Nex Anex DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)情報サイト

ネクスDSDジャパンの別館です。ここでは,DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)の学術的な情報を発信していきます。

DSDsとキャスター・セメンヤ  排除と見世物小屋の分裂⑦「キャスター・セメンヤと有色女性差別」

この章では,特にDSDs当事者の皆さん,家族の皆さんにとって,非常につらい描写及び画像が含まれております。どうか,お気持ちが落ち着いている時のみにご参照ください。そうでない場合は,この章は見ないことをおすすめします。

 

 2020年12月に発行された『ジェンダー法研究7号』(信山社浅倉むつ子先生・二宮周平先生責任編集)に掲載いただいた,ネクスDSDジャパン主宰・日本性分化疾患患者家族会連絡会代表ヨ ヘイルによる論考を,責任編集者の先生と信山社様のご厚意により,オンライン上で公開する許可をいただきました。

 一部情報をアップデートし,発行時に掲載できなかった画像資料などを加えています。

 

 大変残念なことですが,DSDsに対しては大学のジェンダー論を教えている先生方,LGBTQ等性的マイノリティのみなさんやアライのみなさん,性教育に携わる先生方,お医者様などでも,根深い誤解や偏見があります。

 当事者・家族のみなさんにはつらい描写もありますが,広く多くの方にお読みいただければと願っております。

 

DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患インターセックス)とキャスター・セメンヤ

排除と見世物小屋の分裂

 

目次

 

 

Ⅶ.キャスター・セメンヤと女性・有色人種差別

 

1.セメンヤに対する社会的「議論」の問題

 DSDsを持つ人々が社会に現れる時、どういうことが起きるのか。それを端的に表したのが、南アフリカの女子陸上選手キャスター・セメンヤの例であると思われる。2009年のベルリン世界陸上で金メダルを獲得した直後、彼女は称賛ではなく疑惑の目で迎えられた。世界陸上連盟(WA:以下「世界陸連」)1の当時の事務局長Pierre Weissは「彼女が女性ではないと正確に証明されれば、本日の記録から彼女の名前は抹消されるでしょう」2と公言し、オーストラリアのデイリー・テレグラフは、彼女自身が知らない、本来はプライバシーの領域にあたるはずの「検査」結果について、セメンヤは子宮ではなく精巣があり、染色体がXYで、男性ホルモンが通常の女性の3倍あったと関係者の証言として公然と暴露した。DSDsのほとんどが思春期以降に判明するものである。彼女の体の状態も家族も彼女自身も全く知らず、何のためのものかも知らされないまま「検査」を受けさせられ、その結果情報は彼女に知らされず、彼女の知らないところでいきなり暴露されたわけである。

当時の社会がセメンヤさんをどう伝えたか,様子を伝える動画。

ONE TRACK MINDS 1 - YouTube

2ネクスDSDジャパン『ONE TRACK MINDS 1』(2020930日取得)

 

 しかもその後、彼女の身体や彼女の容姿、彼女の性別同一性、そして彼女の性器の話は、それがまるで当たり前であるかのように世界中のメディアによって書きたてられ3、世界中の人々が、やはりそれがまるで当たり前であるかのように、彼女の処遇について「自分の意見」をぶつけ合った。「議論」は大きく二つに分かれた4

3K.Karkazis(2016), One-Track Minds: Semenya, Chand & the Violence of Public Scrutiny. ネクスDSDジャパン訳:『ONE TRACK MINDS』)(2020930日取得)

4ここでも社会の反応が、「聖性」(all good)と「穢れ」(all bad)に分裂(splitting)していることが見て取れる。

 

 一方は「彼女は本当は両性具有だから女性とは認められない」「男性ホルモンが出ている。子宮もない。女性ではないのだから女性競技に出るべきではない」という「意見」。しかし彼女は女性だと偽って競技に参加したわけではなく、間違いなく女性に生まれ女性に育っている。

 

 

 もう一方は「セメンヤのような<インターセックス>の人もいるのだから、男女に境界はない」「男女二元論は間違い。スポーツや社会は男女を分けるべきではない」など、彼女を男女二元制批判の象徴とするような「意見」も溢れた5。しかし、セメンヤがスポーツが男女別であることを批判したという話も、自分が第三の性別だと言ったという話も一切聞かない。そういった「意見」は、セメンヤの望みだったのだろうか。それは一体誰の望みなのだろうか6

 

