Nex Anex DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)情報サイト

ネクスDSDジャパンの別館です。ここでは,DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)の学術的な情報を発信していきます。

DSDsとキャスター・セメンヤ 排除と見世物小屋の分裂④「社会的生物学固定観念」

DSDsに対する社会的生物学固定観念

 

 2020年12月に発行された『ジェンダー法研究7号』(信山社浅倉むつ子先生・二宮周平先生責任編集)に掲載いただいた,ネクスDSDジャパン主宰・日本性分化疾患患者家族会連絡会代表ヨ ヘイルによる論考を,責任編集者の先生と信山社様のご厚意により,オンライン上で公開する許可をいただきました。

 一部情報をアップデートし,発行時に掲載できなかった画像資料などを加えています。

 

 大変残念なことですが,DSDsに対しては大学のジェンダー論を教えている先生方,LGBTQ等性的マイノリティのみなさんやアライのみなさん,性教育に携わる先生方,お医者様などでも,根深い誤解や偏見があります。

 当事者・家族のみなさんにはつらい描写もありますが,広く多くの方にお読みいただければと願っております。

 

DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患インターセックス)とキャスター・セメンヤ

排除と見世物小屋の分裂

 

目次

 

Ⅳ.社会的生物学固定観念

 

「君には子宮も完全な膣もない。それは、女性とはこうあるはずだ・こうあるべきだという一般的な見識から大きく異なっている。そして君は女性の基準から外れている。違っているのだ。それが男性の世界、一般的な人たちの考えで、 特に共通した物の見方よね。」(ロキタンスキー症候群を持つ女性)1

「私の“卵巣”は卵巣ではない。私は本当は女性ではない。私の胸は胸ではない。女性として育ってきたから女性だと思い込んでいるだけだ。(筆者中略)もし私がまだ若かったら、彼のアプローチは私を破滅させていたことでしょう。私は本能的に、彼が完全に正しいわけではないと思いました。私は自分が女性であることを知っていましたし、医者は神ではないからです。」AISを持つ女性)2

 

 「男でも女でもない」といった社会的イメージと、現実の当事者と家族の社会的状況との乖離については理解されたと思う3

3DSDsインターセックス)に対する社会的イメージと現実の人々との乖離については、いわゆる「性同一性障害」と「トランスジェンダー」の人々との歴史的経緯をそのまま当てはめて、「男でも女でもない」とする当事者(<インターセックス>)とそうではない当事者(DSDs)との対立関係のように短絡する人もいるかもしれないが、実情は全く異なる。確かに「インターセックス」を標榜する当事者団体は手術のインフォームドコンセントを求める上での「脱病理化」を主張しているが、そういった団体もインターセックスを「男でも女でもない性(Hermaphrodite)」ではないとしている。また、性同一性障害が、手術案件や医学的定義に関わること等でトランスジェンダー全体との政治的な見解の違いや論争になることはあるが、現象的には性別違和という点でスペクトラム上に重なるのに対して、そもそもDSDsインターセックス)の各種体の状態自体や、そういった各種体の状態を持つ人々は、元々それぞれに全く独立したカテゴリーに属しており、そもそもこの基本的レベルで決してモノリス(単一)、あるいは「なんでもあり」の集団ではないのである。言うなれば「アフリカという国」を思い浮かべるような素朴な偏見に等しい。それは、集団内の何かの対立構造の問題ではなく、集団外部の圧倒的マジョリティによる「自分の見たいものを選択的に見る『観客』の問題」に関わると思われる。

 では、なぜこういった乖離が生じたのだろうか。DSDsに対する「男でも女でもない性」というスティグマが生まれる背景にはいくつかの要因があると思われるが、その一つは、先天的な女性・男性の体の性の構造に対する社会的な固定観念、すなわち「社会的生物学固定観念」にあると思われる。ISNAを始めとする支援団体も、DSDsインターセックスの体の状態)について「性別(gender)の問題ではなく、体の性(sex)の話」としているのだが、これの本当の意味を理解できている人がほぼ皆無なのも、この固定観念の強迫的なまでの強さが関係している。

 いわゆる「男・女らしさ」という社会的固定観念である「性規範」は、現在でも社会に強く残っているとは言え相対化はされつつある。現実には様々な女性・男性がいて当然だろう。医学部入試で点数操作によって女性受験者が不当に落とされるなど、性別役割は現在でも頑なに残っているが、現代の我々は、赤いランドセルを背負う男の子を「男でも女でもない」と思うことはないし、日曜日の朝に仮面ライダーを見る女の子が「男の子になった」「実は男だった」とは思わない。もし思うとしたら、それはむしろ性規範の固定観念が強迫的に強いゆえであろう。

