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キャスター・セメンヤと,黒人女性の残酷な歴史

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キャスター・セメンヤをターゲットにした世界陸連の規制は,黒人の身体が白人の基準に縛られてきた長い歴史的遺産に根ざしている。

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 2009年の世界選手権でキャスター・セメンヤ18歳で優勝してから10年。スポーツ界はずっと彼女の物語を削るだけ削り取って,ただひとつの事柄だけに還元してきた。彼女のカラダだけに。

 尻が引き締まってる。肩がデカイ。あごのラインが隆起している。まるで男のようだと。

 彼女の身体を語るときの嫌悪感に満ちた口調を見ると,他の誰とも違う身体を持ったランナーはセメンヤだけだと思うかもしれない。アイラ・マーチソン選手は,180cmのがっしりとした体格で「人間スプートニク」と呼ばれ,オリンピックの4×100で金メダルを獲得したが,その特異性をスポーツ界は忘れてしまったようだ。それに世界記録保持者のウサイン・ボルトは,ライバルの誰よりも背が高く,足が長かった。

 このような男性とは異なり,セメンヤの身体は,彼女のスポーツを統括する団体からは,不要なもの,場違いなものとみなされてばかりだ。彼女のキャリアを通じて,World Athletics(旧国際陸上競技連盟)は,彼女に検査を強要し,ホルモン規制を課し,2019年に彼女をターゲットにしたと思われるルール変更を制定した後,最終的に彼女を競技から追放した。

 しかし,これはセメンヤだけではない。800メートル走でセメンヤのライバルだったブルンジのランナー,フランシーヌ・ニヨンサバ。彼女はそのほとんどが南半球出身の多くの女性アスリートのひとりだが,高アンドロゲンだと世界陸連の規制のターゲットにされていると明らかにした。ウガンダ出身のランナーであるアネット・ネゲサは,競技を続けるために世界陸連の医師に言われて侵襲的な手術を受けたことを公表した。その手術の合併症で,彼女は心身ともにダメージを受けた。

 このような残酷で差別的な扱いの背景には,誤った生物学的指標や時代遅れの性別観念への固執があることは間違いないが,それだけではない。1950年代,男性が女性を装って競技に参加している国があるという,根拠のない疑惑から始まった「性別確認検査」は,元は選手に下着を脱ぐことを求めるだけのものだった。(1932年のオリンピックで金メダルを獲得したステラ・ウォルシュのように,このような調査を受けた選手の中には,インターセックスに似た疾患が発見された者もいた)。

 セメンヤの扱いは,もっと不穏なものに根ざしている。16世紀にアフリカ大陸に渡ったヨーロッパの探検家たちは,出会った人々の解剖学的特徴を指摘するようになった。黒い肌,たくましい体格,大きな唇と鼻は猿に似ているからと,ヨーロッパ人は,アフリカ人は猿と定期的に交尾しているという考えを広めていった。時が経つにつれ,このような考えはジェンダー的な色合いを帯びていき,アフリカ人女性とヨーロッパ人女性を比較することで,人種的な違いや劣等性を恣意的に助長するだけでなく,アフリカ人女性を「女性」というカテゴリーから完全に排除することを正当化した。

 世界陸連は,何世紀にもわたって受け継がれてきた白人至上主義的な考え方に固執し続けている。それは,「女性らしさ」を白人でシスジェンダーの女性の身体で定義し,それ以外の人,特にアフリカ系の女性を社会的に受け入れられない存在とするものなのだ。

 世界陸連はその使命を,「卓越した競技選手」を育成し,「アスリートに新しくエキサイティングな展望を提供する」ためにスポーツを強化することとしている。しかし,世界陸連は歴史的に,黒人女性とその身体に対する卑劣な態度を助長してきているのだ。

 世界陸連が設立されるわずか15年前の1897年,英国の宣教師で医学博士の資格を持つアルバート・クック卿は,現在のウガンダで倫理的に問題のある女性の生体検査を行ったことを大々的に記し,次のように述べている。

ネグロイドの臀部の異常なまでの小ささに心を打たれない人はいないだろう。腰の高さで直立した状態で後ろから見ると,ネグロイドの女性の体は,平均的なヨーロッパ女性の「大きな臀部」に比べて小さくて丸い。それぞれの骨盤を並べてみると,それは明らかで,ムガンダ人の骨は,その大きさと構造の細かさにおいて,子どもの骨のように見える....ネグロイド人種の骨盤の形は,原始人と高等文明人の中間の形をしている....。 類人猿のように,その縁の形は長楕円形である」。