5現在日本ではLGBTQ等性的マイノリティの人々でもDSDsに対する理解が徐々に広まっているが、やはりこのような言説は残っている。たとえば、「しかし、「生物学的性別」でなされる男女の二分は、それほど明確なものではない。スポーツにおける性別確認検査の歴史は、それがいかに困難なものであったかを示しているし、一般的に出生時に付与される性別は染色体検査によるものでもない。」:堀あきこ「誰をいかなる理由で排除しようとしているのか? ―SNSにおけるトランス女性差別現象から」『福音と世界』74(6), 42-48, 2019-06新教出版社。「LGBTの存在やセメンヤ選手(南アフリカ代表)の例から示唆されるように、男女の違いははっきり分かれているわけではなく、連続的なものと考えるべきなのではないか。」愛知淑徳大学ジェンダー・女性学研究所Newsletter46、(2020930日取得)

6長年インターセックスDSDsを持つ人々の支援を行い、セメンヤと同じく「高アンドロゲン症」を理由に一時競技の参加を止められたインドの女性スプリンター、デュティ・チャンドのスポーツ仲裁裁判所CAS)への提訴で証言を行った、イェール大学の生命倫理学者カトリーナ・カルケイジスは、自分がコメントを求められたAP通信の記事「キャスター・セメンヤ スポーツ界の性別二元制に挑む」に対して、「彼女が挑んでいるのはそういうことではない。そういう言い方は選手に対して有害です」と批判している。(Katrina Karkazis,Twitter)。そもそも、競技の男女別がなくなれば、セメンヤが出場している陸上競技では彼女はメダルを獲得することができなくなるのは明らかなのに、セメンヤを擁護しているつもりでなぜそういった議論になるのか、筆者も全く理解ができない。やはりここでも、自分の望みと異なる他者、個々の人間のリアイリティというものが、いとも簡単に切除されているのである。

 

 この両者の「意見」とも、「XY・精巣なら男性」という強迫的な社会的生物学固定観念、あるいは「半陰陽フレームワーク」に基づいた議論であることは確かである。トランスジェンダーの人々の「性自認」の位相の話との混同も同じだろう。AISなど、XY・精巣で高アンドロゲン状態でも、細胞がそのアンドロゲンに完全にあるいは一部しか反応しなければ、胎児がその原型のまま女性に生まれ育つことはある。

 さらに、自分や自分の子どもがセメンヤと同じ立場にたった場合を想像してみてほしい。まだ18歳の女の子が、他人の身勝手な侵害の許されない自分の「性器」の話について、自分の全く望まない話で、まるで自分の「モノ」のように憶測や偏見に基づいて話をされるという場面を。「あいつは女性とは認められない」という悪意や、「男女の境界はない」といった一見「善意」の意見であれ、世界中の人々が自分の極めて私的でセンシティブな自らの「生殖器」という領域についての話をしている光景を。彼女は世界中で「見世物小屋」のごとく晒し者にされたといっても過言ではない。そこではセメンヤはまるで光を当てる角度で様々な色を映し出すプリズムのように、周囲の「自分が見たいものを見る」視線によって、様々なモノとなっていった。当時の状況をアメリカのスポーツライターはこう書いている。 

 

リポーターたちは彼女を「インターセックス」と呼びつけた。しかし私は、セメンヤ自身が自分をインターセックスだと言ったというリポートをひとつも見つけられなかった。そして彼女は、彼女をニュースの売りものにされてしまうことも、彼女を「インターセックス選手」と呼ぶ記事も止めることはできていない。「世界は黒人のクィアインターセックスの選手を受け入れる準備はあるか?」というタイトルの記事もあった。しかしセメンヤは自分をクィアだとも語ってもいない。彼女の人生は、ますます彼女のものではなくなっていった。セメンヤの身体は、リポーターたちが必要とするものだったらどんなものにもなっていった。ケイト・ファーガンがTwitterで語ったとおりに。「セメンヤは女性だって分かる。だって、みんなして彼女の身体を支配しようとしてるから」。7

 

 セメンヤは一時、南アフリカで自殺予防の保護下にあり、当時の南アフリカのスポーツ委員長は、セメンヤの様子を「まるでレイプされた人のようだ」と証言した8。後に彼女はこう言っている。

 

「自分の尊厳が傷つけられて怖かった。他人が私について考えることを私には止められなかった。私のこと、私の自律性、私の中のことのはずなのに。」9

「私の存在に関わる最も深く私的な領域に、不当に侵襲的な詮索の視線を受けてきました。(筆者中略)それは選手としての私の権利だけでなく、私の尊厳とプライバシーの権利を含む人間としての根本的な権利を犯すものでした。」10



2.世界陸連の「DSD規制」の問題点

 