 

女性・男性に対する「らしさ」という社会的規範・固定観念

 

 では身体についてはどうか。「女性(female)・男性(male)の体の性の構造」には、「先天的な女性(female)あるいは男性(male)の体は、こうであるはずだ」という「社会的な生物学の固定観念」(図3)が、社会的固定観念を相対化する人々の中でも、全く意識されていないのではないだろうか。

 

DSDsに対する社会的生物学固定観念

 たとえば女性の子宮について、それを何らかの疾患によって失った女性に対して「もう女じゃなくなった」と言い放ったということが過去には現実にあったが4、これがいかに相手の心を傷つけ、人権侵害ともなることは、現在では論をまたないだろう。しかし、染色体の構成や性腺についてはどうだろうか。「染色体がXYで性腺が精巣で女性」と言うと、未だほとんど全ての人々が「男でも女でもない性」だと両性具有パニックに陥ったり、「性自認が女性」と直観してしまうのではないだろうか。こういったXY女性に対しては、以前は医療でも「本当は男性」「両性具有」「外見と性自認は女性だが中身は男性」といった「半陰陽フレームワーク」を元にした告知がされ、当事者の女性に大きなトラウマを与えていた。

4yomiDr.「もう女じゃなくなったのね」と言い放った看護師』(2020930日取得)。あるいは、そういう女性に「性自認は女性ですよ」と「フォロー」することもないだろう。

 

 しかし現在DSDsの専門医療では、ここ20年で飛躍的に進展した、アンドロゲンレセプターの機能も含めた体の性の発達の知見を伴い、たとえばAIS女性の性腺は、精巣という「実体」ではなく、実質上エストロゲンを作り出す「機能」を持つ性腺であるため、「女性に生まれ育っています」と説明されるようになっている5

欧州内分泌学会によるDSDs解説サイト

 人間の胎児の原型が女性であることを思い出すのは重要だろう。AIS女性の場合、性腺からはアンドロゲンが産生されているが、体の細胞の全てあるいは一部しかそのアンドロゲンに反応するレセプター(受容体)が存在しないため(鍵はあっても鍵穴がないのと同じ)、人間の原型のまま女性に生まれ育つのである。また、使われないアンドロゲンは、女性でも男性でも体の脂肪内に多いアロマターゼ酵素によってエストロゲンに変換され、AIS女性の体はそのエストロゲンには反応するため、生理以外の女性の二次性徴が発現することになる。実は女性に一般的な性腺である卵巣も元々産生しているのはアンドロゲンで、卵巣の顆粒層に多いアロマターゼ酵素によってエストロゲンに変換され、それが放出されている。すなわち、XX女性の体もAIS女性の体も同じことをやっているわけである。これはトランスジェンダーの人々の、性自認・性別同一性や社会学的「解釈」の問題ではなく、生物学的事実だ。しかし今でも「XY・精巣=全員男性」という固定観念は一切振り返られていないままであろう。つまり、間違っているのは彼女たちの体や性自認(「本来は男性になるはずが間違って女性になった」6「男性の体なのに性自認が女性」)ではなく、時代遅れの知識しか載せていない教科書の方だということだ。

6アンドロゲン不応症(AIS)は以前まで「睾丸性女性化症(Testicular feminization)と呼ばれていて、この用語は多くの女性に心の傷を与えていた。体の発達機序的にはAIS女性は原型の女性のまま生まれてくるわけで、男性が「女性化」したわけではない。この用語にはおそらく、精巣というものを男性の本質の基点と拘泥する故に「女性化」という表現が与えられたと考えられる。

 

 

 

 歴史的に、XY染色体が「性染色体(sex chromosome)」と呼ばれるようになったのは、1960年のデンバー会議以降で、当時の医学知識の限界もあるが、XY染色体の構成数だけで女性・男性の体の発生が決定されることが実証されていたわけではなかったことも指摘されている7。その後、女性でも45,Xや、男性でも47,XXYといった染色体の構成があることが分かり、XY染色体の構成数だけで男女の体の違いが決まるわけではないことから、SRY遺伝子が同定されたのは1990年になってからだ。さらに、SRY遺伝子の発見以降、DSDsに関して、性腺の分化、外性器、膣や子宮の形成等の体の性の発達には、AIS女性の場合のX染色体上のAR遺伝子の変異など、現在では恐らく約100以上の遺伝子が関係していると言われている。現実にはX染色体上で体の性の発達にかかわる遺伝子は3つ、Y染色体には1つのみで、残りはすべて常染色体上にあるということも分かっている8DSDsの先端医療は、その体の状態がどのような機序で起きているのか、XY染色体ではなく、既に遺伝子の時代になっているのだ。9

