技出場の許可を受ける前にトイレに連れて行かれ,その下着を下ろされた。その後ポートレイトの撮影があったが,なぜか彼女は自分が女性であると「証明する」ために,筋肉質の体格に短いスカートとハイヒールを身につけた格好だった。しかし,その後も彼女は依然として難問,例外とされ,世界が分類しようと必死になっている,刺激的であちこち突っつき回される標本になっている。

 今週のCAS(スポーツ仲裁裁判所)裁定は無茶苦茶だ。このままだと昨夜のドーハでの彼女の圧勝は,彼女が走る最後の800メートルになるかもしれない。なぜなら,彼女は自分のテストステロン値(そしてそのスピード)を下げることには乗り気ではないように見えるからだ。しかし,彼女の高い男性ホルモン値が有利だとして分類されない,より長い距離に変更することはできる。

 しかし,キャスターは女性のスポーツのインテグリティをめぐる戦いで集中砲火を浴びた負傷者であり,それは,彼女の稀なDSD体の性の様々な発達(性分化疾患),あるいはインターセックスの体の状態とは何の関係もない。3年前,トランスの活動家たちは,国際オリンピック委員会(IOC)の規定を変更し,男性生まれの運動選手が女性と競争するために必要な条件は,テストステロンを一年間で10nmol/L(ナノモル/リットル)に下げることだけになった。IOC2020年の東京五輪までにこれを5nmol/Lに下げるかもしれない。女性は通常2nmol/L未満である。(男性は10.41から34 nmol/L)。

 トランスジェンダーの活動家たちは,男性の思春期が運動選手にもたらす永続的な有利さ(体格が大きく,筋肉量が厚く,心臓が大きく,赤血球が増えて酸素吸収が高まる)は重要ではないと主張した。そして今は,運動選手の血中テストステロンだけの問題とされるようになったのだ。都合のいいことに,遺伝的な男性はそれだけクリアすればいいのだと。結局,骨格を小さくすることはできないのだからと。 

 したがって,女性というものがテストステロンの低い人間にすぎないのであれば,この規則はすべての人に適用されなければならないことになる。しかし,キャスターのケースは単に不正ではない。彼女の支持者が言うように,水泳選手のマイケル・フェルプスが足を上下に反らせているのと同じくように,彼女は異常に高いテストステロンに恵まれた女性ではないのだ。彼女の尊厳を守るために,キャスターの性別検査の結果はこれまで当然非公開だった。しかしCASの裁定では,「46XX」ではなく「46XY」と呼ばれるインターセックス運動選手のみがテストステロンを低下させなければならないとされている。言い換えれば,この判決は,外見にかかわらず,染色体は一般的には男性型である人々に適用されるというわけだ。

 それでは,彼女はずっと男だったということなのだろうか? 繰り返すが,これはそれほど単純な話ではない。彼女はPAIS(部分的アンドロゲン不応症)の可能性が最も高いと言われているが,これは胎児の時にテストステロンを十分に利用できず,外性器は女性型で腹腔内に精巣をあることを意味する。重度のPAISは,彼女の体が男性の思春期の恩恵を十分に享受することをむしろ阻害するということだ。トランス女性なら言われなかったはずの,キャスターは男性と競争するべきだなんてことを主張することはできないはずなのだ。これこそもっと不公平なことだろう。

 それに,キャスター・セメンヤは女の子に生まれ育ち,常に女性として生き,決して騙していたわけではない。人間の約0.001%DSDの体の状態を持っているということから,彼女もまた,他の多くのスポーツ伝説のような選手たちと同じく,特異的な身体を持つ卓越者とみなすことができるのだ。しかし現在のジェンダー戦争ではそうとはみなされないのである。

 CASの評決は,ポーラ・ラドクリフやケリー・ホームズのような女性スポーツ活動家によって恐れられていた。マルティナ・ナブラチロワはセメンヤを親友と呼び,トランスとインターセックスのアスリートを混同してはならないと宣言した。しかし懸念されていたのは,もしCASが,染色体が男性型であるセメンヤがテストステロン値を低下させることなく女性と競争できると判断した場合,トランスアスリートも同じことを要求するだろうということだった。

  これはなにも妄想的な恐れではない。トランス系女性,レイチェル・マッキノン氏は,これまで男性としてはほとんど運動能力がなかったにもかかわらず,女性マスターズ・トラック・サイクリングで優勝し,女性であると自認していることが自分が女性であることを意味すると主張しているのだ。したがって,彼女が競技に参加するために天然のテストステロンを減らすよう要求することは,人権侵害に当たることになる。

 一方,アマチュアや大学のイベントでは,参加者はホルモン量に関係なく,自分が競争したい性別のカテゴリーを選ぶだけでよくなっている。コネチカット州では,女子国体選手権で,男性の体を持つ女性トランス・アスリート2人についで3位になった16歳の高校生のセリーナ・ソウルが,「女性」を生物学的現実から内面的感情に定義すると提案された米国平等法案と戦っている。彼女が問うているのは,女性のスポーツ,奨学金,記録,賞品は,もしそれを男性に生まれた人にもオープンにしたら,どうなってしまうのかという点だ。トランスの人々は少数ではあるが,確かに0.001%以上を占めるのである。

 セメンヤの裁定において,CASは少なくともIOCの新しい規則を強化し,一貫性を導入しようとしていた。健康な運動選手に薬を飲ませようとする激しい抗議の声にもかかわらず,セメンヤは避妊薬を飲む必要があるという結論になる可能性が高い。

 何よりも自制と落ち着きで行動してきた選手が,政治的サッカーのボールのように扱われるのは残念だ。南アフリカCASの決定を「アパルトヘイトの傷」を開くものだと声明を出していて,彼女の多くのファンは,キャスターの筋肉質の体格が批判されているのは黒人女性が常に白人の女性としての基準を満たしていないと判断されるからだと主張している。いまだ未踏の女子800M世界記録を1983年に樹立したチェコのはちきれんばかりの筋肉のヤルミラ・クラトフビロワを男性だと言う人はいないと彼らは主張している。ただ,彼女が東ヨーロッパのドーピングプログラムの一員だったといううわさは消えていないが。

 CASは,すべての女性に公正な競争を確保できなければ,「成功への道を見いだせないから」,次世代の女性競技というものを失う危険があるという世界中で高まっている懸念に対応したものにすぎなかった。悲しいことに,女性スポーツにとっての良い日は偉大な女性アスリートにとっては最悪の瞬間となったのだった。

 

 

キャスター・セメンヤとIAAFの激しい戦いの詳細が文書で明らかに  DSDsとスポーツ(3)

キャスター・セメンヤとIAAFの激しい戦いの詳細が文書で明らかに

https://www.apnews.com/f844add98d02453ea926706f687c2fc7

ジェラルド・インレイAP通信2019年6月22日11時間前に更新

 

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南アフリカキャスター・セメンヤは5月3日,カタールのドーハで行われるダイヤモンド・リーグの女子800メートル決勝に出場。生まれつきのテストステロンのが高いことによる利点を隠すためにわざとゆっくり走っているとIAAFが非難したことについて,彼女は怒りと共にその告発を否定した。
Kamran Jebreili:AP通信


 先日公開された裁判所の文書によると,キャスター・セメンヤは、生まれつき高いテストステロン値による利点を隠すために意図的にゆっくり走っているとIAAFから非難された。

 セメンヤは怒りとともにその告発を否定した。

 このやりとりは,今年2月に開催されたスポーツ仲裁裁判所で行なわれた,彼女が訴えたテストステロン (男性ホルモン) に関する規則に関する163ページの裁判記録に含まれていた。4カ月後,この文書は両者の合意で編集の上公開された。

 文書には2009年の世界選手権の前後に行われた「残虐で屈辱的な」出来事についても書かれており、当時まだわずか18歳だったセメンヤは,合意なしに2回の「性別確認テスト」を受けさせられたとしている。

 ある婦人科医によれば,IAAFはその後まだ若いセメンヤにテストステロンを除去する手術を受けるように迫ったという。この婦人科医はIAAFの要請に抵抗し,最終的にセメンヤはホルモン抑制剤の服用に同意した。

 以下は、裁判文書からの詳細である。

 

セメンヤの受けた体験 

 セメンヤは,10年前のベルリンの初のメジャー大会で,世界中で受けた体験について,証言の中で初めて詳細に説明した。

 彼女によれば,南アフリカ陸上競技連盟は婦人科医を派遣し,彼女の性器の検査や血液サンプルの採取などの検査を行わせたが,何のための検査なのかは告げなかったという。世界選手権800Mで優勝した後,IAAFはドイツの病院で当時まだ10代だった少女にさらなる検査を行った。それは「IAAFによる命令」で,自分には選択の余地がなかったとセメンヤは述べている。

 話はそれに終わらない。セメンヤは2010年にホルモン抑制剤(経口避妊薬)を服用することに同意したが,それはIAAFが生まれつきのテストステロン値を医学的に低下させなければ競争を続けることはできないと言ったからだ。セメンヤはIAAFがテストステロン規制を初めて導入した前年から投薬させられていた。彼女はその時まだ10代だった。

 セメンヤの対応にあたった南アフリカの婦人科医であるグレタ・ドレイヤーは,IAAFがまず「セメンヤに対して望まれる処置」としたのは手術であると「はっきりと言った」と証言した。ドレイヤー医師はその要請に抵抗し,セメンヤが何らかの治療を受けるとすれば,それはホルモン抑制に留めるべきだと述べた。IAAFはこの規制のもとではいかなる競技者に対しても手術の強制は否定しているとしたが,手術は経口避妊薬やホルモン遮断注射と並んで世界的な団体が推奨している治療法の1つとなっているとした。


治療法 

 セメンヤは2010〜2015年の5年間経口避妊薬を服用し,体重増加や発熱,吐き気,腹痛など,2011年の世界選手権大会や2012年のオリンピックで経験した多くの副作用を訴えた。南アフリカ陸上競技チームの医師によると,この薬はセメンヤの感情状態やトレーニング能力にも影響を及ぼし,「目に見えてうつ状態に落ち込んでいた」という。医師のフィルダ・デ・ジャガー氏によると、この薬はセメンヤの身体の代謝を「狂わせ」,更年期の女性の症状を呈させたとしている。

 またセメンヤは,彼女が故意に薬物を服用せず,メジャー大会に向けてテストステロン値を操作していたというIAAFの非難に対しても,これを否定した。彼女は5年間,毎月2回の血液検査と予告なしの無作為血液検査を受けなければならなかった。アスリートのテストステロンを医学的に減少させる実験の「ラット」のように扱われているようにセメンヤは感じたという。

 

「生物学的に男性」 

 IAAFはそれまでは公にそう言わなかったが,スイスのスポーツの最高裁判所の非公開の審理の中で,セメンヤや特定の「体の性の様々な発達状態(DSD性分化疾患)を持つアスリートたちは「生物学的に男性」だと主張した。現在28歳のセメンヤは,男性に典型的なXYの染色体パターンで,男性と女性の生物学的特徴を持ち,テストステロンが典型的な女性の範囲より高い状態で生まれたのだと。彼女は出生時に法的に女性と確認され,生涯を通じて女性として生きてきている。

 セメンヤは,IAAFの「生物学的に男性」との主張に「ひどく傷ついた」と述べた。

 この発言はIAAFの医学・科学部門の責任者でテストステロン規制の立案責任者を務めるステファン・ベルモンによるものであった。セメンヤの弁護士による反対尋問の中で,ベルモンはこの陳述は誤りであったと認めた。証言の中でベルモンは,いわゆる46XY DSDの体の状態で,セメンヤのようなテストステロンを減らす治療を受けた全ての運動選手が競技に戻ったわけではないことも認めた。

 IAAFは法廷審問で,テストステロン値の高さがセメンヤらこれまで46人のXY DSDのアスリートに,典型的なテストステロンレベルの女性よりも不公平な優位性を与えることを示す研究調査を提出した。3人の裁判官のうち2人 (1人はセメンヤを擁護する立場) が証拠を認め,IAAFは裁判官2対1の過半数で勝利したのだった。


アスリートの同意 

 IAAFのテストステロン調査の一部は,ベルモン医師が2011年の韓国大邸の世界選手権と2013年のモスクワ世界選手権 で採取した,世界のトップアスリート2,000人以上の血液サンプルを使った研究から得られたものだ。サンプルは当時アンチ・ドーピング・テストのために採取され,数年後には生まれつきのテストステロンを規制するルールを支持する研究のためにベルモンによって使用された。選手たちは自分の医療サンプルを後の研究に使用される可能性についての同意書を提供するようIAAFに求めていたが,IAAFは拒否していた。

 ベルモンは,倫理に反する研究が行なわれたという疑惑に対して,選手たちは自分たちのサンプルが「アンチドーピング研究」に使われることに同意しており,テストステロンのデータはそれに役立てたと述べた。ベルモン医師は,この研究が他の問題を「明らかにする」ために行われたという事実は無関係だとしている。


テストステロン制限のこれから 

 ベルモンは,IAAFがテストステロン制限を一部の競技 (400メートルから1マイルまでのトラックレース) に適用する決定を下した背景にある研究の一部を明らかにしたが、それ以外の競技でもテストステロンのアドバンテージがあることを示す独自の証拠があったにもかかわらず,その競技には適用しなかった。

 IAAFの説明はシンプルだ。IAAFはセメンヤのような46XY DSDアスリートが目立つ競技をターゲットにしたのだ。ベルモンは述べている。46XY DSDを持つ6〜8人のアスリートが他の競技に3〜5年間参加すれば,その競技でもテストステロンの制限が適用されることになるだろうと。

