Nex Anex DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)情報サイト

ネクスDSDジャパンの別館です。ここでは,DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)の学術的な情報を発信していきます。

弊会ネクスDSDジャパンに対してのデマについて

令和5725

 

ネクスDSDジャパン

主宰 ヨ ヘイル拝

 

 

弊会ネクスDSDジャパンに対してのデマについて

 

 

 ネクスDSDジャパンと申します。

 

  「ネクスDSDジャパン」は、いまだ日本では誤解や偏見の多いDSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患/インターセックス)について、海外の各種DSDs患者家族会・サポートグループ、国際的な人権支援団体の皆さんのご協力をいただき、DSDsの正確な情報を提供する活動を行っております。

 

 日本において、最新の医療情報,海外国家機関などの客観的な調査を基盤に,当事者・家族の立場からみたDSDsの情報を発信している支援団体として、現在では、DSDs臨床専門医療・ケア関係者、臨床心理職、海外のインターセックス活動家・団体、生命倫理研究者などのご協力もいただきながら活動させていただいております。また,各種DSDsのサポートグループ,患者家族会からもコンタクトをいただき,DSDsの患者家族会連絡会としても活動しております。

 

 さて今回,ある団体から,ある大学や団体に対して,弊会ネクスDSDジャパンに関する「要望書」なる文書が送付され,SNS上で公開されております。

 

 ですが,この文書は事実誤認や思い込み,デマに基づくものであり,弊会としては,弁護士の方にも相談し,今回の文書は十分,信用毀損,偽計業務妨害名誉毀損に当たるとのご意見もいただいています。

 

 ただ,弊会としては,当事者の方の団体を訴えるということにはかなり躊躇をしており(どんな方でも苦しんできている当事者の方には変わりがありませんから),ですが,弊会に関係のない団体の皆様にも大変ご迷惑をおかけしている状況であり,まずは,デマ・事実誤認の内容に対しては毅然と否定し,該当団体には「要望書」の撤回を求めます。

 

 

 

  • 弊会は,「DSDsのある人々にLGBTQなど性的マイノリティの人々がいない」とは一切言っていませんし,透明化も否定もしていません。事実無根です。SNS上でも当初から「もちろんDSDを持つ人々の中にもLGBTQ等性的マイノリティの方がいらっしゃいます」と定期的にお伝えしています。また,筑波大学様に提供した当のコンテンツでも,これまでの講演でも,「当然,DSDsを持つ人々にもLGBTQの人々はいます」と必ずお話しています。

 

  • DSDsセクシュアルマイノリティではないと言っている」については,「DSDsのある人々の大多数が,自身をLGBTQなど性的マイノリティの一員とは思っていない」という事実をお伝えしているだけです。思ってもいない当事者・家族の皆さんを,弊会が勝手に加えることはできません。また,「性別二元論にこだわっている」という非難についても,DSDs当事者の大多数が,「性別二元制」を崩したいとは思っていないという事実を伝えているだけです。これらは,世界で初めて同性婚制度化を実現した人権先進国オランダや,ベルギーの国家機関による調査報告書でも指摘されているところです。

 

  • 弊会は「LGBTと一緒にしないで」とは一切言っておりません。DSDsの話とLGBTQなど性的マイノリティの皆さんの話は,「ダウン症候群のある人々」と「東洋人」がただ単に異なるのと同じように,ただ単に異なるものであり,混同するとDSDsの話が見えにくくなるとお話しているだけです。

 

  • 海外の「インターセックス」当事者団体も,最初の最初から「インターセックスジェンダーアイデンティティの問題ではない」「あくまで身体(sex)の問題である」とはっきりと明言しております。オランダやベルギーの国家機関による調査報告書でも,DSDsのある人々の話を性同一性・性自認の話だとすることで問題が起きていることを指摘しています。また,海外の現在のDSDs先端医療は,DSDsをして「女性にも様々な体の状態がある。男性にも様々な体の状態がある」という方向にシフトしており,弊会もその事実をお伝えしております。

 

  • ですが,当然ですが,弊会はトランスジェンダー・ノンバイナリーの人々を「身体性別」を基準に話をしたこともありませんし,「ジェンダーアイデンティティーというものは存在しない」と発言したことはありません。トランスジェンダーやノンバイナリーの人々,性別違和のある人々にとって「性自認」・「性同一性」という概念はとても重要なものであり,その人々の性自認・性同一性の尊重は大切ですと,折に触れてお話しております。

 

  • 弊会は,トランスジェンダーの人々をして「イデオロギー」「思想」と言ったことは一切ありません。事実無根です。「社会運動」「ムーブメント」という表現は使ったことはあるかもしれませんが,それは,LGBTQなど性的マイノリティの皆さんの自身の人権を求める「運動・ムーブメント」として考えており(このような表現はLGBTQの皆さんのコミュニティでも見られるものです),その運動の世界的な広がり,そしてそれを作り上げてきた人々をリスペクトしております。決して,トランスジェンダーの人々自体を「運動・ムーブメント」と言ったことはありません。

 

  • 弊会は「どちらかを包摂すればどちらかが排除される」とは一切主張しておりません。事実無根です。

 

  • 弊会は「〇〇人なんかいなくなればいい」のような発信は一切しておりません。事実無根です。

 

  • 「トランスヘイトは壺カルト」。弊会はいかなる宗教団体とも関係ありません。

 

  • また,「要望書」ではなく,最近SNS上にて,弊会主宰のヨヘイルは「韓国保守系団体の手先」とのデマもありましたが,私はいかなる政治団体とも関係ありません。

 

  • 弊会は,当初より自主独立を貫いております。弊会の目的は,各種DSDsの当事者や家族の皆さんに正確な情報を提供すること,社会の皆さんにDSDsの正確な知識を啓発すること,それだけです。現在,LGBTQなど性的マイノリティの皆さんを巡る状況が大きく分裂,悪化していることには憂慮しておりますが,DSDsに対する誤解偏見は現在でも,どのような属性,どのようなお立場の方でも払拭されていないままです50年前にLGBTQ等性的マイノリティの皆さんへの偏見・誤解を一般社会の方が持っていたのと同じ状況が,DSDsに対しては現在も続いている状況とお考えください。日本ではありがたいことにLGBTQ等性的マイノリティ当事者の皆さんの中では,多くの方がDSDsの正確な知識を共有頂いていますが,一部のLGBTQアライの方,海外や,日本のもっと大きく広く社会一般の皆さんは,現在でも「男でも女でもない性別」という偏見をお持ちです。)。弊会の啓発活動は,社会的属性やお立場などに関係なく,広く社会一般の皆さんに行っているもので,特定の属性の人々をアシストしているわけでも,差別を行っているわけでも,選んでいるわけでもありません。DSDsに対する誤解偏見をお持ちの方にただ啓発を行い続けているだけです。

 

  • 弊会は,要望書を出されたDSD当事者団体に対して非難を加えたことは一切ありません。「踏み潰すことに躍起に」もなっておりません。事実無根です。それどころか,実際のところ,なんの言及もしておりません。ただし,海外で,「私はCAHで割り当てられたが,本当は男性だ。本当はCAHには薬は必要なく,医者の陰謀で,薬を飲まされることで苦しんでいる」などと喧伝していた活動家の団体に対してなどは,事実誤認,陰謀論として批判することはあります。

 

  • 弊会は,弊会の活動に異を唱える当事者の方に対して,「特殊な人」「私たちとは関係のない人たち」とは言っておりません。

 

 

 ただし,「特殊な人」という表現は,弊会主宰の私(ヨヘイル)が,自身への戒めとして自嘲として,時折使う表現ではあります。私自身は在日ハーフ,DSDs当事者かつLGBTQの一員であり,母が身体障害を患っていたということもあり,幼い頃から現在に至るまで,様々な反差別運動を目撃してきました。当然ですが,そのような運動はとても大切なものです。ですが時に,そのような運動にコミットしない当の当事者の人々に対して,「なぜ運動に参加しないのだ!」「タダ乗りするのか!」といった不当な非難がなされるという場面を,大変残念ながら,何度も見てきました。

 

 弊会の活動を通して,別に「活動」というものをすることもなく,ですが,DSDsに対する偏見への恐怖や,様々な苦しみ・悩み,身体の不調を抱えながらも,時に這うように,時に力強く立ち上がるように,自分の人生・生活を,精一杯に,堂々と生きていらっしゃる当事者の方々,罪責感や様々な葛藤を抱えながらも,その人達を精一杯に支える家族の皆さんと出会うことができました。

 

 私は,「活動」なんかよりも,そういう人々こそが最も強く尊い人々であり,そこを絶対見失ってはいけないということを忘れないために,このような活動をするような自分こそが「特殊な人」であると,自身への戒め・自嘲としているわけです。もちろん,このことは何らかの活動・運動をする方々を否定するものではありません(私自身が葛藤を抱えながらも「活動」をしております)。

 

 私自身がネクスDSDジャパンの活動を始めたのはいくつかの理由がありますが,一つの理由は,私の母のことでした。母は脊椎カリエスという身体障害を幼い頃から抱えながらも,様々な差別や不当な非難にさらされながらも,私というまた別の障害を持つ子どもを持ち,大きな罪責感と悲しみ・苦しみを抱えながらも,市井で堂々と,精一杯,最後まで生き続けました。私は,私が幼い頃の通院中のある出来事から,母はその障害故に,昔の医療において,標本写真を取られたのだということを知りました。そして,このような母の,精一杯生きる身体を,誰かが勝手に奪い,モノのように,標本のように扱う非人道的な行為は,昔は多くのDSDs当事者の方々が体験してきたということも知りました。それが,どれだけ,人間としての尊厳を完全に奪うものなのか,私は今でも激しい怒りを感じざるを得ません。

 

 現在のDSDs専門医療ではこのような行為は行われないようになっています。とてもありがたく,そしてそれ以前に,人間として当たり前のことです。ですが,とても残念ながら,現在では,LGBTQI+アライを自称する人々,「性の多様性」を謳う大学の学者の方が,DSDsのある人々の全裸の標本写真を公然と展示したり,DSDsのある人々にとって極めてプライベートで極めてセンシティブな領域であるはずの「生殖器」の図画をやはり公然と展示して,「男女の体にも境界はないのです!」「何をもって男性器・女性器と言うのですか?」「第三の性別欄が必要です!」と訴えるようなことがあるような酷い状況です。トランス女性の方がレズビアンバーのイベントに入ることについて,「ちんこありのインターセックスの戸籍上女性だったらいいんかな?」とSNSで公然と言ってのけた「アライ」自称の方もいらっしゃいました。

 

 今回の件については,実は,多くのLGBTQ等性的マイノリティの団体・個人の皆さんから,SNSの外からは見えないダイレクトメールや個人的に,「がんばってください」「これはおかしいと思う」と励ましのお言葉を頂いております。本当に勇気づけられ,励まされました。ここに改めて感謝を申し上げます。ありがとうございます。差別がありながらも,人々の中で精一杯,堂々と生きるLGBTQ等性的マイノリティの皆さんは,その苦しみ故に,他のマイノリティ,被差別の状況にある人々の苦しみを分かっていただけるものなのだと,本当にありがたく思っております。

 

 今回の要望書の賛同意見欄を見たところ,LGBTQやトランス・ノンバイナリーの皆さんの「アライ」を自称する人々が多く含まれていました。やりとりをしただろう人もいらっしゃいます。ですが,そういう方は,トランスの皆さんの身体について言及することは差別だと言いながら,返す口で,なぜかDSDsのある人々の,極めてプライベートで極めてセンシティブで,それも理由に自死する当事者の方もいるような身体については,「これは生物学の話ですから」「誰でも身体は持っているのだから」と,まるで当然のように,まるで自分のモノのように,標本のように,平気で言及するような方がいらっしゃいます。「生物学的な視点」で,「いろいろ言っていいモノのように」,自分の極めてセンシティブで極めてプライベートな領域である「生殖器」の話を見られるというのが,どのような体験になるのか,そのような方にはさっぱり想像ができないようです。このようなことでは,トランスの皆さんの身体にも言及して良いと思わせるようなものにもなり,さらにトランスジェンダーの方への差別もひどいものになりかねません。私は,このような自称アライの人々の言葉こそが,現在の状況の悪化を生んでいるのだと思っております。もちろんですが,多くのLGBTQアライの皆様は,そういう方たちではない,本当に地道に市井で支援を続け重ねてこられている方たちだということも承知しております。

 

 弊会ネクスDSDジャパンとしては,もしこれ以上,他の団体・組織の皆様にご迷惑になるような事態が起きた場合は,弁護士の方とも相談し,大変残念ですが,さらなる対応を考えなくてはならないと思っております。

 

 現在,LGBTQなど性的マイノリティーの皆さんに対するバッシングが酷いことになっている中,LGBTQ等性的マイノリティの皆さんの正しい情報が共有され,当事者のみなさんの安全と安心,望みが叶えられていくことは,とても大切なことであると思っております。今回の「要望書」を出された当事者の方も,とてもつらい状況を生きてきていらっしゃいます。

 

 この社会に生きる人々が,誰かを犠牲にすることなく,差別なく,生きていける時代が来ること祈ります。

 

 

 

ネクスDSDジャパン

主宰 ヨ ヘイル拝

nexdsd@gmail.com

 

 

(資料)

 

 

(定期的にこのツイートを発信しております)

 

(該当ツイートの過去ログ)

https://twitter.com/search?q=(%E7%94%BB%E5%83%8F%E3%81%AF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%AE%E4%BD%93%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%BE%B4%E3%82%92%E6%8C%81%E3%81%A4LGBT%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%85)%20(from%3Anexdsdjapan)&src=typed_query&f=live

 

  • 筑波大学様に提供したレクチャーでも明言しております。

https://youtu.be/YQzdyOvQuEg?t=1807

 

  • DSDsが「性自認・性同一性」の話ではないということについては,拙論で解説しております。

 nexdsd.hatenablog.com

 

 

簡単に言えば,「DSDs性自認の話」ということになったのは,1950年代前後以降,「女性(female)の体であればこうでなくてはならない,男性(male)の体であればこうでなくてはならない」という社会的生物学固定観念が強迫的に強まり,DSDsを持つ人びとが,その基準に当てはまらないということで,それまでただの女性(female)・男性(male)に過ぎなかった当事者の人びとが,身体は「男でも女でもない」とされ,「男でも女でもないのに女性・男性だと思いこんでいる」という差別的な観点から,DSDsを持つ人びとに「性自認・性同一性」の概念が適応されたわけです。

 

 

 

  • オランダ・ベルギー国家機関によるDSDsのある人々の実態報告書

 www.nexdsd.com

 

 

 

DSDsとはいったい何なのか、そしてこれを抱えて生きるとはどういうことなのか。


ターナー症候群のあるジェニファー・ミリガンが、フェミニストの視点から彼女の個人的な物語を語ります。



 読み始める前に、この記事は、DSDs(体の性の様々な発達)のひとつ,ターナー症候群を持つ女性としての私個人の視点から、私自身の経験に基づいて書かれていることを強調したいと思います。

 DSDsはそれぞれ異なり、そのDSDを持つ人がどのように経験し、どのように見るかはそれぞれ異なります。私は、ターナー症候群の女性全員、ましてやDSDsのある人々全員を代弁しているわけではありません。ですが、セックスやジェンダー、「女性とは何か」をめぐる議論の中で、DSDsが取り上げられることが多いことから、これを書く必要を感じています。

 近年、DSDsDifferences of Sex Development)あるいは,CCSDCongenital Condition of Sex Development)を持つ人々の治療やアイデンティティの問題は、ますますセックスやジェンダー性自認・性同一性をめぐる議論に巻き込まれています。DSDsというカテゴリーに分類される40ほどの体の状態について使われる言葉は、これらの症状のひとつを持つ人々の間で大いに議論され、論争になっています。私はこの記事では、最も一般的に使われている用語であるDSDsDifferences of Sex Development):「体の性の様々な発達」と呼ぶことにします。

 NHS(訳者注:イギリスの国民医療サービス)は、DSDsの定義を「遺伝子、ホルモン、生殖器(外性器を含む)に関わる一群の希少な体の状態」としています。それは、「その人の体の性の発達が他のほとんどの人とは異なることを意味する」 [1]としています。

 DSDsを持つ人は人口の約0.02%に相当します(例えば、ターナー症候群は約2,000人に1人の女性が罹患します)。重要なことは、すべてのDSDsは,女性(ロキタンスキー症候群など),または男性(クラインフェルター症候群など),それぞれいずれかに影響を及ぼすということです。それぞれのDSDsには、健康への影響があります。 医学界がDSDs(特にアンドロゲン不応症(AIS)の女性など)を持つ人々をどのように扱ってきたかについては、長く困難な歴史があります。

 ヘンリー・ターナー1938年に発表した論文を読むと、彼の名を冠したDSDsの症例が紹介されており、彼が描いた7人の女性たちの明らかな精神的苦痛が印象的です。また、彼女たちに行われた身体検査は、恐ろしいものでした。男性優位の医学界が女性をどのように扱ってきたか、その歴史を理解することで、この文脈を理解することができたのです。

 以下は、私の体験談です。私は11歳のときに診断を受け、10代前半から成長ホルモンや女性ホルモンの治療を受けてきました。ターナー症候群の女性たちとは、20代半ば(今から約25年前)から交流を持つようになりました。私の親しい友人の多くは、ターナー症候群の女性です。私は2010年に、こうした友人関係の重要性と、私たちが互いに支え合うことについてブログを書きました[2]

 ターナー症候群が私の健康に与えた影響としては、セリアック病、甲状腺機能低下症、難聴、骨密度がやや低いことなどがあります。 これらの健康問題は重要ですが、最も大きな影響を与えるのは、ターナー症候群に伴う心理的、社会的な問題です。

 私が診断を受けたとき、家族は数年間住んでいたアイルランドから戻ってきたばかりでした。中学校への転校など、私の人生にはすでにかなりの激動が待ち受けていたのです。私は部屋から呼び出され、ターナー症候群についての一部を母から説明されました。母は、私の体の成長について,つまり身長があまり伸びないことを説明しましたが、それ以外にも何か重要なことがあるのだと思いました。数ヵ月後、学校で月経のことを知ったとき、母からまだターナー症候群について聞かされていなかったことと、自然に生理が来ることはないだろうということが、つながっているような気がしたのです。その日の夜、母に学校で習った月経と思春期について話すと、母は折れてターナー症候群の全容を話してくれました。

 両親にとっても大変な時期であったことは明らかで、どの話をいつ話すかという判断は難しいものです。ですが、診断に関する最初の話し合いの多くに私が参加できなかったこと、また、さまざまな療育(言語療法や身体運動を改善するための理学療法など)に送られたことは、私の自尊心、女性としての自分についてどう感じるかに深刻な影響を及ぼしました。12歳の頃、診察の帰り,夜中に性的暴行を受けそうになったこともありました。

 12歳のときから自分が不妊症であることを知っていました。母性は女性の中心的な役割であるという社会の中で、どのように適応し、自分の役割を見つけることができるのか、自分に問いかけなければなりませんでした。また、不妊症の女性を哀れみの対象として見ている社会でもあります。それ以上に、不妊を受け止めることに価値を見出さない社会に生きているのです。不妊治療という選択肢はありますが、身体への負担が大きく、効果があるかどうかもわかりません。私は幼い頃から、自分が母親になることはないだろうということを受け止め、納得してきました。母親になれない、あるいはなりたくないという女性を社会がどう見ているかを理解するのに役立ちました。また、子どもを持てない、あるいは持たない女性が社会に何を提供できるのか、一般的に女性は母性を超えてどのように価値や目的を見出すことができるのかを考えるきっかけにもなりました。

 13歳のときに、思春期を乗り切るために女性ホルモンの補充療法(HRT)を受けました。当時、私はホルモン剤を飲むことに強い抵抗があり、両親や医師にそのことを伝えようとしました。思春期は中年の男性医師がコントロールしているもので、私はそれに従わなければならない、女性らしく見えるようにしなければならないと思ったのです。自分の体が自分のコントロールから外されていると感じ、数十年にわたり薬を飲まされていることに警戒心を抱いたのです。ですから、女性であることを二次性徴に還元しないように注意すべきであり、女性であることは、「慣習的に女性らしい外見である」だなんて話じゃないと言う人たちの意見も完全に理解できます。

 私が10代の頃に担当していた男性医師は、病院の診察のたびに私の胸と性器を調べ、時には医学生の前で、私が「どうなっているか」とコメントすることもありました。これは非常に不適切な行為で、私の身体の発達が医学的な症例以外の何物でもないかのように感じさせられました。

 そのため、私は自分の体をどこか切り離したように感じ、保護するようになりました。 40年近く経った今、様々な理由から、思春期にエストロゲンを摂取していたことに感謝しています。ですが、10代でホルモンを服用することに対する私の懸念は、多くの理由で思春期に自分の体から切り離されたと感じる10代の少女たちの懸念と似ていることに気づかされました。その大きな要因は、変化する自分の身体が性的な対象にされ、それに伴うセクハラや暴力の危険性があることを認識することです。

 先に述べたように、私がターナー症候群の女性たちと本当につながりを持ち始めたのは、20代半ばの頃でした。私のいちばん親密で深い友情は、ターナー症候群の女性たちとのものだと言えるでしょう。私はこの友人たちからたくさんの愛とサポートと理解を得てきましたし、できればそれに応えたいと願っています。女性同士がつながり、支え合うことで何が起こるか、多くのことを教えてくれました。

 私は30代後半から、フェミニスト団体や活動家たちと関わり始めました。ターナー症候群について、何人かのフェミニストの友人と話し合ったことがあります。彼女たちはとても協力的で、私が自分の症状について話すことにいつも関心を持ってくれました。

 ターナー症候群の女性は、DSDsを持つすべての人と同様に、これらの症状やそれが実際にどのようなものであるかについて、ほとんど知識がないという事実に対処しなければなりません。これは、一部の医療関係者だけでなく、一般の人々も同様です。また、医学書では、DSDsを不正確な言葉で説明したり、不適切な画像(例えば、DSDsを持つ人の裸の標本写真)を使用したりすることが行われています。 ソーシャルメディア上では、ターナー症候群に関する不適切なジョークやコメントを定期的に目にします。また、私たちがメディアで描かれるとき、それはたいてい(不妊や健康上の問題から)哀れみの対象として描かれています。ターナー症候群は、「Casualty」や「CSI Special Victims Unit」などのドラマでも、深く問題のある形で描かれてきました(この問題は、他のDSDsでも起きています。例えば、AIS女性のキャラクターが登場した「House」のエピソードなど)。

 でもこれは、最近のセックスやジェンダーをめぐる議論や、ソーシャルメディアの登場以前の文脈です。

 DSDsのある人々が、現在のジェンダーやセックスをめぐる議論の中で議論されていることに気づいたのは12年ほど前ですが、まだ稀なことでした。 数年前、ターナー症候群を持つ若い女性たちがSNSでこの病気について議論していることに気づき、彼女たちが信じこんでいる物語に関心を持つようになりました。4年ほど前、私はソーシャルメディア、特にTwitterで、XXXY以外のDSDsと染色体の核型(核型とは何かについては注5を参照)が、間違った知識から,まるで「男でも女でもない性別」であるかのように表現されていることに気づき始めました。

 この問題に気づき始めた2010年に、ターナー症候群とフェミニズムについての私の考えをブログポストで書きました(注3)。 2014年には、SNSでのターナー症候群に関する議論を受けて、別のブログ記事を書きました(注4)。

 ソーシャルメディア、特にTwitterで、「インターセックスの人たち」が,「性はスペクトラムである」「性は2つ以上ある」ということを何らかの形で証明しているという主張を何度も読んだことがあります。Twitterで検索してみると、ターナー症候群は毎日のように「性はスペクトラムである」ことの「証拠」として引用されているようです。

 DSDsを持つ人々の身体は「他者化」され、時にはフェティッシュ化(訳者注:モノのように偏愛されたり使役されたりすること)されています。私たちは、一部の「インターセックス活動家」によって、私たちに特定の医療ニーズがあることを無視するように言われています。

 私たちが使う言葉は、それ自体、非常に議論の多い問題です。「インターセックス」という言葉は、ほんの一部の活動家や組織で使われていますが、DSDsCCSDを持つ人びとの大多数は、この言葉がDSDsについて間違ったメッセージを与えていると考え、問題視しています。また、なんらのDSDsもないのにに「自分はインターセックスだ」と主張し、私たちの代表であるかのように主張する人たちの問題もあります。東ロンドンには、そういう「インターセックス」の人たちを対象にした「InterseXXY」というクラブナイトまであります(DSDsのある人々がしばしば直面する健康問題、自尊心やボディイメージの問題に「セクシー」はないと断言できます)。

 このようなソーシャルメディア上の議論は、現実の世界に影響を及ぼします。DSDsを持つ人々は、パスポートにXマークをつけることが許されるかどうかという議論に巻き込まれています(これはドイツで実際に起こったことです)。

 スコットランド政府は、DSDsの当事者や団体が、使用されている用語やこの用語を使っている法律がDSDsの当事者にとっては実際には逆効果になる可能性について懸念を表明したにもかかわらず、最近の憎悪犯罪法に「性的特徴の異なる人々」を盛り込みました。