 

 また、XY染色体の固定観念から、XXYXXYY染色体は両性具有という極端な誤解もある。他にXYYが「スーパー」男性、XXXが「スーパー」女性と表現されるのも、いかにXY染色体に男性性・女性性のIDであるかのような社会的な文脈が影響しているか見て取れる10

10 S. Richardson・前掲注(52):RichardsonXY染色体に過剰な男性性・女性性が投影されることを「XY染色体のジェンダー化」と呼んでいる。彼女は、たとえば45,X(ターナー症候群)の女性は「女性性の発達(および発達一般)の不全としてとしてよりも、男性性の兆候として表現され」、「性の反転した男性」とまで言う遺伝学者がいた事(151頁)、XYY染色体の男性に対しては、当時の社会で、男性性あふれるスーパーヒーローのようなイメージが投影される一方、凶悪犯罪者がXYYの持ち主であるかのような誤った言説も流布したことを指摘している(117-146頁)。筆者は、「欠損」あるいは「過剰」とされる身体的特徴を持つ人に対して、現実の人間とかけ離れたイメージが投影され、そのイメージが、スーパーヒーローといった「聖性」と凶悪犯罪者イメージのような「穢れ」に分裂(splitting)していることに注目したい。なお、XYY男性が特徴的に「男性性」・攻撃性が高いという素朴に過ぎる偏見は現在は否定されている。またXXX女性も特に女性的特徴が高くなるということもない。45,Xターナー症候群)で不妊状態にある女性を、染色体のみに強迫的に執着し,X染色体が1つだけだからと言って「女性のようではない」などとするのはただの人権侵害である。

 

 さらに「卵精巣」と聞くと、性腺が女性(female)・男性(male)の違いの本質(普遍的な1つの指標)であるかのような固定観念から「両性具有」と短絡する人もいるだろう。しかし現実の当事者は、女性・男性として当たり前と思っていた二次性徴とは異なる性徴が現れることで、自身の女性・男性としての自尊心を損なわれ、たいへん大きな戸惑いや不安、あるいは恐怖さえも呼び起こすケースがほとんどなのである。ここには、DSDsに投影される「両性具有」イメージと、現実の当事者家族の体験との大きな乖離がある。

 マネー・プロトコルは特に外性器のサイズに執着し、陰核肥大の女児(female)やマイクロペニスの男児(male)はそれぞれ女性・男性としての性別同一性が確立できず、「棒を作ることはできないが、穴を開けることはできる」11として、出生時に引っ張って2.5cm未満のマイクロペニス男児や総排泄腔外反症の男児は陰茎切除・性腺摘出の上女性として育てるという「実験」が行われ、陰核肥大(出生時に引っ張って2.5cm以上)の状態で生まれた女児は、陰核減縮術を受けさせられたわけである。

 

 

 生命倫理学者のアリス・ドレガーは、医学がDSDsを持つ人々に対して、外性器や性腺の種類など、女性・男性の体の本質がどこにあるのか、あるいは「本当の両性具有(true hermaphrodite:真性半陰陽)」が実在するのかを求めてきた歴史を描写している12。「人間と自然の明確な分離」(ひいては「自然支配」ないし自然のコントロールという志向)と、「要素還元主義」を基本とする近代科学を元にした近代医学では、1つの病気には1つの原因物質が対応しており、それが同定され、除去されれば病気は治癒されるという「特定病因論」というフレームワークが大きな力を持っている13。このような枠組みが、男女の体の違いに適用され、外性器や性腺、XY染色体という「なにか1つの普遍的・本質的な指標」によって説明できるはずだという強迫的な観念となり、外性器の違い、性腺、染色体、あるいは性ホルモンと、それぞれが注目されるたびに、DSDsの各種体の状態が、「Hermaphrodite(両性具有)」、あるいはさらに<インターセックス>という「例外」として構築され、女性・男性から排斥されていったと思われる。