 

「身体の分類。自由の否定。」DSDsとスポーツ

身体の分類。自由の否定。Ché Ramsden 5 September 2016

 

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「セメンヤの性別(gender)を殊更に疑うこと。それは彼女の性別を別のカテゴリーに再分類し、彼女の女性性に疑いをかけるような行為だ。それは結局抑圧の構造を強めるだけなのだ。」

 

体の性の構造から人種まで、分類というものは抑圧の道具となっている。この記事では、特にキャスター・セメンヤに対して向けられた虐待的な仕打ちを検証し、今週のAWID発展途上国の女性の権利協会)国際フォーラムのテーマ「身体的主体性と自由」の更に先を見ていきたい。

10代前半の頃、クリスマスに私は祖母と一緒に、彼女のまだ生きていた母方いとこみんなに箱入りのビスケットを届ける手伝いをしていた。私達の親戚関係はとても広かったが、とても親密な関係だった。なので、最後のビスケットの箱を渡す叔母の名前を自分が知らないことに私は驚いた。「ドーンって誰?」

「イブリンおばさんの娘さんよ」。叔母のイブリンは私の曾祖母の妹。私の家のダイニングルームにおいてある古い家族写真には、赤ちゃんの頃のイブリンが写っていた。

「イブリンおばちゃんに娘さんがいるなんて知らなかった」

「イブリンが結婚した相手は白人だったの。だから他の家族のこと、知らないんだろうね」。

それからの20年間。私は南アフリカのあちこちで起きている話を聞き続けた。アパルトヘイトという分断で引き裂かれた家族たちの物語を。イブリンおばさんは大人になっての人生大半を「パスした」のだ。彼女は白人地区に居住し、周りの白人社会や子どもたちには、自分の出身を隠してきたのだ。一方、彼女の他の親戚たちは「有色人種」に分類された。おばさんは見てきたのだ。彼女の黒人の妹達がアパルトヘイト下で受けてきた仕打ちを。強制移住というトラウマ的な体験も。私は想像する。イブリンが感じただろう感情を。自分も「見つけられるのではないか」という恐怖の感情を。

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 見た目で肌が白い方だった私の曾祖母も「白人との結婚」を勧められたが、彼女が恋に落ちたのは、肌が黒い今の夫だった。ふたりの上の娘さんは母親と同じ顔の色だったが、私の祖母とその父親は、白人の親戚のところには立ち寄らないようにしていた。イブリンおばさんとその夫を白人社会の中で「困らせない」ためだ。ドーンは15歳になるまで知らなかったのだ。私達のビスケットの箱を受け取る人全員の存在を自分が知らないということを。

小さな私の世界はひっくり返った。ドーンの家に着いて、自分の新しい年老いた白いおばさんにビスケットの箱を手渡す時も、なんだかぎこちない沈黙の中でだった。家に帰る途中、私は更にイブリンの家族の現実を知ることになる。「でも…、おばさんの子どもは何も聞かなかったの?自分におばさんやいとこがいるって知ってたら、おばあちゃんのお父さんやおばあちゃんのこと心配じゃなかったの?おばさんやみんなは、他のみんながどこに住んでるか知らなかったの?」

「多分…、おばさんの母親は、私たちを家族だとはあまり思ってなかっただけなんだよ…」。でも、彼女は私たちの家族なのだ。そして、おばあちゃんは一言だけ言った。「アパルトヘイトなんて気違いじみてる」。


分類

 私がこの話をしているのは、分類というものが意味のないものであり、同時にかつ意味のあるものだということを描くためだ。「えんぴつ検査」が政治的ツールとして合法化されているのを見れば、分類というものに、奇妙で現実的じゃないものがあることに気づくだろう。多くの南アフリカ人にとっては、人種間の境界というものがいかに勝手独断なものなのか、しかしそれがいかに鋭く人々を分断し、どれだけ深く人を傷つけるものなのか、我々の歴史と体験が示している。

 9月初旬、私はブラジルに発ち、第13AWID国際フォーラムで発表をする予定だ。「身体の主体性と自由」がフォーラムの全体テーマのひとつだ。2000人近い世界中のフェミニスト活動家と学者たちが、私たちの身体を通して体験してきた私たちのアイデンティティと生の現実について、忌憚なく議論できることを楽しみにしている。身体は、フェミニスト達の闘いでも主要な戦場で在り続けている。私たちの存在と自由に大きな影響を与える、人間の身体の分類は様々多くのものが折り重なっている。

 分類とは確かに抑圧のツールだ。そしてもちろんそれは事実に基づくものではなく、権力を基盤にするものだ。アパルトヘイトという分類システムは、それを支えるのが怪しい生物学や怪しい道徳という事実からも、人種というのは社会的に構築されているもの、すなわち社会的な虚構だと気付かされる。我々が使っている体の性を分類するシステムも全く同じだ。身体は様々なものであるはずだが、確かに我々は男性の身体・女性の身体というものに固執している。ジェンダークィアが第三のカテゴリーとして男性女性以外の分類の代替案として認知されつつある一方、インターセックスの体を持つ人々は、身体の主体性の権利をいまだに否定されている。

 しかし、短絡的に「インターセックス」を第三の分類に当てはめるのは、支配と抑圧を追い求めるシステムを強化するだけだ。キャスター・セメンヤリオ五輪女子800Mで金メダルを獲得した時に、彼女の周りで巻き起こった頑固な偏見や虐待の嵐を目撃した時、私はまさしくこの思いを感じざるを得なかった。

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 2009年の世界陸上で彼女が金メダルを獲得してから、セメンヤの才能は世界規模での疑念の目に晒されることになった。他の女性たちとの競技を許すには、彼女があまりに男っぽすぎるかどうかというわけだ。ジェニファー・ドイルは、「彼女の体格や彼女のヘアスタイル、彼女の服の種類、彼女のセクシャリティ、つまり、彼女をその代表とする黒人女性の男っぽさやクィア(性的マイノリティ)性」を元に、おせっかいにも強引にクィアな側面を暴き出そうとする「安っぽいスリル」を、にわか専門家気取りたちがいかに楽しんだか論述している。

 彼女自身に何の検査か知らされることもなく(なのでもちろん同意もなしに)、女性として競技する「適格性」を検証しようという医学的な検査が、2009年彼女に行われた。そしてまた彼女の同意もなく、国際陸上競技連盟IAAF)は、このような検査が行われたことを一般に公表した。さらにIAAFは、セメンヤのテストステロンレベルが「平均的な」女性より高い「高アンドロゲン症」だと報告したのだ。

これに応じてIAAFは、生まれつきテストステロンレベルが高い女性が競技に出られない「高アンドロゲン規制」を設けたが、これは、短距離走者のデュティ・チャンドの訴えから2015年常設仲裁裁判所によって保留されることに。こうしてセメンヤは彼女の生まれ持ったホルモン量を変えること無くリオ五輪で競技できることになった。しかし次には、彼女と競技した選手やIAAF、国際五輪委員会は、セメンヤが競技に出るのを許可するべきかどうかという疑問を新たに出している。

 キャスター・セメンヤの性別(gender)に対する疑問。特に、彼女の性別を新たに設定しようとしたり、彼女の女性性に疑いを投げかけたりするような疑問は、無邪気さ・無謬さを装いながらも、抑圧の構造を強化する。「公平性」や「正当性」という問いが投げかけられる時、またもやセメンヤの女性性は、ほとんど常に彼女の黒人性と結び付けられているのだ。

 

ミソジノワールMisogynoir

 セメンヤへの中傷が、女性競技で彼女が競技する「問題」をほのめかす時、実はそのような議論は彼女をある特定の眼で見るように誘っている。それは、人種差別的な偏見の眼へと常につながっているのだ。リオ五輪女子800M6位だったリンゼイ・シャープは、競技後の涙ながらのインタヴューで、セメンヤや銀・銅メダリストのフランシーヌ・ニヨンサバとマーガレット・ワンブイと競技することが「どれだけつらいことか皆分かってくれるはず。(イタリックは筆者)」と述べた。5位のジョアンナ・ジョズウィックは、あのメダリストたちは「テストステロン値がとても高くて、男性に近い人達。なんでああいう顔・体なのか、どんな容姿なのか、どんなふうに走るのか、見れば分かるでしょ。(イタリックは筆者)」と主張した。

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 ジョズウィックは更に自分の言わんとしてることをはっきり明言している。「私は(競技のゴールラインを切った)最初のヨーロッパ人であること、1位の白人であることを嬉しく思ってます」と。つまり、あのメダリストたちは黒くて速く走った(けれども、レコードとして記録されるべきじゃない)と。ジョズウィックとシャープの「明らかな」問題はここにある。だって、女子800Mの世界記録保持者である白人女性のヤルミラ・クラトフビロバは、彼女の女性性を疑われるようなこんな目にはあっていないのだから。

 あのメダリストたちが女性の世界に住まう適格性を持っているかどうかという疑念を投げかける時、シャープとジョズウィックは、少なくとも植民地主義や大陸間奴隷売買と同じくらい古い人種差別的神話を披露している。黒人女性は、白人女性とは異なる身体的カテゴリーに属している。だから、彼女たちの身体は、白人男性よりもハードな肉体労働に適しているという神話を。

アフメド・オーリンカ・スールーは、「遺伝子の問題じゃないよ。バーカ」という記事で、ジャマイカ人のスプリンターたちの遺伝子を検査して追い求めようとする傾向と、実はそれに付随する人種差別的ニセ科学について検証している。彼はこのような傾向を、「黒人を動物的に見るステレオタイプの現代的な延長」と呼んだ。ベルリン五輪ジェシー・オーエンス(訳者注:ヒトラーが白人種の優越性を証明するためにと意気込んだベルリン五輪で、4つの金メダルを獲得した黒人男性陸上選手)が、アドルフ・ヒトラーを赤ら顔にさせた80年後、科学的人種差別は(セメンヤに対する科学的性差別と一緒になって)、その差別性の偏見・偏狭さを覆い隠し正当化するのに今でも用いられているのだ。

 かと思うと一方では、マイケル・フェルプスは、泳ぎの際に「彼の超適応型脚部が『実質上のヒレ』になっている」と指摘されているが、彼の「魚のような」身体が原因で、他の男性選手と競技する許可を出すべきではないと警告されたり告発されたりしたことはない。競泳選手のケイティ・レデッキーの1500Mフリースタイルの記録は、既に男性選手の記録の領域に入っていて、彼女のその優越性はセメンヤのそれよりもずっと大きいということをジェニファー・ドイルは指摘しているが、ケイティ選手の女性性が攻撃的に疑問視されたことはない。

 

#HandsOffCaster#キャスターから手を離せ)

体の性の不正確な分類に対する告発は、女性選手にのみにされ、かつ特に南側諸国出身の女性に限られがちだ。驚くべきことに、女性の身体に対するこの不公平な監視規制に対して、フェミニストたちが反対の声をほとんどあげていないということだ。これは恐らく、人種差別的な物の見方によって、このような女性たちの身体が既にクィア化されているということなのだろう。

ジョン・ブランチは、(2012年の)ロンドン五輪で、18歳から21歳の4人の女性選手、全員とも発展途上国の地方出身者が、生まれつきのテストステロンレベルを理由に一度競技参加を止められているとレポートしている。この女性は4人とも「女性化」手術を受けさせられることになった。セメンヤの場合は、「高レベル」のテストステロンが問題の焦点とされた。しかし男性の場合の平均より高いテストステロンレベルが検査の対象とされたことはないのだ。

オリンピックが近づくに連れて、セメンヤ選手への興味関心が再度起きつつあったことに合わせて、南アフリカソーシャルメディア#HandsOffCaster(キャスターから手を離せ)キャンペーンが始まった。女性選手に身体的な侵襲処置が行われることに対して、具体的に「手を離せ!」とした呼びかけは適切なものだった。セメンヤの極個人の私的な領域と身体的自律性は、過去既に十分に土足で侵害されている。だから、#HandsOffCasterキャンペーンは、強力な警告となった。「もう十分だ!医学検査なんてただの侵害だ。同意なしだったら2倍にひどい。その結果がメディアにリークされ勝手に公表されたとなったら、3倍ひどい」と。

2016年五輪の閉会式で、各国がそれぞれの国の代表旗手を、リオデジャネイロのマラカナスタジアムに送り出した。旗手は、その国の「競技の英雄」に選ばれた選手だ。キャスター・セメンヤは、彼女の国の英雄として、南アフリカの旗を掲げていた。しかし私はそれほど誇らしくは感じられなかった。

 南アフリカチームは、同じ五輪の金メダリスト、ウェイド・バン・ニーキルクを選ぶこともできたはずだ。だって彼は男子400Mの世界記録を破ったのだから。しかし、セメンヤが旗手に選ばれたのは、チームの統一と強さを示すため、オリンピックアリーナでのその時の彼女の存在は、むしろ彼女なんていないほうがいいと思ってる様々な偏見を持つ人達に挑むことを目的としたものになっていた。「同性愛者はアフリカ人にはいない」と誤解している人達や、体の性の構造(sex)と性別(gender)の誤った理解。彼女の完全に自然なホルモンのコンビネーションは、そういう偏見を持つ人達を黙らせることになる。セメンヤの南アフリカでの多岐にわたる人気は、美しいケーキの上にかけられる粉砂糖だった。