 セメンヤは後に陸上競技に復帰したが,これは世界陸連から薬理的にアンドロゲン値を下げることを条件とされていたことが明らかになっている11。しかし、セメンヤと同じく高アンドロゲンを指摘され出場を制限されたインドの女子短距離選手デュディ・チャンドがスポーツ仲裁裁判所CAS)に訴えを起こし、2015年にCASは世界陸連にアンドロゲン規制の停止を求める決定をする。以降しばらくセメンヤはアンドロゲン値を下げることなく競技に参加できていた。しかし、20184月に世界陸連は女性選手の「公平性」を保証するためにと、新たな「高アンドロゲン規制」を発表。セメンヤはCASに提訴し、新規制は一時保留されたが、CAS20195月に、この規制は「差別的」だが「このような差別は必要かつ合理的、そして適切な手段である」としてセメンヤの訴えを棄却。セメンヤはすぐに南アフリカ陸上連盟とともにスイス連邦最高裁判所に上訴し規制は一時停止されるが、20197月にスイス最高裁は新アンドロゲン規制の一時停止の仮命令を撤回。20209月にセメンヤの訴えは正式に退けられた。筆者は、これほどに様々なマイノリティの人々の人権が叫ばれる現代に、「必要で合理的な差別」という文言を見て驚かざるを得なかった。

11セメンヤは当時のことを「IAAFは過去にも私をモルモットとして利用し、彼らの求める医療が私のテストステロン値にどう影響するかを実験した」と訴えている。 AFP2019)『「私をモルモットとして利用した」 セメンヤが国際陸連による扱いを批判』(2020930日取得)

 

 世界の規制は何度も変更され、最終的に「DSD規制」、すなわち、法的に女性(もしくは「インターセックス」)で、DSDsXY女性で高アンドロゲン状態にあり、そのアンドロゲンに反応する体の状態を持つ女性選手12は、400Mから1マイルまでの国際的な陸上競技に参加するためには、半年間、血中のアンドロゲンレベルを、経口避妊薬投与あるいはGnrHアゴニスト13の注射、もしくは性腺摘出を行うことで、5nmol/L以下にしなければならないということになっている。

122019年時点の規制では、CAH等のXX女性、あるいはAISXY女性でも細胞が完全にアンドロゲンに反応しない型は対象外となる。しかし、「高アンドロゲンらしい」と見られた女性選手は「検査」自体は受けさせられることになる。

13下垂体に作用し、性腺からのホルモン産生を抑制する薬品。ホルモン抑制の重篤な副作用として骨量低下や更年期障害がある。

 

 この規制を主導した世界陸連のメディカルサイエンス部門の男性医師ステファン・バーモンは、この規制について「最新の研究では、新規定が適用される距離でDSDの女子アスリートにアドバンテージがあることが分かった」14としている。しかし、この研究で分析された陸上競技で最もパフォーマンスの差が大きかったのはハンマー投げ4.53%)と棒高跳び2.94%)だが、これは規制の対象外となり、今回規制の対象となった400M400Mハードル、800Mは、それぞれ2.73%、2.78%、1.78%の差しかなく、1500Mについては差がない、1マイルは分析されなかったが、やはり規制の対象となっている。しかしこの研究では、女性選手と男性選手のパフォーマンスの差はおよそ1012%としており、実際にはDSDs女性選手のパフォーマンスは男性との差よりも圧倒的に小さい15。しかも、最も差の大きいハンマー投げ棒高跳びは対象外で、差がない1500M1マイルは規制対象とされ、400Mから1マイルと、セメンヤが出場する競技のみが規制の対象となっていることで、実質上セメンヤを締め出す規制となっていることが問題となっている。

 

14AFP2018)『男性ホルモン値の新制限、セメンヤが「標的」と物議醸す』(2020930日取得)

15「セメンヤは男性並みに速い」というイメージがあるが、現実にはセメンヤの800Mの記録(15460)は女子歴代の5位でしかなく、日本の男子中学生十傑10位の15410より低い。(男子の世界記録は14191で、セメンヤは12秒以上低い)。また、現実には選手のパフォーマンスはテストステロンの量のみで決まるものではないのは明らかだろう。もしそうなら、競技も必要なく,テストステロン量だけでランキングすれば良いことになる。

 

 そして、DSD規制によって槍玉に挙げられている、XY女性の高アンドロゲン状態となる体の状態は、たとえばAISはそもそも体の細胞のほとんどがアンドロゲンに反応しないために女性に生まれ育つのである。AISの場合、体がどれほどアンドロゲンに反応しているを医学的に測る指標はなく、したがって、血中アンドロゲン値の測定は実は全く意味をなさないのだ16。一方、DSDs以外でもXX女性のアンドロゲン過多となるPCOS多嚢胞性卵巣症候群17は体の細胞が全てアンドロゲンに反応するが、こちらは一切規制の対象となっていない。

16このため、よく「テストステロン値階級別にすれば良い」といった素朴な代案は全く意味がなく、体の全ての細胞がアンドロゲンに反応するMtFトランスジェンダー女性選手とも話が全く別であることにも注意しなければならない。そして高アンドロゲンのDSDsXY女性で、ほとんどの細胞がアンドロゲンに反応しないという事実は、後述する「検査」の問題にも関わってくることになる。

17一般的なXX女性では、15-20%に見られる。The Lancet Diabetes Endocrinology. Empowering women with PCOS. Lancet Diabetes Endocrinol. 2019;7(10):737.