 ターナー症候群は、他のDSDsとともに、トランスジェンダーの人々についての裁判で、グローバル開発センターの弁護士によって使用され、判決文に引用されています。(この判決に関するMRKHvoiceのブログスポットは非常に読み応えがあります-6参照)。

 DSDsを持つ人の数も定期的に誤って伝えられています。1.7%という誤った数字が定期的にソーシャルメディアで引用されているのです(この数字は、アン・ファウストスターリングが彼女の2000年の著書「Sexing the body: gender politics and the construction of Sexuality」で最初に引用した数字です)。ですがこの数字は、特にレナード・サックスによる医学文献などですぐに論破された数字なのです(注7)。

 ターナー症候群の友人たちと接していると、ほとんどの人が、このような議論に巻き込まれていることに気づいていません。私たちの間でそんな話が議論されるようなことはありません。ですが、何人かはこのことに気づき、懸念を持つようになってきています。

 DSDsCCSDを持つ人々が、セックスやジェンダーに関する議論の中でどのように利用されているかについて発言しているDSDsを持つ女性や男性が、他にもたくさんいます。彼らは、このテーマについて自分なりの視点と経験を持っています。

 この数年間、私はオンラインで他のDSDsの人たちとつながってきました。Twitterには、たくさんの素晴らしい声が寄せられています。 彼らは、現在のセックスとジェンダーに関する議論において、DSDsが武器にされ、誤った形で表現されていることを懸念しています。 悲しいことに、ここ数ヶ月、DSDsを持つ人々は攻撃に直面しています。

 最後に私が言えることは、DSDを持つ人々の声に耳を傾け、私たちの人生について学ぶ姿勢を持つことです。

 

 

 

1- NHS definition of Differences of Sexual Development

https://www.nhs.uk/conditions/differences-in-sex-development/

 

2- My 2010 blog about my friendships with other women with Turner Syndrome

http://june42.blogspot.com/2010/12/37-conversations-amongst-ourselves.html

 

3- My 2010 Blogpost about Turner Syndrome and Feminism http://june42.blogspot.com/2010/09/i-have-recently-started-getting.html

 

4- My 2014 blogpost on women with Turner Syndrome http://june42.blogspot.com/2014/04/72-on-importance-of-knowing-women-with.html

 

5. Wikipedia entry for Karotypes https://en.wikipedia.org/wiki/Karyotype

 

6. MRKHVoices’ blog about Maya Forstater’ s industrial tribunal judgement

https://mrkhvoice.com/index.php/2019/12/18/what-is-dignity/

 

7. Leonard Sax’s response to Anne Fausto Sterling

https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/12476264/

 

 

DSDsとキャスター・セメンヤ 排除と見世物小屋の分裂⑧「DSDsを持つ人々に対する「原初的差別」」

 

この章では,特にDSDs当事者の皆さん,家族の皆さんにとって,非常につらい描写及び画像が含まれております。どうか,お気持ちが落ち着いている時のみにご参照ください。そうでない場合は,この章は見ないことをおすすめします。

 

 2020年12月に発行された『ジェンダー法研究7号』(信山社浅倉むつ子先生・二宮周平先生責任編集)に掲載いただいた,ネクスDSDジャパン主宰・日本性分化疾患患者家族会連絡会代表ヨ ヘイルによる論考を,責任編集者の先生と信山社様のご厚意により,オンライン上で公開する許可をいただきました。

 一部情報をアップデートし,発行時に掲載できなかった画像資料などを加えています。

 

 大変残念なことですが,DSDsに対しては大学のジェンダー論を教えている先生方,LGBTQ等性的マイノリティのみなさんやアライのみなさん,性教育に携わる先生方,お医者様などでも,根深い誤解や偏見があります。

 当事者・家族のみなさんにはつらい描写もありますが,広く多くの方にお読みいただければと願っております。

 

DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患インターセックス)とキャスター・セメンヤ

排除と見世物小屋の分裂

 

目次

 

Ⅷ.DSDsを持つ人々に対する「原初的差別」

 

 LGBTQ等性的マイノリティの人々の社会的差別問題については法学関係でもよく取り上げられていることだろう。しかし、DSDsを持つ人々に対する「社会的」差別のトピックというのはほぼ聞かないと思われる。これは一つには、DSDsの大多数が、染色体や性腺、子宮の有無、外性器の形状など、一般的な社会生活においては外から見えるものではないこと、そして当事者の大多数がこういった体の状態を自分のアイデンティティとは見なしていないということにも関わるだろう1

1もちろん男児の乳房発達や女児の二次性徴不全など目に見える形で表れるケースもあるが、その人がたまたま性別違和があったり、スポーツの領域などでそれを自身の一種の「ギフト」とすることがない限りは、たいていの場合すぐにどうにかしてほしいと思うものである。また、DSDsの人は「顔貌が“中性的”」などという偏見もあるが、そういう顔貌は特にDSDsに限らず一般的なものであろう。

 

 しかし、本当に差別はないのだろうか。前述のキャスター・セメンヤのような話は、まさしく「差別」「人権侵害」と言えるだろう。オランダの報告書では、当事者たちは、可視化が高まればさらなる社会的偏見の押し付けにつながることを恐れていることを指摘している2。つまり、DSDsを持つ人々が社会に暴露された場合、自分が望まない「男でも女でもない」というスティグマを押し付けられ、あのような未曾有の状況になるのを恐れているということなのだ。

 さらに、なぜ「第三の性別欄」のように当事者の現実の状況や主張が全く無視され、LGBTムーブメントやアカデミズムの領域でもその主体性が剥奪されるのか。DSDsにはそもそも様々な体の状態があり、それぞれに切実さも異なるはずが、なぜ神話的な「男でも女でもないハーマフロダイト」のようなイメージが投影され、モノリスな集団のように語られるのか(あるいは、包括用語に賛成か反対かという分裂(splitting)した視線に晒されるのか)。そしてセメンヤのように、その最も私的でセンシティブなはずの「生殖器」の話が、その私的性が当たり前のように剥奪されて、好きなように語られるのだろうか。

 DSDsを持つ人々に対する差別というのは「社会的」差別として現れることが少ないが、その社会的差別を可能とする、より「原初的(primitive)な差別」構造を見ていかなくては理解ができないように思われる。ここでは、なぜそういったスティグマが生まれるのか、そしてそういう偏見がどのような「差別」をもたらすのか。DSDsを持つ人々に対する「原初的差別」として、「標本化」、「オリエンタリズム」と「聖別」、「人身御供」、「見世物小屋」をキーワードにして考える。

 

 

(1)スティグマの構築

 「男でも女でもない」というスティグマの発生については、女性(female)・男性(male)の身体の構造に対する、前述の社会的生物学固定観念の強迫化がまずあるだろう。近代医学の「要素還元主義」・「特定病因論」によって、女性・男性の体の違いの、なにか1つの普遍的な本質のようなものが様々な要素に求められ、その都度「例外(男でも女でもない)」が構築されていった歴史がある3

3ただし、現在のDSDs専門医療では、AIS女性に対して、レセプターの知識などの内分泌学や分子生物学の進展、各種エヴィデンスから「女性であることには変わらない」と説明されるなど、その強迫性は薄れつつある。今はもう、ターナー症候群の女の子・女性を「性の反転した男性」とも「人間として許される範囲の,生物学的に中性状態にある人」とも「生物学的には中性」と思う人もいない。

 

DSDsに対する社会的生物学固定観念

 

 もうひとつは、社会的ステレオタイプを形成する循環的な構造である。「男でも女でもない性」というイメージは、メディアのセンセーショナリズム等により、自分はそういうイメージに該当するとする当事者が前面に出ることで、大多数の当事者・家族がそういったステレオタイプに晒されることを恐れてますます隠さざるを得ず、個別に孤立する状況となり、社会ではさらにステレオタイプが強化されていく構造があると思われる。たとえばだが、当事者の大多数は自身をLGBTQ等性的マイノリティの一員とは全く思ってもいないため、そういったコミュニティに現れることはほとんどない一方、DSDsを持ちたまたま性別違和やノンバイナリーの性自認の人、同性愛・両性愛の人、あるいは,自分は<インターセックス>だと自称する人だけが、LGBTQコミュニティに現れることになるため、LGBTQコミュニティにおいても<インターセックス>というステレオタイプが強化されていくわけである4

 

DSDsに対するステレオタイプの循環的構造

4このもう一つの要因は、DSDsを持つ人々自身が他のDSDsのことをほとんど知らず、特にノンバイナリーの性自認を持つ当事者の人々は、それが<インターセックス>のステレオタイプに該当するとのことから、そういうものがインターセックス性分化疾患)だと思いがちになるという面もある。このような情報のバイアス(偏り)は、例えば他にも、性別違和専門のクリニックでは性別違和のあるDSDsの人々しか現れず、その他の多くの当事者の切実なリアリティというものが見えなくなるということや、「性分化疾患」「インターセックス」という用語でコミュニティを作ったり調査を行っても、大多数の当事者・家族は、そもそもそういった包括用語自体を知らない、知っていてもそういう用語に「男でも女でもない」という二次的なトラウマにもなりかねないスティグマが投影されていることからコンタクトを取ろうとすることは非常に少なくなるということもある。そのためdsd-LIFEの調査では、AISCAHターナー症候群、クラインフェルター症候群など個別の体の状態名(これであれば「disorder(逸脱)」という表現を拒否する当事者も異議は唱えない)で、それぞれに個別に調査を行い総合するようにしている。

 

 さらに分かりにくくしているのが「ポーザー(poser)」の問題である。ポーザーとは、DSDsインターセックス)コミュニティの用語で、何らのDSDsインターセックスの体の状態)を持たないのに「自分はインターセックスだ」と「振りをする人」、あるいは何らかのDSDsを持っているが「自分は両性具有だ」と大袈裟に言う人を指す5

 

ポーザー現象

5ポーザーの存在は、 Association of American Medical CollegesAAMC)のLGBT及びDSDs支援のテキストブックや、オランダの報告書でも指摘されている。「「インターセックス」と名乗る人たち(特にトランスジェンダーの成人)の中には、DSDと認識される体の状態で生まれてこなかった人もいる」Hollenbach,A・前掲注(628頁。「診断されたわけでもないのに、自分をインターセックスであると自称する人たちもいる。」van Lisdonk・前掲注(423頁。ポーザーで最も有名なのは、社会学者のハロルド・ガーフィンケルの『エスノメソドロジー』におけるアグネスであろう。日本語訳版では割愛されているが、トランスセクシャルである彼女は、当初自身をインターセックスであると、社会学者のガーフィンケルや、性別同一性概念の提唱者の一人である心理学者ロバート・ストラ-に話していたが、後に12歳から女性ホルモンを服薬していただけであったとストラ-に告白している。Garfinkel, Harold 1967 'Appendix to chapter five' in Garfinkel, Harold Studies in Ethnomethodology, pp.285-288. 当然だが、性別違和のある人やトランスジェンダーの人々が社会的差別から「自分はインターセックスだ(生物学的理由がある)」と言うということは十分あり得ると思われる。しかしそれはDSDsに対する偏見を助長することになり、またそういうった切実さとは別に、ある種の「解釈的不正(Hermeneutical Injustice)」(マイノリティの具体的な困難を理解しようとせず、マジョリティや他の集団が自分に都合よく解釈して利用すること)によって、他の集団の人々との違いが不明瞭にされることを、インターセックス活動家のモーガン・カーペンターが指摘している。 M.Carpenter・前掲注(98

 

 EU圏のLGBTQコミュニティで行われた大規模調査では, 「自分はインターセックスだ」と自己申告した人で,病院で特定のDSDの診断を受けたと自己申告した人は14%に留まり,「診断を受けていないが自分でそう思った・他の人にそう言われた」とした人が59%に登ることが明らかになっている3.1

 

 

 短絡的な思考では,性同一性障害の診断を受けた人たちとトランスジェンダーの人たち一般の「診断があるかどうかで本物か偽物か」という議論を連想して,医者に診断されないといけないのかと考える人もいるかもしれないが,DSDsというのはたとえば糖尿病や小児がんのように,生物学的・医学的に「発見」されるもの「判明」するもので,自己申告によるものではないことに注意しなければならない。

 DSDsについての専門的な知識がなければポーザーを見極めることは難しく、アカデミズムの人でもそのまま信じてしまっている例は,海外のDSDsインターセックスのコミュニティ内でも指摘されている。日本においても,コミックの影響でターナー症候群を女性から男性に変化する体の状態であると本気で思っていたり,「自分は男性に生まれたが男性外性器から生理が現れるようになり,調べてみたらアンドロゲン不応症で子宮があることが分かり,女性になった」と自称する活動家の話をそのまま信じ込み,フェミニズムセミナーに招待したている大学の講師もいるような状況である(アンドロゲン不応症の場合は子宮は発達せず卵巣もないため,生理も発生しない)。このようなポーザーの人はむしろアカデミズムや社会で注目を集めることが多く,ここには,社会の側が<インターセックス>という表象に何を見たいと思っているのかということが如実に現れているように思われる。

 

(2)DSDsを持つ人々の「標本化」

 

「誰も私を見なかった。大丈夫?って言ってくれた人はひとりもいなかった。シーツを取ったら(筆者注:裸になったら)今度は私以外見なくなった。こう思ったの。この人達みたいに体から心を引き剥がせたら、これは終わるんだって」CAHを持つ女性)6

「彼ら(医学生)はテーブルの周りに立って私のズボンを下ろしてジロジロ見たんです。それが私の覚えていること。本当に嫌だった。私は本当に嫌でした。いつも自分が展示されているように感じていた。私はフリークスなんだと思った。私はずっと研究対象だったんです」(CAHを持つ女性)6.1

「私たちは医学的な好奇心の対象として見られていたんです…。彼らが私にしていることを,私がどう感じるかなんて気にもせずに」CAHを持つ女性)6.1

 

 そしてこのような循環構造を駆動しているのは、選択的に「そういうものを見たい・いてほしい」(あるいは「なりたい・ありたい」)という「観客」7側の「オリエンタリズム的な享楽」と、それを可能とする「生物学的興味への還元化」「標本化」であるように思われる。

7インターセックス活動家のジム・アンブロースは、自身がインターセックスについてLGBT系メディアに寄せたエッセイで、AIS女性とのツーショットで撮影した写真を送ったところ、男女半々の写真にすげ替えられたエピソードから、<インターセックス>という見世物小屋に対する「観客の問題」を指摘している。:J. Ambrose. I Thought People Like That Were Clip Art/A Modern Minstrel Show. 2014(現在リンク切れ)(日本語訳:ネクスDSDジャパン『現代のミンストレルショー』(2020930日取得))

 

 DSDsを持つ人々は医療の場で、かつては研修医が取り囲む中で生殖器の検査が行われたり、全裸の写真を撮影されるようなこともあった。ここに見られるのは、「体から心を引き剥がす」、すなわち「生物学的興味への還元化」、あるいは人間存在そのものの「パーツ化」「標本化」である。

 裸の写真は決まったように眼の部分が黒い帯で隠されていた。ISNAの設立者であるシェリル・チェイスは、眼を隠すのは、撮影する側が「一方的に見る側」であり、その身体を自由に行使してよい立場であることを示していると指摘している8。これは本人が許可したからOKというものではないことも以前から当事者団体で指摘されている。そういう写真を見ることで、自分たちは「見世物小屋」のような扱いを受ける存在なのだと思わせてしまうからだ。目を隠され抽象化(観念的パーツ化)された全裸の身体は,「標本」のように当事者の人々全体を容易に指し示すことになる。そこでは,人間の尊厳も主体性も切除されているのである。

 

8北米インターセックス協会(ISNA)代表のCheryl ChaseBo Laurant)とのパーソナルコミュニケーション(2018/7/4来日時)、あるいはDreger A. Jarring bodies: thoughts on the display of unusual anatomies.” Perspectives in Biology and Medicine. 43(2):161-172, 2000.

 

 

(3)オリエンタリズム的認知と「聖別」

 

「でもそういう「インターセックス」って私全体を言われてるみたいなものなんです。そういう言葉を使うことで、あなたは私になにかの役割や人物像を押し付けてるわけです。私からすれば、そういうのこそインターセックスの障害になってる。(筆者中略)「私はインターセックスです」というのは私が自分の中で感じてることじゃない。それって、あなたが考えてることなんです。」AISを持つ女性)9(強調筆者)

「オリエントとは、むしろヨーロッパ人の頭の中で作り出されたものであり、古来、ロマンスやエキゾチックな生き物、纏綿たる心象や風景、珍しい体験談などの舞台であった。オリエントとはそこに全東洋が閉じ込められた舞台なのである。その時オリエントは、(筆者中略)ヨーロッパに附属する演劇舞台としての外観を呈するのである。」10

 

 サイードは、西洋がステレオタイプな東洋イメージを作り出し、そこに憧憬と偏見という分裂(splitting)したイメージを抱くことを「オリエンタリズム」と呼んだ。サイードオリエンタリズム的言説を、西洋の知識人の「東洋」に対するエキゾチシズム的「興味関心」を媒介として作り続けられ、「今の世界にかわりうる新しい世界」として理解され、その作り上げられた観念が権威「正当性」あるいは「自明の」真理のような地位を獲得し、場合によっては「オリエント」という対象を支配し再構成しようとする一定の目的意識であるとしている。

 

 

 たとえば,かつてダウン症候群は、それを持つ人々の「目の間が離れているという容姿や知的に低いという特徴」を、「知的な」西洋人から「痴呆的な」東洋人(モンゴロイド)までの連続体的な進化・退化の過程のあらわれであるという、どこから手を付ければいいのかもわからない神話的・差別的なイメージの投影から、「蒙古痴呆症(Mongolian idiocy)」と呼ばれていたが、ある種の障害や体の特徴,疾患などに対しては、神話的・差別的イメージが構造的・暴力的に投影されることがある。DSDsインターセックス)の体の状態に対しても同じく、神話的な「両性具有(ハーマフロダイト)イメージ」が構造的に投影されていおり、そこには、西洋人から見た東洋イメージのように、「観客」の側が何かエキゾチックなものを見たいという享楽がはたらいているように思われる。

 

 

 DSDsを持つ人々に対する「差別」は非常にわかりにくいと思われるが、サイードがここで「憧憬」という表現を使っていることは重要だろう。DSDsを持つ人々に対する「差別」については、性別ではなく、原初的な「聖別(sacred)」の問題を考えねばならないと思われる11。「聖別(sacred)」とは、「穢れ・恐るべきもの」(all bad)と同時に「聖なる・魅了するもの」(all good)という、両義的で分裂(splitting)した原初的(primitive)で非合理的なタブーの宗教感情を表す12。このような分裂の構造は、たとえば排除されると同時に「感動を与える存在」としての<障害者>など、 周縁(marginal)に位置させられる集団に対してよく起きていることであると思われるが、DSDsに対しても、セメンヤのように、排除と同時に、一見良いこと、あるいは「善意」のように「グラデーション・スペクトラム(連続体)」「男女の境界のなさ」の象徴のように取り上げられるなど,「祀り上げ」のような原初的な感情,「原初的差別」がむき出しで現れているように思われる。そこでは両者とも、自分の見たい神話的イメージを見る「観客」側の享楽だけが先行し、現実の当たり前の人間は見失われてしまうのである。

11すなわち,フォビア(嫌悪)だけでなくフィリア(偏愛)について(あるいはその分裂について)も考えねばならないということである。特に,DSDs/ インターセックスに対しては,それに触れる周囲の人々自身の性役割や性規範,性別そのものに対する個人的な情動が激しく喚起され,対象(現実的にはファンタジーに過ぎない)に対して自他の境界なく「同一化」する現象がかなり強く起きているように思われる。精神分析の対象関係論学派では,乳児の原初的(primitive)な対象関係として,投影性同一化,取り込み同一化,付着同一化などを挙げている。投影性同一化・取り込み同一化では,全体的自律的な人間(全体対象)を認識できない乳児が,ファンタジーとして,自分の都合を満たしてくれる「良い対象(all good)」,満たしてくれない「悪い対象(all bad)」に分裂させて認知し,自分にとって良い部分(パーツ)は取り込んで自身の器官化し,悪い部分は排泄し,自分にとって良い部分に同一化するわけである。この時乳児にとってはまるで「良い」と「悪い」の2 つの対象があるように感じられている。付着同一化は,自身の代理皮膚のように対象の表層に付着する形式を言う。単純な「良い」「悪い」の部分対象関係的分裂と投影・取り込みとその表層への付着は,DSDs /インターセックスに対する社会的認知形式でもよく起きているように思われる。たとえば「用語」という部分対象においては,単純に「インターセックス」を「良い対象」,「性分化疾患」を「悪い対象」として対立関係を想定したり,「理念」という部分対象においては「グラデーション(スペクトラム)」を良い対象,「“男女二元論にこだわる”当事者」を悪い対象,「LGBTI」か「それに入らないか」として分裂させて対立構造として認知するわけである。しかし,このような「(自分にとって都合の)良い・悪い」「自分に属するものが『良い方』,そうではない方は『悪い方』」という単純な形式に分裂した対象関係は,ファンタジーとしての部分(パーツ)だけにフェティシズム的に拘泥した認知形式,「観客」の側の自分が見たいモノを見る享楽的な視線でしかなく,全体的自律的対象としての全体像や,人間(自分と異なる他者)そのものは見失われることになる。

12ロジェ・カイヨワ塚原史・吉本素子・小幡一雄・中村典子・守永直幹共訳、『人間と聖なるもの(改訳版)』せりか書房1994年.