 象徴性というものは、その人の人生の真実を表すものでも、その人自身に意味のあるものでもない。しかし、この瞬間を持つことは重要だった。彼女が一つの象徴となることは、南アフリカはセメンヤの味方だと伝えるだけでなく、彼女を自分たちの英雄として賞賛しようということを伝えることになったからだ。セメンヤは、彼女の生まれた人生を生き、自分がどうしたいかを自分で選び、誰に憚ることもなく愛し愛され、他の選手達と世界の舞台で自由に競技できるということが、南アフリカに住む私たちの望みなのだと。

 キャスター・セメンヤの勝利と、南アフリカ人がオリンピックの舞台に立ったこと、それはまるで私も同じ舞台に立てたように感じられた。さあ、このことをAWIDの舞台で皆に伝えよう、「フェミニストの未来」についてこのことを話そうと。自分の身体をあらゆる表象の中で取り戻す私たちの旅。女性とはこういうものだという抑圧的で狭量なシステムに収まることを拒否すること。それは、自由への不可欠なステップなのだ。AWIDのプログラムは、包括的でインターセクショナル(訳者注:様々な文化的社会的文脈を無視しないという意味)であることが約束されている。「人権と公正のために皆の力を結集しよう」。どうか、このページをご覧ください。

Ché Ramsden will be writing daily for 50.50 from this week's AWID Forum Feminist Futures: Building Collective Power for Rights and Justice, 8-11 September, Bahia, Brazil. openDemocracy 50.50 will be reporting daily from the Forum

 

「キャスター・セメンヤの話は,公平性の話なんかじゃない」DSDsとスポーツ

 

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(当事者家族の方には読むのが辛くなるかもしれない描写があります。お気持ちの落ち着いているときにご参照ください)

 

  ロンドン世界陸上2017も中盤にさしかかり、競技が連日繰り返されています。そして、「性別疑惑」という汚名を着せられた、南アフリカの女性中距離選手、キャスター・セメンヤさんも、既に女子1500Mで3位入賞,8月11日(金)からの女子陸上800Mに出場予定です。

  恐らくですが、また日本でも心ない報道や、いろいろな人のいろいろな「意見」が交わされ、センセーショナルな喧騒が勃発し瞬く間にまた消えていくことでしょう。

 そしてそれが、セメンヤさん自身にどう体験されているか考える人はまた少ないままに。

 ネクスDSDジャパンでも,前回のリオ五輪に合わせて特設ページを作りました。長年DSDsを持つ子どもたち・人々と家族の皆さんの支援を行っている、スタンフォード大学生命倫理学センターシニア研究員(現イェール大学)の文化人類学者・生命倫理学者カトリーナ・カルケイジスさんのエッセイの翻訳です。彼女は、前回の五輪出場に関してセメンヤさんと同じく「性別疑惑」の汚名を着せられ、IAAFの「高アンドロゲン症」規制により、出場資格を失いかけたインドの女子短距離選手デュティ・チャンドさんの弁護に立ち、五輪出場資格を勝ち取りもしました。ぜひ、読んでいただければと思います。

www.nexdsd.com

 このブログでは,キャスター・セメンヤさんの身に起きたことを更に理解いただくために,欧米のスポーツメディア「Deadspin」に昨年掲載された記事「The Debate About Caster Semenya Isn't About Faireness」の翻訳をご紹介します。

deadspin.com

キャスター・セメンヤの話は,公平性の話なんかじゃない。

 

 私を女性たらしめているものは正確には何なのだろうか?私の乳房?もしそうだとしたら、サイズも関係してくるのだろうか?子宮があるから?でも、私は子どもを作ろうとしたことがないので、ちゃんと自分の子宮がはたらいているかどうか私には分からない。これも問題になるのだろうか?あるいは、XX染色体やテストステロンレベルも問題になるのか?私は自分の染色体やテストステロンレベルがどうなってるか知らない。だって単純に、わざわざそんなことを検査するような医学的理由もなかったから。私が女性であることを証明しろと言われたら、多分私はこう答えるだろう。「だってみんな、私が女性だって言ってるから」。

 私がまたこんな思考実験をしたのは、今週キャスター・セメンヤ800M走で競技していたからだ。セメンヤはずっと、彼女は女性だと言われていた。そう言われなくなるまでは。

 南アフリカのこのランナーに起きたことを全て要約するのはちょっと簡単じゃない。彼女は、2009年の世界陸上800Mの競技を走り抜け、そして直後に彼女の体の性の構造(sex)や性別(gender)への憶測や疑いが一挙に吹き荒れた。オーストラリアの新聞が、匿名の関係者の証言として、検査でセメンヤには精巣があり、子宮がなく、テストステロンレベルが「普通の」女性よりも高かったと暴露した。後に世界陸上競技連盟がこれを追認し、「性別検証検査」を指示し、イギリスのブックメーカーその結果を賭けの対象にした。ただ、セメンヤの身体についての暴露の大部分は、オーストラリアのデイリー・テレグラフによるものであった。

 その1年多くのメディアが記事を書き立てた。セメンヤ自身は、2010年に ニューヨーク・タイムズで、彼女は自分の身体についての医学的結果を何ら報告されていないと語った。

 リポーターたちは彼女を「インターセックス」と呼びつけた。しかし私は、セメンヤ自身が自分を「インターセックス」だと言ったというリポートをひとつも見つけられなかった。そして彼女は、彼女をニュースの売りモノにされてしまうことも、彼女をインターセックス選手と呼ぶ記事も止めることはできていない。

 このような記事のヘッドライン(「世界は黒人のクィアLGBTQ等の性的マイノリティのこと)でインターセックスの選手を受け入れる準備はあるか?」)もあった。しかしセメンヤは自分をクィアだとも語ってもいない。

 彼女の人生はますます彼女のものではなくなっていった。セメンヤの身体は、リポーターたちが必要とするモノだったらどんなモノにもなっていった。ケイト・ファーガンがTwitterで語ったとおりに。「セメンヤは女性だって分かるわ。だってみんなして彼女の身体を自分のモノにしようとしてるから」

 メディアという自動機械とは別に、IAAFは、セメンヤの物語に、新しいガイドラインで答えた。「高アンドロゲン症」という言葉をスポーツ界に持ちこんでくることで。しかしそもそも、疑問に対する「 合理的な基盤」があれば、旗を振ってアスリートの走りを途中で止め、彼女のテストステロン値を測るということになるのだろうか?(ただ実際、「合理的基盤」ということ自体が疑わしい。だって誰がそうだと定義できるのか?一方的に叩かれて動揺している競技者自身はその定義の場にいられたのか?)。もしテストステロン値が高ければ、彼女は不公平に有利だと見なすということになるのだろうか?ウェブマガジン「Slate」のダニエル・エングバーはこう述べている。「彼らはむしろ、ドーピングのテストをするというのと同じ文脈で、アスリートの女性性をテストしようとしたのだ」と。彼らが測定しているのは女性性ではなく、公平性の問題なのだというわけだ。

 しかしもしあなたが、ひとりの女性が「旗を振られて走りを止められ」、テストを受けさせられたひとりの女性の体験そのものを読めば、「これは公平性の問題なんです」という議論に乗るのは難しくなるはずだ。

 もしセメンヤのようなアスリートが最初のホルモンスクリーニングに引っかかると、テストステロンが有利になるほど「はたらいているか」、さらに詳細に調べることになる。医師たちはどうやってそれを調べるか?まず彼らは彼女の細胞のレセプターがどれくらいテストステロンに反応するかを調べるだろう。そしてそのレセプター異常で既に知られている遺伝子をスクリーニングする。彼女の声がどれくらいしわがれ声か測定し、彼女の陰毛と乳房の発育を物差しで図り、筋肉量を測定し、彼女の陰唇のサイズを図り、彼女の膣を触診し、彼女の肛門生殖器の長さを図る。別の言葉で言えば、彼らは、彼女が、彼女の「インターセックスの状態」によって、どれほど「男性化」しているか、どれほど「男になっているか」、測定しようとしているのだ。

 想像してみて。医師が、あなたの陰毛の長さを物差しで図り、あなたの膣が膣であるかどうかを、確かめようとしている場面を。あなたを女性として見なしていいかどうか測定している場面を。上の文章の科学的視線の冷たさをとりあえずも考慮したとしても、私はそんな処置の場面を考えるだけで身の毛が震え、胸が痛くなって苦しくなってくる。この一連の出来事というのは、男性によって支配されたグループによって作られた、男性が考えるところの十分な女性性というものでもって、女性を定義しようとする、もう古いはずのシステムとほとんど響きが違わない。

 競技に出るためには、女性はどうしても、彼らが考える「女性」であらねばならない。医学的専門家集団が記述する「女性」に。検査の結果が十分に満足できるものであるかどうか決めるのは彼らだ。

 こういったケースの場合、医学的専門家集団は、彼女が選手として競技できると認められるかどうかという基準で、彼女の体の状態を特定する。こういう体の状態だったら、主治医によって、彼女のアンドロゲンレベルを普通にする治療が行われる必要がある。こういうケースの場合だったら、医師集団との相談によって、特定の治療を進める勧告を受け入れるかどうかは、その選手が決めることだ。選手が女性競技に出続ける手段として治療を受けることにしたなら、競技に戻る前に、彼女のケースだったら、医学専門家集団の検査をもう一度受けるように。指定した体の状態になってるかどうかを確かめるために。IAAFは、その選手のモニタリングに責任を負うことになる。基準などは明らかにしないが、選手の検査を引き続き行い、体の状態が基準に保たれているかどうかコンプライアンスを明らかにするために。

 セメンヤ自身は自身が体験したことについて何も語っていない。しかしその後の彼女の経過や報道からは、彼女が何らかの科学的処置を受けただろうことが推測される。そして、インドの女性ランナー、デュティ・チャンドが、テストステロン規制に抗議し、スポーツ仲裁裁判所で勝訴を勝ち取って以来、この規制は一時保留されている。現在セメンヤは以前よりも記録を伸ばし、800Mの勝利を望んでいる。そしてまたこのことで、メディアは彼女の競技出場に目をつけだした。もっとも、多くの報道は、相変わらずの競技の公平性やテストステロンの値、そしてルールについての話ばかりになっているが。

 テストステロンが女性選手にどう影響するのか、大量の記事が溢れている。しかし実際テストステロン値基準というのはかなりいい加減なものだ。女性性の定義という、オリンピックで長く続く強迫観念。その不都合な事実を避け続けているだけなのだから。こういう強迫観念により、時に女性は裸で世界中をパレードされ、女性である証明書を得るために彼女たちの外性器が検査されるのだ。染色体を調べるための口腔粘膜検体採取が採用されることもあった。しかしこのシステムにも問題があった。オリンピックは1999年に染色体検査を止めているが、必要ならばと性別検査の権利は保ち続けている。

 つまり、多くの女性選手の最大で単一のステージであるオリンピックは、誰が女性なのか?という判断を今でもしているのだ。その基準は変化しても、そういう態度自体は変わらないままに。

 そしてスポーツレポーターたちは、この動きと踊り続ける方法を見つけた。セメンヤについての本当に多くのヘッドラインが、なぜ「公平性」という言葉を使っているのか?これが理由なのだ。スポーツ・イラストレイテッド「リオ五輪でキャスター・セメンヤが他の女性たちと競技するのは、公平と言えるのか?」と知りたがり、テレグラフ2016リオ五輪キャスター・セメンヤが競技するのは誰にとっても公平ではない」と書き立て、ガーディアンは彼女をして「時限爆弾」と呼びつけ、マルコム・グラッドウェルは「選手競技にはルールが必要だと人々は理解するべきだ。そうじゃなければ競技なんてありえない」と無遠慮にがなり立てた。

 どうですか、女性の皆さん。これが公平性というものです!これで競技場は平坦になります!ルールに従いましょう!ちょっと、女性の皆さん、どうか落ち着いて!私たちはただ、女性の皆さんのために、競技を公平にしようとしてるだけなんですよ!