 今となっては証明されたこともないクックの研究が,女らしさや女性性をめぐる人種的な考えを発展させ,最終的には黒人女性の身体を非人間的にすることにどれほど重大な影響を与えたかは,いくら強調してもし過ぎることはない。クックは,アフリカ人女性の解剖学的研究が話題になった後,英国医師会の会長を2度務め,ジョージ5世からナイトの称号を授与されている。クックは,アフリカの「他者」と関わることで得られる「知識」を,植民地を広げた世界に示したわけだ。

 クック以前には,「ホッテントットのヴィーナス」という蔑称で知られるサラ・バートマン(Sarah Baartman)が,西洋社会の黒人女性の身体への固執を体現していた。バートマンは,現在の南アフリカ(セメンヤの母国)で捕らえられ,奴隷にされた後,1810年にヨーロッパに連れて来られ,サーカスや公衆の面前で展示(display)されたが,彼女が亡くなるまで,科学者たちが彼女の大きな大陰唇を測定し,解剖した。この研究は,黒人女性の「欠陥」だと,白人女性よりも「女らしさ」に欠けることを示す証拠として宣伝された。

 このような考え方の影響は,今日の医学界でも,(数は少なくともほとんどの場合)大した健康上の問題ではないにもかかわらず,大陰唇が大きなことを医学用語で言う「大陰唇肥大」の診断が広く行われている。大陰唇の長さや大きさを短くしたり小さくしたりする手術である「ラビア・プラスティ」の増加は,女性器の正当性は黒人女性の身体の生理機能との比較によって定義されるべきだという考えを再確認させるものだ。

 こういった考えは,人種差別が「あからさまに」行われていた大昔の時代のものであり,現代ではあまり意味がないと考える人もいるかもしれないが,ヨーロッパではスポーツなどの分野で人種差別を制度化するのには役立っているというわけだ。その結果,セメンヤ,ニヨンサバ,ネゲサのような黒人女性に勝ち目を与えないほどに,社会や世界陸連の女性像の基準となっている医学的知識は,人種差別に深く根ざしたものとなっているのだ。

 例えば,性ホルモン。テストステロンとエストロゲンのレベルには人種差がある,特に黒人と白人の間で…という考え方は現在でも広く信じられているが,大きな議論を呼んでいる。黒人女性は他のあらゆる人種の女性よりも男性的だという考えは17世紀から18世紀に根付いたもので,アフリカ系の人々は動物的で攻撃的であるという考えに基づいている。1995年には,人気心理学者のJ.フィリップ・ラシュトンが,黒人は白人やアジア人に比べて知能が低く,衝動的で,これは主にテストステロンのレベルが高いことが原因だと主張している。ラシュトンの研究は長年にわたって批判されてきたが,彼の著書『人種・進化・行動(Race, Evolution, and Behavior)』は現在第3版まで発行されている。ラシュトン自身,カナダ心理学会の名誉会員に選ばれ,グッゲンハイムフェローシップを一度受けた。科学者たちはここ数十年,ラシュトンの主張に反論し,皮肉にも人種疑似科学の炎を燃え上がらせている。

 米国の高齢女性において,黒人女性は白人女性に比べて,女性ホルモンであるエストロゲンの一種,エストラジオールの濃度が低いという研究結果がある。一見すると,世界陸連の人種差別的なポリシーの元凶のように見えるかもしれない。しかし,異なる人種の女性の間での人種的なホルモン差を評価した研究はほとんどなく,実際に再現できる結果が得られた研究はさらに少ないことに注意する必要があるだろう。むしろ,男性の性ホルモンの人種間格差を調べた研究の方が多いのではないだろうか。一般的に考えられているのとは異なり,テストステロン値は黒人男性と白人男性ではほぼ同じで,遊離エストラジオール値は黒人男性の方が他の人種の男性よりもはるかに高いという結果もある。しかし,このような結果でさえ,内分泌学者,生物学者,医師の間では,この分野で矛盾した研究のために疑問視されている状況だ。

 世界陸連が男性の体のヴァリエーションに相対的に関心を持たないことは,対照的に,女性に対してどれほど不公平な行いをしてきたかを示している。歴史学者のジョン・ホーバーマンは,1996年に出版した『Darwin's Athletes』の中で,この矛盾は,何世紀も前から続く「黒人の運動能力」への執着が原因であると主張している。1851年,医師のサミュエル・カートライトは,「黒人と白人の間に色の違いがあるのは皮膚だけではなく,膜組織,筋肉,腱,そしてすべての体液や分泌物にまで及んでいる」と書いている。ホーバーマンが主張するように,カートライトの著作は奴隷所有者に広く読まれ,アメリカの他の地域で道徳的な反差別運動が高まっていても,人種的なヒエラルキー奴隷制度を維持するための(擬似的な)科学的,生物学的な正当性を与えるものとなっていたのだ。カートライトの著書には,黒人の身体的特徴は利益のために使役できる場合にのみ受け入れ可能なものだという考えが含意されていた。