DSDsに対する要素還元主義

 

 近年のアカデミズムでは、<インターセックス>の存在をもって、男女は社会的に構築されたものに過ぎないとする言説が多いが、歴史とDSDsを持つ人々の実際を見るならば、むしろ<インターセックス>というモノ自体が、社会的に構築されていったと言うべきだろう。さらにここには、身体の「パーツ」だけに執着し、女性・男性の本質を1つの指標(パーツ)のみに求めるフェティシズム的な認知形式が見て取れる。そこでは、総体としての人間は認知されず、人間はパーツに分解され、まるでobject(モノ)のように扱われてしまうのである14

14 現実には、DSDsを持つ子ども・人々での性別違和の大多数が、1つの指標に強迫的に拘泥した「誤判定」、あるいは外性器基準にこだわりすぎたマネー・プロトコルによる「割り当て」によって起きている(先の総排泄腔外反症の例を参照)。現在のDSDs医療では、外性器・染色体・性腺、遺伝子など、その体の状態がどのような機序によって起きているのか「総体的に」女性か男性かが判定されるようになっていて、この場合は性別違和(DSDsの場合は「性別の誤判定」)はとても少なくなる。また、「外性器や性腺、染色体だけでは男女の身体の違いを説明できないから男女の境界はない」という言説も見かけるが、これもむしろ、社会的生物学固定観念の上に、外性器や性腺、XY染色体という「1つの指標(パーツ)」に強迫的に執着する故だろう。ここには人間の身体の機序(たとえばホルモンとその受容体の「相互性」といった)「総体性」、ひいては、DSDsを持つ人々、目の前にいる全人的な「人間」そのものが見失われているのである。

 

 DSDsトランスジェンダーの人々(性自認の多様性の位相)と混同する背後にも15、やはりデンバー会議以降1960年代のマネーの時代から16、外性器の形状や、染色体、性腺に対して「なにか1つの指標(パーツ)に男女の違いの本質がある」、「これが生まれつきの男性(male)・女性(female)の体だ」という観念が強迫化し、それに合わなければ「男でも女でもない(不十分)」であると考える故に、「性別同一性(gender identity)」という概念が要請される面があったわけである。

15トランスジェンダーの人々を含む一般の人々の大多数はDSDsではない一般的な身体構造である。何らの疾患でもない。また、性自認・性別同一性(gender identity)という概念は、「出生時に割り当てられた性別とは異なる性別」で生きる、性別違和やトランスジェンダーの人々にとっては変わらず重要な概念であると思われるため、これを否定するものではない。

16スポーツの世界でXY染色体検査が行われるようになったのは、1968年のグルノーブル冬季大会以降である。1960年代以降、女性・男性の生まれつきの体の構造に関する定義が、さらになにか病的なほど強迫的なものになっていったのではないかと筆者は考えている。

 

 1960年代前後のDSDsを持つ人々に対する記述を見れば,いかにこの社会的生物学固定観念が強迫的であったかうかがい知れる。今となっては驚くしかないが、たとえば、「性別同一性(gender identity)」という概念を提唱した心理学者ロバート・ストラ-が最初に「性別同一性」という概念をDSDsに当てはめたのは、ターナー症候群(45,X)の女性に対してである。ストラ-はターナー女性のことを次のように記述している。

最初の事例は,人間として許される範囲の,生物学的に中性状態にある人の場合である。すなわちXO型の染色体をもち,その結果,以下に示されるような解剖学的・生理学的に中性的な患者の事例である。しかも彼女は18歳のとき,医療センターをはじめておとずれたが,そのとき彼女は行動・衣服・社会的欲求や性的欲求・空想の点で,かなり女性的であった。(中略)彼女もまた生物学的には中性という事実があるにもかかわらず,その性別同一性は完全に女であり,女性的であった。ところが10代のとき,彼女ははじめて自分の性が発生学的にも解剖学的にもまちがっていることを知らされた。(太字強調筆者)17

 

 現在の医学領域では当たり前にすぎることでわざわざ書くことさえないが、そもそもターナー症候群(45,X)の女性はただの女性(female)である。「まちがっている」のはこのターナー女性の体ではなく、Xが1つなら・二次性徴が不全なら「生物学的に中性」として女性の身体から排除するする、その当の当時の強迫的な生物学の方なのである。

