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「キャスター・セメンヤの話は,公平性の話じゃない」DSDsとスポーツ

 

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(当事者家族の方には読むのが辛くなるかもしれない描写があります。お気持ちの落ち着いているときにご参照ください)

 

  ロンドン世界陸上2017も中盤にさしかかり、競技が連日繰り返されています。そして、「性別疑惑」という汚名を着せられた、南アフリカの女性中距離選手、キャスター・セメンヤさんも、既に女子1500Mで3位入賞,8月11日(金)からの女子陸上800Mに出場予定です。

 恐らくですが、また日本でも心ない報道や、いろいろな人のいろいろな「意見」が交わされ、センセーショナルな喧騒が勃発し瞬く間にまた消えていくことでしょう。

 そしてそれが、セメンヤさん自身にどう体験されているか考える人はまた少ないままに。

 ネクスDSDジャパンでも,昨年のリオ五輪に合わせて特設ページを作りました。長年DSDsを持つ子どもたち・人々と家族の皆さんの支援を行っている、スタンフォード大学生命倫理学センターシニア研究員の文化人類学者・生命倫理学者カトリーナ・カルカジスさんのエッセイの翻訳です。彼女は、前回の五輪出場に関してセメンヤさんと同じく「性別疑惑」の汚名を着せられ、IOCの「高アンドロゲン症」規制により、出場資格を失いかけたインドの女子短距離選手デュティ・チャンドさんの弁護に立ち、五輪出場資格を勝ち取りもしました。ぜひ、読んでいただければと思います。

www.nexdsd.com

このブログでは,キャスター・セメンヤさんの身に起きたことを更に理解いただくために,欧米のスポーツメディア「Deadspin」に昨年掲載された記事「The Debate About Caster Semenya Isn't About Faireness」の翻訳をご紹介します。

deadspin.com

キャスター・セメンヤの話は,公平性の話じゃない。

 私を女性たらしめているものは正確には何なのだろうか?私の乳房?もしそうだとしたら、サイズも関係してくるのだろうか?子宮があるから?でも、私は子どもを作ろうとしたことがないので、ちゃんと自分の子宮がはたらいているかどうか私には分からない。これも問題になるのだろうか?あるいは、XX染色体やテストステロンレベルも問題になるのか?私は自分の染色体やテストステロンレベルがどうなってるか知らない。だって単純に、わざわざそんなことを検査するような医学的理由もなかったから。私が女性であることを証明しろと言われたら、多分私はこう答えるだろう。「だってみんな、私が女性だって言ってるから」。

 私がまたこんな思考実験をしたのは、今週キャスター・セメンヤ800M走で競技していたからだ。セメンヤはずっと、彼女は女性だと言われていた。そう言われなくなるまでは。

 南アフリカのこのランナーに起きたことを全て要約するのはちょっと簡単じゃない。彼女は、2009年の世界陸上800Mの競技を走り抜け、そして直後に彼女の体の性の構造(sex)や性別(gender)への憶測や疑いが一挙に吹き荒れた。オーストラリアの新聞が、匿名の関係者の証言として、検査でセメンヤには精巣があり、子宮がなく、テストステロンレベルが「普通の」女性よりも高かったと暴露した。後に世界陸上競技連盟がこれを追認し、「性別検証検査」を指示し、イギリスのブックメーカーその結果を賭けの対象にした。ただ、セメンヤの身体についての暴露の大部分は、オーストラリアのデイリー・テレグラフによるものであった。

 その1年多くのメディアが記事を書き立てた。セメンヤ自身は、2010年にニューヨーク・タイムズで、彼女は自分自身の身体についての医学的結果を何ら報告されていないと語った。リポーターたちは彼女をインターセックスと呼びつけた。しかし私は、セメンヤ自身が自分をインターセックスだと言ったというリポートをひとつも見つけられなかった。そして彼女は、彼女をニュースの売りモノにされてしまうことも、彼女をインターセックス選手と呼ぶ記事も止めることはできていない。このような記事のヘッドライン(「世界は黒人のクィアLGBTQ等の性的マイノリティのこと)でインターセックスの選手を受け入れる準備はあるか?」)もあった。しかしセメンヤは自分をクィアだとも自分を語ってもいない。彼女の人生は、ますます彼女のものではなくなっていった。セメンヤの身体は、リポーターたちが必要とするものだったらどんなものにもなっていった。ケイト・ファーガンがTwitterで語ったとおりに。「セメンヤは女性だって分かるわ。だってみんなして彼女の身体を自分のモノにしようとしてるから」