 

 その人個有の心を引き剥がされ「パーツ化」「標本化」された空っぽのカラダは、それが悪意であれ善意であれ、社会運動理論であれ、性科学的・心理学的・社会学的興味であれ、フェティシズム的興味であれ、人々の一方的な望みや享楽のために行使されやすくなる。つまり、対象に対する「支配や再構成」が起きるわけだ。

 そしてそれは,「支援」という名の「支配」にもつながる。たとえば、第三世界フェミニズム思想研究者の岡真里は、西洋人女性たちがオリエントの女性オリエントの女性たちを前に、西洋人男性の視点に同一化し、窃視症的な主体として、男性のまなざしで彼女たちを観察し、西洋人女性が同一性/自己を確立し、主権をもった主体の位置を獲得するための大地・起源とした構造について述べている13。これと同じようなことが、女性やLGBTQなど性的マイノリティの人々と、DSDsを持つ人々との関係でも起きているのではないかと思われる。

13岡真理『彼女の「正しい」名前とは何か 第三世界フェミニズムの思想』青土社2000

 

 すなわち,ジェンダー論を中心とするフェミニズム、LGBTQ等性的マイノリティの人々のクィアセオリー・運動の人々は,窃視症的な主体として、構造的にDSDsを持つ人々(と言うよりも,そこから主体性と人格を剥奪した道具としても身体)を、かつての医学と同じまなざしで観察し、自分たちの同一性・主体性を確立するための大地・起源としているというわけである。

 

 

 

(4)「人身御供」としての<インターセックス

 

 英語の“sacrifice(供犠・人身御供)”は、ラテン語の“sacersacred:聖別)”と“facere(強要する)”、すなわち「聖なるものにする」に由来する。DSDsの体の状態やその人々は、「らしさ」や「性自認」は自然か環境か、sexgenderか、男女の境界はどこにあるのかないのかといった議論の度に、「男女の境界はない」証左・観念的object(パーツ)として呼び出され、まるで「人身御供」のように行使されてきている。インターセックス活動家のエミ・コヤマは、2002年の北米の大学の調査で、回答が寄せられたジェンダー論等での講義のほとんど全てが、セックスとジェンダーの社会構築理論を取り上げんがためにインターセックスの問題を導入していたことを指摘している14

14「ある回答者は次のように書いていた。「私はこの問題をジェンダーの問題に関連させるようにしています。その方が議論しやすい人が多いのです。その方が簡単なんです。sex(そしてgender)は固定化されたものであるという学生自らの思い込み、つまり性別二元論を疑ってもらうには。」Emi Koyama, Lisa Weasel, From Social Construction to Social Justice: Transforming How We Teach About Intersexuality. Fall/Winter 2002 Issue of Women's Studies Quarterly 2020930日取得)

 

 近年でもSNSを中心にして繰り広げられてきた、トランスジェンダーの女性に対する差別的な「誰が女なのか」という言説に対しては、「生物学的にも男女を定義できない」と<インターセックス>が持ち出される例は枚挙にいとまがない。

 さらに,法務省刑事局の「法務省性犯罪に関する刑事法検討会」において、<インターセックス>を含んだ「LGBTIQA+」を掲げるLGBT活動家が、「何をもって男性器・女性器と言うのか」とDSDsを持つ子どもたちの外性器の図を公然と展示(display)した例もある。この件については、出席していた複数の委員の方から、このような図を出すことについての倫理的な問題はないのかと日本性分化疾患患者家族会連絡会に問い合わせをいただき、連絡会として抗議文も提出している。

 

www.nexdsd.com

 

 

 あるいは,レズビアンMTFトランスジェンダーレズビアンスペースに入ってもいいかという議論においては、陰核肥大のあるCAHの女性のことなのだろうか「チンコ付きの戸籍女性のインターセックスはどうなのか?」といった発言が、トランスジェンダーを支持するセックスワーカー支援活動家から現れるような状況である(現在このツイートは削除されている)。

 

 

 


  また、やはりこの活動家が代表である団体も、<インターセックス>を含んだ「LGBTIQA+」を掲げた文書を自身のサイトにアップしている。先にオーストラリアの「インターセックス」当事者団体が、「インターセックスの人々は、LGBTの団体・活動家たちの利益のためだけに、不注意な態度で誤った説明をされ、利用されるだけ利用されてポイッと捨てられてしまってばかり(thrown under the bus)である」と強く訴えていることを指摘したが、LGBTQ等性的マイノリティやアライの活動家が一方的に掲げる「LGBTIQA+」というものが、どのようなものなのか、如実に表れているように思われる。そこでは、切実に女性・男性である大多数の当事者のことは全く想像さえせず、それを苦に自死さえする、DSDsを持つ人々の極めて私的で極めてセンシティブな領域であるはずの「性器」「生殖器」の話を、あるいはその人々自身の存在自体を、全く望みもしない形で、まるで自分のモノのように、パーツのように扱っている自分自身の姿は全く振り返られないのである15

15「男女二元論を批判する当事者もいる」「性別違和がある人もこれだけいる」という反論もあるかもしれない。当然ながら、性別違和の蓋然性の高い体の状態については、本人の性別違和のケアをしていかねばならないことは論をまたない。しかしそれこそ、そう言う人が「選択的に」そういう当事者だけを取り上げているという証左であろう。筆者が問題視しているのはあくまで、人間を自分の目的の「人身御供」のように用いる見世物小屋の観客」の問題である。

 

 哲学者の中村雄二郎は、「近代科学が無視し、軽視し、果ては見えなくしてしまった現実、リアリティ」の一つとして「関係の相互性」を挙げている16。近代科学の上に発展してきた近代医学は「客観性」を重視する。それ自体は重要なものであろう。しかしそこでは観察される側は「対象(モノ)」と化し、観察者となる側は中立と普遍性を装いつつ、「見ている方の主体」・「視線」は無謬の中に消し去ってきたとも言える。そこでは、「対象(モノ)」とされる人間の体験がどのようなものになるのか全く想像されず17、またその人が一体自分が何をしているのかという、自分を見る自分の視点もすっかり抜け落ちているのである。陰核の肥大のあるDSDsを持つ女性に対しての手術は見た目だけが重視され、その神経節は全く関心に入れられなかったが、<インターセックス>を自身の理念や理論のために自己目的化(モノ化),あるいは「入り口の石」「人身御供」とするアカデミズムの人々も、その人間的体験に対する想像力のなさにおいては、全く同じであると思われる。

16中村雄二郎『臨床の知とは何か』岩波書店199227

17「客観性は、主観と客観、主体と対象の分離・断絶を前提としている。」「客観や対象とは、主観や主体の働きかけを受け被る、単なる受け身のもの、受動的なものでしかない。」 中村・前掲注(1519

 

 

(5)「見世物小屋」としての<インターセックス

 

「テレビ局から質問依頼があって。(筆者中略)手術についてとか、男性と女性の境界についての質問でした。『ちがう、そんなことじゃない』って思って。(筆者中略)私が思ったのは、それってまた『見世物小屋freak show)』になるってことです。ああいうのは『見世物小屋』なんです。」(CAHを持つ女性)18

「人々はキャスターの話に色々な理由で興味を持ちました。性別(gender)やらアイデンティティやら、そういったものに。でも実は人々は、南アフリカを最後の辺境な植民地として興味を持ったのだと私は考えています」。 「南アフリカはどこもかしこも白人が所有するものなのだ、みたいな感覚がある。白人はそこで好き勝手に動き回って、そこで気持ちよくなれるものなのだ。そんなことを言いたげな。キャスター・セメンヤに起きたことも同じだと感じています。これもまた南アフリカと同じ。白人社会は南アフリカを所有し、何かを言える権利があるというわけです。」(シソンケ・ムシマン)19

 

 

 南アフリカの人々が、セメンヤさんを本当に大切にしていることは先に述べた。たとえば、ネルソン・マンデラの元パートナーで、女性人権活動家のママ・ウィニーマンデラは、「彼女は私たちの娘です。誰もこの娘を検査にかけるつもりはありません。私たちに手を出さないで下さい(Don't touch us)。私たちに手を出さないで下さい。それでも私たちに手を出そうとする人は、私たちをなおも利用し、侮辱し続けていくでしょうが」と述べている20

 

 

 この「手を出すな」とはどういうことか。実は南アフリカでは、セメンヤが被っている異常な状況について、19世紀に女性の性器のサイズが肥大していると西洋人の好奇心の対象となり、英国に連れて行かれ、ロンドンの見世物小屋でアトラクションとして展示された,アフリカの黒人女性サラ・バートマンの受難との関連が当初から指摘されている21(図)。サラ・バートマンは、その後フランスの動物調教師に売られ、1年後に病死。死後、彼女の体は解剖され、脳と性器がホルマリンで保存され、19世紀のヨーロッパの科学者たちによって「人間と猿の間のミッシングリンク22として議論された。彼女の「標本」や全裸の図画はパリ人類博物館で1974年まで一般公開されていた。

 

 

22民俗学では、異なるものを結ぶ「橋」に人柱が埋められた伝説についても論じられている。また,文化人類学では「供犠(sacrifice)」(人身御供,生け贄)は,なにかの対立や,共同体内での矛盾や葛藤を解消するために,第3項となる身体的「徴(しるし)」を持って生まれた人を選び,その人を「人ではないもの」にして祀り上げることで,共同体の人々を多幸的な「連続体の意識」へと導き,対立や葛藤を融解する行為としている。

 

 このような行いは、現代の我々にとっては、いかに差別的で残酷で、非人間的な行為か論をまつことはないだろう。しかし、DSDsを持つ人々は、21世紀の現代でもその全裸の写真が「性の多様性」の一つとして展示されている状況なのである。

 2015年、著名なトランスジェンダー支援者で、インターセックス支援者も自認する性科学者ミルトン・ダイアモンドによる「Nature loves diversity, but our society may not 人間の性をめぐる諸言説の本当と嘘」(通訳と日本語資料作成は,性的マイノリティ支援者を自認する大阪府立大学(当時)教授の東優子氏)と題された講演では、(あるいは「性自認に配慮」した表現なのだろうか)「精巣があり、女性的な外見をしたXYの人」として、AISの有色女性の全裸の写真が展示されている23。(もう一つ我々が注視しなければならないのは、この講座で展示されている全裸もしくは半裸の写真のDSDs当事者が、全員「有色人種」と呼ばれる人々であるということだろう。)

 

画像のぼかしは筆者による

 

23日本性教育協会JASE 現代性教育研究ジャーナル2015No.56, 2020930日取得)

 

 あるいは2019年、東京レインボープライドのサイトでは、韓国のLGBTQ活動家、JLIPSのブロク記事の翻訳で24、やはりDSDsCAH)を持つ複数の女の子たちの全裸の写真が展示され、「このような子供たちは、外部生殖器が陰核(クリトリス)と陰茎(ペニス)の中間的な形態をしているためジェンダー学的に見れば、この子は「完全な女児」ではないでしょう。」とし、その解決策として各国で第三の性別欄が設けられているとしている。

 

画像のぼかしは筆者による

24東京レインボープライド「よくわかるLGBTQ +用語講座[第12回]法的に男や女ではない「X」~ インターセックス,X ジェンダー~」2019.09.22,https://trponline.trparchives.com/magazine/lgbtqcourse/15683/2020年11月30日時点で東京レインボープライドのHPから連載自体が削除されているため,キャッシュをリンクする。(2020年10月18日キャッシュ取得)

 

 おそらくだが、この講演者・活動家も、そしてそれを翻訳した人も、これを見た人も、一体自分が何をしているのか、一体自分が何を見ているのか、振り返られていることはないように思われるが,これこそが「窃視症的な主体」と言われるものだろう。このような「標本化」と「オリエンタリズム的興味」の「見世物小屋」のようなグロテスクなアマルガムに対して筆者が連想するのは、アイヌの人々の遺骨が、研究者たちによって掘り出され研究された事件である。人骨を研究してきた人類医学者は「人類学者はアイヌのためにこの研究をしている」「われわれの研究がアイヌの先住性を証明する」と自己正当化していると言われているが25、筆者は、あるいはこれは「自己正当化」でさえなく、本気でそう思い込んでいる、つまり自分が一体何をしているか全く分かっていない可能性も考えなければならないと思っている。

 これらがこの20年間で起きてきたことであり、また同時に、DSDsを持つ人々に対してに限らず、歴史的にも地理的にも、いつでもどこでも誰ででも、様々に構築されるマージナル集団に対して起きてきたことなのだろうと筆者は考える。なるほど確かに、人を標本のように扱える態度というのはこれほどに凡庸なものであり、これはある種の空っぽの「善意」によっても可能なのだということも。

 結論を言おう。インターセックス>とは,「男性(male)ならこういう体の状態のはず,女性(female)ならこういう体の状態のはず」とする,1950年代前後以降の強迫的な社会的生物学固定観念,そしてジェンダークィア論などのアカデミアを含む社会全体での,一見「善意」のまといをしながらも,実際には「両性具有のようなものを見たい」あるいは「そういうモノになりたい・ありたい」という窃視症的な視点と付着・摂取同一化的な社会的享楽(フィリア:偏愛)によって,極めてパフォーマティブに(見世物小屋的に)構築され続けているものである。

 親御さんたちで、なぜ子どもにDSDsの話を隠したり、手術を急ぐ人がいるのか。あるいは、筆者がネクスDSDジャパンの活動で「インターセックス」という用語を使わない最も大きな理由は、すでに<インターセックス>という用語に対しては、ここにまで転倒した空っぽの視線がまとわりついているからであり、ブルネラブルな状況にある人々がそのような視線にさらされることを避けるためである。

 そのような空っぽの視線がある一方、自分の体がどうなっているのか、これを訊くと親は傷つくのではないかと不安と恐れの中で問う子どもに、罪責感と恐れをたたえた眼差しで何も言えなくなる親。これは決して「隠す」というものではない。その両者の恐れと不安の眼差し、それこそが互いに相手を想う心があるという証左である。

 マージナルな存在として構築された人々が「人間」であるためには、どうすればいいのか。それは、我々人間自身が、男性であれ女性であれその他であれ、人間性を失わないようにし続け、「人間」であり続けなくてはいけないということなのだろう。

 

 

Ⅳ.おわりに

 両性具有イメージとは何か。それは我々がこの世界に生まれ生きていく中で、時には身を裂くほどのやり切れなさから生まれる、境界なき世界、「男性・女性という枠組みから解放された新しい世界」への憧憬なのかもしれない。それは生まれる以前、分化以前の融け合うような世界なのだろう。そんな夢がDSDsを持つ人々に投影され、あるいは悪夢として恐れられ、あるいはある種の憧憬の世界への扉とされるのであろう。そこには他者という自分を傷つけるかもしれない存在はいない。しかしそこには尊厳ある生身の「人間」もいないのだ。

 性という領域は自他の区別が失われることが多く、しかし自分の欲望と相手の望みとの混同は、性的ハラスメントやレイプ被害のように相手の存在を深く損なうこともある。

 我々は、境界なき世界に魅了されるばかりではなく、自分の夢とは異なる「他者(=人)」を見落とさないことが重要であろう。

 

 

1もちろん男児の乳房発達や女児の二次性徴不全など目に見える形で表れるケースもあるが、その人がたまたま性別違和があったり、スポーツの領域などでそれを自身の一種の「ギフト」とすることがない限りは、たいていの場合すぐにどうにかしてほしいと思うものである。また、DSDsの人は「顔貌が“中性的”」などという偏見もあるが、そういう顔貌は特にDSDsに限らず一般的なものであろう。

2van Lisdonk・前掲注(452-53

3ただし、現在のDSDs専門医療では、AIS女性に対して、レセプターの知識などの内分泌学や分子生物学の進展、各種エヴィデンスから「女性であることには変わらない」と説明されるなど、その強迫性は薄れつつある。今はもう、ターナー症候群の女の子・女性を「性の反転した男性」と思う人もいない。

3.1 European Union Agency for Fundamental Rights(FRA), A long way to go for LGBTI equality(2020)

4このもう一つの要因は、DSDsを持つ人々自身が他のDSDsのことをほとんど知らず、特にノンバイナリーの性自認を持つ当事者の人々は、それが<インターセックス>のステレオタイプに該当するとのことから、そういうものがインターセックス性分化疾患)だと思いがちになるという面もある。このような情報のバイアス(偏り)は、例えば他にも、性別違和専門のクリニックでは性別違和のあるDSDsの人々しか現れず、その他の多くの当事者の切実なリアリティというものが見えなくなるということや、「性分化疾患」「インターセックス」という用語でコミュニティを作ったり調査を行っても、大多数の当事者・家族は、そもそもそういった包括用語自体を知らない、知っていてもそういう用語に「男でも女でもない」という二次的なトラウマにもなりかねないスティグマが投影されていることからコンタクトを取ろうとすることは非常に少なくなるということもある。そのためdsd-LIFEの調査では、AISCAHターナー症候群、クラインフェルター症候群など個別の体の状態名(これであれば「disorder(逸脱)」という表現を拒否する当事者も異議は唱えない)で、それぞれに個別に調査を行い総合するようにしている。

5ポーザーの存在は、 Association of American Medical CollegesAAMC)のLGBT及びDSDs支援のテキストブックや、オランダの報告書でも指摘されている。「「インターセックス」と名乗る人たち(特にトランスジェンダーの成人)の中には、DSDと認識される体の状態で生まれてこなかった人もいる」Hollenbach,A・前掲注(628頁。「診断されたわけでもないのに、自分をインターセックスであると自称する人たちもいる。」van Lisdonk・前掲注(423頁。ポーザーで最も有名なのは、社会学者のハロルド・ガーフィンケルの『エスノメソドロジー』におけるアグネスであろう。日本語訳版では割愛されているが、トランスセクシャルである彼女は、当初自身をインターセックスであると、社会学者のガーフィンケルや、性別同一性概念の提唱者の一人である心理学者ロバート・ストラ-に話していたが、後に12歳から女性ホルモンを服薬していただけであったとストラ-に告白している。Garfinkel, Harold 1967 'Appendix to chapter five' in Garfinkel, Harold Studies in Ethnomethodology, pp.285-288. 当然だが、性別違和のある人やトランスジェンダーの人々が社会的差別から「自分はインターセックスだ(生物学的理由がある)」と言うということは十分あり得ると思われる。しかしそれはDSDsに対する偏見を助長することになり、またそういうった切実さとは別に、ある種の「解釈的不正(Hermeneutical Injustice)」(マイノリティの具体的な困難を理解しようとせず、マジョリティや他の集団が自分に都合よく解釈して利用すること)によって、他の集団の人々との違いが不明瞭にされることを、インターセックス活動家のモーガン・カーペンターが指摘している。 M.Carpenter・前掲注(98

6BBC・前掲注(79

6.1Meyer-Bahlburg, H., Khuri, J., Reyes-Portillo, J., & New, M. I. (2017). Stigma in Medical Settings As Reported Retrospectively by Women With CAH for Their Childhood and Adolescence. Journal of pediatric psychology, 42(5), 496–503.

7インターセックス活動家のジム・アンブロースは、自身がインターセックスについてLGBT系メディアに寄せたエッセイで、AIS女性とのツーショットで撮影した写真を送ったところ、男女半々の写真にすげ替えられたエピソードから、<インターセックス>という見世物小屋に対する「観客の問題」を指摘している。:J. Ambrose. I Thought People Like That Were Clip Art/A Modern Minstrel Show. 2014(現在リンク切れ)(日本語訳:ネクスDSDジャパン『現代のミンストレルショー』(2020930日取得))

8北米インターセックス協会(ISNA)代表のCheryl ChaseBo Laurant)とのパーソナルコミュニケーション(2018/7/4来日時)、あるいはDreger A. Jarring bodies: thoughts on the display of unusual anatomies.” Perspectives in Biology and Medicine. 43(2):161-172, 2000.

9van Lisdonk, N.Callens, Labeling, stigma and discrimination: experiences of people with intersex/DSD. TvS (2017) 41-2, pp95-104

10Edward Wadie Said, Orientalism. Pantheon Books,1978.(今沢紀子訳『オリエンタリズム(上・下)』平凡社1993年)17

11すなわち,フォビア(嫌悪)だけでなくフィリア(偏愛)について(あるいはその分裂について)も考えねばならないということである。特に,DSDs/ インターセックスに対しては,それに触れる周囲の人々自身の性役割や性規範,性別そのものに対する個人的な情動が激しく喚起され,対象(現実的にはファンタジーに過ぎない)に対して自他の境界なく「同一化」する現象がかなり強く起きているように思われる。精神分析の対
象関係論学派では,乳児の原初的(primitive)な対象関係として,投影性同一化,取り込み同一化,付着同一化などを挙げている。投影性同一化・取り込み同一化では,全体的自律的な人間(全体対象)を認識できない乳児が,ファンタジーとして,自分の都合を満たしてくれる「良い対象(all good)」,満たしてくれない「悪い対象(all bad)」に分裂させて認知し,自分にとって良い部分(パーツ)は取り込んで自身の器官化し,悪い部分は排泄し,自分にとって良い部分に同一化するわけである。この時乳児にとってはまるで「良い」と「悪い」の2 つの対象があるように感じられている。付着同一化は,自身の代理皮膚のように対象の表層に付着する形式を言う。単純な「良い」「悪い」の部分対象関係的分裂と投影・取り込みとその表層への付着は,DSDs /インターセックスに対する社会的認知形式でもよく起きているように思われる。たとえば「用語」という部分対象においては,単純に「インターセックス」を「良い対象」,「性分化疾患」を「悪い対象」として対立関係を想定したり,「理念」という部分対象においては「グラデーション(スペクトラム)」を良い対象,「“男女二元論にこだわる”当事者」を悪い対象,「LGBTI」か「それに入らないか」として分裂させて対立構造として認知するわけである。しかし,このような「(自分にとって都合の)良い・悪い」「自分に属するものが『良い方』,そうではない方は『悪い方』」という単純な形式に分裂した対象関係は,ファンタジーとしての部分(パーツ)だけにフェティシズム的に拘泥した認知形式,「観客」の側の自分が見たいモノを見る享楽的な視線でしかなく,全体的自律的対象としての全体像や,人間(自分と異なる他者)そのものは見失われることになる。

12ロジェ・カイヨワ塚原史・吉本素子・小幡一雄・中村典子・守永直幹共訳、『人間と聖なるもの(改訳版)』せりか書房1994年.

13岡真理『彼女の「正しい」名前とは何か 第三世界フェミニズムの思想』青土社2000

14「ある回答者は次のように書いていた。「私はこの問題をジェンダーの問題に関連させるようにしています。その方が議論しやすい人が多いのです。その方が簡単なんです。sex(そしてgender)は固定化されたものであるという学生自らの思い込み、つまり性別二元論を疑ってもらうには。」Emi Koyama, Lisa Weasel, From Social Construction to Social Justice: Transforming How We Teach About Intersexuality. Fall/Winter 2002 Issue of Women's Studies Quarterly 2020930日取得)

15「男女二元論を批判する当事者もいる」「性別違和がある人もこれだけいる」という反論もあるかもしれない。当然ながら、性別違和の蓋然性の高い体の状態については、本人の性別違和のケアをしていかねばならないことは論をまたない。しかしそれこそ、そう言う人が「選択的に」そういう当事者だけを取り上げているという証左であろう。筆者が問題視しているのはあくまで、人間を自分の目的の「人身御供」のように用いる見世物小屋の観客」の問題である。

16中村雄二郎『臨床の知とは何か』岩波書店199227

17「客観性は、主観と客観、主体と対象の分離・断絶を前提としている。」「客観や対象とは、主観や主体の働きかけを受け被る、単なる受け身のもの、受動的なものでしかない。」 中村・前掲注(1519

18Callens N・前掲注(1141

19Anna Kessel・前掲注(139

20ABC News, Gender row: Semenya tests cast new doubt. 26 Aug 2009. 2020930日取得)

21The Star (South Africa)Gender row hits UN Traumatised teen sa's new Saartjie BaArtman. August 22, 2009.(現在リンクが途切れているため,保存記事をリンクする

22民俗学では、異なるものを結ぶ「橋」に人柱が埋められた伝説についても論じられている。

23日本性教育協会JASE 現代性教育研究ジャーナル2015No.56, 2020930日取得)

24東京レインボープライド「よくわかるLGBTQ +用語講座[第12回]法的に男や女ではない「X」~ インターセックス,X ジェンダー~」2019.09.22,https://trponline.trparchives.com/magazine/lgbtqcourse/15683/2020年11月30日時点で東京レインボープライドのHPから連載自体が削除されているため,キャッシュをリンクする。(2020年10月18日キャッシュ取得)

DSDsとキャスター・セメンヤ  排除と見世物小屋の分裂⑦「キャスター・セメンヤと有色女性差別」

この章では,特にDSDs当事者の皆さん,家族の皆さんにとって,非常につらい描写及び画像が含まれております。どうか,お気持ちが落ち着いている時のみにご参照ください。そうでない場合は,この章は見ないことをおすすめします。

 

 2020年12月に発行された『ジェンダー法研究7号』(信山社浅倉むつ子先生・二宮周平先生責任編集)に掲載いただいた,ネクスDSDジャパン主宰・日本性分化疾患患者家族会連絡会代表ヨ ヘイルによる論考を,責任編集者の先生と信山社様のご厚意により,オンライン上で公開する許可をいただきました。

 一部情報をアップデートし,発行時に掲載できなかった画像資料などを加えています。

 

 大変残念なことですが,DSDsに対しては大学のジェンダー論を教えている先生方,LGBTQ等性的マイノリティのみなさんやアライのみなさん,性教育に携わる先生方,お医者様などでも,根深い誤解や偏見があります。

 当事者・家族のみなさんにはつらい描写もありますが,広く多くの方にお読みいただければと願っております。

 

DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患インターセックス)とキャスター・セメンヤ

排除と見世物小屋の分裂

 

目次

 

 

Ⅶ.キャスター・セメンヤと女性・有色人種差別

 

1.セメンヤに対する社会的「議論」の問題

 DSDsを持つ人々が社会に現れる時、どういうことが起きるのか。それを端的に表したのが、南アフリカの女子陸上選手キャスター・セメンヤの例であると思われる。2009年のベルリン世界陸上で金メダルを獲得した直後、彼女は称賛ではなく疑惑の目で迎えられた。世界陸上連盟(WA:以下「世界陸連」)1の当時の事務局長Pierre Weissは「彼女が女性ではないと正確に証明されれば、本日の記録から彼女の名前は抹消されるでしょう」2と公言し、オーストラリアのデイリー・テレグラフは、彼女自身が知らない、本来はプライバシーの領域にあたるはずの「検査」結果について、セメンヤは子宮ではなく精巣があり、染色体がXYで、男性ホルモンが通常の女性の3倍あったと関係者の証言として公然と暴露した。DSDsのほとんどが思春期以降に判明するものである。彼女の体の状態も家族も彼女自身も全く知らず、何のためのものかも知らされないまま「検査」を受けさせられ、その結果情報は彼女に知らされず、彼女の知らないところでいきなり暴露されたわけである。

当時の社会がセメンヤさんをどう伝えたか,様子を伝える動画。

ONE TRACK MINDS 1 - YouTube

2ネクスDSDジャパン『ONE TRACK MINDS 1』(2020930日取得)

 

 しかもその後、彼女の身体や彼女の容姿、彼女の性別同一性、そして彼女の性器の話は、それがまるで当たり前であるかのように世界中のメディアによって書きたてられ3、世界中の人々が、やはりそれがまるで当たり前であるかのように、彼女の処遇について「自分の意見」をぶつけ合った。「議論」は大きく二つに分かれた4

3K.Karkazis(2016), One-Track Minds: Semenya, Chand & the Violence of Public Scrutiny. ネクスDSDジャパン訳:『ONE TRACK MINDS』)(2020930日取得)

4ここでも社会の反応が、「聖性」(all good)と「穢れ」(all bad)に分裂(splitting)していることが見て取れる。

 

 一方は「彼女は本当は両性具有だから女性とは認められない」「男性ホルモンが出ている。子宮もない。女性ではないのだから女性競技に出るべきではない」という「意見」。しかし彼女は女性だと偽って競技に参加したわけではなく、間違いなく女性に生まれ女性に育っている。

 

 

 もう一方は「セメンヤのような<インターセックス>の人もいるのだから、男女に境界はない」「男女二元論は間違い。スポーツや社会は男女を分けるべきではない」など、彼女を男女二元制批判の象徴とするような「意見」も溢れた5。しかし、セメンヤがスポーツが男女別であることを批判したという話も、自分が第三の性別だと言ったという話も一切聞かない。そういった「意見」は、セメンヤの望みだったのだろうか。それは一体誰の望みなのだろうか6

 