 

3.有色女性差別の問題

 また、このような規制で指摘されているのが「女性差別」の問題である。このような規制は女性選手のみに適用され、たとえば男性選手の高アンドロゲン状態は一切問題とされていない。そもそも五輪に出るような選手は他の人とは違う類まれな身体を持っていても全くおかしくないだろう。たとえば男子水泳選手のマイケル・フェルプスは、疲労物質である乳酸が通常の人より半分しか産生されない「驚異的な」身体だとして称賛されている。ウサイン・ボルトが驚異的な身長であったとしても、「不公平」だから薬理的に足を短くするように言われたという話は聞かない。しかし、もし女性選手が優秀なパフォーマンスを発揮すると、称賛されるどころか疑いの目で見られ、「検査」を受けさせられ、「公平性」の名のもとに薬理的・外科的「治療」が行われるのだ18

18逆にドーピングを受けさせられるようなものだろう。

 

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 さらに問題となっているのが、世界陸連が2011年に女性選手に対する「高アンドロゲン規制」を策定してから、その規制の対象とされたのが、なんとも気持ち悪いことに、南半球の有色女性選手のみになっているという点である19。ここには、有色女性への「植民地主義」的な差別的認知があると言われている。南アフリカ生まれのフェミニストChé Ramsdenは、たとえばリオ五輪女子800Mでセメンヤと競い5位だったジョアンナ・ジョズウィックが「私は(競技のゴールラインを切った)最初のヨーロッパ人であること、1位の白人であることを嬉しく思ってます」「なんでああいう顔・体なのか、どんな容姿なのか、どんなふうに走るのか、見れば分かるでしょ」(強調は原文)と発言するなど、白人女性選手の一部から黒人女性選手の容貌や体格を揶揄するコメントが出た一方、800Mの世界記録保持者の白人女性ヤルミラ・クラトフビロバは、その「女性性」が疑われたことはなかったことを指摘している20。つまり、白人社会の目からは、植民地主義時代や奴隷売買の時代に黒人女性が労働力として売買されたように、有色女性をして、その容貌や体つきから「女らしくない」「男のようだ」、あるいは「黒人を動物のように見る」(強調筆者)ステレオタイプな差別的認知があるというわけだ21

19女性選手全員の染色体検査の時代は白人女性選手も出場を阻まれるケースがあったが、2000年以降のアンドロゲン規制から、「疑義がかけられた」選手に対するIAAF「任意」でのピックアップ検査となり、それ以降なぜか有色女性ばかりが出場を阻まれる結果になっている。また、パフォーマンス差が大きいのになぜか規制の対象外となっている女子ハンマー投げ棒高跳びは、世界10傑において有色女性選手がほとんどいない競技であるという点も注視しなくてはならないだろう。

20Ché Ramsden2016Classifying bodies, denying freedoms. ネクスDSDジャパン訳『身体の分類。自由の否定。』)(2020930日取得)

21たとえば、ミッシェル・オバマの容姿や体格をして「本当は男性」「トランスジェンダー」「半陰陽Hermaphrodite)」とするフェイクニュースアメリカの右派で流布したという例もある。PinkNews, Right-wingers are spreading rumours that Michelle Obama is trans – again – and it all stems back to this failed Republican congressional candidate. May 18, 2020.2020930日取得)

 

 これは医学の分野でもそうだ。前述のカルケイジスは、17世紀から20世紀までの医学テキストでは、「奇形の曖昧な外性器」、特に陰唇・陰核肥大はアフリカ系の女性に特徴的なものだという点で一致しており、スポーツにおける「性別確認検査」での生殖器検査は、黒人女性の生殖器の歴史的病理化と対応していることを指摘している22

 

 

 南アフリカフェミニスト、シソンケ・ムシマンは次のように述べている。

 

「黒人女性は常に、その女性性のグラデーションの悪い側に立たされている。そしてその最たるものが、キャスターの話でした。たしかに彼女は高アンドロゲン症で、彼女の話は確かに更に劇的なものではあるでしょう。ですが、その劇的な話も実は、白人社会が作った女性性という観念のカテゴリーに落とし込まれて作られたものだったのです。」23

 

 

 

 

4.「検査」の問題

 