 メディアという自動機械とは別に、IAAFは、セメンヤの物語に、新しいガイドラインで答えた。「高アンドロゲン症」という言葉をスポーツ界に持ちこんでくることで。しかしそもそも、疑問に対する「合理的な基盤」があれば、旗を振ってアスリートの走りを途中で止め、彼女のテストステロン値を測るということになるのだろうか?(ただ実際、「合理的基盤」ということ自体が疑わしい。だって誰がそうだと定義できるのか?一方的に叩かれて動揺している競技者自身はその定義の場にいられたのか?)。もしテストステロン値が高ければ、彼女は不公平に有利だと見なすということになるのだろうか?ウェブマガジン「Slate」のダニエル・エングバーはこう述べている。「彼らはむしろ、ドーピングのテストをするというのと同じ文脈で、アスリートの女性性をテストしようとしたのだ」と。彼らが測定しているのは女性性ではなく、公平性の問題なのだというわけだ。

 しかしもしあなたが、ひとりの女性が「旗を振られて走りを止められ」、テストを受けさせられたひとりの女性の体験そのものを読めば、「これは公平性の問題なんです」という議論に乗るのは難しくなるはずだ。

 もしセメンヤのようなアスリートが最初のホルモンスクリーニングに引っかかると、テストステロンが有利になるほど「はたらいているか」、さらに詳細に調べることになる。医師たちはどうやってそれを調べるか?まず彼らは彼女の細胞のレセプターがどれくらいテストステロンに反応するかを調べるだろう。そしてそのレセプター異常で既に知られている遺伝子をスクリーニングする。彼女の声がどれくらいしわがれ声か測定し、彼女の陰毛と乳房の発育を物差しで図り、筋肉量を測定し、彼女の陰唇のサイズを図り、彼女の膣を触診し、彼女の肛門生殖器の長さを図る。別の言葉で言えば、彼らは、彼女が、彼女の「インターセックスの状態」によって、どれほど「男性化」しているか、どれほど「男になっているか」、測定しようとしているのだ。

 想像してみて。医師が、あなたの陰毛の長さを物差しで図り、あなたの膣が膣であるかどうかを、確かめようとしている場面を。あなたを女性として見なしていいかどうか測定している場面を。上の文章の科学的視線の冷たさをとりあえずも考慮したとしても、私はそんな処置の場面を考えるだけで身の毛が震え、胸が痛くなって苦しくなってくる。この一連の出来事というのは、男性によって支配されたグループによって作られた、男性が考えるところの十分な女性性というものでもって、女性を定義しようとする、もう古いはずのシステムとほとんど響きが違わない。

 競技に出るためには、女性はどうしても、彼らが考える「女性」であらねばならない。医学的専門家集団が記述する「女性」に。検査の結果が十分に満足できるものであるかどうか決めるのは彼らだ。

 こういったケースの場合、医学的専門家集団は、彼女が選手として競技できると認められるかどうかという基準で、彼女の体の状態を特定する。こういう体の状態だったら、主治医によって、彼女のアンドロゲンレベルを普通にする治療が行われる必要がある。こういうケースの場合だったら、医師集団との相談によって、特定の治療を進める勧告を受け入れるかどうかは、その選手が決めることだ。選手が女性競技に出続ける手段として治療を受けることにしたなら、競技に戻る前に、彼女のケースだったら、医学専門家集団の検査をもう一度受けるように。指定した体の状態になってるかどうかを確かめるために。IAAFは、その選手のモニタリングに責任を負うことになる。基準などは明らかにしないが、選手の検査を引き続き行い、体の状態が基準に保たれているかどうかコンプライアンスを明らかにするために。

 セメンヤ自身は自身が体験したことについて何も語っていない。しかしその後の彼女の経過や報道からは、彼女が何らかの科学的処置を受けただろうことが推測される。そして、インドの女性ランナー、デュティ・チャンドが、テストステロン規制に抗議し、スポーツ仲裁裁判所で勝訴を勝ち取って以来、この規制は一時保留されている。現在セメンヤは以前よりも記録を伸ばし、800M勝利を望んでいる。そしてまたこのことで、メディアは彼女の競技出場に目をつけだした。もっとも、多くの報道は、相変わらずの競技の公平性やテストステロンの値、そしてルールについての話ばかりになっているが。