5現在日本ではLGBTQ等性的マイノリティの人々でもDSDsに対する理解が徐々に広まっているが、やはりこのような言説は残っている。たとえば、「しかし、「生物学的性別」でなされる男女の二分は、それほど明確なものではない。スポーツにおける性別確認検査の歴史は、それがいかに困難なものであったかを示しているし、一般的に出生時に付与される性別は染色体検査によるものでもない。」:堀あきこ「誰をいかなる理由で排除しようとしているのか? ―SNSにおけるトランス女性差別現象から」『福音と世界』74(6), 42-48, 2019-06新教出版社。「LGBTの存在やセメンヤ選手(南アフリカ代表)の例から示唆されるように、男女の違いははっきり分かれているわけではなく、連続的なものと考えるべきなのではないか。」愛知淑徳大学ジェンダー・女性学研究所Newsletter46、(2020930日取得)

6長年インターセックスDSDsを持つ人々の支援を行い、セメンヤと同じく「高アンドロゲン症」を理由に一時競技の参加を止められたインドの女性スプリンター、デュティ・チャンドのスポーツ仲裁裁判所CAS)への提訴で証言を行った、イェール大学の生命倫理学者カトリーナ・カルケイジスは、自分がコメントを求められたAP通信の記事「キャスター・セメンヤ スポーツ界の性別二元制に挑む」に対して、「彼女が挑んでいるのはそういうことではない。そういう言い方は選手に対して有害です」と批判している。(Katrina Karkazis,Twitter)。そもそも、競技の男女別がなくなれば、セメンヤが出場している陸上競技では彼女はメダルを獲得することができなくなるのは明らかなのに、セメンヤを擁護しているつもりでなぜそういった議論になるのか、筆者も全く理解ができない。やはりここでも、自分の望みと異なる他者、個々の人間のリアイリティというものが、いとも簡単に切除されているのである。

 

 この両者の「意見」とも、「XY・精巣なら男性」という強迫的な社会的生物学固定観念、あるいは「半陰陽フレームワーク」に基づいた議論であることは確かである。トランスジェンダーの人々の「性自認」の位相の話との混同も同じだろう。AISなど、XY・精巣で高アンドロゲン状態でも、細胞がそのアンドロゲンに完全にあるいは一部しか反応しなければ、胎児がその原型のまま女性に生まれ育つことはある。

 さらに、自分や自分の子どもがセメンヤと同じ立場にたった場合を想像してみてほしい。まだ18歳の女の子が、他人の身勝手な侵害の許されない自分の「性器」の話について、自分の全く望まない話で、まるで自分の「モノ」のように憶測や偏見に基づいて話をされるという場面を。「あいつは女性とは認められない」という悪意や、「男女の境界はない」といった一見「善意」の意見であれ、世界中の人々が自分の極めて私的でセンシティブな自らの「生殖器」という領域についての話をしている光景を。彼女は世界中で「見世物小屋」のごとく晒し者にされたといっても過言ではない。そこではセメンヤはまるで光を当てる角度で様々な色を映し出すプリズムのように、周囲の「自分が見たいものを見る」視線によって、様々なモノとなっていった。当時の状況をアメリカのスポーツライターはこう書いている。 

 

リポーターたちは彼女を「インターセックス」と呼びつけた。しかし私は、セメンヤ自身が自分をインターセックスだと言ったというリポートをひとつも見つけられなかった。そして彼女は、彼女をニュースの売りものにされてしまうことも、彼女を「インターセックス選手」と呼ぶ記事も止めることはできていない。「世界は黒人のクィアインターセックスの選手を受け入れる準備はあるか?」というタイトルの記事もあった。しかしセメンヤは自分をクィアだとも語ってもいない。彼女の人生は、ますます彼女のものではなくなっていった。セメンヤの身体は、リポーターたちが必要とするものだったらどんなものにもなっていった。ケイト・ファーガンがTwitterで語ったとおりに。「セメンヤは女性だって分かる。だって、みんなして彼女の身体を支配しようとしてるから」。7

 

 セメンヤは一時、南アフリカで自殺予防の保護下にあり、当時の南アフリカのスポーツ委員長は、セメンヤの様子を「まるでレイプされた人のようだ」と証言した8。後に彼女はこう言っている。

 

「自分の尊厳が傷つけられて怖かった。他人が私について考えることを私には止められなかった。私のこと、私の自律性、私の中のことのはずなのに。」9

「私の存在に関わる最も深く私的な領域に、不当に侵襲的な詮索の視線を受けてきました。(筆者中略)それは選手としての私の権利だけでなく、私の尊厳とプライバシーの権利を含む人間としての根本的な権利を犯すものでした。」10



2.世界陸連の「DSD規制」の問題点

 

 セメンヤは後に陸上競技に復帰したが,これは世界陸連から薬理的にアンドロゲン値を下げることを条件とされていたことが明らかになっている11。しかし、セメンヤと同じく高アンドロゲンを指摘され出場を制限されたインドの女子短距離選手デュディ・チャンドがスポーツ仲裁裁判所CAS)に訴えを起こし、2015年にCASは世界陸連にアンドロゲン規制の停止を求める決定をする。以降しばらくセメンヤはアンドロゲン値を下げることなく競技に参加できていた。しかし、20184月に世界陸連は女性選手の「公平性」を保証するためにと、新たな「高アンドロゲン規制」を発表。セメンヤはCASに提訴し、新規制は一時保留されたが、CAS20195月に、この規制は「差別的」だが「このような差別は必要かつ合理的、そして適切な手段である」としてセメンヤの訴えを棄却。セメンヤはすぐに南アフリカ陸上連盟とともにスイス連邦最高裁判所に上訴し規制は一時停止されるが、20197月にスイス最高裁は新アンドロゲン規制の一時停止の仮命令を撤回。20209月にセメンヤの訴えは正式に退けられた。筆者は、これほどに様々なマイノリティの人々の人権が叫ばれる現代に、「必要で合理的な差別」という文言を見て驚かざるを得なかった。

11セメンヤは当時のことを「IAAFは過去にも私をモルモットとして利用し、彼らの求める医療が私のテストステロン値にどう影響するかを実験した」と訴えている。 AFP2019)『「私をモルモットとして利用した」 セメンヤが国際陸連による扱いを批判』(2020930日取得)

 

 世界の規制は何度も変更され、最終的に「DSD規制」、すなわち、法的に女性(もしくは「インターセックス」)で、DSDsXY女性で高アンドロゲン状態にあり、そのアンドロゲンに反応する体の状態を持つ女性選手12は、400Mから1マイルまでの国際的な陸上競技に参加するためには、半年間、血中のアンドロゲンレベルを、経口避妊薬投与あるいはGnrHアゴニスト13の注射、もしくは性腺摘出を行うことで、5nmol/L以下にしなければならないということになっている。

122019年時点の規制では、CAH等のXX女性、あるいはAISXY女性でも細胞が完全にアンドロゲンに反応しない型は対象外となる。しかし、「高アンドロゲンらしい」と見られた女性選手は「検査」自体は受けさせられることになる。

13下垂体に作用し、性腺からのホルモン産生を抑制する薬品。ホルモン抑制の重篤な副作用として骨量低下や更年期障害がある。

 

 この規制を主導した世界陸連のメディカルサイエンス部門の男性医師ステファン・バーモンは、この規制について「最新の研究では、新規定が適用される距離でDSDの女子アスリートにアドバンテージがあることが分かった」14としている。しかし、この研究で分析された陸上競技で最もパフォーマンスの差が大きかったのはハンマー投げ4.53%)と棒高跳び2.94%)だが、これは規制の対象外となり、今回規制の対象となった400M400Mハードル、800Mは、それぞれ2.73%、2.78%、1.78%の差しかなく、1500Mについては差がない、1マイルは分析されなかったが、やはり規制の対象となっている。しかしこの研究では、女性選手と男性選手のパフォーマンスの差はおよそ1012%としており、実際にはDSDs女性選手のパフォーマンスは男性との差よりも圧倒的に小さい15。しかも、最も差の大きいハンマー投げ棒高跳びは対象外で、差がない1500M1マイルは規制対象とされ、400Mから1マイルと、セメンヤが出場する競技のみが規制の対象となっていることで、実質上セメンヤを締め出す規制となっていることが問題となっている。

 

14AFP2018)『男性ホルモン値の新制限、セメンヤが「標的」と物議醸す』(2020930日取得)

15「セメンヤは男性並みに速い」というイメージがあるが、現実にはセメンヤの800Mの記録(15460)は女子歴代の5位でしかなく、日本の男子中学生十傑10位の15410より低い。(男子の世界記録は14191で、セメンヤは12秒以上低い)。また、現実には選手のパフォーマンスはテストステロンの量のみで決まるものではないのは明らかだろう。もしそうなら、競技も必要なく,テストステロン量だけでランキングすれば良いことになる。

 

 そして、DSD規制によって槍玉に挙げられている、XY女性の高アンドロゲン状態となる体の状態は、たとえばAISはそもそも体の細胞のほとんどがアンドロゲンに反応しないために女性に生まれ育つのである。AISの場合、体がどれほどアンドロゲンに反応しているを医学的に測る指標はなく、したがって、血中アンドロゲン値の測定は実は全く意味をなさないのだ16。一方、DSDs以外でもXX女性のアンドロゲン過多となるPCOS多嚢胞性卵巣症候群17は体の細胞が全てアンドロゲンに反応するが、こちらは一切規制の対象となっていない。

16このため、よく「テストステロン値階級別にすれば良い」といった素朴な代案は全く意味がなく、体の全ての細胞がアンドロゲンに反応するMtFトランスジェンダー女性選手とも話が全く別であることにも注意しなければならない。そして高アンドロゲンのDSDsXY女性で、ほとんどの細胞がアンドロゲンに反応しないという事実は、後述する「検査」の問題にも関わってくることになる。

17一般的なXX女性では、15-20%に見られる。The Lancet Diabetes Endocrinology. Empowering women with PCOS. Lancet Diabetes Endocrinol. 2019;7(10):737.

 

3.有色女性差別の問題

 また、このような規制で指摘されているのが「女性差別」の問題である。このような規制は女性選手のみに適用され、たとえば男性選手の高アンドロゲン状態は一切問題とされていない。そもそも五輪に出るような選手は他の人とは違う類まれな身体を持っていても全くおかしくないだろう。たとえば男子水泳選手のマイケル・フェルプスは、疲労物質である乳酸が通常の人より半分しか産生されない「驚異的な」身体だとして称賛されている。ウサイン・ボルトが驚異的な身長であったとしても、「不公平」だから薬理的に足を短くするように言われたという話は聞かない。しかし、もし女性選手が優秀なパフォーマンスを発揮すると、称賛されるどころか疑いの目で見られ、「検査」を受けさせられ、「公平性」の名のもとに薬理的・外科的「治療」が行われるのだ18

18逆にドーピングを受けさせられるようなものだろう。

 

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 さらに問題となっているのが、世界陸連が2011年に女性選手に対する「高アンドロゲン規制」を策定してから、その規制の対象とされたのが、なんとも気持ち悪いことに、南半球の有色女性選手のみになっているという点である19。ここには、有色女性への「植民地主義」的な差別的認知があると言われている。南アフリカ生まれのフェミニストChé Ramsdenは、たとえばリオ五輪女子800Mでセメンヤと競い5位だったジョアンナ・ジョズウィックが「私は(競技のゴールラインを切った)最初のヨーロッパ人であること、1位の白人であることを嬉しく思ってます」「なんでああいう顔・体なのか、どんな容姿なのか、どんなふうに走るのか、見れば分かるでしょ」(強調は原文)と発言するなど、白人女性選手の一部から黒人女性選手の容貌や体格を揶揄するコメントが出た一方、800Mの世界記録保持者の白人女性ヤルミラ・クラトフビロバは、その「女性性」が疑われたことはなかったことを指摘している20。つまり、白人社会の目からは、植民地主義時代や奴隷売買の時代に黒人女性が労働力として売買されたように、有色女性をして、その容貌や体つきから「女らしくない」「男のようだ」、あるいは「黒人を動物のように見る」(強調筆者)ステレオタイプな差別的認知があるというわけだ21

19女性選手全員の染色体検査の時代は白人女性選手も出場を阻まれるケースがあったが、2000年以降のアンドロゲン規制から、「疑義がかけられた」選手に対するIAAF「任意」でのピックアップ検査となり、それ以降なぜか有色女性ばかりが出場を阻まれる結果になっている。また、パフォーマンス差が大きいのになぜか規制の対象外となっている女子ハンマー投げ棒高跳びは、世界10傑において有色女性選手がほとんどいない競技であるという点も注視しなくてはならないだろう。

20Ché Ramsden2016Classifying bodies, denying freedoms. ネクスDSDジャパン訳『身体の分類。自由の否定。』)(2020930日取得)

21たとえば、ミッシェル・オバマの容姿や体格をして「本当は男性」「トランスジェンダー」「半陰陽Hermaphrodite)」とするフェイクニュースアメリカの右派で流布したという例もある。PinkNews, Right-wingers are spreading rumours that Michelle Obama is trans – again – and it all stems back to this failed Republican congressional candidate. May 18, 2020.2020930日取得)

 

 これは医学の分野でもそうだ。前述のカルケイジスは、17世紀から20世紀までの医学テキストでは、「奇形の曖昧な外性器」、特に陰唇・陰核肥大はアフリカ系の女性に特徴的なものだという点で一致しており、スポーツにおける「性別確認検査」での生殖器検査は、黒人女性の生殖器の歴史的病理化と対応していることを指摘している22

 

 

 南アフリカフェミニスト、シソンケ・ムシマンは次のように述べている。

 

「黒人女性は常に、その女性性のグラデーションの悪い側に立たされている。そしてその最たるものが、キャスターの話でした。たしかに彼女は高アンドロゲン症で、彼女の話は確かに更に劇的なものではあるでしょう。ですが、その劇的な話も実は、白人社会が作った女性性という観念のカテゴリーに落とし込まれて作られたものだったのです。」23

 

 

 

 

4.「検査」の問題

 

 では、セメンヤが受けさせられた「検査」とはどのようなものだったのか。前述のカルケイジスは、高アンドロゲン状態の「基準」として世界陸連が規定している指標には、「声の低さ・乳房萎縮症・一度も生理がない(または数ヶ月間生理が来ていない)・筋肉量の増加・男性タイプの体毛(17歳以上の頂点脱毛症)・タナースコアが低い(I / II)(図4)・F&Gスコア(>6 /美しさで最小値)(図5)・子宮がない・陰核肥大症(典型的な陰核よりも大きい)」などがあることを指摘している。その中でも、世界陸連の担当医師バーモンが、「男性化のレベルについて非常に良い情報」として、太字・全大文字・+++記号で異様に強調しているのは、「陰核の大きさ」である。

(図4)タナースコア:女性の乳房・陰毛などの発達段階を測るスコア。Ⅰ / Ⅱ段階は「平均」より乳房・陰毛の発達が低いことを示す。

 

(図5)F&Gスコア:女性の上唇・顎・胸部・上下腹部などの多毛症を評価するスコア。>6 は「平均」より多毛であることを示す。

 

 

 では、このような指標によって、現実にはどのような「検査」状況となるのか、北米の女性スポーツライターが描写している24

 

医師たちはどうやってそれを調べるか? まず彼らは彼女の細胞のレセプターがどれくらいテストステロンに反応するかを調べるだろう。そしてそのレセプター異常で既に知られている遺伝子をスクリーニングする。彼女の声がどれくらいしわがれ声か測定し、彼女の陰毛と乳房の発育を物差しで測り、筋肉量を測定し、彼女の陰唇のサイズを測り、彼女の膣を触診し、彼女の肛門生殖器の長さを測る。別の言葉で言えば、彼らは、彼女が、「インターセックスの状態」によって、どれほど「男性化」しているか、どれほど「男になっているか」、測定しようとしているのだ。想像してみて。医師があなたの陰毛の長さを物差しで測り、あなたの膣が膣であるかどうかを確かめようとしている場面を。あなたを女性と見なしていいかどうか測定している場面を。私はそんな処置の場面を考えるだけで身の毛が震え、胸が痛くなって苦しくなってくる。

 

 これは,「検査」ではなくレイプと呼ぶべきだろう。ではなぜこういう陵辱的な「検査」になるのか25。前述のとおり、DSDsXY女性は、一部しかアンドロゲンに反応しない場合、アンドロゲン受容体の数値を測定する内分泌学的な指標はないため、女性の極めて私的でセンシティブな領域に対して、このレイプのような検査となるわけだ。注意しなくてはならないのは、このような「検査」は現在でも、「疑義のある」、つまり優秀なパフォーマンスを発揮した「男のように見える」女性選手に対して世界陸連の任意でピックアップして行えることになっていることだろう。当然ながら、優秀なパフォーマンスを出した特定の女性選手が何度か大会を休場したり、競技種目を変更したりすれば、それだけで疑いの目で見られることになり、あるいはまた晒し者にされ、選手生命自体が閉じられることは十分に考えられる。

24Diana Moskovitz・前掲注(113)。同じく「高アンドロゲン」を疑われたインドの女子スプリンター、デュティ・チャンドも同じような「検査」を受けさせられたことを証言している(インド陸上連盟は否定している)。チャンドは検査結果については暴露されなかったが、「性別確認検査に落ちた」ことは報道され、当時のことを「ニュースでは、私は男の子だと言っている人もいました。(筆者中略)私は丸裸にされているように感じました。私は人間ですが、自分が動物のように感じました。こんなに恥辱を受けてどうやって生きていくのかと思いました」(強調筆者)と語っている。The New York Times Magazine2016The Humiliating Practice of Sex-Testing Female Athletes. 2020930日取得)

25現在のDSDs専門医療ではここまでの検査は行わず、患者・家族の人権を配慮したものになっている。その前に,そもそも根本的に目的が異なる。現在の医療ではそれが命に関わるものなのかなどの鑑別診断として行われるが、IAAFによる検査は、「どれくらい男になっているのか」測定する検査で、18歳の女の子を破壊し尽くすのに十分以上なものとなっている。

 

 そしてその上での「治療」の問題もある。もちろんホルモン値を下げることで骨粗鬆症更年期障害のリスクが高まるということもあるが、現実にはそれだけにとどまらない。ロンドンオリンピックでは、1821歳の「発展途上国」出身の女子選手4人がこのような「検査」を受けさせられ、「出場資格を回復するため」と、性腺摘出と、なぜか競技には全く関係がない陰核減縮術を受けさせたことを世界陸連が認めている26。その後2019年、ウガンダの女子1500Mの女性選手アネット・ネゲサがその一人として、バーモンから「簡単な手術」と言われ、「治療」を受けさせられたことを証言している27

 

 世界陸連の男性医師バーモンはDSD女性選手規制について次のように述べている。

 

テストステロン値が高く、女性として社会的に認められていて、「女性らしく」なりたい、女性と競争したいと思っているのであれば、女性性を肯定する治療法(経口避妊薬など)が標準的な治療法になります。私たちは「人を規範に合わせる」ことは何もしていません。人が女性であると主張し、この保護された女性の部門で競争したいと思えば、彼女はテストステロンのレベルを下げて幸せになるべきなんです28

 

世界陸連医師ステファン・バーモン

 

 バーモンの考えに見られるのは、社会的生物学固定観念の頑ななまでの強迫性であり、女性を「保護」の名のもとに、レイプのような「検査」を行い、選手のパフォーマンスに全く関係のない陰核の手術まで行い、白人社会が(よって日本に住む我々も)考える「女性性」の檻に閉じ込める意識であろう。そして一方、社会の側も、やはりDSDsを持つ人々に対する社会的生物学固定観念と、有色女性に対する「男のようだ」とするバイアスを元に、DSDsを持つXY女性をして「男でも女でもない」として女性から排除するか、「男女の境界のなさ」として「祀り上げ」てきているわけだ29

29バーモンは他にも、「世論が変わる必要があるが、私はインターセックスの選手のための第三の競技カテゴリーを支持している」と述べている。もちろん、DSDsに限らず本人の性自認がたまたまノンバイナリーなど,選手本人がそれを望まない限り、「見世物小屋」にしかならないことは必然だろう。The Guardian2018IAAF doctor predicts intersex category in athletics within five to 10 years. 2020930日取得)

 

 一方,南アフリカの人々は,セメンヤさんを「私たちの娘」として本当に大切にしている。そういった彼女を支える姿勢の背景には,やはり南アフリカの有色女性が受けてきた非人間的な歴史がある。特に「キャスターはモックガディ」30という詩がシェアされ,モックガディというセメンヤの誕生名が「男子に人気の女の子」という意味から,「彼女は女性に生まれたのだ」「キャスターはモックガディだ」と,彼女が確かに女性に生まれ育ったことが主張されている。

 筆者も,セメンヤさんについて「染色体がXYで精巣だったら男性でしょう。途上国のアフリカではまだ『体の性もグラデーション』という観念がないから」と、LGBT支援者を自認する大学教授から反論を受けたことがある。しかし,現在のDSDsの先端医療では,XY・精巣でも,染色体ではなく遺伝子レベルで女性に生まれ育つことがあるとされている。実際には、人類誕生から700万年、今からたかが70年ほど前の1953年のAIS女性の「発見」、あるいは1960年以前のXY染色体がまだ「性染色体」でなかった時代(これは,女性と男性の別がなかったということではない)ならば、「性自認」も何も関係なく、彼女は確かに女性に生まれ女性に育った、ただの「速い女性」に過ぎなかった。間違っているのは、先天的な女性・男性の体の構造について,中途半端な知識にあまりに強迫的で傲慢になっている「先進国」の我々の側なのだ。

 もうひとつ筆者が注目したいのは,南アフリカの人々がセメンヤさんを大切にしているのは,「多様性」や「LGBTQ」などのスローガンでも理念でもないというところだ。ムシマンは,セメンヤさんが南アフリカで,族長でもミソジニストでもホモフォビアの人でも愛されていることを指摘している。南アフリカの人々をつなげているのは,なにかの理念や理論ではない。アフリカの人々の歴史的なパトス(受苦)の歴史を彼女の苦難に見て,それを彼女に背負わせてはならないという想いからだ。セメンヤさん自身もこれまでほとんど沈黙を貫き通し,一時は世界陸連の不当なホルモン抑制を受けてきた。しかし,なぜこの時期に訴えを起こしたのか。それは彼女自身の引退が見えてきた年齢で,これからの同じような女の子たちに自分が受けた受苦を受けさせたくないという想いからだということも指摘しておきたい。

 

 世界医師会は2019年に,世界陸連のこのような規制に対して「これらの規制は倫理的妥当性について強い懸念を持っている」と,即時の撤回を求める声明を出している31。。国連人権委員会も遅まきながら2020年に,IAAF の規制を見直し・改定・撤回を求める報告書を出している(143)。セメンヤは規制外の200Mに挑戦しながら,欧州人権裁判所への提訴の準備を進めているとの情報もある。

 さらに、この世界陸連による高テストステロン女性選手と一般女性選手とのパフォーマンス差の調査は、実は事前にわかっていたにもかかわらず、調査に不備があったという論文訂正が、セメンヤが出場できなかった東京オリンピックが終了してから、やっと発表されたということも海外のメディアでは問題視されている。訂正された論文では、テストステロンの上昇と女性の運動能力の向上との間に「因果関係を示す確証はない」「低いレベルのエヴィデンス」で「論文中の記述は誤解を招く恐れがあった」と認めていたことが今になって明らかになったのだ。セメンヤ側の弁護士は,なぜこれまで世界陸連がこの訂正の事実を隠し続けていたのか,強く疑義を呈し,非難している。

 南アフリカ出身のフェミニストであるラムスデンは,セメンヤの件について世界中のフェミニストが反対の声をほとんどあげていないとしているが,次にこそは,南アフリカの10歳の子どもの言葉に学び,セメンヤさん自身を護る声を上げていただければと筆者は望む。

 

(セメンヤはお手本になる?)うーん、分かんない。彼女は走るのが好きなだけでしょ?お手本なんかになりたくないんじゃない?だって彼女は見世物じゃないもん。彼女はただ走ってみんなを力づけたいだけなんだから。32

 

しかし,大変残念ながら,DSDs女性に対する差別と有色人種女性差別の接点,あるいは南アフリカの人々がここまでセメンヤさんを護ろうとする意味はこれだけではない。次章では,さらなる深い歴史の闇について述べていく。

 

次の章「第8章: DSDsを持つ人々に対する「原初的差別」」

nexdsd.hatenablog.com

 

1旧「国際陸上競技連盟(IAAF)」。現在は「世界陸連(World Athletics)」に改称しているため,本論ではすべて現在の名称を用いる。

2ネクスDSDジャパン『ONE TRACK MINDS 1』(2020930日取得)

3K.Karkazis(2016), One-Track Minds: Semenya, Chand & the Violence of Public Scrutiny. ネクスDSDジャパン訳:『ONE TRACK MINDS』)(2020930日取得)

4ここでも社会の反応が、「聖性」(all good)と「穢れ」(all bad)に分裂(splitting)していることが見て取れる。

5現在日本ではLGBTQ等性的マイノリティの人々でもDSDsに対する理解が徐々に広まっているが、やはりこのような言説は残っている。たとえば、「しかし、「生物学的性別」でなされる男女の二分は、それほど明確なものではない。スポーツにおける性別確認検査の歴史は、それがいかに困難なものであったかを示しているし、一般的に出生時に付与される性別は染色体検査によるものでもない。」:堀あきこ「誰をいかなる理由で排除しようとしているのか? ―SNSにおけるトランス女性差別現象から」『福音と世界』74(6), 42-48, 2019-06新教出版社。「LGBTの存在やセメンヤ選手(南アフリカ代表)の例から示唆されるように、男女の違いははっきり分かれているわけではなく、連続的なものと考えるべきなのではないか。」愛知淑徳大学ジェンダー・女性学研究所Newsletter46、(2020930日取得)

6長年インターセックスDSDsを持つ人々の支援を行い、セメンヤと同じく「高アンドロゲン症」を理由に一時競技の参加を止められたインドの女性スプリンター、デュティ・チャンドのスポーツ仲裁裁判所CAS)への提訴で証言を行った、イェール大学の生命倫理学者カトリーナ・カルケイジスは、自分がコメントを求められたAP通信の記事「キャスター・セメンヤ スポーツ界の性別二元制に挑む」に対して、「彼女が挑んでいるのはそういうことではない。そういう言い方は選手に対して有害です」と批判している。(Katrina Karkazis,Twitter)。そもそも、競技の男女別がなくなれば、セメンヤが出場している陸上競技では彼女はメダルを獲得することができなくなるのは明らかなのに、セメンヤを擁護しているつもりでなぜそういった議論になるのか、筆者も全く理解ができない。やはりここでも、自分の望みと異なる他者、個々の人間のリアイリティというものが、いとも簡単に切除されているのである。

7Diana MoskovitzThe Debate About Caster Semenya Isn't About Fairness. Deadspin(2016) ネクスDSDジャパン訳『キャスター・セメンヤの話は、公平性の話なんかじゃない。』)(2020930日取得)。セメンヤはその後女性と結婚しているが、やはり自身を「レズビアン」とも「クィア」とも表象せず、現在までLGBTムーブメントとも一定の距離をとっている。

8CBC Sports(2009), Runner Semenya under suicide watch: report. 2020930日取得)

9BBC2015Caster Semenya: 'What I dream of is to become Olympic champion'. 2020930日取得)

10The Guardian2010Caster Semenya's comeback statement in full. 2020930日取得)

11セメンヤは当時のことを「IAAFは過去にも私をモルモットとして利用し、彼らの求める医療が私のテストステロン値にどう影響するかを実験した」と訴えている。 AFP2019)『「私をモルモットとして利用した」 セメンヤが国際陸連による扱いを批判』(2020930日取得)

122019年時点の規制では、CAH等のXX女性、あるいはAISXY女性でも細胞が完全にアンドロゲンに反応しない型は対象外となる。しかし、「高アンドロゲンらしい」と見られた女性選手は「検査」自体は受けさせられることになる。

13下垂体に作用し、性腺からのホルモン産生を抑制する薬品。ホルモン抑制の重篤な副作用として骨量低下や更年期障害がある。

15「セメンヤは男性並みに速い」というイメージがあるが、現実にはセメンヤの800Mの記録(15460)は女子歴代の5位でしかなく、日本の男子中学生十傑10位の15410より低い。(男子の世界記録は14191で、セメンヤは12秒以上低い)。また、現実には選手のパフォーマンスはテストステロンの量のみで決まるものではないのは明らかだろう。もしそうなら、テストステロン量だけでランキングすれば良いことになる。

16このため、よく「テストステロン値階級別にすれば良い」といった素朴な代案は全く意味がなく、体の全ての細胞がアンドロゲンに反応するMtFトランスジェンダー女性選手とも話が全く別であることにも注意しなければならない。そして高アンドロゲンのDSDsXY女性で、ほとんどの細胞がアンドロゲンに反応しないという事実は、後述する「検査」の問題にも関わってくることになる。

17一般的なXX女性では、15-20%に見られる。The Lancet Diabetes Endocrinology. Empowering women with PCOS. Lancet Diabetes Endocrinol. 2019;7(10):737.