 では、セメンヤが受けさせられた「検査」とはどのようなものだったのか。前述のカルケイジスは、高アンドロゲン状態の「基準」として世界陸連が規定している指標には、「声の低さ・乳房萎縮症・一度も生理がない(または数ヶ月間生理が来ていない)・筋肉量の増加・男性タイプの体毛(17歳以上の頂点脱毛症)・タナースコアが低い(I / II)(図4)・F&Gスコア(>6 /美しさで最小値)(図5)・子宮がない・陰核肥大症(典型的な陰核よりも大きい)」などがあることを指摘している。その中でも、世界陸連の担当医師バーモンが、「男性化のレベルについて非常に良い情報」として、太字・全大文字・+++記号で異様に強調しているのは、「陰核の大きさ」である。

(図4)タナースコア:女性の乳房・陰毛などの発達段階を測るスコア。Ⅰ / Ⅱ段階は「平均」より乳房・陰毛の発達が低いことを示す。

 

(図5)F&Gスコア:女性の上唇・顎・胸部・上下腹部などの多毛症を評価するスコア。>6 は「平均」より多毛であることを示す。

 

 

 では、このような指標によって、現実にはどのような「検査」状況となるのか、北米の女性スポーツライターが描写している24

 

医師たちはどうやってそれを調べるか? まず彼らは彼女の細胞のレセプターがどれくらいテストステロンに反応するかを調べるだろう。そしてそのレセプター異常で既に知られている遺伝子をスクリーニングする。彼女の声がどれくらいしわがれ声か測定し、彼女の陰毛と乳房の発育を物差しで測り、筋肉量を測定し、彼女の陰唇のサイズを測り、彼女の膣を触診し、彼女の肛門生殖器の長さを測る。別の言葉で言えば、彼らは、彼女が、「インターセックスの状態」によって、どれほど「男性化」しているか、どれほど「男になっているか」、測定しようとしているのだ。想像してみて。医師があなたの陰毛の長さを物差しで測り、あなたの膣が膣であるかどうかを確かめようとしている場面を。あなたを女性と見なしていいかどうか測定している場面を。私はそんな処置の場面を考えるだけで身の毛が震え、胸が痛くなって苦しくなってくる。

 

 これは,「検査」ではなくレイプと呼ぶべきだろう。ではなぜこういう陵辱的な「検査」になるのか25。前述のとおり、DSDsXY女性は、一部しかアンドロゲンに反応しない場合、アンドロゲン受容体の数値を測定する内分泌学的な指標はないため、女性の極めて私的でセンシティブな領域に対して、このレイプのような検査となるわけだ。注意しなくてはならないのは、このような「検査」は現在でも、「疑義のある」、つまり優秀なパフォーマンスを発揮した「男のように見える」女性選手に対して世界陸連の任意でピックアップして行えることになっていることだろう。当然ながら、優秀なパフォーマンスを出した特定の女性選手が何度か大会を休場したり、競技種目を変更したりすれば、それだけで疑いの目で見られることになり、あるいはまた晒し者にされ、選手生命自体が閉じられることは十分に考えられる。

24Diana Moskovitz・前掲注(113)。同じく「高アンドロゲン」を疑われたインドの女子スプリンター、デュティ・チャンドも同じような「検査」を受けさせられたことを証言している(インド陸上連盟は否定している)。チャンドは検査結果については暴露されなかったが、「性別確認検査に落ちた」ことは報道され、当時のことを「ニュースでは、私は男の子だと言っている人もいました。(筆者中略)私は丸裸にされているように感じました。私は人間ですが、自分が動物のように感じました。こんなに恥辱を受けてどうやって生きていくのかと思いました」(強調筆者)と語っている。The New York Times Magazine2016The Humiliating Practice of Sex-Testing Female Athletes. 2020930日取得)

25現在のDSDs専門医療ではここまでの検査は行わず、患者・家族の人権を配慮したものになっている。その前に,そもそも根本的に目的が異なる。現在の医療ではそれが命に関わるものなのかなどの鑑別診断として行われるが、IAAFによる検査は、「どれくらい男になっているのか」測定する検査で、18歳の女の子を破壊し尽くすのに十分以上なものとなっている。

 

 そしてその上での「治療」の問題もある。もちろんホルモン値を下げることで骨粗鬆症更年期障害のリスクが高まるということもあるが、現実にはそれだけにとどまらない。ロンドンオリンピックでは、1821歳の「発展途上国」出身の女子選手4人がこのような「検査」を受けさせられ、「出場資格を回復するため」と、性腺摘出と、なぜか競技には全く関係がない陰核減縮術を受けさせたことを世界陸連が認めている26。その後2019年、ウガンダの女子1500Mの女性選手アネット・ネゲサがその一人として、バーモンから「簡単な手術」と言われ、「治療」を受けさせられたことを証言している27

 

 世界陸連の男性医師バーモンはDSD女性選手規制について次のように述べている。

 