 

youtu.be

 つまり、この1960年代前後以降、ターナー症候群の女性でさえ「人間として許される範囲の生物学的に中性状態にある人」「女性とは言えない」だとして,「にもかかわらず自分は自分のことを女性と思いこんでいる」というロジックのもとに、ターナー症候群をはじめとするDSDsを持つ人々に対して「性別同一性」という概念が適応されてしまったのである。

 当然ながら、DSDsを持つ人々にも性別違和を持つ人は存在するし、トランスジェンダーの人々の性別同一性は尊重されねばならない。「性別同一性・性自認」という概念はトランスジェンダーの人々にとって重要で妥当な概念ではあるため、これを否定するものではない。しかし現実には、DSDsを持つ人々に対して性別同一性を問うことで当事者・家族を傷つける例も報告されている18

18 van Lisdonk・前掲注(445頁、Callens N・前掲注(1152頁、あるいは、Hollenbach, A. D., Eckstrand, K. L., & Dreger, A. D. (2014). Implementing curricular and institutional climate changes to Improve health care for individuals who are LGBT, gender nonconforming, or born with DSD . Washington, DC: Association of American Medical Colleges. pp134-136、等。我々は、子宮や卵巣を失った女性、事故などでペニスを失った男性に「あなたは女性・男性どっちだと思いますか?」と性自認を問うようなことが、どれだけ相手を傷つけることになるか想像はできるだろう。

 

 女性(female)・男性(male)の体の構造の話であるDSDsと性別同一性の位相との混同は、「あなたの身体は女性:female(男性:male)とは言えないけど、自分を女性:woman(男性:man)と思っているので、女性(男性)と認めます」との含意を伝え、余計に当事者・家族を傷つけてしまうのだ。「性別同一性」という概念が「何か1つの普遍的な指標」としてフェティッシュ化してしまうと、DSDsの領域においてはまた別の意味で人間全体を見失うということになることは注意しなければならない。

 

 当然ながら、DSDsに対する社会的スティグマが発生する要因は、社会的生物学固定観念だけではないだろう。そこにはさらに、「両性具有(<インターセックス>)」というものを求めるロマンティシズム的な享楽の問題もあると思われるが、これについては後述する。

 

 

次の章「第5章:DSDsを持つ人々と家族の困難」

nexdsd.hatenablog.com

 

 

1van Lisdonk・前掲注(431

2AIS-DSD Support Group, Member Stories. 2020930日取得)

3DSDsインターセックス)に対する社会的イメージと現実の人々との乖離については、いわゆる「性同一性障害」と「トランスジェンダー」の人々との歴史的経緯をそのまま当てはめて、「男でも女でもない」とする当事者(<インターセックス>)とそうではない当事者(DSDs)との対立関係のように短絡する人もいるかもしれないが、実情は全く異なる。確かに「インターセックス」を標榜する当事者団体は手術のインフォームドコンセントを求める上での「脱病理化」を主張しているが、そういった団体もインターセックスを「男でも女でもない性(Hermaphrodite)」ではないとしている。また、性同一性障害が、手術案件や医学的定義に関わること等でトランスジェンダー全体との政治的な見解の違いや論争になることはあるが、現象的には性別違和という点でスペクトラム上に重なるのに対して、そもそもDSDsインターセックス)の各種体の状態自体や、そういった各種体の状態を持つ人々は、元々それぞれに全く独立したカテゴリーに属しており、そもそもこの基本的レベルで決してモノリス(単一)、あるいは「なんでもあり」の集団ではないのである。言うなれば「アフリカという国」を思い浮かべるような素朴な偏見に等しい。それは、集団内の何かの対立構造の問題ではなく、集団外部の圧倒的マジョリティによる「自分の見たいものを選択的に見る『観客』の問題」に関わると思われる。

4yomiDr.「もう女じゃなくなったのね」と言い放った看護師』(2020930日取得)。あるいは、そういう女性に「性自認は女性ですよ」と「フォロー」することもないだろう。

5Quigley C.A・前掲注(31

6アンドロゲン不応症(AIS)は以前まで「睾丸性女性化症(Testicular feminization)と呼ばれていて、この用語は多くの女性に心の傷を与えていた。体の発達機序的にはAIS女性は原型の女性のまま生まれてくるわけで、男性が「女性化」したわけではない。この用語にはおそらく、精巣というものを男性の本質の基点と拘泥する故に「女性化」という表現が与えられたと考えられる。

7S. Richardson, Sex Itself: The Search for Male and Female in the Human Genome. University of Chicago Press (2015)