 その中でも、スポーツ・イラストレイテッドは、このままでは女性競技というもの自体が難しくなると警告した。スポーツ界以外でも続いている性的暴力やハラスメント、女性選手への助成金不足ではなく、それこそが問題なのだと言わんばかりに。これは女性を守られるべき階級とし続けることなんだと、レポーターたちはこれからも繰り返していくのだろう。「守られるべき階級」とはつまり、差別されてはならない存在のことなのだという肝心なところは完全に無視したままで。セメンヤが女性であるには男っぽすぎるかどうか問うなどという異様な行為を続けるということ、そこでは彼女は差別されるべき存在だという、なんだかよく分からない権利を授けられているというわけなのだ。

 エリート選手というのはみんな遺伝子的に例外の存在のはずだ。しかし、そこに女性性というシニフィアンが絡むといきなり問題にされるのだ。何か一つの特徴だけで、その人の性別(gender)を定義することはできない。性別(gender)の流動性や表現、同一性が理解されつつある世界の中の、まさしく「様々な性の多様性」という名のもとに、セメンヤを女性から排除している状況だ。

 「お前は女性として十分と言えるのか?」というオリンピックスポーツでの残酷な問いはここまで来ている。今まで誰からも五輪選手に間違えられたことはないが、私は自分がセメンヤに強く共感していることに気づいている。私の人生はその全てが私の女性性によって定義づけられてきたと思う。私は自分の黒くて縮れた髪の毛を明るい金褐色のストレートにするのに数え切れない時間と何千ドルも費やしてきた。その方が男性に対して魅力的だと思ったからだ。会議では必ず頭の中で、機嫌悪くならないように行儀よくアサーティブにするよう気をつけてきた。門前払いで仕事を得られず、何故なんだと途方にくれていた時は、年配のジャーナリストに言われたものだ。「問題は君にペニスがないことだったんだろ」と。

 私の人生のあり方ずべて、私の女性性、その定義がいきなり自分自身から剥ぎ取られ奪われたら、私はどのように感じるだろう?私の存在は他の女性に対して不公平になるという理由で、女性だと言われ、女性として扱われ、女性だからだと差別を受けてきたすべての時間をいきなり拭い取られたら?こんなホラーみたいな体験、私は想像できない。でも、自分がどう言葉を返すかだけは分かっている。「私が女性じゃないなんて、どういう意味?みんな私を女性として扱ってるじゃない!」

 

www.afpbb.com

AIS-DSDカンファレンス・イン・ボストン(1)

 去る7月18日〜21日までアメリカのボストンにて、AISなどの性分化疾患を持つ人々のサポートグループ、AIS-DSDサポートグループの年次大会「Orchids on the Harbor, 2013」が、「Becoming Me, Becoming We」をメッセージテーマに行われました。日本からも、AIS-DSDサポートグループジャパンの代表である女性の方と、このプロジェクトの代表が出席しましたので、少しご紹介できればと思います。

 AIS-DSDサポートグループは元々、AISなどの性分化疾患を持つ女性のためのサポートグループだったのですが、今回の17回目の大会からは、性分化疾患を持つ男性のミーティングも加わり、アメリカを中心に、カナダ、ヨーロッパ、アフリカ、オーストラリア、そして日本から、総勢180人以上の子ども・大人の当事者の皆さん、更に家族、医療関係者が集まりました。

 分科会は全部で42ミーティング。性分化疾患の基礎講座からオペやホルモン療法など治療、いかに診断のトラウマを乗り越えていくかなどのカウンセリングなどについての医療関連、両親、子ども、きょうだいなど、それぞれのために用意された家族のためのミーティング、性分化疾患を持つ女性のためのミーティング、男性のためのミーティング、ユースのためのミーティング、また、家族から子どもに、本人から周りの人に性分化疾患のことを話すこと、結婚、養子縁組など、人生を生きていく上での課題についての皆さんの体験のシェアミーティング、そして、タレントショー(CAISを持つジャズシンガー、イーデン・アトウッドさんと、同じくCAISを持つ女性プロサックス奏者の方のコラボや、子どもたちのかくし芸が圧巻でした)に、カラオケ大会、ダンスパーティー(今風にヒップホップです)、ボストン水族館見学などのお楽しみ、更には、今でも「男でも女でもない性」「第三の性」と世間やマスコミから認識されることについて、いかに正しい知識と認識を広めていくか、マスメディア専門家を交えてのミーティングなど、様々多岐に渡るものでした。(夜はホテルのバーと部屋で飲み明かしm(_ _;)m)。

 参加者の方も、当事者の方では、まだ小さなお子さん(会場ではしゃぎまわっていて、とても楽しそうでした)から、ユース、成人、更には80歳近くになられるご夫婦、養子縁組をされて家族を作られた方、養子縁組をしたお子さんが性分化疾患であることが判明した家族、そして外科医、内分泌科医、臨床心理学者などの医療関係者など、本当に多岐にわたる人々が集まり、皆さん和気あいあいとした雰囲気で、笑ったり泣いたり語り合う姿が印象的でした。当事者、家族の別なく、やはり同じような体験をしてきたからでしょうか、私も含め、初めて会ったのに、当事者の方とも家族の方とも、みんな昔からの親友であるかのような雰囲気で打ち解けあえましたよ。日本語が少しできるという方もいて、全て英語のカンファレンスですが、心強いものもありました。英語ができなくても、この雰囲気を味わうだけでも十分に価値のあるものです。「患者会」と言うと、あるいはジメジメした暗いイメージを持たれることもあるかもしれませんが、個人主義のアメリカらしく、共通した体験がありながらも、性分化疾患の中でも様々な状態があることを認識し、それぞれの人生を認識し尊重し合い、積極的に(「性分化疾患を持った人として」ではなく)自分自身の人生を生きようとする雰囲気が最初からあり、とてもポジティヴなものでした。(AIS-DSDサポートグループジャパンは、とてもポジティヴなグループですよ)。

 ひとりで誰にも言えない、言わないまま抱え込んでいると、逆に同じ性分化疾患を持つ人の中でも、その個々の身体の状態、個々の人生の「違い」、そして更には、違いから浮かび上がる「自分自身」というものは認識・尊重できないように思います。そうなると、何かのイメージに囚われ、そのイメージに自分が生きられてしまい、自分自身の普通の人生・生活を見失いかねません。(カンファレンスでも、多くの方から、世間の持つイメージと自分自身の普通の人生・生活との乖離が話されていました)。集まることで、皆が普通の人生を普通に地道に生きていることが実感され、更に何かひとつのイメージで語れない個々の人生の違いが分かってこそ、益々自分自身になり、互いに手を取り合うことができるようになるのかもしれません。その意味でも、「Becoming Me, Becoming We」(「私」になる。「私たち」になる。)というメッセージテーマは大切なものに思えました。AIS-DSDサポートグループジャパンの代表の女性の方とも、まずはこの大会に日本からもたくさんの方が参加いただき、いつか日本でもこのような楽しい大会ができればねと話し合いました。

 またカンファレンスでは、まず写真などプライヴァシーを大切にする確認が行われ、女性だけのミーティング、男性だけのミーティングなど、安心・安全を守る仕組みがちゃんとなされていました。これはとても重要なことです。(逆に皆さんの元気な姿がご紹介できないのが残念です!)。

 今回私が参加した大会は、AISやスワイヤー症候群、卵精巣性性分化疾患尿道下裂などを持つ人々、家族のための大会でしたが、アメリカでは他にも、クラインフェルター症候群やトリプルX症候群・XYY症候群などの染色体に由来する体の状態を持つ男性・女性のためのカンファレンスや、先天性副腎皮質過形成(CAH)を持つ男性・女性のためのカンファレンスも各グループにて各地で行われています。日本からも参加者が増えればと思います。

 次回のレポートでは、サポートグループカンファレンスとともに同時に開催された医療カンファレンスと、そこでの私たちのプロジェクトとの話し合いを報告したいと思います。

 

AIS-DSDカンファレンス・イン・ボストン(2)

 AIS-DSDカンファレンスで、5歳のAISを持つ女の子にもらったミサンガです!とても元気で可愛い女の子さんでしたよ。ミサンガはカンファレンスのキッズイベントで作ったそうです。







 さて、AIS-DSDサポートグループ主催のカンファレンスに先立ち、ボストンのInn at Longwood Medical Center Best Westernにて、性分化疾患に関わる医療関係者のカンファレンス「Improving Collaboration and Communication for DSD Care 2013」が行われました。会場のホテルは、ハーヴァード大学医学部ヘルスサービスのひとつであるLongwood Medical Centerに併設されたホテルなのですが(全米から患者さんやご家族が集まるため、宿泊用のホテルがあるんです)、マクドナルドやKFCなども含めたフードコートもあって、日本との大きな違いに驚かされました。アメリカでは大きな病院ではよくあることらしいです。

 医療カンファレンスは、ハーヴァード大学医学部のMarc R. Laufer教授(婦人科)や、性分化疾患専門医療サービスであるSucceed ClinicのAmy Wisniewski医師(小児泌尿器科医・心理学)、そしてCAISを持つ娘さんのお母さんであり医師であるArlene Baratzさんらを中心に行われ、最先端の取り組みが報告されました。

 7年前、私が初めて訪れた2006年のサンフランシスコでの性分化疾患医療カンファレンスの頃と比べ、現在ではリサーチや医療とサポートグループのコラボレーションも格段に進んでいました。正確な診断(ちゃんとしないと命にかかわる場合もあります)のプロトコル、親御さんやご本人への診断の説明の仕方、ご本人やご家族へのサポートグループや臨床心理士さんによる心理的サポート、性別の判定(殆どの場合が判明します)、侵襲的ではない(神経節など体に害を及ぼすことができるだけ少ない)外科手術のプロトコルなど、多岐に及ぶ進展の報告がなされました。

 また、私たちの翻訳プロジェクトからは、「性分化疾患:家族のためのハンドブック」の日本語翻訳版の報告を少しさせていただき、後で執筆者のひとりであるアーリーン医師に献呈させていただきました。性分化疾患医療の発展に寄与されてこられたアーリーンさん、お母さんとしての心配りも多くあったのでしょう、涙を流して喜んで下さいました。(私たちは7年前のサンフランシスコのカンファレンスで、当時の性分化疾患を持つ人々のサポートグループISNAの代表、シェリス・チェイス(ボー・ローラン)さんに翻訳のお約束をさせていただいたのですが、ボーさんは今回残念ながら欠席とのことで、ご友人の方に献呈させていただきました)。「性分化疾患:家族のためのハンドブック」日本語版は現在校正中です。定期的にこのブログでも引き続きupしていきますが、後日PDFでの完全版をダウンロードできるよう、こちらでご紹介する予定です。

 また、性分化疾患専門医療サービスであるSucceed ClinicのAmy Wisniewski医師から、医療関係者と家族のための最新の性分化疾患医療のガイドブック「Disorders of Sex Development, A Guide for Parents and Physicians」の翻訳のご依頼をいただきました。なんと、翻訳版は無料で提供してもらっていい(!)とのことでしたので、私たちの翻訳プロジェクトは次にこのガイドブックの翻訳を行って、ご家族の皆さんがご覧いただけるようにしていきます。時間はかかると思いますが、翻訳をお手伝いいただける方も新たに募集して、できるだけ早い時期に提供できればと思います。(原著英語の方は、Kindleで購入できます)。このガイドブックは、「家族のためのハンドブック」よりも少し詳しく、検査や医療の流れ、性分化疾患の種類・原因、子どものサポートの仕方、サポートの利用の仕方などが書かれています。

Disorders of Sex Development: A Guide for Parents and Physicians (A Johns Hopkins Press Health Book)

Disorders of Sex Development: A Guide for Parents and Physicians (A Johns Hopkins Press Health Book)

 更に、イギリスの医療関係者と性分化疾患を持つお子さんの親御さんたちが作った、性分化疾患医療のファクト・シート(検査や手術、ホルモン療法など、医療の流れそれぞれの場面に知っておくべき情報をまとめたもの)の翻訳許可も頂いています。こちらも、これから時間がかかるでしょうが、日本語版をご紹介できればと思います!

 翻訳をお手伝いいただける方、大募集中です!ぜひこちら(nexdsd(at)gmail.com)にメールをください!

What’s Changed in the Care of Children with Atypical Sex?

アリス・ドレガー

非典型的な体の性を持つ子どもたちのケアはどのように変化したか?

 非典型的な性を持つ人々への(誤った)医学的治療について、1998年私がHastings Center Reportで書いた小論、『「あいまいな性器」かアンビヴァレントな医療か?インターセクシュアリティ治療の倫理的問題』を再版しないかと、毎年、生命倫理のテキストブックの編集者がそれぞれにリクエストしてきているようです。この小論は、あの領域ではじめて、倫理的批判を表明したものであり、それは今でも十分説得力を持つものであり続けているわけですが、今年、また別の再版リクエストを受け出版されるのを機に、改訂をすることにしました。改訂の権利は私にありますので、ここで少しご紹介したいと思います。

 新しい論を加えるだけではないのには、3つ理由があります。(1)今日、非典型的な身体的性への医学的ケアシステムは流動的になっており、現在行われている様々な医療行為を正確に把握することは難しく、できたとしてもすぐさま時代遅れになってしまうということ。(2)1998年に私が出した倫理的批判は、医療ケアの一部が変化してきていても、まだ十分参照する価値があるということ。(3)1998年の小論に2011年の終章へという流れにすれば、エヴィデンスと倫理に共感してくれる(医療行為者を含む)患者支援者の努力によって、医療行為が更に良くなっていくという予感を読者に与えてくれるかもしれないということです。

 さまざまな性のあり方は、1998年以来大きく世間に知られるようになりました。このことは、インターセックスの医学的治療に関心を持っていた人たちにも重要な機会となりました。なぜなら、一般に知識が広まることで、医療従事者の考え方も変化してきたからです。ゲイ、レズビアンバイセクシュアル、トランスジェンダーの権利運動も、世間の人々や医療従事者の非典型的な身体的性に対する考え方を変えてきました。1990年代初頭では、医療従事者の多くがインターセックスはタブーだと信じ、そのために後ろめたさと隠蔽の立場から行動していたのです。

 今日、患者や両親が、インターセックスについての知識や、セクシュアルマイノリティの権利運動に影響された知識をバックグラウンドに持ってきていることが多いということに、医療従事者も気づいてきています。その結果、今日インターセックスは、ほとんどの場合、後ろめたさや秘密、ホモフォビアやトランスフォビアなしで扱われるようになっているようです。

 1998年以降広く一般に知られるようになったのは、Max BeckやHoward Devore、そしてBo Laurent (Cheryl Chaseとしても知られています)など、インターセックス権利運動のリーダーを扱ったテレビ番組も含め、インターセックスのちゃんとした話がメディアの注目を集めたことも大きいでしょう。2000年には、John Colapintoのすばらしい著書、『As Nature Made Him(ブレンダと呼ばれた少年)』で、私が1998年の小論の最初に、マネーがつけていた偽名(“John/Joan”)で紹介した男性、David Reimerのすべての物語が語られました。2004年、悲しいことにReimerは自殺し、その結末は、Reimerが後ろめたさや時代遅れの性規範、そして嘘に基づいた問題だらけの医療システムによって損なわれたからだという印象を一般に与えました。