テストステロン値が高く、女性として社会的に認められていて、「女性らしく」なりたい、女性と競争したいと思っているのであれば、女性性を肯定する治療法(経口避妊薬など)が標準的な治療法になります。私たちは「人を規範に合わせる」ことは何もしていません。人が女性であると主張し、この保護された女性の部門で競争したいと思えば、彼女はテストステロンのレベルを下げて幸せになるべきなんです28

 

世界陸連医師ステファン・バーモン

 

 バーモンの考えに見られるのは、社会的生物学固定観念の頑ななまでの強迫性であり、女性を「保護」の名のもとに、レイプのような「検査」を行い、選手のパフォーマンスに全く関係のない陰核の手術まで行い、白人社会が(よって日本に住む我々も)考える「女性性」の檻に閉じ込める意識であろう。そして一方、社会の側も、やはりDSDsを持つ人々に対する社会的生物学固定観念と、有色女性に対する「男のようだ」とするバイアスを元に、DSDsを持つXY女性をして「男でも女でもない」として女性から排除するか、「男女の境界のなさ」として「祀り上げ」てきているわけだ29

29バーモンは他にも、「世論が変わる必要があるが、私はインターセックスの選手のための第三の競技カテゴリーを支持している」と述べている。もちろん、DSDsに限らず本人の性自認がたまたまノンバイナリーなど,選手本人がそれを望まない限り、「見世物小屋」にしかならないことは必然だろう。The Guardian2018IAAF doctor predicts intersex category in athletics within five to 10 years. 2020930日取得)

 

 一方,南アフリカの人々は,セメンヤさんを「私たちの娘」として本当に大切にしている。そういった彼女を支える姿勢の背景には,やはり南アフリカの有色女性が受けてきた非人間的な歴史がある。特に「キャスターはモックガディ」30という詩がシェアされ,モックガディというセメンヤの誕生名が「男子に人気の女の子」という意味から,「彼女は女性に生まれたのだ」「キャスターはモックガディだ」と,彼女が確かに女性に生まれ育ったことが主張されている。

 筆者も,セメンヤさんについて「染色体がXYで精巣だったら男性でしょう。途上国のアフリカではまだ『体の性もグラデーション』という観念がないから」と、LGBT支援者を自認する大学教授から反論を受けたことがある。しかし,現在のDSDsの先端医療では,XY・精巣でも,染色体ではなく遺伝子レベルで女性に生まれ育つことがあるとされている。実際には、人類誕生から700万年、今からたかが70年ほど前の1953年のAIS女性の「発見」、あるいは1960年以前のXY染色体がまだ「性染色体」でなかった時代(これは,女性と男性の別がなかったということではない)ならば、「性自認」も何も関係なく、彼女は確かに女性に生まれ女性に育った、ただの「速い女性」に過ぎなかった。間違っているのは、先天的な女性・男性の体の構造について,中途半端な知識にあまりに強迫的で傲慢になっている「先進国」の我々の側なのだ。

 もうひとつ筆者が注目したいのは,南アフリカの人々がセメンヤさんを大切にしているのは,「多様性」や「LGBTQ」などのスローガンでも理念でもないというところだ。ムシマンは,セメンヤさんが南アフリカで,族長でもミソジニストでもホモフォビアの人でも愛されていることを指摘している。南アフリカの人々をつなげているのは,なにかの理念や理論ではない。アフリカの人々の歴史的なパトス(受苦)の歴史を彼女の苦難に見て,それを彼女に背負わせてはならないという想いからだ。セメンヤさん自身もこれまでほとんど沈黙を貫き通し,一時は世界陸連の不当なホルモン抑制を受けてきた。しかし,なぜこの時期に訴えを起こしたのか。それは彼女自身の引退が見えてきた年齢で,これからの同じような女の子たちに自分が受けた受苦を受けさせたくないという想いからだということも指摘しておきたい。

 

 世界医師会は2019年に,世界陸連のこのような規制に対して「これらの規制は倫理的妥当性について強い懸念を持っている」と,即時の撤回を求める声明を出している31。。国連人権委員会も遅まきながら2020年に,IAAF の規制を見直し・改定・撤回を求める報告書を出している(143)。セメンヤは規制外の200Mに挑戦しながら,欧州人権裁判所への提訴の準備を進めているとの情報もある。

 さらに、この世界陸連による高テストステロン女性選手と一般女性選手とのパフォーマンス差の調査は、実は事前にわかっていたにもかかわらず、調査に不備があったという論文訂正が、セメンヤが出場できなかった東京オリンピックが終了してから、やっと発表されたということも海外のメディアでは問題視されている。訂正された論文では、テストステロンの上昇と女性の運動能力の向上との間に「因果関係を示す確証はない」「低いレベルのエヴィデンス」で「論文中の記述は誤解を招く恐れがあった」と認めていたことが今になって明らかになったのだ。セメンヤ側の弁護士は,なぜこれまで世界陸連がこの訂正の事実を隠し続けていたのか,強く疑義を呈し,非難している。