 今日,我々はカートライトの遺産をスポーツに見ることが可能だ。力強さや大きさを特徴とする男性の優れた肉体は,しばしば畏敬の念を抱かせ,怒りを買うことはない。しかし,女性の身体の強さは,まだそれほど利益を生むものではないから,いとも簡単に嘲笑の対象となるわけだ。

 異人種間の視点から見ると,黒人アスリートが富を得るに値すると考えられるのは,その価値が合理的な基準を超えて証明されてからだ。そうでなければ,白人選手が簡単に得られるような名声,富,評価を得ることはできない。ジョン・ベールとジョー・サングは,ケニア人選手の中長距離界での活躍を分析している。20世紀初頭からアフリカ系アメリカ人スプリンターが圧倒的な強さを誇っていた頃,ヨーロッパの白人スプリンターは,黒人選手には長距離レースで成功するためのスタミナや戦略的洞察力が欠けているとスポーツライターに言われ,静かに長距離レースに退いていた。さらに,黒人選手が白人選手よりも優れた成績を残すようになると,レース関係者は白人選手に再出場の機会を与えるか,黒人選手が出した速いタイムを失格にするかのどちらかだった。1962年にモザンビークで開催された大会で,アフリカ人ランナーのハンフリー・コシとベネット・マクガマテが白人ランナーを上回っていたにもかかわらず,役員が勝利を認めなかったのもその一例だ。

 現在,世界陸連は,アフリカをはじめとする「南半球」の各地に「発展センター」を設置し,かつて競技会での成功を阻んでいた才能ある選手を採用し,育成しようとしている。この地域の発展センターは,実際にはここのアスリートを欧米に輸出し,イギリスやフランスのような国で競争させるための手段であるという意見もある。しかし,このセンターは男性アスリートの育成を目的としており,女性のスポーツ参加に寛容な国でも女性は取り残されているのだ。

 世界陸連は,女性の才能,特に南半球の黒人女性の才能を認め,育成することにはあまり意味がないと考えているようだ。ある種の人種差別的な考え方の典型として,彼女たちは「本当の女性」ではないというわけだ。そして,世界陸連は,何世紀にもわたる白人至上主義,植民地主義ジェンダー本質主義の神話に反した身体を持つ黒人女性の運動能力を高めることを拒み,代わりにあらゆるレベルで彼女を辱めることを選択してきている。

 スポーツとプロテストのこの時代,おそらく他のランナーからの連帯の動きが立ち上がり,世界陸連の姿勢を見直させることができるかもしれない。しかし,陸上競技は依然として熾烈な競争の場だ。多くの競技者は,表彰台の隙間を埋めるチャンスだと考えているか,最悪の場合,反発を恐れずに自らの人種差別を広めることになるだろう。イギリスの中距離ランナー,ジェマ・シンプソン選手は,セメンヤとのレースを「文字通り男性との戦いだった」と表現した。オーストラリアのマデリン・ペープ選手は最近,セメンヤを擁護し,「彼女のパフォーマンスを『アンフェア』と非難する声のコーラス」に加わったことを後悔している。サハラ以南のアフリカに住む黒人女性アスリートは,非常に周縁的(marginality )な位置に置かれつづけており,彼女たちが広く支持される可能性は最初から低いものだった。皮肉なことに,世界で最も速いランナーの一人である彼女たちは,これまでと異なる結果を生み出すのに必要な注目を集めることができなかったのだ。

 しかし,彼女たちは自分で自分を擁護する必要はない。社会が他の方法で社会制度の人種的遺産と向き合い続ける中で,世界陸連のようなスポーツ団体は,人種差別的,性差別的な考えの結果としての被害に対処する明確な機会を持っているのだから。偏った科学,医師,測定基準の裏側に隠れるのはもうやめたほうがいい。セメンヤ,ニヨンサバ,ネゲサをはじめとする,高アンドロゲンのアフリカ人女性アスリートたちは,彼女たちの排除を前提として構築された女性性の理想に合わせて,自分自身を変えたり,支配されたりする必要はない。彼女たちの身体は問題ではないのだから。

 
これまでも,これからも,決して。