18逆にドーピングを受けさせられるようなものだろう。

19女性選手全員の染色体検査の時代は白人女性選手も出場を阻まれるケースがあったが、2000年以降のアンドロゲン規制から、「疑義がかけられた」選手に対するIAAF「任意」でのピックアップ検査となり、それ以降なぜか有色女性ばかりが出場を阻まれる結果になっている。また、パフォーマンス差が大きいのになぜか規制の対象外となっている女子ハンマー投げ棒高跳びは、世界10傑において有色女性選手がほとんどいない競技であるという点も注視しなくてはならないだろう。

20Ché Ramsden2016Classifying bodies, denying freedoms. ネクスDSDジャパン訳『身体の分類。自由の否定。』)(2020930日取得)

21たとえば、ミッシェル・オバマの容姿や体格をして「本当は男性」「トランスジェンダー」「半陰陽Hermaphrodite)」とするフェイクニュースアメリカの右派で流布したという例もある。PinkNews, Right-wingers are spreading rumours that Michelle Obama is trans – again – and it all stems back to this failed Republican congressional candidate. May 18, 2020.2020930日取得)

22K.Karkazis & R.Jordan-Young (2018). The Powers of Testosterone: Obscuring Race and Regional Bias in the Regulation of Women Athletes. Feminist Formations.30(2). pp1-39.

23Anna KesselThe unequal battle: privilege, genes, gender and power. The Guardian 18 Feb 2018 2020930日取得)

24Diana Moskovitz・前掲注(113)。同じく「高アンドロゲン」を疑われたインドの女子スプリンター、デュティ・チャンドも同じような「検査」を受けさせられたことを証言している(インド陸上連盟は否定している)。チャンドは検査結果については暴露されなかったが、「性別確認検査に落ちた」ことは報道され、当時のことを「ニュースでは、私は男の子だと言っている人もいました。(筆者中略)私は丸裸にされているように感じました。私は人間ですが、自分が動物のように感じました。こんなに恥辱を受けてどうやって生きていくのかと思いました」(強調筆者)と語っている。The New York Times Magazine2016The Humiliating Practice of Sex-Testing Female Athletes. 2020930日取得)

25現在のDSDs専門医療ではここまでの検査は行わず、患者・家族の人権を配慮したものになっている。その前に,そもそも根本的に目的が異なる。現在の医療ではそれが命に関わるものなのかなどの鑑別診断として行われるが、IAAFによる検査は、「どれくらい男になっているのか」測定する検査で、18歳の女の子を破壊し尽くすのに十分以上なものとなっている。

26Fénichel P, Paris F, Philibert P, et al. Molecular diagnosis of 5α-reductase deficiency in 4 elite young female athletes through hormonal screening for hyperandrogenism. J Clin Endocrinol Metab. 2013;98(6):E1055-E1059.

27The Telegraph(2019)Exclusive interview: DSD athlete Annet Negesa. IAAFは彼女の証言を虚偽として非難している。:WA2019IAAF response to false claims made by athlete regarding DSD Treatment. 2020930日取得)

29バーモンは他にも、「世論が変わる必要があるが、私はインターセックスの選手のための第三の競技カテゴリーを支持している」と述べている。もちろん、選手本人がそれを望まない限り、「見世物小屋」にしかならないことは必然だろう。The Guardian2018IAAF doctor predicts intersex category in athletics within five to 10 years. 2020930日取得)

31The World Medical Association, WMA urges physicians not to implement IAAF rules on classifying women athletes. 25th April 2019, 2020930日取得)

32 The Daily Vox, We asked grade 4s to draw Caster and what they did is amazing. August 26, 2016. 2020930日取得)

DSDsとキャスター・セメンヤ  排除と見世物小屋の分裂⑥「DSDsと法:手術の是非と第三の性別欄への誤解偏見」

 

 

 2020年12月に発行された『ジェンダー法研究7号』(信山社浅倉むつ子先生・二宮周平先生責任編集)に掲載いただいた,ネクスDSDジャパン主宰・日本性分化疾患患者家族会連絡会代表ヨ ヘイルによる論考を,責任編集者の先生と信山社様のご厚意により,オンライン上で公開する許可をいただきました。

 一部情報をアップデートし,発行時に掲載できなかった画像資料などを加えています。

 

 大変残念なことですが,DSDsに対しては大学のジェンダー論を教えている先生方,LGBTQ等性的マイノリティのみなさんやアライのみなさん,性教育に携わる先生方,お医者様などでも,根深い誤解や偏見があります。

 当事者・家族のみなさんにはつらい描写もありますが,広く多くの方にお読みいただければと願っております。

 

DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患インターセックス)とキャスター・セメンヤ

排除と見世物小屋の分裂

 

目次

 

 

Ⅵ.DSDsと法:手術の是非と第三の性別欄への誤解偏見

 

 DSDsと法に関しては、外科手術の問題と、戸籍の問題が取り上げられることが多い。しかしこの2点についても誤解や偏見が多いと思われる。

 

 

1.外科手術の問題に対する誤解・偏見と実際

 

 DSDsでは、特に幼少期、本人に法的に有効な同意を与える意思能力のない時点での外科手術の是非が問題となることが多い。海外の各インターセックス人権支援団体も最大のアジェンダとして、本人への体の状態に関する情報の完全開示と、外科手術等の治療に関する本人の同意を挙げている。

 社会ではこの問題を男性か女性かの「性別判定」の問題だと勘違いし、やはり「本当は男女どちらでもない自由に性別を選べる存在なのに、無理に手術で男性か女性にされている」という、「両性具有ファンタジー」に基づく戯画的なイメージを持つ人もいるかもしれない。確かにマネー・プロトコルの時代には、男性だと分かっていても、サイズや形状が異る外性器のサイズや形状では、男性としての性別同一性を確立できないとして、陰茎切除、精巣摘出の上女性に育てる「性別割り当て」という、人間を実験のモルモットにするようなことが行われ、そのオペの目的とは逆に、多くの人々が性別違和に苦しむこととなった。また、性別違和の可能性がある体の状態や、たまたまトランスジェンダーの人もいるだろう。しかし、各人権支援団体はいずれも、エヴィデンスに基づいた女性(female)か男性(male)の「性別判定」と出生届を求めており、実は手術の問題も性別の問題ではないのである。

 ではどういうことなのか。問題となっている「正常化」手術の問題は、実際は次のようなものなのだ1

  1. 女児の陰核肥大に対する陰核減縮術あるいは切除術において、陰核のサイズのみが重視され、神経節が全く考慮されず、瘢痕化や痛みを伴ったり感覚を失ったケース2
  2. 子宮頸が欠損しているため膣が狭い(盲嚢)女児や、陰唇癒着の女児のケースで、幼少期に膣形成術や陰唇切開分離が行われ、患部が癒合しないように、幼少期に、医師が、あるいは親がやるように言われて、ダイレーションが行われたケース。
  3. 男児尿道下裂や陰茎彎曲に対するオペで、狭窄や瘻孔、瘢痕化を起こしたり、手術跡が何度も裂けるということが起き、修正手術が何度も行われたケース。
  4. 完全にアンドロゲンに反応しない型のAIS女性で、その性腺は機能的にエストロゲンを産生するため、性腺が温存されていれば生理以外の女性の自然な二次性徴が起こるにもかかわらず、幼少期に性腺が摘出され、その後ホルモン服用を要するようになったケース3

2「陰核肥大の一部や全体が除去された手術の結果、多くの患者が性的な感覚を失ったり痛みがあるなどの問題を抱えていると報告されている」: Minto CL, Liao L-M, Woodhouse CRJ, Ransley PG, Creighton SM. The effect of clitoral surgery on sexual outcome in individuals who have intersex conditions with ambiguous genitalia: a cross-sectional study. The Lancet 361:1252-1257,2003.

3AIS女性の性腺の胚細胞腫瘍発生率は思春期までは1%未満、思春期後は10-15%とされている(但し上皮腫瘍形成のリスクは常にあり、その浸潤的なリスクは不明)。一方スワイヤー症候群等の未分化性腺の芽細胞腫発生率は30-50%で、早期の摘出が必要になる。Cools M,et al., Managing the risk of germ cell tumourigenesis in disorders of sex development patients. Endocr Dev. 2014;27:185-96. また、このような性腺摘出に関して、ジョグジャカルタ原則などでは「強制不妊手術」と表現されることがある。ただし、確かに以前のマネープロトコルの時代に男性の機能する精巣の摘出が行われたことがあったが、現在人権支援団体が訴えているのは、主にたとえばAIS女性の性腺の摘出についてである。AIS女性の性腺自体はやはりアンドロゲンに反応しないため精子を作ることもない(つまり不妊状態)が、将来の生殖補助医療技術の発展によって何らかの配偶子作成が可能になるかもしれないという上での性腺温存を念頭に置いたものであることには注意しなければならない。

 

 現実のこのような話は全く理解されていないように思われる。たとえば①は、性交に望む時にオーガズムに達しないということであり、②のケースなどは、こんな異常な状況は誰にも言えないということであり、③のケースも含め、女性・男性の極めて私的でセンシティブな領域の壊滅的な打撃に関わることで、さらにこのような話が社会で「男女どちらでもない人が手術で男性か女性にされている」4とあまりに短絡化されて流布していれば、なおさら誰にも言えなくなるだろう。このような短絡的な誤解を喧伝する人は,自分の頭の中で良いことをしているつもりだけで,逆に当事者・家族の人々を差別的な偏見に晒し,抑圧しているのである。

4たとえば陰核切除・減縮術などは医学で「女性化手術(Feminization surgery)」と呼ばれることがあり、この用語が「男でも女でもない人を手術で女性にする」という偏見につながっている面もあると思われる。現実には女性の陰核肥大や陰唇癒着に対するオペを意味しているのだが、それを「女性化」と表現していること自体も(逆に女性の陰核肥大を「男性化(masculinization)」と、まるで存在として男性になるかのような表現にもなっていて、この用語は当事者・家族からは、心を深く傷つけるものとして批判が出ている)、医学において「女性なら陰核はこれくらいの大きさでなくてはならない(そうでなくては女性と言えない)」という社会的生物学固定観念・規範がはたらいていると思われる。

 

 これらのケースのいずれもが、「女性(female)ならばこういう体の状態のはず、男性(male)ならば生まれつきこういう体の状態のはず」という社会生物学固定観念から行われていることは明らかだ。①・②・③のケースでは「女性の陰核の大きさはこれくらいでなくてはならない(出生時に引っ張って2.5cm以上なら小さくしなければならない)」・「性交可能な膣がなくてはならない」、「男性ならば尿道口は先についていなくてはならない(立尿できなくてはならない)」という固定観念・規範から発している。④については、AIS女性の性腺を、機能的にはエストロジェンを産生するにもかかわらず,実体的な「男性の精巣」と見立て、性腺が男性(male)・女性(female)の本質であるかのように考える思考が見て取れる。

 ここで、各種インターセックス人権支援団体による「インターセックス」の定義が、「間性」「男女両方の特徴」といった「ハーマフロダイトイメージ」による偏見を元にしたものではなく、「女性・男性の身体の医学的・社会的規範に一致しない生まれつきの体の性の特徴5としているのは重要だろう。この定義は、やはりそれでもアカデミズムやLGBTコミュニティを含む社会全体でも「男女以外の性別」のように誤解されることが多いが、そうではなく「生来的に女性・男性ならばこういう体の状態のはず」という社会的生物学固定観念を表すものであり、そういった固定観念・規範を元に、本人の不同意の手術を無くすことを意図した定義なのである。

5Intersex Human Rights AustraliaWhat is intersex? (2020930日取得)。本論やネクスDSDジャパンでのDSDsの定義もこれに沿っている。しかしアカデミズムやLGBTコミュニティを含めた社会全体では、「インターセックス」という用語からは、やはり誤解・偏見から「間性」などのハーマフロダイト(両性具有:男でも女でもない性)イメージを想像しがちだろう。

 

 さらに上記のようなオペのケースは、目の前の人間自体は全く取り捨てられ、「ヒトのパーツ」、あるいは表層ばかりにフェティシズム的に執着し、その人の「人間的体験」が果たしてどのようなものになるのかという想像力が全く欠けていることも注視しなくてはならない。女性の陰核は、その表層的な大きさしか見られず、相手の愛を感じるという人間としての根源的な関係相互作用は発想にさえ入っていない。幼少期にダイレーションを行うということがどういうことなのか、それを親にやらせるということがどれほど異常なことなのか、それを想像する能力は全く欠如しているようである。

 このような想像力の欠如は、医療環境にも反映され、DSDsを持つ子どもが、何の検査かも知らされず、「珍しい症例」を見るために来た研修医に囲まれて性器をジロジロ見られたり、性器や全裸の写真が平気で撮影されたわけだ6

6現在のDSDs専門医療では、本人もしくは親の同意の上での全身麻酔下での具体的な術式の撮影などを除いて、このような人権侵害にも当たる行為は厳に慎まれている。

 

 ISNAを機とする各人権支援団体が長年求めているのは、Physical integrity(身体の不可侵性)とautonomy(自律性)、すなわち、身体情報の本人への完全開示、手術などの治療に対する各種治療法のPros & Cons(良い点と悪い点)7を本人に説明した上での、何もしないことを含む治療法の選択である。「インターセックス」を標榜する人権支援団体の(第三の性別欄には反対等の)様々なアジェンダ、「インターセックス」の定義についても、全てこの目的のために行われていると見ると、その動きはわかりやすくなる。

 筆者自身もこれらの主張に賛同はしているが、現在例えば尿道下裂のオペについては術式の発展により2回を目標としたものになっていて幼少期に標準的に行われていたり、陰核減縮術についても日本では以前から神経節に考慮した術式となっており、手術を先延ばしにしてもほとんど大多数の当事者女性が自分で希望してオペを受けているという現状(なぜ早めにやってくれなかったのか?という訴えもある)を鑑み、ネクスDSDジャパンとしては当事者・家族両方の支援を行えるようにしたいため、それほど強くは訴えないようにしている。オペの是非を当事者・家族の責のように捉えるのではなく、もう少し大きく、なぜ当事者や家族がオペをすることになるのかという社会的要因について考えたいと思っている。その要因としては当然、「男性(male)ならこういう体の状態のはず,女性(female)ならこういう体の状態のはず」とする,1950年代前後以降の強迫的な社会的生物学固定観念,そしてジェンダークィア論などのアカデミアを含む社会全体での「両性具有のようなものを見たい」という窃視症的な社会的享楽がある。当事者・家族は,そのような享楽から逃れるためにオペを行うという側面もあるのだ。

 また、日本では欧米との「主体性」の感覚の違いがあるように感じており、日本の当事者の人々からはオペの是非よりも「ケア(手術とは限らない)の必要性」を聞くことが多い。さらに情報開示についても、本人が望んで情報開示された場合と、本人が望んでいないのにいきなり全て情報開示をされた場合とでは、精神的予後にかなりの違いがあるように感じている。いずれにしても情報開示は、緊急性のない限り、「告知」と言うよりも、本人の発達段階に応じて少しずつ「説明」するという形式をとり、その都度本人の「知りたくない権利」も認めるべきだと考えている。

 やはり支援団体が求め続け、現在DSDs専門医療で主流になりつつある「チーム医療」(外科医中心ではなく、主に小児内分泌科医が中心となって、児童精神科医臨床心理士、婦人科医、外科医等が参加する集学的医療)では、徐々にこのようなインフォームド・コンセントの上での治療方針決定がされるようになってきている。

7 たとえば、AISやロキタンスキー症候群を持つ女性の膣の盲嚢についても、以前はリスクの大きい膣形成術が主流であったが、何もしない、あるいは現在ではよりリスクの低い膣拡張法や低侵襲像膣法(べキエッティー法)などの選択肢がある。



2.戸籍届の問題と、第三の性別という誤解・偏見

 

 「インターセックスの人々は第三の性別欄を求めている」という誤解偏見も多い9

9たとえば、「性別適合のための処置で満足のいく結果が得られなかったトランスジェンダーインターセックスに適用される。この法制が画期的なのは、「第三の性」を創設し、恒久的なものとすることである。オーストラリアのような措置は非常に珍しい、今後各国の制度的先例になる可能性がある。」松宮智生『スポーツにおける男女二元制に関する一試論−性別確認検査における女子競技者の基準を起点に−』THE ANNUAL REPORTS OF HEALTH, PHYSICAL EDUCATION AND SPORT SCIENCE VOL.35, 19-27, 2016。「これは、性別適合手術を行っていないトランスジェンダーの方や、性自認が男でも女でもない(あるいは両方である)と感じるXジェンダーの方、インターセックスの方などの生きづらさを緩和しようとするもの、そもそも性別は「男」「女」に限らないと国が認めたという意味でも歴史的な快挙と言えます。」g-lad xx,「オーストラリアのパスポートには性別欄が3つある。」という車内広告が登場』(2020930日取得)

 

 しかし、そういった誤解に全く反して、各種DSDsサポートグループ、患者・家族会レベルはもちろん、「インターセックス」を標榜する活動家たちの人権支援団体も、男女以外の「第三の性別欄」のDSDsインターセックス)への適用に対しては、実はかなり強く反対している。

 たとえば、2014年にオーストラリアの出生・死亡・婚姻届での男女以外の「non specific(不特定)」が認められたケースは、「出生時に男性の生殖器官をもって生まれ、後に女性への性別適合手術を受けたが、手術後の体の性(sex)が曖昧で、ノンバイナリーの性自認を好むようになった」トランスセクシャルの人とその弁護団が、実は当初「intersex」または「non specific」の性別欄を求めたもので、申立人の状態を「インターセックス」という用語と同義語で使用することを賛成するよう裁判所に主張していた10。オーストラリアのインターセックス活動家団体Intersex Human Rights Australiaihra)は判決前に声明を出し、「この件についてはコメントもしたくない」「私たちは巻き込み被害を受けている」「申立人と弁護団の戦略は、インターセックスを利用するものだ」と強い懸念を表明している11

 

 これはまず何よりも、Ⅲで述べたように、DSDsインターセックス)を持つ人々の身体が、現在のLGBTムーブメントにおいて、男女以外の代名詞(they)やトイレなどの議論に搾取的に道具化される「構造的暴力」のひとつだからである12これは活動家たちの主張だけでなく、一般の当事者・家族にとっても、自らの、あるいは自分の子どもの極めて私的でセンシティブな生殖器という領域の話を、そこだけを切り取られて、自分の預かり知らないところで道具のように使われるというのは耐え難いものである。

12「(我々インターセックスの)第三の性別への帰化政策は宗教的な熱情のように進められているが、そこでは一方で、インターセックスの人々の存在は他の重複する集団の利益のために道具化されている。」:Morgan CarpenterThe“Normalization”of Intersex Bodies and“Othering”of Intersex Identities in Australia. Journal of Bioethical Inquiry volume 15, pages487–495(2018)。「インターセックスの人々を第三のsexgenderとして分類しようとする試みは、我々の多様性や自己決定権を尊重していない。こういった試みは、インターセックスの人が、出生時の二元論的な法的sexアイデンティティを持つかどうかにかかわらず、広範囲の害を与える可能性がある。我々がどのように扱われているかよりも、インターセックスの人々をどのように分類するかばかりに目を向けることは、構造的暴力の一形態でもある。」: ihra, Darlington Statement. 2020930日取得)


 

 

 

 また、体の状態でしかないインターセックスDSDs)を、男女以外の第三の性別に帰せられることは、活動家レベルでは「インターセックスの人々の多様性」を失わせることであり、一般の当事者・家族レベルでは、大多数の当事者が切実に女性・男性であるのに、「男女以外」というやはり耐え難い偏見を押し付けることになる13

13筆者の元には、「男・女・その他」とした性別欄を見て自殺未遂した、診断直後の女の子についての相談も受けている。「その他」は日本のXジェンダーの人々に配慮したものだろうが、診断直後のトラウマの深いDSDs当事者には、「男女以外」という偏見をもとに自分を名指しされているように感じられるからだ。ネクスDSDジャパンとしては、妥協案として、不要な性別欄は廃止し、必要ならば「性別(   )」と自由記入とすることを提案している。また、身体のグラデーション図についても「自分(の体)がどの辺か考える」という授業で不登校になった子どもについての親御さんの相談も受けている。

 

 そして、オーストラリアのケースで活動家が強く懸念しているのは、「体(sex)が曖昧な状態になったから、性別(gender)をインターセックスとする」というロジックでは、「インターセックス」をgenderの話とする誤謬だけでなく、身体とアイデンティティを一致させなくてはいけないという認識を強め、インターセックスの体の状態(DSDs)を持つ子どもに対する手術を促すものだという点である14。女性・男性の体に対する社会的生物学固定観念が非常に強い現代にあっては、女性だと判明していても「これでは女性とは言えない」という規範のもと、陰核の手術が行われることを許容することになるのだ。

14第三の性の分類は、乳児にさらなる困難をもたらす。親は、スティグマや暴露、社会的な無理解を、身体への介入によって避けなければならないとプレッシャーを感じることになる: Morgan CarpenterThe human rights of intersex people: addressing harmful practices and rhetoric of change. Reproductive Health Matters Volume 24, Issue 47, May 2016, Pages 74-84

 

 このオーストラリアのケースは、申立人のトランスセクシャルの人とその弁護団の、DSDsインターセックス)を「男でも女でもない」とする偏見・誤解も大きく関わっているように思われる。このような誤謬は他にも、ケニアトランスジェンダー活動家の女性が学業成績証明書で「インターセックス」の性別欄を求め,高等裁判所が認めたというものや15、オランダでトランス女性が、性別適合手術後の「現在は自らを「インターセックス」とみなし」、「この性自認が公的書類などに反映されないのはおかしいとして」16、パスポートに男女以外の「X」欄を求め、勝訴したケースもある。これらのケースは、インドの「第三の性別」とされているヒジュラ17と同じく、DSDsインターセックス)とトランスジェンダーが(あるいは「男でも女でもない性自認・そういう体の状態にしたということがインターセックスである」と)混同されている,あるいはその違いが否認されている可能性があると思われる。

 

15Nairobi News, Transgender activist Audrey Mbugua gets updated KCSE certificate. September 16th, 2019. 2020930日取得)。このトランス女性活動家は「名前を変えた他のトランスジェンダーの人たちにも新しい証明書を申請するように勧めます」とコメントしている。

 

 

17セレナ・ナンダによれば、インドのヒジュラは「女性の服を着て女性の振舞いをする男性の宗教的な共同体」(筆者注:「男性」とするのはまた別の意味で誤謬である)で、自らを「生まれつきの『半陰陽』」としているが、現実にはMTFトランスジェンダーの集団。:Serena Nanda, Neither Man Nor Woman: The Hijras of India. Wadsworth Pub Co (1990) (蔦森樹、カマル・シン訳『ヒジュラ―男でも女でもなく』 青土社 (1999)

 

 また、実際にDSDsインターセックスの体の状態)の一つを持ち、性自認がノンバイナリーの人の訴えのケースもある。アメリカではLGBT公民権団体ラムダ・リーガルが、インターセックスの体の状態を持つ当事者に、自分が男性でも女性でもないことを理由にパスポート発行を拒否されたとして、国務省を相手に訴訟を起こしている18。これとは別に、自己認証基準でパスポートなどに男女以外の「(XUnspecified」の選択肢を作成するよう求めた法案が提出されている。これについて、北米のインターセックス人権支援団体interactは、やはり「第三の性別欄が、生殖器の違いを持って生まれた乳児に適用されるようになると、子どもが『X』というアイデンティティスティグマを貼られるのを避けるために、親が正常化生殖器手術を選択する圧力を高めることになる」と懸念を表明している19。非常に興味深いことに、このニュースを伝える記事では,当事者団体は懸念を表明しているコメントを挙げつつ、「(当事者団体は)この法案を実施することで(筆者中略)、男女二元論ではない世界が実現することを願っている」としている。このようなステレオタイプを元にしたディスコミュニケーション、あるいは自分と異なる他者の文脈を無意識に自己の文脈に同一化・同化する現象は、なぜかこの分野では非常に多い。

19VOXMEDIANonbinary people could get a gender-neutral passport under new legislation. Feb 25,2020.