 南アフリカ出身のフェミニストであるラムスデンは,セメンヤの件について世界中のフェミニストが反対の声をほとんどあげていないとしているが,次にこそは,南アフリカの10歳の子どもの言葉に学び,セメンヤさん自身を護る声を上げていただければと筆者は望む。

 

(セメンヤはお手本になる?)うーん、分かんない。彼女は走るのが好きなだけでしょ?お手本なんかになりたくないんじゃない?だって彼女は見世物じゃないもん。彼女はただ走ってみんなを力づけたいだけなんだから。32

 

しかし,大変残念ながら,DSDs女性に対する差別と有色人種女性差別の接点,あるいは南アフリカの人々がここまでセメンヤさんを護ろうとする意味はこれだけではない。次章では,さらなる深い歴史の闇について述べていく。

 

次の章「第8章: DSDsを持つ人々に対する「原初的差別」」

nexdsd.hatenablog.com

 

1旧「国際陸上競技連盟(IAAF)」。現在は「世界陸連(World Athletics)」に改称しているため,本論ではすべて現在の名称を用いる。

2ネクスDSDジャパン『ONE TRACK MINDS 1』(2020930日取得)

3K.Karkazis(2016), One-Track Minds: Semenya, Chand & the Violence of Public Scrutiny. ネクスDSDジャパン訳:『ONE TRACK MINDS』)(2020930日取得)

4ここでも社会の反応が、「聖性」(all good)と「穢れ」(all bad)に分裂(splitting)していることが見て取れる。

5現在日本ではLGBTQ等性的マイノリティの人々でもDSDsに対する理解が徐々に広まっているが、やはりこのような言説は残っている。たとえば、「しかし、「生物学的性別」でなされる男女の二分は、それほど明確なものではない。スポーツにおける性別確認検査の歴史は、それがいかに困難なものであったかを示しているし、一般的に出生時に付与される性別は染色体検査によるものでもない。」:堀あきこ「誰をいかなる理由で排除しようとしているのか? ―SNSにおけるトランス女性差別現象から」『福音と世界』74(6), 42-48, 2019-06新教出版社。「LGBTの存在やセメンヤ選手(南アフリカ代表)の例から示唆されるように、男女の違いははっきり分かれているわけではなく、連続的なものと考えるべきなのではないか。」愛知淑徳大学ジェンダー・女性学研究所Newsletter46、(2020930日取得)

6長年インターセックスDSDsを持つ人々の支援を行い、セメンヤと同じく「高アンドロゲン症」を理由に一時競技の参加を止められたインドの女性スプリンター、デュティ・チャンドのスポーツ仲裁裁判所CAS)への提訴で証言を行った、イェール大学の生命倫理学者カトリーナ・カルケイジスは、自分がコメントを求められたAP通信の記事「キャスター・セメンヤ スポーツ界の性別二元制に挑む」に対して、「彼女が挑んでいるのはそういうことではない。そういう言い方は選手に対して有害です」と批判している。(Katrina Karkazis,Twitter)。そもそも、競技の男女別がなくなれば、セメンヤが出場している陸上競技では彼女はメダルを獲得することができなくなるのは明らかなのに、セメンヤを擁護しているつもりでなぜそういった議論になるのか、筆者も全く理解ができない。やはりここでも、自分の望みと異なる他者、個々の人間のリアイリティというものが、いとも簡単に切除されているのである。

7Diana MoskovitzThe Debate About Caster Semenya Isn't About Fairness. Deadspin(2016) ネクスDSDジャパン訳『キャスター・セメンヤの話は、公平性の話なんかじゃない。』)(2020930日取得)。セメンヤはその後女性と結婚しているが、やはり自身を「レズビアン」とも「クィア」とも表象せず、現在までLGBTムーブメントとも一定の距離をとっている。

8CBC Sports(2009), Runner Semenya under suicide watch: report. 2020930日取得)

9BBC2015Caster Semenya: 'What I dream of is to become Olympic champion'. 2020930日取得)

10The Guardian2010Caster Semenya's comeback statement in full. 2020930日取得)

11セメンヤは当時のことを「IAAFは過去にも私をモルモットとして利用し、彼らの求める医療が私のテストステロン値にどう影響するかを実験した」と訴えている。 AFP2019)『「私をモルモットとして利用した」 セメンヤが国際陸連による扱いを批判』(2020930日取得)

122019年時点の規制では、CAH等のXX女性、あるいはAISXY女性でも細胞が完全にアンドロゲンに反応しない型は対象外となる。しかし、「高アンドロゲンらしい」と見られた女性選手は「検査」自体は受けさせられることになる。