 2002年には、Jeffrey Eugenidesの小説『Middlesex(ミドルセックス)』が、インターセックスの5α還元酵素欠損症を持つ人のライフストーリーを―その中には、John Moneyのような医者との出会いも入っていました―物語ります。『Middlesex』は300万部以上売れ、Oprah’s Book Club(訳者注:アメリカで有名なブックレビューの番組)にも登場し、そして奇妙なことに、フィクションのお話にも関わらず、なぜか多くの医者がインターセックスの治療について考え直すことにつながっていったようです。

 2009年、ベルリンの国際競技で、性別疑惑を持たれた南アフリカのまだ歳若い選手、Caster Semenyaが(本人には不本意にも)国際的な注目をあびました。スポーツ界での性別検査への反応で初めて、本当に大きな―そして完全にオープンな―国際的議論が巻き起こり、多くのコメンテイターが、Semenyaがスポーツオフィシャルや医者から受けた扱いに抗議しました。彼女のケースは、国際オリンピック機構や国際陸上競技協会(それより小さなスポーツ組織も)がそれぞれのポリシーを改訂する動きとなりました。一般のコメンテイターたちの共通テーマは、性的に非典型的な選手も“人”として完全に尊重して扱う権利に集約されていきました。これは大きな前進を象徴しています。

 医療従事者が、両親や患者に、それぞれに関わるインターセックスの状態について全ての詳細を伝えることが今日更に多くなっているようです。今では私がサポートグループを訪問すると、自分の診断や完全な医療記録を知っているティーンエイジャーに会ったり、自分のまだ幼い子どもに、その子の診断や医療記録をオープンに話している両親に会ったりします。

 これはもっともラディカルで歓迎すべき進歩です。医療従事者の中には、患者や家族に、それぞれの疾患のサポートグループを積極的に勧める人もいますが、多くはそこまで行っていません。彼らが私によく言うのは、間違った情報や「間違った態度」を患者がサポートグループで拾ってくるのではないかと心配しているということです。Androgen Insensitivity Syndrome Support Group(AISのサポートグループ)やHypospadias and Epispadias Association(尿道下裂・尿道上裂のサポートグループ)といった良質なサポートグループもたくさんあるんですけどね。

 1998年以降、医療行為で恐らくもっともはっきりした変化は、「インターセックス(中間性)」という用語や「hermaphrodite(半陰陽:両性具有・男でも女でもない性)」を基にした用語(「male pseudohermaphrodite(男性仮性半陰陽)」など)から、「disorders of sex development (DSD)(性分化疾患)」への専門用語の変更です。私はこの変更を進めたひとりです。なぜなら、

・多くの医療従事者は、尿道下裂や、CAH由来の性別不明外性器といった状態を「インターセックス」というものと認識することを拒否していたため、「インターセックス」という用語を使っている間は、共通の問題と切実に必要とされる共通の解決に取り組んでもらうことはできなかったから。 

・多くの両親は「インターセックス」という用語に脅かされていて、外科手術をすることでなんとかそれを切り離そうとしていたから。 

・「インターセックス」という用語はクィアLGBT等の性的マイノリティ)権利運動によって政治化されてしまっていて、体の性が非典型的な子どものケアへの疑問を更に混乱させるような、クィア権利運動に回収されてしまったから。 

トランスジェンダー活動家の多くが(インターセックスではないのに)自分たちのことを「インターセックス」と名乗り始め、「インターセックス」の意味が変わってしまったからです。

 「disorders of sex development」という用語は、2006年シカゴでの、主要な北アメリカとヨーロッパの小児内分泌学会によるコンセンサス会議で正式に採用されました。DSDとは、「染色体、生殖腺あるいは解剖学的性別の発達が非典型的な先天的状態」を意味します。私と同僚たちはまた、2005年に編集した2つのハンドブックでも「DSD」という用語を使いました。ひとつはDSDの小児科ケアの医療ガイドライン、もうひとつは両親のためのハンドブックです。

 小児内分泌学グループの「シカゴコンセンサス」は、いくつかの医療行為に関して、とても大きな前進を果たしています。たとえば、コンセンサスの文書では、「DSDの専門知識を持ったメンタルヘルスケアスタッフが提供する心理社会的ケアが、肯定的な適応を促すマネージメントの中心となるべきである」と謳っています。またコンセンサスでは性器手術の危険性を認め、少なくとも陰核形成術に対しては、「ただ単なる美容的外見ではなく、機能的転帰が強調されねばならない」としています。

 更にコンセンサスでは、完全性アンドロゲン不応症のケースでは以前考えられていたよりも精巣腫瘍はあまり見られないというデータを示し、腫瘍の徴候が見られないCAISの女性には(摘出してホルモン補充療法を行うのではなく)経過観察することも合理的な選択肢であろうと示唆しています。これは、医療従事者が、非典型的な(しかし健康上の問題のない)性組織について、怖がるのではなく、患者の中に置いておいて、じっくりと長い期間をかけてデータを集めるようになっているというあらわれです。*1

 専門家はまた、ペニスが小さい(マイクロペニス)の男の赤ん坊の性別を変えることはしないようになってきています。まだ幼い子どもに陰唇形成術を勧めることもやめるようになっています。早期の陰唇形成術は失敗することが多く、思春期に大幅な再手術を必要とすること、そして、陰唇拡張器―よちよち歩きの頃からの陰唇拡張をしなければならなくなった子どもや両親を傷つけるかもしれないような―を必要とするためです。*2

 まだ公開はされていませんが、ミシガン大学の小児心理学者David Sandbergの調査データでは、DSDケアについての医療従事者の考え方は、どのような治療を行うのかという以上に、意識の変化が行動の変化を上回っていることが多いと示唆しており、これは希望の持てるものでしょう。私が一番うれしいのは、DSDの医学論文が、性別や性的指向は生得か環境かなんたらかという議論を中心としたどうでもいい話から、後ろめたさや秘密、そして医原性のトラウマをいかに軽減していくかという重要な話が中心となっていったことです。

 インフォームドコンセントと皆で決定を共有していくアプローチ(これは両親に本当の権利があります)*3は、それぞれのケースでは実際どのようなものになるのかという本質的な議論も多くなっています。2008年、Intersex Society of North America(ISNA)が解散してから、医療改革の推進をより活発に行なっていく2つの組織が、Accord Alliance (DSDへの進歩的なチームケアを実行していくことに焦点を当てた組織)と、Advocates for Informed Choice (非典型的な身体的性を持った人とその両親の権利を守るための法的なツールを用いることを中心とした組織)です。

 性的な変異を持った子どもへの「モンスターアプローチ」が過去の歴史となったと、いつか報告が出来ればと私は願っていますが、現在でも未だ、子どもたち(そしてその母親)には、権利という点で特殊な扱いをされるリスクが残っているのを目にします。たとえばですが、最近私や同僚たちは、女の子たちが性別不明外性器を持って生まれないようにと、何百もの妊婦に、同意なしに、リスクの大きい、ちゃんと管理もされていない医学実験が何年にもわたって行われているようだということに光を当てています。*4

 また私たちは、最年少で6歳の、外科手術に納得、同意するにはまだ十分ではない時点で、外見的な理由で陰核減少術を受けさせられた女の子に行われた「クリトリス感覚テスト」に関心を深めています。このテストには、外科医が意識のある女の子の性器を、綿棒や「医学的バイブレーター装置」で触り、触られて気持ちいいかどうかを尋ねるというものも含まれていました。

 他にもたくさんの女の子がそんな行為にさらされているとは想像しがたいことです。もっとも気味が悪いのは、この最近の話についてコメントする人の中には、性別不明外性器を持った女の子は普通じゃないのだから、こんな異常な治療でも構わないんじゃないかと論じようとした人もいるということです。このような態度が示唆するのは、まだまだ道は長い、ということでしょう。

*1:訳者注:それまでは性別に合わない性器は切除することが適当とされ、理由の一つに未分化性腺の悪性腫瘍化リスクが挙げられていた。しかし一律に切除という方針のために、個別の疾患ごとの悪性腫瘍化リスクが調査されることがなかった。現在では調査が行われ、CAISはこのような結果が出ているが、PAISやスワイヤー症候群、混合性性腺形成不全などは悪性腫瘍化リスクが非常に高いことも一方で判明している。

*2:訳者注:1950年代からのマネーのガイドライン下では、性別同一性は性器の形なども含めた環境因によって操作可能とされ、マイクロペニスを持って生まれた男の子は、ペニスの長さを基準にして、手術が容易という理由から、ペニス切除の上陰唇形成術が行われ女児として育てられていた。また、形成された陰唇が癒着しないよう、挿入器を入れておくことが必要とされた。更に大きくは、ペニスの大きさを基準としたこのようなガイドライン下では、マイクロペニスだけではない性別不明外性器の原因となるそれぞれ個別の疾患の特徴などはほとんど考慮されず、よって長期のアウトカムは調査されず、現在ではある程度予測もできる疾患ごとの将来持つだろう性自認のアウトカムについての研究もないがしろにされる結果となっていた。

*3:訳者注:以前は医者がすべて決めていた

*4:訳者注:CAHの女の子への胎内治療のことを指す。日本ではちゃんと説明の上でどうするか決められているようですが、やはり母体へのリスクが高いという話です。

Quality Care Indicators

米国の、性分化疾患医療改革のための団体、「Accord Alliance」が掲載している、性分化疾患医療のチェックリスト。児童心理学者や児童精神科医を筆頭に、様々な分野の医療関係者による「チームアプローチ」が行われているか、「スタッフへの教育」が行き届いているか、「コミュニティアプローチ」ができているか、外科手術に頼りすぎていないか、フォローアップがちゃんとあるかなどの「医療マネージメント」が行き届いているか、「インフォームドコンセント」の体制ができているかなどが、取り上げられている。

Quality Care Indicators

Last Updated on Thursday, 28 July 2011 07:17

The following represent a checklist of Quality Care Indicators for the care of children with Disorders of Sex Development (DSD). This list is designed to provide pediatric DSD teams and parents with a short-form summary of the management strategies articulated in recent consensus documents, including the 2006 “Chicago Consensus” of the Pediatric Endocrine Society and the European Society for Pediatric Endocrinology (available here), and the Clinical Guidelines available at dsdguidelines.org.

This checklist of Quality Care Indicators has been assembled by Claire Sorenson, RN BSN, Rush University Medical Center (Chicago). Healthcare professionals, patients, and support groups are invited to employ this checklist, but are asked to include with any printed copy the following citation: Excerpted from Claire Sorenson, “Quality Care Indicators for the Pediatric Management of Disorders of Sex Development,” submitted for publication, © Claire Sorenson, 2011. Republication on the Web, in print, or in other media requires the written permission of the author. (This list is reproduced here with the author’s permission.)

Quality Care Indicator Checklist

Interdisciplinary Team



Teams should be comprised of specific, named members of the following disciplines. Members should be held accountable for attendance at care-team meetings; attendance goal should be 75% of identified team present for general meetings and 100% for any meeting including a consent process. Team should hold regularly scheduled meetings to discuss DSD cases and have protocols in place for scheduling meetings for case management.

  • Child psychologist or child psychiatrist with experience in DSD and gender issues
  • Geneticist
  • Genetic counselor
  • Pediatric/adolescent gynecologist
  • Nurse representative (while many nurses may be involved in the child’s care, this nurse will serve as spokesperson for the nursing team)
  • Pediatric endocrinologist
  • Pediatric urologist
  • Social worker
  • Pediatrician/Primary care provider (may be specific to the family)
  • Child life specialist (may be one of the above)
  • Ethicist
  • Medical interpreter (as needed)
  • Designated liaison to communicate with family (will typically be one of the above individuals)
  • Designated support group liaison (if possible this person will have personal history of DSD or a child with DSD in order to offer peer support)


Staff Education



The team will have in place provision for the following types of education:

  • Baseline workshop on standards of care for all members of team
  • CEUs as appropriate by discipline for members of team
  • Quarterly in-services for members of team
  • Case studies of various DSD diagnoses and management (could be review of past cases or other published cases)
  • Periodic review of DSD Guidelines
  • Talking points for labor and delivery staff available for when child with ambiguous genitalia is delivered


Community Education



The team will also have in place provision for the following types of educational outreach:

  • Annual educational opportunities (workshops, CEUs) for community healthcare providers
  • Consultation and assistance to other hospitals/clinics unfamiliar with DSD management


DSD Management



When dealing with particular cases of DSD in children in their care, the team will:

  • Follow “Chicago Consensus” of PES/ESPE and DSD Guidelines
  • Have a uniform care-plan in place, specifically one that can be individualized
  • Care-plan will include (but not be limited to)

   ・Initial assessments
   ・Lab work [to be] completed
   ・Appointments with liaison and specialists
   ・Psychosocial needs assessment
   ・Documentation of care conferences, meetings, follow-ups
   

  • Have a follow-up program in place  

   ・Follow-up phone calls from liaison at designated time-points
   ・Referrals for psychological, medical, and surgical services when necessary
  

  • Provide access to appropriate support groups

   ・Liaison has active contacts for reputable local, national, online support groups
   ・Parents receiving prenatal diagnoses are given direct access to these resources
   ・Families receiving diagnosis in infancy, childhood, adolescence, adulthood are given access to these resources