VOXMEDIAの記事に対するインターセックス活動家エミ・コヤマによる指摘

 

 しかしこの決定は、やはりインターセックス当事者団体から批判を受け、原則的にDSDsインターセックスの体の状態)のみに認められるという内容故に、トランスジェンダーの支援団体からも批判を受けている。詳しくは石嶋の論に譲るが、そもそもターナー症候群は女性の体の状態であり、特に性別違和が多いというわけではない。出生時を含め外性器の違いも全くなく、その大多数は不妊に悩んでいる20。この判決には、DSDsインターセックス)に対する「男でも女でもない」というスティグマ(あるいは、前述したような1960年以降のターナー症候群の女性に対する「性の反転した男性」といった、XY染色体がジェンダー化された偏見もあるのかもしれない)が何も振り返られることなくはたらいている可能性もあると思われる。

 

20ドイツのターナー症候群女性のサポートグループは、この件に関して一切何のコメントもしていない。(2020930日取得)

 

 また、ドイツでは2017年に、ターナー症候群を持ち、かつ男女どちらにもアイデンティティを持たない人の訴えが認められ、元の女性の登録を削除し、出生記録やパスポートなどに男女以外の「divers」の欄が認められるようになった。

 どの国のケースにおいてもそうだが、もし男女以外の性別欄について議論するのであれば、それはあくまで性自認をベースにした本人の自己決定とするべきで、いかなるDSDsもその俎上に載せるべきではない。それは、DSDsインターセックスの体の状態)に対するスティグマを深め、さらに親御さんたちを手術に急がせ、子どもに体の状態のことを隠すことになり、むしろ支援団体の主張することにも反することになるのだ21

21その他、法制度・施策でのDSDsの取り扱いについてはベルギーの報告書に簡潔にまとめられている。Callens N・前掲注(1160-77頁。日本においてDSDs専門医療者、家族の方から聞いているのは、第三の性別欄などではなく、戸籍登録の期限を14日間ではなく1ヶ月に伸ばしてほしいというものである。検査やその結果が出るまでの期間、母親は産褥期でもあり、親御さんがまずは精神的ケアを受けて急性期のトラウマ反応をとりあえずでも脱し、情報を消化できる期間こそが必要と思われる。

 

 同意のないオペに対しては「子どものインターセックスの特徴を隠したい親の意図が外科的介入を基礎づけていると言われている」とも指摘されている22。では親御さんたちは何を恐れ、子どもにDSDsのことを隠したり、手術を急ぐことになるのか。そしてなぜ大多数の当事者の人々も最終的にはオペをし、じっと自分の体の状態を隠し続けるのか。それは、「男でも女でもない」というスティグマが、具体的に社会でどのようなことを引き起こすのかに直結していると思われる。

 

次の章「第7章:キャスター・セメンヤと有色女性差別

nexdsd.hatenablog.com

 

1InteractWhat is intersex surgery? 2020930日取得)

2「陰核肥大の一部や全体が除去された手術の結果、多くの患者が性的な感覚を失ったり痛みがあるなどの問題を抱えていると報告されている」: Minto CL, Liao L-M, Woodhouse CRJ, Ransley PG, Creighton SM. The effect of clitoral surgery on sexual outcome in individuals who have intersex conditions with ambiguous genitalia: a cross-sectional study. The Lancet 361:1252-1257,2003.

3AIS女性の性腺の胚細胞腫瘍発生率は思春期までは1%未満、思春期後は10-15%とされている(但し上皮腫瘍形成のリスクは常にあり、その浸潤的なリスクは不明)。一方スワイヤー症候群等の未分化性腺の芽細胞腫発生率は30-50%で、早期の摘出が必要になる。Cools M,et al., Managing the risk of germ cell tumourigenesis in disorders of sex development patients. Endocr Dev. 2014;27:185-96. また、このような性腺摘出に関して、ジョグジャカルタ原則などでは「強制不妊手術」と表現されることがある。ただし、確かに以前のマネープロトコルの時代に男性の機能する精巣の摘出が行われたことがあったが、現在人権支援団体が訴えているのは、主にたとえばAIS女性の性腺の摘出についてである。AIS女性の性腺自体はやはりアンドロゲンに反応しないため精子を作ることもない(つまり不妊状態)が、将来の生殖補助医療技術の発展によって何らかの配偶子作成が可能になるかもしれないという上での性腺温存を念頭に置いたものであることには注意しなければならない。

4たとえば陰核切除・減縮術などは医学で「女性化手術(Feminization surgery)」と呼ばれることがあり、この用語が「男でも女でもない人を手術で女性にする」という偏見につながっている面もあると思われる。現実には女性の陰核肥大や陰唇癒着に対するオペを意味しているのだが、それを「女性化」と表現していること自体も(逆に女性の陰核肥大を「男性化(masculinization)」と、まるで存在として男性になるかのような表現にもなっていて、この用語は当事者・家族からは、心を深く傷つけるものとして批判が出ている)、医学において「女性なら陰核はこれくらいの大きさでなくてはならない(そうでなくては女性と言えない)」という固定観念・規範がはたらいていると思われる。

5Intersex Human Rights AustraliaWhat is intersex? (2020930日取得)。本論やネクスDSDジャパンでのDSDsの定義もこれに沿っている。しかしアカデミズムやLGBTコミュニティを含めた社会全体では、「インターセックス」という用語からは、やはり誤解・偏見から「間性」などのハーマフロダイト(両性具有:男でも女でもない性)イメージを想像しがちだろう。

6現在のDSDs専門医療では、本人もしくは親の同意の上での全身麻酔下での具体的な術式の撮影などを除いて、このような人権侵害にも当たる行為は厳に慎まれている。

7たとえば、AISやロキタンスキー症候群を持つ女性の膣の盲嚢についても、以前はリスクの大きい膣形成術が主流であったが、何もしない、あるいは現在ではよりリスクの低い膣拡張法や低侵襲像膣法(べキエッティー法)などの選択肢がある。

8インターセックスを標榜する人権支援団体の(第三の性別欄には反対等の)様々なアジェンダインターセックスの定義についても、全てこの目的のために行われていると見ると、その動きはわかりやすくなると思われる。筆者自身もこれらの主張に賛同はしているが、現在例えば尿道下裂のオペについては術式の発展により2回を目標としたものになっていて幼少期に標準的に行われていたり、陰核減縮術についても日本では以前から神経節に考慮した術式となっており、手術を先延ばしにしてもほとんど大多数の当事者女性が自分で希望してオペを受けているという現状(なぜ早めにやってくれなかったのか?という訴えもある)を鑑み、ネクスDSDジャパンとしては当事者・家族両方の支援を行えるようにしたいため、それほど強くは訴えないようにしている。オペの是非を当事者・家族の責のように捉えるのではなく、もう少し大きく、なぜ当事者や家族がオペをすることになるのかという社会的要因について考えたいと思っている。また、日本では欧米との「主体性」の感覚の違いがあるように感じており、日本の当事者の人々からはオペの是非よりも「ケア(手術とは限らない)の必要性」を聞くことが多い。さらに情報開示についても、本人が望んで情報開示された場合と、本人が望んでいないのにいきなり全て情報開示をされた場合とでは、精神的予後にかなりの違いがあるように感じている。いずれにしても情報開示は、緊急性のない限り、「告知」と言うよりも、本人の発達段階に応じて少しずつ「説明」するという形式をとり、その都度本人の「知りたくない権利」も認めるべきだと考えている。

9たとえば、「性別適合のための処置で満足のいく結果が得られなかったトランスジェンダーインターセックスに適用される。この法制が画期的なのは、「第三の性」を創設し、恒久的なものとすることである。オーストラリアのような措置は非常に珍しい、今後各国の制度的先例になる可能性がある。」松宮智生『スポーツにおける男女二元制に関する一試論−性別確認検査における女子競技者の基準を起点に−』THE ANNUAL REPORTS OF HEALTH, PHYSICAL EDUCATION AND SPORT SCIENCE VOL.35, 19-27, 2016。「これは、性別適合手術を行っていないトランスジェンダーの方や、性自認が男でも女でもない(あるいは両方である)と感じるXジェンダーの方、インターセックスの方などの生きづらさを緩和しようとするもの、そもそも性別は「男」「女」に限らないと国が認めたという意味でも歴史的な快挙と言えます。」g-lad xx,「オーストラリアのパスポートには性別欄が3つある。」という車内広告が登場』(2020930日取得)

10High Court of AustraliaNSW Registrar of Births, Deaths and Marriages v Norrie [2014] HCA 11 (2 April 2014) 2020930日取得)

12第三の性別への帰化政策は宗教的な希望のように進められているが、そこでは一方で、インターセックスの人々の存在は他の重複する集団の利益のために道具化されている。」:Morgan CarpenterThe“Normalization”of Intersex Bodies and“Othering”of Intersex Identities in Australia. Journal of Bioethical Inquiry volume 15, pages487–495(2018)。「インターセックスの人々を第三のsexgenderとして分類しようとする試みは、我々の多様性や自己決定権を尊重していない。こういった試みは、インターセックスの人が、出生時の二元論的な法的sexアイデンティティを持つかどうかにかかわらず、広範囲の害を与える可能性がある。我々がどのように扱われているかよりも、インターセックスの人々をどのように分類するかばかりに目を向けることは、構造的暴力の一形態でもある。」: ihra, Darlington Statement. 2020930日取得)

13筆者の元には、「男・女・その他」とした性別欄を見て自殺未遂した、診断直後の女の子についての相談も受けている。「その他」は日本のXジェンダーの人々に配慮したものだろうが、診断直後のトラウマの深いDSDs当事者には、「男女以外」という偏見をもとに自分を名指しされているように感じられるからだ。ネクスDSDジャパンとしては、妥協案として、不要な性別欄は廃止し、必要ならば「性別(   )」と自由記入とすることを提案している。また、身体のグラデーション図についても「自分(の体)がどの辺か考える」という授業で不登校になった子どもについての親御さんの相談も受けている。

14第三の性の分類は、乳児にさらなる困難をもたらす。親は、スティグマや暴露、社会的な無理解を、身体への介入によって避けなければならないとプレッシャーを感じることになる: Morgan CarpenterThe human rights of intersex people: addressing harmful practices and rhetoric of change. Reproductive Health Matters Volume 24, Issue 47, May 2016, Pages 74-84

15Nairobi News, Transgender activist Audrey Mbugua gets updated KCSE certificate. September 16th, 2019. 2020930日取得)。このトランス女性活動家は「名前を変えた他のトランスジェンダーの人たちにも新しい証明書を申請するように勧めます」とコメントしている。

17セレナ・ナンダによれば、インドのヒジュラは「女性の服を着て女性の振舞いをする男性の宗教的な共同体」(筆者注:「男性」とするのはまた別の意味で誤謬である)で、自らを「生まれつきの『半陰陽』」としているが、現実にはMTFトランスジェンダーの集団。:Serena Nanda, Neither Man Nor Woman: The Hijras of India. Wadsworth Pub Co (1990) (蔦森樹、カマル・シン訳『ヒジュラ―男でも女でもなく』 青土社 (1999)

19VOXMEDIANonbinary people could get a gender-neutral passport under new legislation. Feb 25,2020. :非常に興味深いことに、当事者団体は懸念を表明しているにもかかわらず、この記事では「(当事者団体は)この法案を実施することで(筆者中略)、男女二元論ではない世界が実現することを願っている」としている。このようなステレオタイプを元にしたディスコミュニケーション、あるいは自分と異なる他者の文脈を無意識に自己の文脈に同一化・同化する現象は、なぜかこの分野では非常に多い。

20ドイツのターナー症候群女性のサポートグループは、この件に関して一切何のコメントもしていない。(2020930日取得)

21その他、法制度・施策でのDSDsの取り扱いについてはベルギーの報告書に簡潔にまとめられている。Callens N・前掲注(1160-77頁。日本においてDSDs専門医療者、家族の方から聞いているのは、第三の性別欄などではなく、戸籍登録の期限を14日間ではなく1ヶ月に伸ばしてほしいというものである。検査やその結果が出るまでの期間、母親は産褥期でもあり、親御さんがまずは精神的ケアを受けて急性期のトラウマ反応をとりあえずでも脱し、情報を消化できる期間こそが必要と思われる。

22Lareau AC. Who decides? Genital-normalizing surgery on intersexed infants. Georgetown Law J. 2003 Nov;92(1):129-51.

 

 

 

DSDsとキャスター・セメンヤ 排除と見世物小屋の分裂⑤「DSDsを持つ人々と家族の実際の困難」

 

 

 2020年12月に発行された『ジェンダー法研究7号』(信山社浅倉むつ子先生・二宮周平先生責任編集)に掲載いただいた,ネクスDSDジャパン主宰・日本性分化疾患患者家族会連絡会代表ヨ ヘイルによる論考を,責任編集者の先生と信山社様のご厚意により,オンライン上で公開する許可をいただきました。

 一部情報をアップデートし,発行時に掲載できなかった画像資料などを加えています。

 

 大変残念なことですが,DSDsに対しては大学のジェンダー論を教えている先生方,LGBTQ等性的マイノリティのみなさんやアライのみなさん,性教育に携わる先生方,お医者様などでも,根深い誤解や偏見があります。

 当事者・家族のみなさんにはつらい描写もありますが,広く多くの方にお読みいただければと願っております。

 

DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患インターセックス)とキャスター・セメンヤ

排除と見世物小屋の分裂

 

目次

 

 

 

Ⅴ.DSDsを持つ人々と家族の実際の困難

 

 「<インターセックス>もいるから身体も男女2つに分けられない」などの観念的な議論はあふれているが、DSDsを持つ人々とその家族には、現実にはどのような困難があるのか、ほぼ全く知られていないように思われる。ここでは当事者と家族の具体的な困難をまとめていく。

 

 

1.親御さんのショックと悲嘆(周産期)

 

「これを読んでいらっしゃる方の中には、そんなこと(筆者注:性別のこと)はそれほど重大なことではない!と思われる方もいらっしゃるかもしれません。(筆者中略)ですが、実際に体験した中では、それはとても重大なことで、私は病室の中でひとり座り、胸も張り裂けんばかりに、ただ泣くしかなかったのです。それは完全に根本的に重大なことだったのです。実際の体験では、私の一番の恐怖は、子どもを、男の子を失ってしまうかもということだったのです。この喪失感は本当にリアルなもので、恐怖が私をさいなみました。」(高度尿道下裂で生まれた男の子の母親)1

 

 周産期での新生児のDSDsの診断は、親にとっては心的外傷体験となり得ることもある2DSDsを持つ新生児の親御さんの心的外傷後ストレス症状は、ガンの診断を受けた子どもの親の割合とほぼ同じという研究報告もある3。一連の検査が続いたり、大多数はCAH等命に関わる疾患であるため、親御さんのストレスはかなり強いものとなる。

 

 

 「第三の性別欄」の必要性を訴えたり4、性別二元制が悪いなどという観念論的議論もあるだろう。中には「親が勝手に性別を決めている」「隠している」などという、不当に親を責めるような誤解もある。しかし、親御さんの体験的には、ダウン症候群や様々な障害を持つ新生児が生まれた場合と同じく、その悲嘆とショックはリアルなものであり、その体験は死産に近いものともなり得る場合があることを人間的に理解することが必要だろう。さらに、DSDsの中にはいくつかだけだが遺伝するものもあり、親御さんは自身が遺伝子キャリアであることが判明し、「自分のせいだ」とGenetic Guilt(遺伝による罪責感)にさいなまれるケースもある。これは、次子の出産や、きょうだい・親戚の保因にも関わってくる5

5DSDsを持つ人々が自身の体の状態のことを周りに話さない要因には、保因者のきょうだいや家族を守るためということもある。

 

 

2.秘密にされることによる自己否定的罪責感と、告知によるトラウマ

 

 「親が本当の性別を秘密にしている」などといった誤解もあるが、上で述べたように、決してそういう話ではないことには注意しなければならない。ただし、以前は外性器のサイズでの「割り当て」されたケースに限らず、マネー・プロトコルによって、医師から親に絶対に秘密にするように言われていたということがあった。

 このようなプロトコルによる「治療」を受けた海外の当事者の中では「shame」という表現がよく使われ、日本語では「恥」と訳されることが多かった。これに対しても「本当は男でも女でもない性であるのに、それを恥じさせられた」といった誤解もよく耳にしたが、現実にはそういった単純なものではない。DSDsを専門としているイギリスの臨床心理士Lih–Mei Liaoは、精神分析家のAyersを引用し、「shame」とは「embarrassment(恥ずかしさ)」とは全く異なり、たとえば親子関係の中からも大きくなっていく「罪責感を元にした懲罰的な自己追放」であることを指摘している6。筆者も臨床心理士であるが、先に述べたように、子どもに何らかの障害や体の状態がある場合、親御さんは大きな罪責感(子どもへの申し訳無さ)に苛まれることがある。さらに、以前の医療で多発していたが、多数の研修医に囲まれて、子どもの性器が「興味深げな視線」にさらされたり、全裸の写真が撮られるということがあれば、子どもに対する罪責感はさらに強まる。そういう場合、親御さんの子どもを見つめる眼差しは罪責感を伴うものになる(見つめ返せないということもあるだろう)。そうすると子どもは「自分の存在が親を悲しませている。自分は愛される存在ではない」という自己イメージを成長過程で取り込んでいくことになるのである。これも単純な性別の問題ではなく、極めて人間的・情緒的な状況によるものなのだ。

 ならば、積極的に話せばいいという議論もあるかもしれないが、それも単純ではない。話すことについても、親御さんは子どもの傷つきや自死を恐れているのである。

 

「『だったら、私はおなかで赤ちゃんを育てられないの?』と訊いてきました。『そう…。そういうことなの…』と私が言うと、当たり前のことですが、娘は泣き出し、私は泣いている娘を強く抱きしめるしかありませんでした。答える言葉なんてありませんよね。。。私は怖くなりました。この子にどうしてやればいいんだろう!」(PAISを持つ女の子の母親)7

「母は私がXYであること、精巣があることを私に話しました。それはまるで悪夢でした。こんなひどい体験はありませんでした。自分が誰なのか、何なのかさえ分からなくなるような。」(スワイヤー症候群を持つ女性)8

 

 親御さんの不安は大げさなものとは言い切れない。DSDs判明・告知後、臨床的に顕著な精神的苦痛を持つ当事者は61%、自殺念慮率は45%と言われている9。特に「あなたは男でも女でもありません」「生物学的に男性で性自認は女性」「男女両方の特徴」など、「半陰陽(ハーマフロダイト)フレームワーク」を元にした告知の仕方では、ほぼ性的トラウマと言っていい状態となり得る10

10たとえば、AIS女性が「中身は男性」と告知され、以降、入眠中に男性が自分の体の中に侵入してくるという悪夢を繰り返し見たというケースも聞いている。

 

 ある調査研究では、DSDsの診断を受けた自殺傾向と自傷行為の割合は、性的虐待を受けたことのある女性に匹敵するレベルであることが示されている11。ベルギーの報告書では、このような精神的苦痛は診断後に数年は続き、様々な時、様々な状況で惹起するとしている。現在DSDs医療では、たとえばXY女性に対しては「あなたが女性であることには変わりがない」などの説明がされるようになっており、いくらかでも医原性の心的トラウマは減っているとは思われる。しかし、次には社会の方が「男女両方の特徴」や「男女判別できない」など、当事者・家族にとってトラウマとなるような偏見を流布している状況なのである。

 

 

 

3.女性・男性としての自尊心・自己イメージの毀損と,秘密・話せなさによる孤独・孤立

 

「思えば、ずっと心の中にあるの。私は半分男だって。だから私は絶対に…、絶対に幸せになれない。私はどこか正しくない存在、エイリアン…。別の星から来たような…。『世界にひとりぼっち』。そんな考えが頭の中にあった。私のような体の状態の人には、そういう孤独感があるんです。」AISを持つ女性)12

「思春期の時ひとりの女の子として思っていたのは、生理がないっていうことや、それを他の人に話すということは、本当につらいことだってことで。[…] …ガールズトークでその話になっている間に、そんな話ししませんから。」AISを持つ女性)13

 

 オランダの報告書では、DSDsがあることは、自分の完全な男性・完全な女性としての自己イメージに影響を及ぼし,当事者は他人が自分を完全な男性・完全な女性として見てくれるかどうか不安に思っていることを指摘している14。染色体であれ子宮がないことであれ、「生殖器」という極めて私的でセンシティブな領域に関わり、さらに周囲のネガティブな反応を恐れたり、「男でも女でもない」という社会的偏見から、DSDsを持つ人々は自身の体を誰にも話さず隠さざるを得ない。原発無月経を伴うDSDsを持つ女性は、生理がないことを悟られないため学校に生理用品を持っていく人もいる。ベルギーの報告書では、当事者たちは「見世物小屋」に追いやられるようなことや犠牲者役割を負わされること、哀れみをかけられることを恐れていて、自分の体のことをオープンにすることをしないことが指摘されている15

 

 

 

4.不妊の喪失感と、親密な関係での苦悩と罪責感

 

「テレビで赤ちゃんのおむつのCMを見る度に泣いていました。CMでは、お母さんが喜びをたたえた眼差しで自分の赤ちゃんを見つめ、赤ちゃんもまたそういう目でお母さんを見つめていました。私の将来の夢は打ち砕かれました。」(スワイヤー症候群を持つ女性)16

 

CAHで生まれた女性ジャネットさんの体験

「素晴らしい時間に酔うこともなく、感じるのは恐れ。そして、ただ戸惑う。裸になる時が来た瞬間、どんな反応が返ってくるのか。恐怖? 部屋から逃げ出していく?」CAHを持つ女性)17

 

 DSDsには、ロキタンスキー症候群やターナー症候群、AIS女性など、女性の子宮や卵巣の欠如などによる決定的徹底的な不妊を伴うものが多い。AIS女性などのXY女性では周りは染色体ばかりを注目するが、本人にとっては不妊であることのほうがショックが大きい場合が多いことには注意しなければならない。

 さらに外性器の見た目に関わるDSDsや、女性の膣の浅さに関わるDSDsでは、親密な関係になることを躊躇する人も多い。そのほとんどが、拒絶されるかもしれないという恐怖感や、相手に自分に対する社会的スティグマの重荷を負わせるのではないかという罪責感から来ている。不妊の状態も、相手に子どもを作ってあげられないという罪責感を伴うことがある。ベルギーの報告書では、恐怖感や罪責感から、当事者から身を引くケースが多いことが指摘されている18

 

 

 

5.社会や医療での無理解と偏見

 

「私一人にしてお医者さんが訊いてきたんです。(筆者中略)「女性でよかったですか? 男だと思ったことはありますか? (筆者中略)レズビアンですか? セックスしたことはありますか?」。 とても嫌な思いになりました。」CAHを持つ女性)19

「自分を男の子と感じているか女の子と感じているかと心理師が訊いたと思うんです。戻ってから娘が、『お母さん、お願いしたらダメ︖ でも、お願い。次もまたここに来なくちゃいけないの︖ 私もう行きたくない。私は女の子なのに...。ねえ、そうだよね︖』って娘が言って…。」(卵精巣性DSDの女の子の母親)20

「無神経というわけではないことは分かります。でも、よく考えてから発言してほしい。『生理がないなんて本当ラッキーね。子どもは面倒だから、一人の時間があってよかったじゃん。出産の痛みから解放されるなんていいと思わない?』」(ロキタンスキー症候群を持つ女性)21

 

 たとえばXY女性とトランスジェンダーの人々の区別がつかない、あるいは「第三の性」という偏見が起きる場合も多い。これは社会全体でもLGBTコミュニティでも顕著である。現在ではDSDs専門医療ではほぼ聞かなくなったが、一般医療でもDSDsの専門知識に欠け、「あなたは男でも女でもない」といった誤った告知が行われたケースはよく聞く。症例の「珍奇性」から患者を囲い込むような例もある。興味本位からなのか、心理職による不適切な対応もよく聞く。性別同一性や性的指向の違いが高い蓋然性のあるケースの場合は入念な配慮がされなくてはならないが、ベルギーの報告書では、単純に「トランスジェンダー性的指向と関連させるなどの誤った理解」22により、当事者や家族が心理的ケアを肯定的に語らなかったことが指摘されている。

 不妊状態の軽視も聞くことがある。原発無月経からくる不妊状態というのは、社会でもほぼ知られておらず、当事者女性の決定的な「喪失感」が想像されない。「生まれつき子宮がない」と医学的に記述されていても、本人にとっては、ガンで子宮を失った女性と同じく「喪失」そのものなのである。もちろん当事者によるが、妊娠するかどうかを選択できる人と、選択肢さえ無い人との体験は根本的に異なることが理解されねばならないだろう。

 

 

 

次の章「第6章:DSDsと法:手術の是非と第三の性別欄への誤解偏見」

nexdsd.hatenablog.com

 

 

2Callens N・前掲注(1113

3Kristina I. Suorsa et. al., Characterizing Early Psychosocial Functioning of Parents of Children with Moderate to Severe Genital Ambiguity due to Disorders of Sex Development. J Urol. 2015 Dec;194(6):1737-42.