13下垂体に作用し、性腺からのホルモン産生を抑制する薬品。ホルモン抑制の重篤な副作用として骨量低下や更年期障害がある。

15「セメンヤは男性並みに速い」というイメージがあるが、現実にはセメンヤの800Mの記録(15460)は女子歴代の5位でしかなく、日本の男子中学生十傑10位の15410より低い。(男子の世界記録は14191で、セメンヤは12秒以上低い)。また、現実には選手のパフォーマンスはテストステロンの量のみで決まるものではないのは明らかだろう。もしそうなら、テストステロン量だけでランキングすれば良いことになる。

16このため、よく「テストステロン値階級別にすれば良い」といった素朴な代案は全く意味がなく、体の全ての細胞がアンドロゲンに反応するMtFトランスジェンダー女性選手とも話が全く別であることにも注意しなければならない。そして高アンドロゲンのDSDsXY女性で、ほとんどの細胞がアンドロゲンに反応しないという事実は、後述する「検査」の問題にも関わってくることになる。

17一般的なXX女性では、15-20%に見られる。The Lancet Diabetes Endocrinology. Empowering women with PCOS. Lancet Diabetes Endocrinol. 2019;7(10):737.

18逆にドーピングを受けさせられるようなものだろう。

19女性選手全員の染色体検査の時代は白人女性選手も出場を阻まれるケースがあったが、2000年以降のアンドロゲン規制から、「疑義がかけられた」選手に対するIAAF「任意」でのピックアップ検査となり、それ以降なぜか有色女性ばかりが出場を阻まれる結果になっている。また、パフォーマンス差が大きいのになぜか規制の対象外となっている女子ハンマー投げ棒高跳びは、世界10傑において有色女性選手がほとんどいない競技であるという点も注視しなくてはならないだろう。

20Ché Ramsden2016Classifying bodies, denying freedoms. ネクスDSDジャパン訳『身体の分類。自由の否定。』)(2020930日取得)

21たとえば、ミッシェル・オバマの容姿や体格をして「本当は男性」「トランスジェンダー」「半陰陽Hermaphrodite)」とするフェイクニュースアメリカの右派で流布したという例もある。PinkNews, Right-wingers are spreading rumours that Michelle Obama is trans – again – and it all stems back to this failed Republican congressional candidate. May 18, 2020.2020930日取得)

22K.Karkazis & R.Jordan-Young (2018). The Powers of Testosterone: Obscuring Race and Regional Bias in the Regulation of Women Athletes. Feminist Formations.30(2). pp1-39.

23Anna KesselThe unequal battle: privilege, genes, gender and power. The Guardian 18 Feb 2018 2020930日取得)

24Diana Moskovitz・前掲注(113)。同じく「高アンドロゲン」を疑われたインドの女子スプリンター、デュティ・チャンドも同じような「検査」を受けさせられたことを証言している(インド陸上連盟は否定している)。チャンドは検査結果については暴露されなかったが、「性別確認検査に落ちた」ことは報道され、当時のことを「ニュースでは、私は男の子だと言っている人もいました。(筆者中略)私は丸裸にされているように感じました。私は人間ですが、自分が動物のように感じました。こんなに恥辱を受けてどうやって生きていくのかと思いました」(強調筆者)と語っている。The New York Times Magazine2016The Humiliating Practice of Sex-Testing Female Athletes. 2020930日取得)

25現在のDSDs専門医療ではここまでの検査は行わず、患者・家族の人権を配慮したものになっている。その前に,そもそも根本的に目的が異なる。現在の医療ではそれが命に関わるものなのかなどの鑑別診断として行われるが、IAAFによる検査は、「どれくらい男になっているのか」測定する検査で、18歳の女の子を破壊し尽くすのに十分以上なものとなっている。

26Fénichel P, Paris F, Philibert P, et al. Molecular diagnosis of 5α-reductase deficiency in 4 elite young female athletes through hormonal screening for hyperandrogenism. J Clin Endocrinol Metab. 2013;98(6):E1055-E1059.

27The Telegraph(2019)Exclusive interview: DSD athlete Annet Negesa. IAAFは彼女の証言を虚偽として非難している。:WA2019IAAF response to false claims made by athlete regarding DSD Treatment. 2020930日取得)

29バーモンは他にも、「世論が変わる必要があるが、私はインターセックスの選手のための第三の競技カテゴリーを支持している」と述べている。もちろん、選手本人がそれを望まない限り、「見世物小屋」にしかならないことは必然だろう。The Guardian2018IAAF doctor predicts intersex category in athletics within five to 10 years. 2020930日取得)

31The World Medical Association, WMA urges physicians not to implement IAAF rules on classifying women athletes. 25th April 2019, 2020930日取得)

32 The Daily Vox, We asked grade 4s to draw Caster and what they did is amazing. August 26, 2016. 2020930日取得)