  • Minimize genital exams and photography
  • Track long-term outcomes through internal record-keeping
  • Track long-term outcomes via participation in national/international registries



Provision for Informed Consent



Informed consent processes aim to ensure that families are fully educated about the known risks, benefits, and costs of each option available to them. Therefore:

  • Consent for any surgical and medical (including hormonal) interventions should include

   ・Discussion of evidence of medical necessity or lack thereof
   ・Risks/benefits including potential effects on
     ・Fertility
     ・Sexual function and sensation
     ・Mental health, including sense of well-being
     ・Continence
     ・Other functions
     ・Consequences of removal of tissue
   ・Potential complications
   ・Discussion of implications for gender assignment
   ・Legal consult if there is potential for loss of fertility or loss of potential fertility

  • “Think period” should be instated prior to signing consent
  • All team members should be available during consent discussions and “think periods” to answer questions

性分化疾患の子どもの両親のためのUCSFサポートグループ設立

サンフランシスコ・クロニクル紙 2011年5月7日掲載

  
彼女は遅咲きの花だった


 彼女は思春期がやってくるのを待ち続けたが、17歳になっても何も起こらなかった。検査を受け、自分がスワイヤー症候群という稀な身体の持ち主であることを知り、ホルモン補充が必要とされた。


 その後8年間、彼女が自分の身体について更に情報を必要とするまで、彼女が男性のXY染色体を持っているということを誰も彼女に告げることはなかった。


 「それが当時70年代では当たり前だったんです」。現在51歳になり、サン・レアンドロ市で、夫と養子縁組したふたりの10代の子どもと一緒に暮らすノルマンは言う。「こんなことを聞いたら、私が屋根から飛び降りて自殺するとあの人たちは思ったんだと思うわ。でも私はちょっと変だったのね。逆にホッとしたんだもの」。


 彼女は今、別の子どもと両親が「性分化疾患(DSD)」について学び、受け入れていけるよう支援に取り組んでいる。性分化疾患とは、現在では医師や患者では用いられなくなっているhermaphrodite(ヘルマフロディーテ:半陰陽)の医学用語である。


 The Bay Areaは、来週UCSFでの木曜日のミーティングに、はじめて性分化疾患の両親のサポートグループを開催する。ノルマンも含めたオーガナイザーは、このグループが、性分化疾患を持つ子どもを育てていく中で起こるだろう特殊な問題をオープンに家族が話していけるリソースになればと望んでいる。


 このような疾患は3,000出生例に1人の割合で起こると言われているが、スワイヤー症候群のように誕生時には分からない状態から、男性か女性かすぐには見分けられないあいまいな性器を持って生まれる子どもまで幅広い様々な状態がある。



支援が始まった


 このような性分化疾患の子どもと家族のためのサポートグループが全米で始まっている。


 「赤ちゃんが診断されたら、今では親御さんは行けるところがあるんですよ。そういう体験を生きたことがない私たちから話を聞くだけになってしまうのではなくてね」と語るのはアンジェリック・サンポー。UCSFの性分化疾患クリニック創設を支援した看護師養成者である。


 性分化疾患をめぐる文化は、社会的にも医療的にもノルマンが子どもだった頃からここ10年で劇的に変化した。生後まもなく乳児の外性器を「固定する」手術は、現在でもどちらかというと一般的だが、性別同一性(性自認)について知られるようになるにつれ疑問視されることが多くなっている。


 様々な分野が揃った医療チームが、この障害をめぐって作られてきている。UCSF病院とスタンフォード大学医学部は、ここ5年間、新生児と成長した子どもへの更に繊細なケアを行えるプログラムを始めている。赤ん坊への性器手術を行う上での問題点や、子どもが育っていく中で起こり得る性別の問題にいかに取り組んでいくか両親と話し合っていけるよう、生後まもなく児童精神科医がチームに加わることが多い。


 「心理社会的ケアが重要だろうという考え、自動的にすべての子どもに性器手術を行わないようにするという考え、すぐさま性別決定をしなくてもいい、大丈夫だという考えは今では理解されています」とカトリーナは言う。彼女はスタンフォード生命医療倫理センターのシニアリサーチ研究員で、そこで性分化疾患プログラムを作っていくのに協力した。



対応の変化


 治療対応の変化には、性別同一性(性自認)についての理解の改善もある。数十年前には、子どもの性器の外見がどちらに見えるか、彼女もしくは彼がどのように育つかということが、彼もしくは彼女の性別を決定付ける、あるいは少なくともスタートラインとなるだろうと考えられていて、それを主な理由として「矯正」手術がここまで一般的になっていた。


 しかし、誕生時に性器を変えられ、その後決定された性別を拒否する子どもたちのケースがあらわれた。彼らは、自分から話ができないほどに幼い時期に自分たちになされたことと、そしてしばしば最初から自分の出生の真実を話されなかったことに、怒りとフラストレーションをためていたのだ。


 両親はその間大変大きな罪悪感を背負っていた。それはしばしば、自分たちが子どもに対して間違った性別に決定したように感じていたからだ。


 両親と子どもが直面する問題は他にもまだあると、性分化疾患の専門家は言う。しかし少なくとも現在では、これからあり得る問題に事前に知り、見た目の性別の特徴に基づいて急いで決定しなくてもいいようになっている。


 「性器の手術をしなくても性別を決定することはできますよ。性器がどんなものであれ、性別は獲得できます」。カトリーナは言う。「でもこのことを理解してもらうのに何年もかかりました」。


 だが、性分化疾患の診断には今でも重いスティグマ*1が伴うことには疑いがないと専門家は話す。カトリーナは、性分化疾患の子どもの両親に初めて会う時には、子どもは「異常でも奇形でもないのだ」ということを強調していると言う。


 「私たちは、親御さんに自分たちの美しい子どもを見て欲しいのです。この子は面白い人生を送ることになるでしょうねと話しています」。



対処する力を支援する


 それが、今週始まるサポートグループからノルマンが両親に受け取ってもらいたいメッセージだ。社会での受け入れや医療ケアは、彼女が子どもの頃からは劇的に良くなっていったが、道はまだまだこれからだとノルマンは実感している。彼女は去年短いテレビ番組で取り上げられたが、その後のオンラインでの人々のコメントは、ほとんどがひどいものであった。


 ノルマンは語る。「ネガティヴなことばかり言うんですね。家族がどうやってそういう現状に対処し、かわしていけるか…。この身体をめぐる話し難さや秘密のために、両親が子どもや自分たちのために必要なサポートにまでつながらないことが多いんです。私は彼らにサポーティヴな雰囲気を提供できればと思っています。そうすれば親御さんは、自分の子どもが健やかで強くなっていくようにできるでしょうから」。
  

*1:訳者注:社会的偏見のこと

その人全体に目を向け続ける 〜ロングアイランドジューイッシュ病院では〜

 
 性分化疾患の医療は、2006年の新しい医療ガイドライン以降、親御さんやご本人をいかにサポートしていくか、欧米では様々な取り組みがなされるようになってきています。新しいガイドラインの特徴はまず何よりも、外科医や内分泌科医のみで対処するのではなく、児童の心理発達や精神的サポートのあり方に詳しい児童精神科医などを中心に、各分野の専門医、ソーシャルワーカー臨床心理士、サポートグループなどがチームを組んで親御さんやご本人をサポートしていく、チーム医療体制の構築を強く推奨しているところでしょう。

 では、実際には現在の欧米の性分化疾患への医療体制はどのようなものになりつつあるのでしょうか?アメリカの性分化疾患医療体制の改善を進めている団体「アコード・アライアンス」では、サポートグループやチーム医療体制について様々な情報を発信しています。

 今回は、その中から、アメリカはニューヨークのロングアイランドジューイッシュ病院スティーヴンアレキサンダーコーヘンこども医療センターで取り組まれている、性分化疾患へのチーム医療体制の情報をお送りします。多民族国家アメリカならではに、ご家族やご本人の宗教や民族性まで視野に入れたアプローチが紹介されていますが、インタビューを受けているソーシャルワーカーのトレイシーさんは、性分化疾患を持つ人々やご家族に対して、その医学的状態だけではなく、生活や人生、思いなど、その人の個別な状況、その人全体に目を向けることが何よりも大切だと強調されています。これは私たちのプロジェクトもとても大事なことだと思っています。

 日本でもぜひ早期に、このような体制が整えられていけばと願っています。

その人全体に目を向け続ける 〜ロングアイランドジューイッシュ病院では〜


[:W180:left] LMSW(ソーシャルワーカー試験合格者)のトレイシー・シャクターさんに、ロングアイランドジューイッシュ病院/スティーヴンアレキサンダーコーヘンこども医療センターでの性分化疾患チームの取り組みについて、アコードアライアンスの読者へご紹介できるよう、インタビューを行いました。トレイシーはチーム構築と、チームアプローチのあり方、そしてソーシャルワーカーとしての彼女の役割について語ってくれました。



 ロングアイランドジューイッシュ病院/スティーヴンアレキサンダーコーヘンこども医療センターの性分化疾患チームでソーシャルワーカーとして働けるようになってとても喜んでいます。私たちのチームは、小児・思春期婦人科のヘザー・アプルバーム,MDをプログラムディレクターとして専門的に結成されたチームで、現在十分にまとまった活動を行なっています。このチームは、小児内分泌科の Phyllis Speiser, MDや、小児泌尿器科の Jordan Gitlin, MD と Lane Parlmer, MD、小児外科の Nelson Rosen, MD、小児遺伝科の Joyce Fox, MD、小児精神科の Carmel Foley, MD、新生児集中治療部のCarol Adelman, DSW、そして婦人科ソーシャルワーカーの私から構成されています。


 ソーシャルワーカーの視点を尊重する外科医や看護師と一緒に働けるのはとても大きいことです。患者さんとご家族がドアを開けて出入りしてくるその前、後のニーズを考慮に入れてくれるのですから。私たちは、患者さんがひとりの人間としていかに生活されているのか、患者さんの周りとの関係、社会的ネットワークの中でいかに生活されているのかということに関心を向け、不確かさや不安、話しにくさ、悲しみ、愛、そして成長に対応するようにしています。


 私はチームのソーシャルワーカーとして、宗教や民族性、そして周囲の環境などの心理社会的アセスメントを主導する役割を果たしています。ご家族との信頼関係を作り、最終的にはご家族の困惑や知りたいことを共有できるようにするのです。まだ幼いお子さんのご家族には、診断や医学的介入、予後に関わる不安に一緒に対処できるよう支援しようとしています。10代の患者さんには、ボディイメージを中心に、積極的に耳を傾け、支援を紹介し、自分自身をより良く感じられるのに必要なコーピング手段を提供しています。患者さんが青年期ならば、決断は真に彼ら、彼女らの手に委ねられます。私はダイレクトに支援をし、身体的・精神的成長の観点から彼ら、彼女らがどのような地点にあるかを見極め、今、そしてこれからをどうしていくのかアシストするようにしています。


 早急な外科的「固定」処置が常にベストな長期的選択肢とは限らないこともあるということを認識してくれているチームとともに働けることに、私は特に満足しています。私たちのチームは、たとえば陰唇拡張には、外科的処置ではない、圧力式ダイアレーションのような選択肢を真剣に採用しています。私たちは、きっと患者さんが自分自身、自分の身体、自分の人生をより良く感じて私たちのクリニックを去っていけるよう努力しています。


 現在私は、陰唇発育不全の女の子のためのローカルサポートグループを作ろうとしています。私達は目下、患者の女の子の母親のピアサポートを提供していますが、これはお母さんたちが明らかに、娘さんの生殖能力が、この身体の状態によって減退するのではないかと大きな不安とストレスを体験されているからです。大人になった患者の女性に参加していただいてこのようなお母さん方にお話いただくことが、お母さん方の助けになると私は思っています。そうすることで、最初は母親の娘として社会に出て、自分の目的を達成し、社会の一員としてがんばっている女性と出会うことができるからです。このような「メンタリング」はとても貴重なものになり得ます。


 このチームでの私の一番大きな目標は、必ずその人全体に目を向け続けること、そして、私たちが遺伝子や、変異、ホルモンのことを扱っている時にも、絶対にその人全体を見失わないということです。この任務は、同じ目的を共有する医師や看護師と共に協力していくことで必ず達成できると思っています。


(原文)Keeping an Eye on the Whole Person at Long Island Jewish (LIJ)
Written by Tracy Schachter, LMSW Wednesday, 12 October 2011 09:50
  

社会構築主義から社会的公正へ:インターセックスについての教え方を変えていくために

社会構築主義から社会的公正へ ~インターセックスについての教え方を変えていくために

 

Emi Koyama. Program Assistant. Intersex Society of North America.
Lisa Weasel. Assistant Professor. Department of Biology. Portland State university Assitant Professor

Published in Fall/Winter 2002 Issue of Women's Studies Quarterly

イントロダクション


 ここ10年以上もの間、インターセックスの話題は、セックスやジェンダーセクシュアリティの性質を調査するフェミニスト系の学者の注目をますます受けるようになっている。

 しかし、インターセックスという「現象」に対する学問的な興味は、インターセックスの状態を持つ人々自身の生活に、建設的(constructive)で役に立つものになっているとは限らない。なぜならそういった研究者は、インターセックスを、セックス・ジェンダー化された身体という社会構築主義を論証する理論的道具として、便利に用いることがほとんどで、ひとつの生きた体験として、(システム的な抹消と抵抗の現場それぞれとして)取り扱われることはほんの時々でしかない。