4男女以外の「第三の性別欄」については後述する。

5DSDsを持つ人々が自身の体の状態のことを周りに話さない要因には、保因者のきょうだいや家族を守るためということもある。

6Lih–Mei LiaoStonewalling Emotion. Narrative Inquiry in Bioethics, Volume5, Number2, Summer 2015,p.145

7ネクスDSDジャパン・前掲注(63

8ネクスDSDジャパン『アビィのランの花』(2020930日取得)

9Schweizer K.et al., Coping With Diverse Sex Development: Treatment Experiences and Psychosocial Support During Childhood and Adolescence and Adult Well-Being. J Pediatr Psychol. 1;42(5):504-519,2016.

10たとえば、AIS女性が「中身は男性」と告知され、以降、入眠中に男性が自分の体の中に侵入してくるという悪夢を繰り返し見たというケースも聞いている。

11Karsten Schützmann,et.al.,Psychological distress, self-harming behavior, and suicidal tendencies in adults with disorders of sex development. Arch Sex Behav. 2009 Feb;38(1):16-33.

12van Lisdong・前掲注(432

13Callens N・前掲注(1142

14van Lisdong・前掲注(431

15Callens N・前掲注(1140‐41

16ネクスDSDジャパン・前掲注(70

17BBCMe, My Sex and I., 2010ネクスDSDジャパン訳『性分化疾患を持つ人々の物語』 (2020930日取得)

18Callens N・前掲注(1138

19Laura Inter, Finding My Compass. Narrative Inquiry in Bioethics, Volume5, Number2, Summer 2015,95-98

20Callens N・前掲注(1152

21B.Bennett, Stay Strong, Stay Positive and Stay Kind. https://beautifulyoumrkh.com/2015/03/23/stay-strong-stay-positive-and-stay-kind/

22Callens N・前掲注(1149

 

 

DSDsとキャスター・セメンヤ 排除と見世物小屋の分裂④「社会的生物学固定観念」

DSDsに対する社会的生物学固定観念

 

 2020年12月に発行された『ジェンダー法研究7号』(信山社浅倉むつ子先生・二宮周平先生責任編集)に掲載いただいた,ネクスDSDジャパン主宰・日本性分化疾患患者家族会連絡会代表ヨ ヘイルによる論考を,責任編集者の先生と信山社様のご厚意により,オンライン上で公開する許可をいただきました。

 一部情報をアップデートし,発行時に掲載できなかった画像資料などを加えています。

 

 大変残念なことですが,DSDsに対しては大学のジェンダー論を教えている先生方,LGBTQ等性的マイノリティのみなさんやアライのみなさん,性教育に携わる先生方,お医者様などでも,根深い誤解や偏見があります。

 当事者・家族のみなさんにはつらい描写もありますが,広く多くの方にお読みいただければと願っております。

 

DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患インターセックス)とキャスター・セメンヤ

排除と見世物小屋の分裂

 

目次

 

Ⅳ.社会的生物学固定観念

 

「君には子宮も完全な膣もない。それは、女性とはこうあるはずだ・こうあるべきだという一般的な見識から大きく異なっている。そして君は女性の基準から外れている。違っているのだ。それが男性の世界、一般的な人たちの考えで、 特に共通した物の見方よね。」(ロキタンスキー症候群を持つ女性)1

「私の“卵巣”は卵巣ではない。私は本当は女性ではない。私の胸は胸ではない。女性として育ってきたから女性だと思い込んでいるだけだ。(筆者中略)もし私がまだ若かったら、彼のアプローチは私を破滅させていたことでしょう。私は本能的に、彼が完全に正しいわけではないと思いました。私は自分が女性であることを知っていましたし、医者は神ではないからです。」AISを持つ女性)2

 

 「男でも女でもない」といった社会的イメージと、現実の当事者と家族の社会的状況との乖離については理解されたと思う3

3DSDsインターセックス)に対する社会的イメージと現実の人々との乖離については、いわゆる「性同一性障害」と「トランスジェンダー」の人々との歴史的経緯をそのまま当てはめて、「男でも女でもない」とする当事者(<インターセックス>)とそうではない当事者(DSDs)との対立関係のように短絡する人もいるかもしれないが、実情は全く異なる。確かに「インターセックス」を標榜する当事者団体は手術のインフォームドコンセントを求める上での「脱病理化」を主張しているが、そういった団体もインターセックスを「男でも女でもない性(Hermaphrodite)」ではないとしている。また、性同一性障害が、手術案件や医学的定義に関わること等でトランスジェンダー全体との政治的な見解の違いや論争になることはあるが、現象的には性別違和という点でスペクトラム上に重なるのに対して、そもそもDSDsインターセックス)の各種体の状態自体や、そういった各種体の状態を持つ人々は、元々それぞれに全く独立したカテゴリーに属しており、そもそもこの基本的レベルで決してモノリス(単一)、あるいは「なんでもあり」の集団ではないのである。言うなれば「アフリカという国」を思い浮かべるような素朴な偏見に等しい。それは、集団内の何かの対立構造の問題ではなく、集団外部の圧倒的マジョリティによる「自分の見たいものを選択的に見る『観客』の問題」に関わると思われる。

 では、なぜこういった乖離が生じたのだろうか。DSDsに対する「男でも女でもない性」というスティグマが生まれる背景にはいくつかの要因があると思われるが、その一つは、先天的な女性・男性の体の性の構造に対する社会的な固定観念、すなわち「社会的生物学固定観念」にあると思われる。ISNAを始めとする支援団体も、DSDsインターセックスの体の状態)について「性別(gender)の問題ではなく、体の性(sex)の話」としているのだが、これの本当の意味を理解できている人がほぼ皆無なのも、この固定観念の強迫的なまでの強さが関係している。

 いわゆる「男・女らしさ」という社会的固定観念である「性規範」は、現在でも社会に強く残っているとは言え相対化はされつつある。現実には様々な女性・男性がいて当然だろう。医学部入試で点数操作によって女性受験者が不当に落とされるなど、性別役割は現在でも頑なに残っているが、現代の我々は、赤いランドセルを背負う男の子を「男でも女でもない」と思うことはないし、日曜日の朝に仮面ライダーを見る女の子が「男の子になった」「実は男だった」とは思わない。もし思うとしたら、それはむしろ性規範の固定観念が強迫的に強いゆえであろう。

 

女性・男性に対する「らしさ」という社会的規範・固定観念

 

 では身体についてはどうか。「女性(female)・男性(male)の体の性の構造」には、「先天的な女性(female)あるいは男性(male)の体は、こうであるはずだ」という「社会的な生物学の固定観念」(図3)が、社会的固定観念を相対化する人々の中でも、全く意識されていないのではないだろうか。

 

DSDsに対する社会的生物学固定観念

 たとえば女性の子宮について、それを何らかの疾患によって失った女性に対して「もう女じゃなくなった」と言い放ったということが過去には現実にあったが4、これがいかに相手の心を傷つけ、人権侵害ともなることは、現在では論をまたないだろう。しかし、染色体の構成や性腺についてはどうだろうか。「染色体がXYで性腺が精巣で女性」と言うと、未だほとんど全ての人々が「男でも女でもない性」だと両性具有パニックに陥ったり、「性自認が女性」と直観してしまうのではないだろうか。こういったXY女性に対しては、以前は医療でも「本当は男性」「両性具有」「外見と性自認は女性だが中身は男性」といった「半陰陽フレームワーク」を元にした告知がされ、当事者の女性に大きなトラウマを与えていた。

4yomiDr.「もう女じゃなくなったのね」と言い放った看護師』(2020930日取得)。あるいは、そういう女性に「性自認は女性ですよ」と「フォロー」することもないだろう。

 

 しかし現在DSDsの専門医療では、ここ20年で飛躍的に進展した、アンドロゲンレセプターの機能も含めた体の性の発達の知見を伴い、たとえばAIS女性の性腺は、精巣という「実体」ではなく、実質上エストロゲンを作り出す「機能」を持つ性腺であるため、「女性に生まれ育っています」と説明されるようになっている5

欧州内分泌学会によるDSDs解説サイト

 人間の胎児の原型が女性であることを思い出すのは重要だろう。AIS女性の場合、性腺からはアンドロゲンが産生されているが、体の細胞の全てあるいは一部しかそのアンドロゲンに反応するレセプター(受容体)が存在しないため(鍵はあっても鍵穴がないのと同じ)、人間の原型のまま女性に生まれ育つのである。また、使われないアンドロゲンは、女性でも男性でも体の脂肪内に多いアロマターゼ酵素によってエストロゲンに変換され、AIS女性の体はそのエストロゲンには反応するため、生理以外の女性の二次性徴が発現することになる。実は女性に一般的な性腺である卵巣も元々産生しているのはアンドロゲンで、卵巣の顆粒層に多いアロマターゼ酵素によってエストロゲンに変換され、それが放出されている。すなわち、XX女性の体もAIS女性の体も同じことをやっているわけである。これはトランスジェンダーの人々の、性自認・性別同一性や社会学的「解釈」の問題ではなく、生物学的事実だ。しかし今でも「XY・精巣=全員男性」という固定観念は一切振り返られていないままであろう。つまり、間違っているのは彼女たちの体や性自認(「本来は男性になるはずが間違って女性になった」6「男性の体なのに性自認が女性」)ではなく、時代遅れの知識しか載せていない教科書の方だということだ。

6アンドロゲン不応症(AIS)は以前まで「睾丸性女性化症(Testicular feminization)と呼ばれていて、この用語は多くの女性に心の傷を与えていた。体の発達機序的にはAIS女性は原型の女性のまま生まれてくるわけで、男性が「女性化」したわけではない。この用語にはおそらく、精巣というものを男性の本質の基点と拘泥する故に「女性化」という表現が与えられたと考えられる。

 

 

 

 歴史的に、XY染色体が「性染色体(sex chromosome)」と呼ばれるようになったのは、1960年のデンバー会議以降で、当時の医学知識の限界もあるが、XY染色体の構成数だけで女性・男性の体の発生が決定されることが実証されていたわけではなかったことも指摘されている7。その後、女性でも45,Xや、男性でも47,XXYといった染色体の構成があることが分かり、XY染色体の構成数だけで男女の体の違いが決まるわけではないことから、SRY遺伝子が同定されたのは1990年になってからだ。さらに、SRY遺伝子の発見以降、DSDsに関して、性腺の分化、外性器、膣や子宮の形成等の体の性の発達には、AIS女性の場合のX染色体上のAR遺伝子の変異など、現在では恐らく約100以上の遺伝子が関係していると言われている。現実にはX染色体上で体の性の発達にかかわる遺伝子は3つ、Y染色体には1つのみで、残りはすべて常染色体上にあるということも分かっている8DSDsの先端医療は、その体の状態がどのような機序で起きているのか、XY染色体ではなく、既に遺伝子の時代になっているのだ。9

 

 また、XY染色体の固定観念から、XXYXXYY染色体は両性具有という極端な誤解もある。他にXYYが「スーパー」男性、XXXが「スーパー」女性と表現されるのも、いかにXY染色体に男性性・女性性のIDであるかのような社会的な文脈が影響しているか見て取れる10

10 S. Richardson・前掲注(52):RichardsonXY染色体に過剰な男性性・女性性が投影されることを「XY染色体のジェンダー化」と呼んでいる。彼女は、たとえば45,X(ターナー症候群)の女性は「女性性の発達(および発達一般)の不全としてとしてよりも、男性性の兆候として表現され」、「性の反転した男性」とまで言う遺伝学者がいた事(151頁)、XYY染色体の男性に対しては、当時の社会で、男性性あふれるスーパーヒーローのようなイメージが投影される一方、凶悪犯罪者がXYYの持ち主であるかのような誤った言説も流布したことを指摘している(117-146頁)。筆者は、「欠損」あるいは「過剰」とされる身体的特徴を持つ人に対して、現実の人間とかけ離れたイメージが投影され、そのイメージが、スーパーヒーローといった「聖性」と凶悪犯罪者イメージのような「穢れ」に分裂(splitting)していることに注目したい。なお、XYY男性が特徴的に「男性性」・攻撃性が高いという素朴に過ぎる偏見は現在は否定されている。またXXX女性も特に女性的特徴が高くなるということもない。45,Xターナー症候群)で不妊状態にある女性を、染色体のみに強迫的に執着し,X染色体が1つだけだからと言って「女性のようではない」などとするのはただの人権侵害である。

 

 さらに「卵精巣」と聞くと、性腺が女性(female)・男性(male)の違いの本質(普遍的な1つの指標)であるかのような固定観念から「両性具有」と短絡する人もいるだろう。しかし現実の当事者は、女性・男性として当たり前と思っていた二次性徴とは異なる性徴が現れることで、自身の女性・男性としての自尊心を損なわれ、たいへん大きな戸惑いや不安、あるいは恐怖さえも呼び起こすケースがほとんどなのである。ここには、DSDsに投影される「両性具有」イメージと、現実の当事者家族の体験との大きな乖離がある。

 マネー・プロトコルは特に外性器のサイズに執着し、陰核肥大の女児(female)やマイクロペニスの男児(male)はそれぞれ女性・男性としての性別同一性が確立できず、「棒を作ることはできないが、穴を開けることはできる」11として、出生時に引っ張って2.5cm未満のマイクロペニス男児や総排泄腔外反症の男児は陰茎切除・性腺摘出の上女性として育てるという「実験」が行われ、陰核肥大(出生時に引っ張って2.5cm以上)の状態で生まれた女児は、陰核減縮術を受けさせられたわけである。

 

 

 生命倫理学者のアリス・ドレガーは、医学がDSDsを持つ人々に対して、外性器や性腺の種類など、女性・男性の体の本質がどこにあるのか、あるいは「本当の両性具有(true hermaphrodite:真性半陰陽)」が実在するのかを求めてきた歴史を描写している12。「人間と自然の明確な分離」(ひいては「自然支配」ないし自然のコントロールという志向)と、「要素還元主義」を基本とする近代科学を元にした近代医学では、1つの病気には1つの原因物質が対応しており、それが同定され、除去されれば病気は治癒されるという「特定病因論」というフレームワークが大きな力を持っている13。このような枠組みが、男女の体の違いに適用され、外性器や性腺、XY染色体という「なにか1つの普遍的・本質的な指標」によって説明できるはずだという強迫的な観念となり、外性器の違い、性腺、染色体、あるいは性ホルモンと、それぞれが注目されるたびに、DSDsの各種体の状態が、「Hermaphrodite(両性具有)」、あるいはさらに<インターセックス>という「例外」として構築され、女性・男性から排斥されていったと思われる。

DSDsに対する要素還元主義

 

 近年のアカデミズムでは、<インターセックス>の存在をもって、男女は社会的に構築されたものに過ぎないとする言説が多いが、歴史とDSDsを持つ人々の実際を見るならば、むしろ<インターセックス>というモノ自体が、社会的に構築されていったと言うべきだろう。さらにここには、身体の「パーツ」だけに執着し、女性・男性の本質を1つの指標(パーツ)のみに求めるフェティシズム的な認知形式が見て取れる。そこでは、総体としての人間は認知されず、人間はパーツに分解され、まるでobject(モノ)のように扱われてしまうのである14

14 現実には、DSDsを持つ子ども・人々での性別違和の大多数が、1つの指標に強迫的に拘泥した「誤判定」、あるいは外性器基準にこだわりすぎたマネー・プロトコルによる「割り当て」によって起きている(先の総排泄腔外反症の例を参照)。現在のDSDs医療では、外性器・染色体・性腺、遺伝子など、その体の状態がどのような機序によって起きているのか「総体的に」女性か男性かが判定されるようになっていて、この場合は性別違和(DSDsの場合は「性別の誤判定」)はとても少なくなる。また、「外性器や性腺、染色体だけでは男女の身体の違いを説明できないから男女の境界はない」という言説も見かけるが、これもむしろ、社会的生物学固定観念の上に、外性器や性腺、XY染色体という「1つの指標(パーツ)」に強迫的に執着する故だろう。ここには人間の身体の機序(たとえばホルモンとその受容体の「相互性」といった)「総体性」、ひいては、DSDsを持つ人々、目の前にいる全人的な「人間」そのものが見失われているのである。

 

 DSDsトランスジェンダーの人々(性自認の多様性の位相)と混同する背後にも15、やはりデンバー会議以降1960年代のマネーの時代から16、外性器の形状や、染色体、性腺に対して「なにか1つの指標(パーツ)に男女の違いの本質がある」、「これが生まれつきの男性(male)・女性(female)の体だ」という観念が強迫化し、それに合わなければ「男でも女でもない(不十分)」であると考える故に、「性別同一性(gender identity)」という概念が要請される面があったわけである。

15トランスジェンダーの人々を含む一般の人々の大多数はDSDsではない一般的な身体構造である。何らの疾患でもない。また、性自認・性別同一性(gender identity)という概念は、「出生時に割り当てられた性別とは異なる性別」で生きる、性別違和やトランスジェンダーの人々にとっては変わらず重要な概念であると思われるため、これを否定するものではない。

16スポーツの世界でXY染色体検査が行われるようになったのは、1968年のグルノーブル冬季大会以降である。1960年代以降、女性・男性の生まれつきの体の構造に関する定義が、さらになにか病的なほど強迫的なものになっていったのではないかと筆者は考えている。

 

 1960年代前後のDSDsを持つ人々に対する記述を見れば,いかにこの社会的生物学固定観念が強迫的であったかうかがい知れる。今となっては驚くしかないが、たとえば、「性別同一性(gender identity)」という概念を提唱した心理学者ロバート・ストラ-が最初に「性別同一性」という概念をDSDsに当てはめたのは、ターナー症候群(45,X)の女性に対してである。ストラ-はターナー女性のことを次のように記述している。

最初の事例は,人間として許される範囲の,生物学的に中性状態にある人の場合である。すなわちXO型の染色体をもち,その結果,以下に示されるような解剖学的・生理学的に中性的な患者の事例である。しかも彼女は18歳のとき,医療センターをはじめておとずれたが,そのとき彼女は行動・衣服・社会的欲求や性的欲求・空想の点で,かなり女性的であった。(中略)彼女もまた生物学的には中性という事実があるにもかかわらず,その性別同一性は完全に女であり,女性的であった。ところが10代のとき,彼女ははじめて自分の性が発生学的にも解剖学的にもまちがっていることを知らされた。(太字強調筆者)17

 

 現在の医学領域では当たり前にすぎることでわざわざ書くことさえないが、そもそもターナー症候群(45,X)の女性はただの女性(female)である。「まちがっている」のはこのターナー女性の体ではなく、Xが1つなら・二次性徴が不全なら「生物学的に中性」として女性の身体から排除するする、その当の当時の強迫的な生物学の方なのである。

 

youtu.be

 つまり、この1960年代前後以降、ターナー症候群の女性でさえ「人間として許される範囲の生物学的に中性状態にある人」「女性とは言えない」だとして,「にもかかわらず自分は自分のことを女性と思いこんでいる」というロジックのもとに、ターナー症候群をはじめとするDSDsを持つ人々に対して「性別同一性」という概念が適応されてしまったのである。

 当然ながら、DSDsを持つ人々にも性別違和を持つ人は存在するし、トランスジェンダーの人々の性別同一性は尊重されねばならない。「性別同一性・性自認」という概念はトランスジェンダーの人々にとって重要で妥当な概念ではあるため、これを否定するものではない。しかし現実には、DSDsを持つ人々に対して性別同一性を問うことで当事者・家族を傷つける例も報告されている18

18 van Lisdonk・前掲注(445頁、Callens N・前掲注(1152頁、あるいは、Hollenbach, A. D., Eckstrand, K. L., & Dreger, A. D. (2014). Implementing curricular and institutional climate changes to Improve health care for individuals who are LGBT, gender nonconforming, or born with DSD . Washington, DC: Association of American Medical Colleges. pp134-136、等。我々は、子宮や卵巣を失った女性、事故などでペニスを失った男性に「あなたは女性・男性どっちだと思いますか?」と性自認を問うようなことが、どれだけ相手を傷つけることになるか想像はできるだろう。

 

 女性(female)・男性(male)の体の構造の話であるDSDsと性別同一性の位相との混同は、「あなたの身体は女性:female(男性:male)とは言えないけど、自分を女性:woman(男性:man)と思っているので、女性(男性)と認めます」との含意を伝え、余計に当事者・家族を傷つけてしまうのだ。「性別同一性」という概念が「何か1つの普遍的な指標」としてフェティッシュ化してしまうと、DSDsの領域においてはまた別の意味で人間全体を見失うということになることは注意しなければならない。

 

 当然ながら、DSDsに対する社会的スティグマが発生する要因は、社会的生物学固定観念だけではないだろう。そこにはさらに、「両性具有(<インターセックス>)」というものを求めるロマンティシズム的な享楽の問題もあると思われるが、これについては後述する。

 

 

次の章「第5章:DSDsを持つ人々と家族の困難」

nexdsd.hatenablog.com

 

 

1van Lisdonk・前掲注(431

2AIS-DSD Support Group, Member Stories. 2020930日取得)

3DSDsインターセックス)に対する社会的イメージと現実の人々との乖離については、いわゆる「性同一性障害」と「トランスジェンダー」の人々との歴史的経緯をそのまま当てはめて、「男でも女でもない」とする当事者(<インターセックス>)とそうではない当事者(DSDs)との対立関係のように短絡する人もいるかもしれないが、実情は全く異なる。確かに「インターセックス」を標榜する当事者団体は手術のインフォームドコンセントを求める上での「脱病理化」を主張しているが、そういった団体もインターセックスを「男でも女でもない性(Hermaphrodite)」ではないとしている。また、性同一性障害が、手術案件や医学的定義に関わること等でトランスジェンダー全体との政治的な見解の違いや論争になることはあるが、現象的には性別違和という点でスペクトラム上に重なるのに対して、そもそもDSDsインターセックス)の各種体の状態自体や、そういった各種体の状態を持つ人々は、元々それぞれに全く独立したカテゴリーに属しており、そもそもこの基本的レベルで決してモノリス(単一)、あるいは「なんでもあり」の集団ではないのである。言うなれば「アフリカという国」を思い浮かべるような素朴な偏見に等しい。それは、集団内の何かの対立構造の問題ではなく、集団外部の圧倒的マジョリティによる「自分の見たいものを選択的に見る『観客』の問題」に関わると思われる。

4yomiDr.「もう女じゃなくなったのね」と言い放った看護師』(2020930日取得)。あるいは、そういう女性に「性自認は女性ですよ」と「フォロー」することもないだろう。

5Quigley C.A・前掲注(31

6アンドロゲン不応症(AIS)は以前まで「睾丸性女性化症(Testicular feminization)と呼ばれていて、この用語は多くの女性に心の傷を与えていた。体の発達機序的にはAIS女性は原型の女性のまま生まれてくるわけで、男性が「女性化」したわけではない。この用語にはおそらく、精巣というものを男性の本質の基点と拘泥する故に「女性化」という表現が与えられたと考えられる。

7S. Richardson, Sex Itself: The Search for Male and Female in the Human Genome. University of Chicago Press (2015)

8Quigley C.A・前掲注(31

9Cyberpoli, Interview: Niet alle mannen hebben XY- en niet alle vrouwen XX-geslachtschromosomen. https://www.cyberpoli.nl/dsd/interviews/intvw_jacquesgiltay2020930日取得)

10S. Richardson・前掲注(52):RichardsonXY染色体に過剰な男性性・女性性が投影されることを「XY染色体のジェンダー化」と呼んでいる。彼女は、たとえば45,X(ターナー症候群)の女性は「女性性の発達(および発達一般)の不全としてとしてよりも、男性性の兆候として表現され」、「性の反転した男性」とまで言う遺伝学者がいた事(151頁)、XYY染色体の男性に対しては、当時の社会で、男性性あふれるスーパーヒーローのようなイメージが投影される一方、凶悪犯罪者がXYYの持ち主であるかのような誤った言説も流布したことを指摘している(117-146頁)。筆者は、「欠損」あるいは「過剰」とされる身体的特徴を持つ人に対して、現実の人間とかけ離れたイメージが投影され、そのイメージが、スーパーヒーローといった「聖性」と凶悪犯罪者イメージのような「穢れ」に分裂(splitting)していることに注目したい。なお、XYY男性が特徴的に「男性性」・攻撃性が高いという素朴に過ぎる偏見は現在は否定されている。またXXX女性も特に女性的特徴が高くなるということもない。45,Xターナー症候群)で不妊状態にある女性を、染色体のみに強迫的に執着して「女性のようではない」などとするのはただの人権侵害である。

11Hendricks, M. (1993). Is it a boy or a girl? Johns Hopkins Magazine, November, pp10-16.