 テストステロンが女性選手にどう影響するのか、大量の記事が溢れている。しかし実際テストステロン値基準というのはかなりいい加減なものだ。女性性の定義という、オリンピックで長く続く強迫観念。その不都合な事実を避け続けているだけなのだから。こういう強迫観念により、時に女性は裸で世界中をパレードされ、女性である証明書を得るために彼女たちの外性器が検査されるのだ。染色体を調べるための口腔粘膜検体採取が採用されることもあった。しかしこのシステムにも問題があった。オリンピックは1999年に染色体検査を止めているが、必要ならばと性別検査の権利は保ち続けている。

 つまり、多くの女性選手の最大で単一のステージであるオリンピックは、誰が女性なのか?という判断を今でもしているのだ。その基準は変化しても、そういう態度自体は変わらないままに。

 そしてスポーツレポーターたちは、この動きと踊り続ける方法を見つけた。セメンヤについての本当に多くのヘッドラインが、なぜ「公平性」という言葉を使っているのか?これが理由なのだ。スポーツ・イラストレイテッド「リオ五輪でキャスター・セメンヤが他の女性たちと競技するのは、公平と言えるのか?」と知りたがり、テレグラフ2016リオ五輪キャスター・セメンヤが競技するのは誰にとっても公平ではない」と書き立て、ガーディアンは彼女をして「時限爆弾」と呼びつけ、マルコム・グラッドウェルは「選手競技にはルールが必要だと人々は理解するべきだ。そうじゃなければ競技なんてありえない」と無遠慮にがなり立てた。

 どうですか、女性の皆さん。これが公平性というものです!これで競技場は平坦になります!ルールに従いましょう!ちょっと、女性の皆さん、どうか落ち着いて!私たちはただ、女性の皆さんのために、競技を公平にしようとしてるだけなんですよ!

 その中でも、スポーツ・イラストレイテッドは、このままでは女性競技というもの自体が難しくなると警告した。スポーツ界以外でも続いている性的暴力やハラスメント、女性選手への助成金不足ではなく、それこそが問題なのだと言わんばかりに。これは女性を守られるべき階級とし続けることなんだと、レポーターたちはこれからも繰り返していくのだろう。「守られるべき階級」とはつまり、差別されてはならない存在のことなのだという肝心なところは完全に無視したままで。セメンヤが女性であるには男っぽすぎるかどうか問うなどという異様な行為を続けるということ、そこでは彼女は差別されるべき存在だという、なんだかよく分からない権利を授けられているというわけなのだ。

 エリート選手というのはみんな遺伝子的に例外の存在のはずだ。しかし、そこに女性性というシニフィアンが絡むといきなり問題にされるのだ。何か一つの特徴だけで、その人の性別(gender)を定義することはできない。性別(gender)の流動性や表現、同一性が理解されつつある世界の中の、まさしく「様々な性の多様性」という名のもとに、セメンヤを女性から排除している状況だ。

 「お前は女性として十分と言えるのか?」というオリンピックスポーツでの残酷な問いはここまで来ている。今まで誰からも五輪選手に間違えられたことはないが、私は自分がセメンヤに強く共感していることに気づいている。私の人生はその全てが私の女性性によって定義づけられてきたと思う。私は自分の黒くて縮れた髪の毛を明るい金褐色のストレートにするのに数え切れない時間と何千ドルも費やしてきた。その方が男性に対して魅力的だと思ったからだ。会議では必ず頭の中で、機嫌悪くならないように行儀よくアサーティブにするよう気をつけてきた。門前払いで仕事を得られず、何故なんだと途方にくれていた時は、年配のジャーナリストに言われたものだ。「問題は君にペニスがないことだったんだろ」と。

 私の人生のあり方ずべて、私の女性性、その定義がいきなり自分自身から剥ぎ取られ奪われたら、私はどのように感じるだろう?私の存在は他の女性に対して不公平になるという理由で、女性だと言われ、女性として扱われ、女性だからだと差別を受けてきたすべての時間をいきなり拭い取られたら?こんなホラーみたいな体験、私は想像できない。でも、自分がどう言葉を返すかだけは分かっている。「私が女性じゃないなんて、どういう意味?みんな私を女性として扱ってるじゃない!」

 

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