 本稿では、インターセックスについての問題が、女性学やその他の関連領域(ジェンダースタディーズやクイアスタディーズなど)において、どのように教えられてきたかを分析し、活動領域と学問領域のアプローチを、インターセックスの状態を持つ人々の生きた体験という観点中心へと統合していく新たなモデルを提案する。


背景



 インターセックスとは厳密には、「生殖と性のシステムの先天的変異」を要件とする医学的状態の一集団と定義される。

 言い換えれば、インターセックスの状態を持つ人々とは、非典型的な外性器、内性器の変異、あるいは非典型的な染色体の変異を伴う身体状態を持って生まれた人々のことである(Koyama3)。

 このようにインターセックスとは、単一の疾患カテゴリーのことではなく、先天性副腎皮質過形成(酵素欠損を伴う、遺伝学的女性におけるアンドロゲン過多と男性化)やアンドロゲン不応症(遺伝学的男性において、身体がアンドロゲンに反応せず、結果女性の表現型となることが多い)などといった、幅広い状態や疾患を含むものである。

 インターセックスの状態の頻度は、定義の仕方によって様々に異なるが、合衆国においては、2000人に1人(およそ1日に5人)の乳児が、外見的にインターセックスの状態で生まれ、早期の診断と処置をほどこされていると推定される。

 今日、インターセックスの状態に対する標準的な処置には、外科的介入とホルモン療法的介入があるが、これらは、視覚的により「正常」に見えるようにするために体の外見を変える(去勢・子宮を取り除く)ことを目的としている。しかし、このような処置は、必ずしもなにか特定の健康上の問題に取り組むためのものではない(おそらく健康上の問題もあるのだろうけれども)。

 このような外科手術は、自分自身に行われることを理解したり説明されたりするにはまだ幼いころ、幼児期早期に行われることが多く、成長してからも、自らの医療履歴について話をされることは滅多にない(Dreger16)。

 このような外科的処置は、ここ50年間行われ続けているにもかかわらず、長期においての効果や安全性についてのエヴィデンスはほとんどない。逆に、最近のいくつかの研究では、性器に対する早期の外科的処置は、社会適応を促すどころか、心理的・性的問題を引き起こすことが多いことが立証されている(Creighton et al.124);(Creighton 219);(Zucker,et al.300);(Alizai,et al.1588)。

 医療機関の社会的権力性や権威性が、一般社会における恐れや意識欠如と結びつき、このような外科的処置が、疑問を持たれないまま、インターセックスと定義された人々に、人生全体への苦痛を与えることを許してしまっている。

 1993年、インターセックスの状態を持つ人々数人により、Intersex Society of North America(ISNA)が作られた。これは、インターセックスの状態を持つ人々が、他のインターセックスの状態を持つ人々と繋がり、自分自身の身体のコントロールを取り戻すための支援組織である。

 ISNAは次のように述べる。

 「インターセックスの状態は、医療的・社会的に隠蔽されるほど後ろめたさを持ったものではないと私たちは信じています。
 私たちは、インターセックスの状態を持つ人々は、自らが体験した状況についていつでもすべての情報を知り、自らの体になされるべきことを自ら決める権利を持っていると思います。
 身体的な差異をなくしてしまうことが、起こりうるかもしれない社会的困難を解決する方法であるという考えには、私たちは反対します。むしろ、インターセックスの状態を持つ人々が、社会的・心理的介入において体験するかもしれない社会的困難を解決するべきであると思います。」(1)


女性学におけるインターセックス:我々は今どこにいるのか


 ここ数年、女性学においてインターセックスの話題が、関心と注目を集めるようになってきている。

 女性学の講座において、インターセックスの問題がどのように組み入れられているかを調べるために、我々は、この問題が女性学の課程においてどのように教えられているか、インターネットを用いた小規模な調査を行った。調査は、2001年春、調査に同意した24人の学者を対象に行われた。

 本調査への参加の案内は、女性学、クィアスタディーズなど関連する領域を取り扱う学術的なメーリングリストにて配布された。

 回答の集約は、特別に用意されたウェブサイトにて行われ、複数のテーマが分析された。

 統制された調査デザインや予備調査にはまったく耐えるものではなかったが、にもかかわらず、この先行調査のとりあえずもの結果は、我々の予想を確実に裏付けるものであった。すなわち、インターセックスという存在は、性別二元論の概念を脱構築するために研究される学術的な対象として理解・提示されており、生の人々に生の世界での関わりを持つ主体として理解・提示されることはほとんどなかった、ということである。

 我々の調査では、女性学の講座で行われるインターセックスの問題へのアプローチ方法は、教える側が適切な意図を持っていたとしても、きわめて限定されたものであるということが判明した。

 例えば、インターセックスの状態を持つ人々の中でも著名な人が書いたり編集した素材を用いた講座は、24例中4例に過ぎなかった。このような素材は、ここ数年の間に広く入手可能なものとなっており、インターセクシュアリティについて、どのような理論的議論においても中心となるような観点をもたらすかもしれないにも関わらずである。

 我々の調査によると、Anne Fausto-Sterlingの著作「The five sexes : why male and female are not enough」は、回答者の中では、適切なテキストとして今でも用いられている。その数は、24人の回答者のうちの15人がこの本を、19人が、この本とは別のFausto-Sterlingの著作、あるいは両方を用いているというものである。

 他の、インターセックス当事者でない研究者で、2回以上引用されたものは、Suzanne Kessler(6人)、Alice Domurat Dreger(3人)、Judith Butler(2人)、Kate Bomstei(1人)であった。

 インターセックスの状態を持つ本人の文章で言及されたものは、ISNA(3人)、Cheryl Chase(2人)、Angela Moreno(1人)、Morgan Holmes(1人)、Martha Coventry(1人)のみであった。

 素材の選択に関する質問では、インターセックスの人々自身が編集した素材を使用することで、インターセックスの人々に声を与えるよう意識的に努力をしたと報告した人は、全回答者のうち1人に過ぎなかった。

 インターセックスの状態を持つ本人による文章を複数用いたと答えた1人の回答者は、インターネットでそれらを見つけた学生たちから指摘されたと報告している。

 これは、インターセックスの状態を持つ人々のほとんどが、学術誌で公開をする手段を持たず、雑誌記事やウェブサイトといった非学術的な情報源を利用することが、ギリギリの戦略であったからだと思われる。

 回答の中には、インターセックスの問題と、トランスセクシュアルトランスジェンダーの問題とを混乱あるいは混同していると思われるものもいくつか存在した。これは、この質問の回答において、Kate Bornsteinなどのトランスセクシュアルトランスジェンダーによる著作、あるいは彼女についての著作をあげていたことからである。これらの著作はインターセックスの問題について深く触れていないものである。

 インターセックスの問題とトランスセクシュアルの問題が関連することはあるが、この二つの問題ばかりを関連させることで、インターセックスの状態を持つ人々の、自ら決定する権利やインフォームドコンセントの権利が、必要な医療的措置を提供するという名目で奪われてしまうという、インターセックス特有の問題点を見過ごしてしまうという誤謬を犯すことになる。

 インターセクシュアリティについて言及する素材を用いる理由として、ほぼ全員の回答者が、その主な目的のひとつは、人のセックス、ジェンダーセクシュアリティについての慣習的な理解を脱構築するためだと述べている。

 多くの回答の中で、この暴露的戦略は、ジェンダーロールや強制異性愛社会、そして科学的客観性さえも脱構築することを目的としている。

 回答者はインターセックスの問題を、ジェンダーの問題として、そしてジェンダーの社会構築性を説明する手段として利用しており、医療倫理の問題や、インターセックスの状態を持つ人々の人生と生活に、直に実感を伴って影響する諸問題をしっかりと取り上げようとするものはなかった。

 これは、回答者のだれもが、インターセックスの諸問題を意識に上らせることを考えていなかったということではない。少数ながら回答者の中には、インターセックスの諸問題を意識に上らせることを目的のひとつとしている人もいたからだ。

 しかしながら、これらのケースにおいても、彼らが設定した目的と、教育課程の中で使うのに選んだ素材との間には齟齬がある。

 たとえば、Fausto-Sterlingは、「The five sexes」を書いていた時点では、インターセックスの状態を持つ人々誰とも話しをすることはなく、ただただ歴史上のケースを論じただけであった。

 インターセックスの状態を持つ人々による現在の素材なしで、そのような古い素材を用いることは、インターセックスの諸問題を意識に上げ、自身がインターセックスの状態を持つ学生を肯定するどころか、インターセックスという存在を更に神話化、エキゾチシズム化し、過去の例外のように思わせることになる。

 別のケースでは、ある回答者は次のように書いている。「(インターセックスの)問題は取り残されており、もっと注目を集める必要があります。学生たちには、Kate BornsteinやLeslie Feinbergといったトランスセクシュアルの人たちの書いたものを読むように指導しています」。

 目的がインターセックスの諸問題を意識に上げることであっても、BornsteinやFeinbergのどちらもが、インターセックスの状態を持っていないことは知られており、二人の著作が、インターセックスの諸問題にどのような注目を集めさせるか不明である。

 恐らくではあるが、インターセクシュアリティ周辺の混乱と、上記のトランスセクシュアルトランスジェンダーとの混乱が元で、このような問題が起こっている可能性は高い。

 更に、可視化については、マージナルな集団の解放運動、すなわちLGBTレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の政治活動をそのまま持ち越せばいいということもあるかもしれないが、それ以上に、インターセックスの状態を持つ人々への支援がLGBTへの支援と比べ、形態がどのように違うのか、優先事項がどのように異なるのか、ほとんど考慮に入れられていないように思われる。

 2000年11月に行われた「National Gay and Lesbian Task Force’s Creating Change会議」で、あるインターセックスの状態を持つ人は次のように演説している。「実質上すべてのゲイやレズビアンが、自分たちの意思に反して矯正治療を強要され、それが完全な沈黙と秘密のうちになされるが故に互いに知り合うこともないとしたら、可視化という戦略は、政策の最後のほうになるでしょう」。

 LGBTのコミュニティは、インターセックスの問題について討論する場を確かに与えてはくれるだろうが、LGBTの政策にインターセクシュアリティの問題を加える、あるいは押し込めることで、インターセックスの状態を持つ人々が直面する特有かつ緊急の問題をかえって見えにくくしてしまうこととなる。

 インターセックスの状態を持つ人々は、その存在の周縁化と不可視化が広く行き渡っているため、インターセクシュアリティについてのクラス討論が、インターセックスの状態を持つ人々のエキゾチシズム化と客体化・疎外化を更に促す結果となってしまう恐れもある。

 このことは特に、自身がインターセックスの状態を持つ学生に、自身の状態を知る知らないに関わらず、こころの傷を与えてしまうことにもなる。

 そこで我々は、この調査から、インターセックスの状態を持つかもしれない学生にとって安心できる教育環境を、教官担当がいかに構築するか、結論を出した。

 教育環境に関する質問の回答には、約半数の回答者(11人)が、この種の問題を取り扱う講義の「基本的なやり方」であれば、このような問題には効果的に取り組むことができるはずだというものであった(しかし、この「基本的なやり方」がどのようなものかは、たいていの場合、はっきりと述べられていない)。

 更に、6人の回答者は、トランスジェンダーの問題や他のジェンダー関連の問題も講座で議論しているので、インターセックスの問題をことさらに取り上げることはないと回答した。

 インターセックスの問題に特有の教え方としては、統計を引用して、キャンパスにもたくさんのインターセックスの状態を持つ人がいるということや、学生の中にもインターセックスの状態を持つ人がいるかも知れず、そのことに気がついていないかもしれないということを示すというもの(8人)や、「もしあなたがインターセックスの子どもを持ったらどうしますか?」といった仮定上の質問をするというもの(2人)もあった。

 このような教え方は、インターセックスの存在を脱神話化、脱スティグマ化するよう考えられているが、実際には、インターセックスの状態を持つ人々を更に客体化・疎外化してしまう可能性もある。なぜなら、このような教え方は、学生の中には、自分やあるいは家族がインターセックスの状態を持つということを既に知っている人はいないということを前提にしているからである。

 更に前者のアプローチはまた、インターセクシュアリティという分類と医学的介入を、差し迫った身体的侵害の現場としてではなく、ちょっと面白い程度の生物学上の雑学に矮小化する危険を冒すことになる。

 我々が気づいた中でも更に問題があると思われるのは、回答者の中には、教室がインターセックスの状態を持つ学生にとって安心できるよう具体的に考慮するのではなく、インターセックスの状態を持たないない学生に有益であるようにする教え方を、実際に回答に書き記している人がいたということである。

 ある回答者は次のように書いていた。「私はこの問題をジェンダーの問題に関連させるようにしています。その方が議論しやすい人が多いのです。その方が簡単なんです。セックス(性別)(そしてジェンダー)は固定化されたものであるという学生自らの思い込み、つまり性別二元論を疑ってもらうには。」

 このアプローチには問題点がふたつある。ひとつは、このようなアプローチはインターセックスの状態を持つ人々の不可視化・疎外化を強化してしまうこと、そして、中心的・特権的な集団を周縁化された集団より優先しているということである。

 この回答者たちは、この問題をインターセックスの状態を持たない人々に応用して説明することで、インターセックスの状態を持つ人々のスティグマ化が当たり前で正当なものであるという考えを更に推し進めることになってしまう。