8Quigley C.A・前掲注(31

9Cyberpoli, Interview: Niet alle mannen hebben XY- en niet alle vrouwen XX-geslachtschromosomen. https://www.cyberpoli.nl/dsd/interviews/intvw_jacquesgiltay2020930日取得)

10S. Richardson・前掲注(52):RichardsonXY染色体に過剰な男性性・女性性が投影されることを「XY染色体のジェンダー化」と呼んでいる。彼女は、たとえば45,X(ターナー症候群)の女性は「女性性の発達(および発達一般)の不全としてとしてよりも、男性性の兆候として表現され」、「性の反転した男性」とまで言う遺伝学者がいた事(151頁)、XYY染色体の男性に対しては、当時の社会で、男性性あふれるスーパーヒーローのようなイメージが投影される一方、凶悪犯罪者がXYYの持ち主であるかのような誤った言説も流布したことを指摘している(117-146頁)。筆者は、「欠損」あるいは「過剰」とされる身体的特徴を持つ人に対して、現実の人間とかけ離れたイメージが投影され、そのイメージが、スーパーヒーローといった「聖性」と凶悪犯罪者イメージのような「穢れ」に分裂(splitting)していることに注目したい。なお、XYY男性が特徴的に「男性性」・攻撃性が高いという素朴に過ぎる偏見は現在は否定されている。またXXX女性も特に女性的特徴が高くなるということもない。45,Xターナー症候群)で不妊状態にある女性を、染色体のみに強迫的に執着して「女性のようではない」などとするのはただの人権侵害である。

11Hendricks, M. (1993). Is it a boy or a girl? Johns Hopkins Magazine, November, pp10-16.

12Dreger, A. D., Hermaphrodites and the medical invention of sex. Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press. 1998

13広井良典『科学と医療・看護・福祉―新たな人間理解に向けて―』早坂裕子/広井良典/天田城介編著『社会学のつばさ―医療・看護・福祉を学ぶ人のために』2010年、ミネルヴァ書房1-2

14現実には、DSDsを持つ子ども・人々での性別違和の大多数が、1つの指標に強迫的に拘泥した「誤判定」、あるいは外性器基準にこだわりすぎたマネー・プロトコルによる「割り当て」によって起きている(先の総排泄腔外反症の例を参照)。現在のDSDs医療では、外性器・染色体・性腺、遺伝子など、その体の状態がどのような機序によって起きているのか「総体的に」女性か男性かが判定されるようになっていて、この場合は性別違和はとても少なくなる。また、「外性器や性腺、染色体だけでは男女の身体の違いを説明できないから男女の境界はない」という言説も見かけるが、これもむしろ、社会的生物学固定観念の上に、外性器や性腺、XY染色体という「1つの指標(パーツ)」に強迫的に執着する故だろう。ここには人間の身体の機序(たとえばホルモンとその受容体の「相互性」といった)「総体性」、ひいては、DSDsを持つ人々、目の前にいる全人的な「人間」そのものが見失われているのである。

15トランスジェンダーの人々を含む一般の人々の大多数はDSDsではない一般的な身体構造である。何らの疾患でもない。また、性自認・性別同一性(gender identity)という概念は、「出生時に割り当てられた性別とは異なる性別」で生きる、性別違和やトランスジェンダーの人々にとっては変わらず重要な概念であると思われるため、これを否定するものではない。

16スポーツの世界でXY染色体検査が行われるようになったのは、1968年のグルノーブル冬季大会以降である。1960年代以降、女性・男性の生まれつきの体の構造に関する定義が、さらになにか病的なほど強迫的なものになっていったのではないかと筆者は考えている。

17Stoller, R.J. (1968) Sex amd Gender The Development of Masculinity and Femininity, 桑畑勇吉訳「性と性別―男らしさと女らしさの発達について」 (1973) 岩崎学術出版,17-25頁

18van Lisdonk・前掲注(445頁、Callens N・前掲注(1152頁、あるいは、Hollenbach, A. D., Eckstrand, K. L., & Dreger, A. D. (2014). Implementing curricular and institutional climate changes to Improve health care for individuals who are LGBT, gender nonconforming, or born with DSD . Washington, DC: Association of American Medical Colleges. pp134-136、等。我々は、子宮や卵巣を失った女性、事故などでペニスを失った男性に性自認を問うようなことが、どれだけ相手を傷つけることになるか想像はできるだろう。