 更に、2人の回答者は、インターセックスの状態を持つとカミングアウトした学生は今までいなかったので、この問題を取り上げる必要はないと思っていると回答した。

 インターセックスの状態を持つ学生が教室で自己開示しないのは、この社会でのインターセックスの人々に対する強烈な消去と沈黙が教室でも起こっていることを示しているだけのことで、実際に存在しないわけではない。

 4人の教官は、インターセックスの状態を持つ学生が必要とすることに敏感になれるよう、インターセックスの状態を持つ人々が直面する問題について更なる教育を必要としたことを認めている。また、二人の回答者は、客体化・疎外化しないような方法で、インターセックスの状態を持つ人々が自らを語った教材を使っていると報告している。

 このような回答は、インターセックスの運動の目的や優先事項に合致したものである。

 本論で言及されていたインターセックスの状態を持つ人々が必要とすることについては、ISNAが教育セットを用意しており、これは、教官がインターセックスの問題を講座に取り入れるとき、インターセックスの人々の人生やリアリティ、そして医療的介入に関する社会的倫理的公正さの問題に注意を向けて教育できるように作られたものである。

 性別二元制という社会的構築については、補足的な教材として、インターセックスの状態を持つ人々や団体の声に、インターセックスの人々への不必要でトラウマを与えるような医療的外科処置への批判を加える中で、取り組んでいる。

 女性学の講座にインターセックスの話題を組み込み、意識を高めるのであれば、担当講師は、インターセクシュアリティの理論的側面だけでなく、インターセックスの状態を持つ人々それぞれが直面する現実的な緊急の問題についての理解を深めるようにすることが大切である。

 実質上すべての回答者が、先に述べたように、セックスとジェンダーの社会構築理論を取り上げんがためにインターセックスの問題を導入している。このような現状を考えれば、回答者の大多数(13人)が、講座の第一の目的は学生が社会構築理論を学ぶことと回答したのは驚くようなことではない。

 ただし中には、外科処置が正当化されるものかどうかという倫理上の「ジレンマ」について、学生は真剣に考えているとした回答者も実際にいた(5人)。そういった学生の中には、まずショックを受け(12人)、インターセックスの状態を持つ人々について更に学んでいくことに関心を持った人もいたし(4人)、インターセックスの状態を持つ子どもに対する医療的アビューズに愕然とする人もいた(3人)。

 4人の回答者は、インターセックスの問題に取り組むことから来た興味深い副産物について述べている。それは、講座でインターセックスの問題について議論すると、ゲイやレズビアンバイセクシュアルの学生が慰められたというものである。

 ある回答者は、「“カミングアウト”しているレズビアンの学生には、この問題はものすごくクールだと思った人もいた。どうやら何か苦痛が和らいだようだ」と記入している。

「私の講座を受けて、Fausto-Sterlingのようなこれまでとは異なった視点を聞くことで、自分についてずっと良く思えるようになったと言った、ゲイやレズビアンバイセクシュアルの学生がたくさんいました」と記入していた回答者もいた。

 これはポジティブな側面の効果ではあるが、女性学におけるインターセックスについての議論とは、ある教官が述べたように、どうやらしばしばそういうところばかりに夢中になってしまい、インターセックスの状態を持つ人々の人生に特有の問題や不安には取り組まないようだ。

 しかし、これは状況の正確な説明とは言えない。こういうことになってしまうのは、インターセックスについての議論がもともとそういう性質を持っているからだということではなく、インターセックスについての議論には、異なったフレームワーク、すなわち、医療倫理や社会的公正、そして社会的消去の問題に取り組んでいくフレームワークが必要だと考えたほうが良さそうだ。

 インターセックスの状態を持つ人々を手段としてだけではなく、目的として取り扱う講座、インターセックスの状態を持つ人々が自分自身の体験についての専門家・大家であり、彼らの声こそが重要な教材であるはずだと考えることから始まる、そのような講座こそが必要なのだ。

 フェミニストLGBTのコミュニティが、インターセックスの問題を認識し包摂することは、重要であり促されるべきであり、女性学やジェンダー学、クィアスタディーズの講座だけが、インターセクシュアリティの問題をカリキュラムに取り入れる唯一の場ではあるかもしれないが、インターセックスの問題をこのような領域の講座に導入するのならば、インターセックスの問題特有のあり方として、社会的な公正さを求める運動へと広げられていかなければならないし、その方が適切である。

 たとえ指導教官が適切な意図を持っていたとしても、インターセックスの状態を持つ人々が送る人生のリアリティへの認識や注意深いまなざしが欠如していると、せっかく問題を提示したとしても、先入観に満ちたものとなり、あるいは、意図もせずインターセックスの状態を持つ人々の不可視化や疎外化を促すことになってしまうのだ。


インターセックスの問題を教育する際のガイドライン


 以下に挙げるのは、女性学の講座でインターセックスの問題を取り上げるために、我々が熟考を重ねてきたガイドラインである。これらは明確なものではないが、本調査で明らかとなった共通の問題も取り上げているため、適切な立脚点になると思われる。

 

    • インターセックスの状態を持つ人々にオーソリティーを与えるように。インターセックスについて教えるときは、インターセックスの状態を持つ人々が書いたアカデミックな著作物同様、第一人者の語りも学生に紹介するように。Alice Dregerの「Intersex in the Age of Ethics」やISNAのウェブサイトで、そのような資料が手に入れられる。ただし、覗き見主義的な態度に任せないよう、気をつけなければならない。

    • インターセックスという存在を、ジェンダー/セックスの脱構築のためのみに不当に利用してはならない。インターセックスの状態を持つ人々が直面する、実際の生活上・人生上の問題に必ず着目するようにしなければならない。もし、社会構築理論を取り上げる必要があるのならば、インターセックスの状態を持つ人々に対する抑圧を明らかにし、食い止めるという文脈で取り上げるように。すなわち、人々を支援するために理論を用いるのであって、その逆ではない。



    • ジェンダーやセックスを脱構築したり、ジェンダーについての最新理論を実験するための実験材料に利用されたりすることが、インターセックスの状態を持つ人々の責務ではないことを念頭におくように。第三の性の一員になったり性的カテゴリーを覆すといったことには、インターセックスの状態を持つ人々の多くがまったく関心がないということに失望しないように。もちろん、インターセックスの状態であるかないかに関係なく、たまたまそういう事柄に関心を持った人への支援もするべきであるが。

    • 教官、学生とも、インターセックス運動を支援する具体的な作業に関与するように。フェミニストの学者は、ただ単にアカデミックな探求のためだけに利用するのではなく、自分たちが学んだ運動に、何らかの貢献をすることが重要である。

    • 教官自身がインターセックスの問題を学ぶように。たとえば、インターセックスの状態を持つ人々は、どのような言葉やフレーズを好むのか好まないのか、そしてそれは何故なのかを学ぶように。

 

結論


 第二派女性運動以前、女性の身体やセクシュアリティについて文献化された情報は、男性の医師によるもののみで、彼らは女性の身体やセクシュアリティに対するオーソリティを主張していた。しかし、女性の健康運動や「Our Bodies , ourselves」といった文献の出版は、そのような状況を一変させた。

 現代のフェミニスト学者は、これまで述べたように、インターセックスの状態を持つ人々が自らの声や語りを取り戻そうとする努力を、声や語りを教室で取り上げることで支援する、本質的道義と学問的責務を持っており、また同時に、フェミニズムと医学からのインターセクシュアリティへの視点を批判的に検討する道義と責務も負っている。

 なるほど、女性学の講座において、インターセックスの問題は徐々に関心と注目を集めつつあり、学生に教育し、問題周辺のアクティビズムを促していくことができるだろう空間を提供してはいる。

 しかしながら、インターセックスの状態を持つ人々の生活・人生に関する政治的・実際的問題についての研究は、フェミニストの学者が自らの理論的・教育的脱構築を支えんがためにインターセックスの状態を持つ人々の存在を利用する中で、周縁化されることがあまりに多かった。

 フェミニストの学者は、自らの理論や講座でジェンダーを「脱構築」せんがためにインターセックスの状態を持つ人々の存在を利用することに懸命で、医学の専門家は、フェミニストが分解しようとしている二元論的規範と基準に合わせんがために、不必要で危険を伴うことが多い外科処置を行って、インターセックスの身体を「再構築」することに忙しかった。

 インターセックスの問題に着手するフェミニストについては、理論と実践が交わること、すなわち、フェミニズムの学問と教育は、インターセックスの状態を持つ人々それぞれが直面する実際の生活・人生の問題に取り組む活動家の戦略とかみ合っていくことが重要なのである。

(原文)


原典の論文は、 クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 - 継承 2.1 日本 ライセンスの下に提供されています。

「男性・女性だけじゃない。インターセックスの人もいる」の何が間違っているか?


「男性・女性だけじゃない。インターセックスの人もいる」の何が間違っているか?

エミ・コヤマ(インターセックス・イニシアティヴ)

 

男女選択肢のない履歴書の新様式について|プライムCメディア



以下の手記は、低所得やホームレスの若者を支援する団体「Outside-In」に送った手紙です。(少し改変しています)。


Outside-In様 こんにちは

 エミ・コヤマと申します。ポートランドを拠点に、インターセックスの状態を持つ子どもへの誤った医学的処置を終わらせる活動をしている団体、インターセックス・イニシアティヴのディレクターをしています。去る6月23日、Outside-Inさんのクリニックにお邪魔したのですが、そのことで手紙を書かせていただきます。

 最初にクリニックを訪れた時、初診お伺い用紙の記入があったのですが、おかしなことに気がつきました。用紙の性別欄には、「男性」・「女性」とともに、「インターセックス」と「トランスジェンダー」が一緒くたに設けられた性別欄になっていたのです。これは恐らく、クリニックを訪れる多様な人々への配慮をしようという皆さんの熱意からくるものなのだろうなと思います。ですが実は、「インターセックス」を性別欄にリストするのは間違いなのです。いくつか理由をご説明します。

    • インターセックスの状態を持って生まれた人々の大多数は、普通に男性もしくは女性として生きて生活していて、自分自身のことを一般の人とは違った性別のカテゴリーの一員だとは見なしていません。インターセックスの状態を持って生まれた人々の大多数は、「インターセックス」のことを、自分が何者であるかということで考えません。「インターセックス」とは、単なる医学的身体状態、もしくはそうカテゴライズされてしまった体験のことを指しているのです。インターセックスの状態を持って生まれた人々の大多数は、「あなたはインターセックスですか?」と聞かれても、「いいえ」と答えるでしょう。


    • 「男性」「女性」とともに「インターセックス」の欄を設けると、ある女性・男性がインターセックスの状態を持っていると、その人は男性でも女性でもない、なってはいけないという誤った印象を与えてしまいます。これは、自分を男性もしくは女性と自認している大多数のインターセックスの状態を持つ人々を傷つけることになり、一般の人々にも誤解を広げてしまいます。

    • 現在の標準的な医療体制では、外科医がインターセックスの状態を、まず性自認の問題だと考えてしまい、このことが、外科的に「普通」に見える性器に手術しないと、「正常」な性自認にならないという視野狭窄な考えを、もっとも良い医学的な介入だと思ってしまっているという状況があります*1インターセックスの活動家が反対しているのはこのような誤解であり、患者さん個々の生活向上こそが、最も良い治療を測る究極の基準なのだという視点を持つようにと主張しているのです。(侵襲的な外科手術によって、体に深刻なダメージを受けたという例がたくさんありました)。「インターセックス」を性別のカテゴリーにしてしまうのは、インターセックスの状態をまず性自認の問題だと考えてしまう誤解に対して疑問を投げかけているインターセックス活動家の努力を否定してしまうことになります。


 皆さんはきっと、これまでインターセックスについて、逆の情報をお聞きになっていたのでしょうね。それは十分あり得ることで、それはインターセックスの状態を持つ人々が自分自身の個々の声を伝える手段がなかったからです。過去、インターセックスについての情報は、インターセックスではない人々によって広められてしまっていました。最初は医者から、次にはジェンダー理論家から、それにトランスジェンダーの活動家、それにマスコミです*2。下に挙げた情報も是非ご覧になってください。それに、Outside-Inクリニックが、インターセックスの状態を持って生まれた人々にとって、安全なクリニックになっていくのにご協力できることがあれば、是非お知らせいただければと思います。

http://www.ipdx.org/articles/sexualtrauma.html
http://www.ipdx.org/articles/intersex-faq.html
http://www.ipdx.org/articles/hermaphrodites.html

追伸。用紙の性別欄以外の貴クリニックでの体験は本当に素晴らしいもので、大きな感謝をしたいと思います。私自身も長年医学的な興味という非人間的な視線に晒されてきて、医療というものを恐れるようになっていましたから。本当にありがとうございました。

エミ・コヤマ
インターセックス・イニシアティヴ(ポートランド
http://www.ipdx.org/

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
原典の論文は、 クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 - 継承 2.1 日本 ライセンスの下に提供されています。

 

 

*1:訳者注:現在では、性分化疾患の状態を持った人々の大多数は、早期の外科手術がなくても通常の男性もしくは女性の性自認を獲得することは再確認されていて、上記のような誤った考えは払拭されつつある。

 

*2:訳者注:当事者や家族の大多数から、「インターセックス」という用語はもう使わず、別の用語、"Disorders of Sex Develiopment(性分化疾患)"もしくは"Differences of Sex Development(体の性の様々な発達)"への用語の変更が求められたのも、上記のような理由にある。