12Dreger, A. D., Hermaphrodites and the medical invention of sex. Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press. 1998

13広井良典『科学と医療・看護・福祉―新たな人間理解に向けて―』早坂裕子/広井良典/天田城介編著『社会学のつばさ―医療・看護・福祉を学ぶ人のために』2010年、ミネルヴァ書房1-2

14現実には、DSDsを持つ子ども・人々での性別違和の大多数が、1つの指標に強迫的に拘泥した「誤判定」、あるいは外性器基準にこだわりすぎたマネー・プロトコルによる「割り当て」によって起きている(先の総排泄腔外反症の例を参照)。現在のDSDs医療では、外性器・染色体・性腺、遺伝子など、その体の状態がどのような機序によって起きているのか「総体的に」女性か男性かが判定されるようになっていて、この場合は性別違和はとても少なくなる。また、「外性器や性腺、染色体だけでは男女の身体の違いを説明できないから男女の境界はない」という言説も見かけるが、これもむしろ、社会的生物学固定観念の上に、外性器や性腺、XY染色体という「1つの指標(パーツ)」に強迫的に執着する故だろう。ここには人間の身体の機序(たとえばホルモンとその受容体の「相互性」といった)「総体性」、ひいては、DSDsを持つ人々、目の前にいる全人的な「人間」そのものが見失われているのである。

15トランスジェンダーの人々を含む一般の人々の大多数はDSDsではない一般的な身体構造である。何らの疾患でもない。また、性自認・性別同一性(gender identity)という概念は、「出生時に割り当てられた性別とは異なる性別」で生きる、性別違和やトランスジェンダーの人々にとっては変わらず重要な概念であると思われるため、これを否定するものではない。

16スポーツの世界でXY染色体検査が行われるようになったのは、1968年のグルノーブル冬季大会以降である。1960年代以降、女性・男性の生まれつきの体の構造に関する定義が、さらになにか病的なほど強迫的なものになっていったのではないかと筆者は考えている。

17Stoller, R.J. (1968) Sex amd Gender The Development of Masculinity and Femininity, 桑畑勇吉訳「性と性別―男らしさと女らしさの発達について」 (1973) 岩崎学術出版,17-25頁

18van Lisdonk・前掲注(445頁、Callens N・前掲注(1152頁、あるいは、Hollenbach, A. D., Eckstrand, K. L., & Dreger, A. D. (2014). Implementing curricular and institutional climate changes to Improve health care for individuals who are LGBT, gender nonconforming, or born with DSD . Washington, DC: Association of American Medical Colleges. pp134-136、等。我々は、子宮や卵巣を失った女性、事故などでペニスを失った男性に性自認を問うようなことが、どれだけ相手を傷つけることになるか想像はできるだろう。

 

DSDsキャスター・セメンヤ 排除と見世物小屋の分裂③「オランダ・ベルギーの調査報告で指摘されているDSDsに対する社会的偏見」

オランダ・ベルギー国家機関DSDs調査報告書概要

 

 2020年12月に発行された『ジェンダー法研究7号』(信山社浅倉むつ子先生・二宮周平先生責任編集)に掲載いただいた,ネクスDSDジャパン主宰・日本性分化疾患患者家族会連絡会代表ヨ ヘイルによる論考を,責任編集者の先生と信山社様のご厚意により,オンライン上で公開する許可をいただきました。

 一部情報をアップデートし,発行時に掲載できなかった画像資料などを加えています。

 

 大変残念なことですが,DSDsに対しては大学のジェンダー論を教えている先生方,LGBTQ等性的マイノリティのみなさんやアライのみなさん,性教育に携わる先生方,お医者様などでも,根深い誤解や偏見があります。

 当事者・家族のみなさんにはつらい描写もありますが,広く多くの方にお読みいただければと願っております。

 

DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患インターセックス)とキャスター・セメンヤ

排除と見世物小屋の分裂

 

目次

 

Ⅲ.オランダ・ベルギーの調査報告で指摘されているDSDsに対する社会的偏見

 

 「Living with intersex/DSD An exploratory study of the social situation of persons with intersex/DSD」は、2014年に出版された世界で初めての公的機関によるDSDsを持つ人々の実態調査報告書である。オランダ教育文化科学省解放局の要請で、オランダ社会文化計画局が調査を行った。また、2017年にはベルギー、フランドル共同参画省の委託を受け、Gent大学の文化・ジェンダーセンターが当事者家族の調査を行い、「SAMENVATTING INTERSEKSE/DSD IN VLAANDEREN」として調査結果をまとめている。www.nexdsd.com

 以下、当事者と家族の社会的状況について両調査報告書の内容とともに、他の調査や筆者の各DSDsの体の状態の当事者団体とのコンタクト経験からその背景について概説する。

 

1.「インターセックス」「性分化疾患」という用語について

「こういう体の状態が『インターセックス』っていう名前で出てきても、[…]理解の助けになんか全然ならないです。[…]AISという概念だけでいいんです。インターセックスという用語だと、あなたは2つの性の間にいるってことになる。」AISを持つ女性)1

 両報告書とも、現実には、実は当事者と家族の大多数が「インターセックス」あるいは「性分化疾患」という用語を聞いたこともなく、包括用語や体の状態名を自らのアイデンティティとして語るということにも拒絶的で、各体の状態・疾患を「持っている(withhaving)」と認識しており、「インターセックス」はもちろん「性分化疾患」という概念に基づく集団的アイデンティティやコミュニティは実質上存在しないことを指摘している。

 現実には、AIS等のXY女性や、ロキタンスキー症候群、CAHターナー症候群など、それぞれの体の状態に応じたサポートグループが個別にあるのが実際で、そういうサポートグループに参加している当事者・家族の人数が圧倒的に多い。たとえるなら、LGBTQ等性的マイノリティのコミュニティがEUヨーロッパ連合)ほどの強いつながりとすれば、DSDsASEAN東南アジア諸国連合)ほどのつながりでしかない。

LGBTQ等性的マイノリティとDSDsの違い

DSDsは雑多な包括概念でしかない

 DSDsインターセックスの体の状態)は、ダウン症候群と子宮がん、糖尿病、事故による外性器欠損など、それぞれに全く関係のない疾患・体の状態を一緒にしたような概念でしかなく、それぞれの体の状態は全く状況も機序もプライオリティも異なるため、特に交流などもないというのが実際なのだ。たとえばインドネシアに行って、「あなたはアセアン人ですか?」と訊いても、「何を言ってるのだろう?」という反応しか返ってこないのと同じと考えると想像しやすい。

 ファンタジーではないDSDsインターセックス)は、モノリス(単一)あるいは「なんでもあり」の集団ではないのだが、アカデミズムの人々でも、「インターセックス」や「性分化疾患」で検索を行っても、各体の状態名で調査しようとすることはほとんどないだろう。このように、社会がDSDsインターセックスの体の状態)を持つ人々を、まるで「男でも女でもない」単一集団のように捉えてしまう、あるいは「自分が見たいものだけを見る」背景には、後述する「オリエンタリズム的認知形式」や「観客」の問題があると思われる。

 確かに海外で「インターセックス」を標榜する当事者運動があるが、現実にはそのような動きは当事者全体のほんの一部に過ぎない。そのような運動は必ずしも支持されているとは限らず、むしろ恐れられてさえいることもベルギーの報告書で指摘されている2。さらにこのような「インターセックス」を標榜する支援団体自体も、インターセックスには様々な体の状態があること、「男でも女でもない性(Hermaphrodite)」ではないと強調している3こともほとんど知られていない。

 

2.「男でも女でもない性」という社会的スティグマ

 両報告書とも、当事者の大多数が自身を疑いもなく男性/女性と認識していて、男性・女性以外の別のカテゴリーと見なされたいとは全く望んでおらず、むしろ他人が自分を完全な男性・完全な女性として見てくれるかどうか不安に思っていることを指摘している。「男でも女でもない性」という表象こそが、むしろ社会的スティグマになっているのだ。

 近年の一般青年期人口で自分を「男でも女でもない」とする人の割合は2.75.08%であるという調査報告4がある一方、ヨーロッパのDSDs専門調査研究機構dsd-LIFEによる2017年のこれまで最も大規模な調査では、DSDs当事者で自分を「男でも女でもない」とした人は、体の状態によって違いはあるが、全体では1.2%に過ぎなかったことも分かっている5。当事者の大多数は、生殖器などの違いによって、むしろ女性・男性としての自尊心を損なわれ、「男でも女でもない」とされることに怯えているのが現実の状況なのだ。

DSDsのある人々と一般人口で自身を「男でも女でもない」とした人の割合

 さらに、オランダの報告書では、支援者や社会学の研究者が「<インターセックス>の存在」を以って男女の性別の二分法に疑義を唱えている一方、実は当事者自身は男女の二分法を打ち崩したいという希望を全く持っていないということも指摘されている6

 

3.LGBTQ等性的マイノリティの人々との関係

LGBTは、性的指向の話や、白黒だけじゃなくてグレーもある、みんなそういうことを自分で決めなきゃいけない、でもそれは体とは関係ないってことですよね。(筆者中略)でも私たちのことは、私のケースの場合は、そういう話じゃないんです。私は女性。それで全てなんです。」(ロキタンスキー症候群を持つ女性)7

 DSDsを持つ人々にもLGBTQ等の性的マイノリティの人々は存在するが、それは一般人口にLGBTQの人々がいるのと変わらず、現実には、DSDsを持つ人々の大多数は自身をLGBTQ等性的マイノリティの一員だとは思いもしていないことも指摘されている8。実際のLGBTQ等性的マイノリティとの関係を図に示すと(図1)のようになる。

(図1)LGBTQ等性的マイノリティーとDSDsとの関係

8DSDsを持つ人々は一般人口の大多数と同じく異性愛でシスジェンダーなのである。胎生期での高レベルのテストステロン暴露がある女性の一部のDSDsの場合は、活動性(いわゆる「男らしさ」)の増加や、女性に対して性的魅力を感じたりすることがある。その中で一部に性別同一性の揺らぎをもたらすことあるが、これについても非生物学的影響(親の態度、友達の影響、文化的文脈など)の相対的な寄与がどれほどあるか分かっておらず、ますはジェンダー・ロール(活動性・「男の子っぽい」行動)を、性別同一性の問題とすぐさま混同してはならないことが指摘されている。:Cohen-Kettenis PTPsychosocial and psychosexual aspects of disorders of sex development. Best Pract Res Clin Endocrinol Metab. Apr;24(2):325-34, 2010.あるいはMeyer-Bahlburg, H.F.L., Dolezal, C., Baker, S.W. et al. Prenatal Androgenization Affects Gender-Related Behavior But Not Gender Identity in 5–12-Year-Old Girls with Congenital Adrenal Hyperplasia. Arch Sex Behav 33, 97–104, 2004.

 

 これは決して差別的意識ではなく、いくつかの要因があると思われる。

  • DSDsを持つ子どもたちや人々の体験は、事故や病気で外性器や性腺が損なわれたり、子宮を失った人々の体験に近く、そういう人が性的マイノリティの一員とは考えないのと同じため。

  • DSDsは自身の生殖器不妊の状態という、愛情やアイデンティティとはまた異なる意味で極めて私的でセンシティブな領域に関わるため、「多様性やアイデンティティをアピールする」という流れとはかなり趣が異なること。

  • そもそもDSDs当事者の大多数は、男性と女性の区別について疑問を投げかける必要性を全く感じておらず、実は「性はグラデーション」という流れとは全く逆であること。

  • 社会では、DSDsに対する性自認性的指向との混同や、当事者・家族にとっての二次的なトラウマとなるようなDSDsに対する誤った認識がLGBTムーブメントで伝えられることが特に多く、そういった動きとは距離を取りたいと思う当事者・家族が多いこと。

 特にトランスジェンダーの人々との混同は多い。DSDsを持つ人々で性別違和のある人は少なく9、また性別違和のある人で何らかのDSDsが判明することも実は少ない10

10たとえば、2009年から2013年までに英国NHTGIDサービスに訪れた出生女性で性別違和のある人で、超音波検査により先天性の障害が見つかった人は1人のみ、同じく2009年から2015年までの性別違和のある人446人で何らかの染色体の違いが判明した人は2人のみだったことが報告されている。Gary Butler,et.al.,Assessment and support of children and adolescents with gender dysphoria. Arch Dis Child. 2018 Jul;103(7):631-636

 さらにDSDsでは、性別違和のある人でない限り、性自認・性別同一性という概念を当てはめることは、たとえば卵巣がんで卵巣を失った女性が「あなたの体はもう女性とは言えないけど、性自認は女性だから女性だと認めます」と言われることに等しい傷つき体験となる。性別同一性(gender identity)という概念はトランスジェンダーの人々にとって非常に大切なものであるが、DSDsはあくまで性に関わる体の構造の問題なのだということに注意しなければならない。支援団体も20年以上前から「ジェンダー(性別)の問題ではない」11と言っているとおり、DSDs性自認や性別(ジェンダー)の問題とはとらえていないのである。

11ISNA, Our Mission, 2020930日取得)。ISNAの活動要領「Our Mission」を取りまとめたエミ・コヤマによれば、「ジェンダー(性別)の問題ではない」としたのは、インターセックスはあくまで体の構造とそれに対する医療措置の問題であること、さらに既に当時からこのような体の状態がジェンダー論などアカデミズムの領域での議論に巻き込まれ、道具化されがちであったことからとしている。:エミ・コヤマとのパーソナルコミュニケーション(20181011日)

ISNAサイト「ジェンダーの問題ではない」

 海外で「LGBTI」の接頭語を用いているインターセックス当事者団体もあるが、これはむしろ、LGBTQ団体や活動家が、インターセックスDSDs当事者団体に聞き取りをすることもなく「LGBTI」を掲げ、神話的イメージだけで、たとえば男女以外の敬称や代名詞、第三の性別欄や男女以外のトイレを設ける理由に、イメージとしての<インターセックス>の上に、当事者を搾取的に用いるような状況の中で、自らの主体性を取り戻すためでもあるというのが実際なのだということも理解されていない12

海外のインターセックス人権活動家のコメント

 たとえば、オーストラリアのLGBTIQ+の人々の健康促進事業THE EQUALITY PROJECTによるカンファレンス、BetterTogether2018では、インターセックス・ヒューマン・ライツ・オーストラリア(ihra)共同代表のトニー・ブリフファが「インターセックスの人々は、LGBTの団体・活動家たちの利益のためだけに、不注意な態度で誤った説明をされ、利用されるだけ利用されてポイッと捨てられてしまってばかり(thrown under the bus)である」と、かなり強い批判をしている(図2)。また、ロシアの複数のインターセックス団体も合同で、現地のLGBT団体や活動家が掲げる「LGBTI」に対して、それはむしろインターセックスに対する誤解を広げ、当事者特有の問題やニーズを歪め、隠蔽することになると批判的な声明を出しているなど13、むしろ当事者団体が掲げる「LGBTI」は、LGBTムーブメントでのDSDsインターセックス)を持つ人々の身体の搾取的構造からの自らの自律性・独立(Nothing about us without us)を求めるものと見たほうが分かりやすい。

(図2)オーストラリア当事者団体のプレゼン

 現在、日本のLGBTQ等性的マイノリティの人々の中では、DSDsに対する理解が徐々に広がりつつあるが、海外では、LGBTQの人々も、DSDsインターセックス)に対する社会的偏見については他の人々と変わらず、性別二元制批判など、自分たちが掲げる政治的アジェンダのために、DSDsを持つ人々の身体を自己目的的に利用することが非常に目立つ。筆者は、時折一部のLGBT活動家やアカデミズムの人から「海外ではLGBTIをやっている!」「そういうインターセックス活動家がいる!」と言われることがあるが、それがどういう「LGBTI」なのか見極めることが重要だろう。インターセックス当事者団体が自らの主体を取り戻すために掲げている「LGBTI」を,まるで自分がその主体であるかのように,しかし実は自分の自己目的化(モノ化)して語る状況は、あまりに転倒していると言わざるを得ないと思われる。



1Callens N・前掲注(1141

2Callens N・前掲注(1140-42

3Carpenter M.,The human rights of intersex people: addressing harmful practices and rhetoric of change. Reprod Health Matters.(47):74-84, 2016. あるいはISNA, Is a person who is intersex a hermaphrodite? 2020930日取得)等。

4Rider G.N.et.al.,Health and Care Utilization of Transgender and Gender Nonconforming Youth: A Population-Based Study. Pediatrics Vol.141 No.3, 2018. 日高庸晴: 多様な性と生活についてのアンケート調査報告書. 三重県男女共同参画センター「フレンテみえ」平成2829年度, 2018.

5dsd-LIFE group, Participation of adults with disorders/differences of sex development in the clinical study dsd-LIFE, BMC Endocr Disord. 18;17(1):52, 2017

6van Lisdonk・前掲注(452

7Callens N・前掲注(1118

8DSDsを持つ人々は一般人口の大多数と同じく異性愛でシスジェンダーなのである。胎生期での高レベルのテストステロン暴露がある女性の一部のDSDsの場合は、活動性(いわゆる「男らしさ」)の増加や、女性に対して性的魅力を感じたりすることがある。その中で一部に性別同一性の揺らぎをもたらすことあるが、これについても非生物学的影響(親の態度、友達の影響、文化的文脈など)の相対的な寄与がどれほどあるか分かっておらず、ますはジェンダー・ロール(活動性・「男の子っぽい」行動)を、性別同一性の問題とすぐさま混同してはならないことが指摘されている。:Cohen-Kettenis PTPsychosocial and psychosexual aspects of disorders of sex development. Best Pract Res Clin Endocrinol Metab. Apr;24(2):325-34, 2010.あるいはMeyer-Bahlburg, H.F.L., Dolezal, C., Baker, S.W. et al. Prenatal Androgenization Affects Gender-Related Behavior But Not Gender Identity in 5–12-Year-Old Girls with Congenital Adrenal Hyperplasia. Arch Sex Behav 33, 97–104, 2004.

9WPATHStandards of Care for the Health of Transsexual, Transgender, and Gender Nonconforming People 7th Version. International Journal of Transgenderism. Volume13,2012-Issue 4

10たとえば、2009年から2013年までに英国NHTGIDサービスに訪れた出生女性で性別違和のある人で、超音波検査により先天性の障害が見つかった人は1人のみ、同じく2009年から2015年までの性別違和のある人446人で何らかの染色体の違いが判明した人は2人のみだったことが報告されている。Gary Butler,et.al.,Assessment and support of children and adolescents with gender dysphoria. Arch Dis Child. 2018 Jul;103(7):631-636

11ISNA, Our Mission, 2020930日取得)。ISNAの活動要領「Our Mission」を取りまとめたエミ・コヤマによれば、「ジェンダー(性別)の問題ではない」としたのは、インターセックスはあくまで体の構造とそれに対する医療措置の問題であること、さらに既に当時からこのような体の状態がジェンダー論などアカデミズムの領域での議論に巻き込まれ、道具化されがちであったことからとしている。:エミ・コヤマとのパーソナルコミュニケーション(20181011日)

12Carpenter M.・前掲注(34

13intersex russia “Statement on the use of the abbreviation "LGBTI"”(現在リンク切れ).筆者保存の画像と日本語翻訳文をリンクする。(2020930日取得)

 

次の章「第6章:社会的生物学固定観念

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DSDsとキャスター・セメンヤ 排除と見世物小屋の分裂②「DSDs:体の性の様々な発達」

CAHで生まれた女性ジャネットさん

 

 2020年12月に発行された『ジェンダー法研究7号』(信山社浅倉むつ子先生・二宮周平先生責任編集)に掲載いただいた,ネクスDSDジャパン主宰・日本性分化疾患患者家族会連絡会代表ヨ ヘイルによる論考を,責任編集者の先生と信山社様のご厚意により,オンライン上で公開する許可をいただきました。

 一部情報をアップデートし,発行時に掲載できなかった画像資料などを加えています。

 

 大変残念なことですが,DSDsに対しては大学のジェンダー論を教えている先生方,LGBTQ等性的マイノリティのみなさんやアライのみなさん,性教育に携わる先生方,お医者様などでも,根深い誤解や偏見があります。

 当事者・家族のみなさんにはつらい描写もありますが,広く多くの方にお読みいただければと願っております。

 

DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患インターセックス)とキャスター・セメンヤ

排除と見世物小屋の分裂

 

目次

 

 

Ⅱ.DSDs:体の性の様々な発達

 

 DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患インターセックスの体の状態)は、体の性の発達に関わる3040種類ほどの1様々な体の状態・疾患をカバーする包括用語に過ぎない2DSDsは、2006年のシカゴコンセンサス3以降、医学的には染色体構成を元に分類されているが、ここでは当事者・家族の体験、すなわちDSDsの判明時期に沿って代表的な体の状態を概説する。

1Intersex Human Rights Australia, Intersex for allies. 2020930日取得)2020年現在では「3040種類」とされている。CAHAIS,ロキタンスキー症候群,ターナー症候群など,現実のDSDs各体の状態ごとのサポートグループのレベルでは,8~9つほどのグループがある。

 

 

1.出生時に判明するDSDs:性別判定が必要な外性器の形状で生まれる新生児

 

 陰核/陰茎の形状やサイズ、尿道口の位置等が一般的なものとは異なる状態4等で、性別の判定に然るべき検査が必要になる女児・男児が、約4,5005,500人に1人いる5(軽度尿道下裂を除く)。

4医学的には”ambiguous genitalia”(曖昧な外性器)と呼ばれるが、社会ではまるで性別が曖昧であるかのような誤解・偏見があるため、当事者や家族からは批判が多い。代替案としては、”Different genitalia(形が違う外性器)”や”Nontypical genitalia(非定型的な外性器)”などがある。Lin-Su K,Lekarev O, Poppas DP, Vogiatzi MGCongenital adrenal hyperplasia patient perception of disorders of sex development nomenclatureInt J Pediatr Endocrinol. 2015;2015(1):9Ellie Magritte,Working together in placing the long term interests of the child at the heart of the DSD evaluation, J Pediatr Urol. 2012 Dec;8(6):571-5

5Hughes・前掲注(1):「2000人に1人」がDSDsを持つ人々全体の割合のように言われることがあるが、この数字は元々出生時に性別判定が必要な新生児の割合であり、DSDs全体の数字ではない。また、この数字も精査され、現在では4,5005,500人に1人とされている。

 社会では「男でも女でもない」新生児が生まれるかのような偏見があるが、性別判定が必要な新生児で最も多いのは、胎児期からの副腎皮質異常によって陰核肥大や陰唇癒着、共通尿生殖洞(尿道口が内部の膣の途中に開いた状態)などが見られる、先天性副腎皮質過形成(CAH)の女児である。副腎皮質の異常によって胎児期より副腎皮質由来のテストステロンが多く産生されるために起きる疾患である。陰核の肥大や陰唇癒着の状態像からは一見性別が分かりにくいが、外性器周囲の色素沈着の所見や然るべき一連の検査で、染色体がXX、性腺が卵巣で、子宮・膣があることが確認され、該当の遺伝子も特定されることで女児であることが判明する6

6この副腎の異常は、元はコルチゾールという命に関わるステロイドホルモンの欠乏を起こすものであるため、現在日本では新生児マススクリーニングの一つに入っている。コルチゾール欠乏により、感染症やケガ、精神的ストレスによって引き起こされる副腎クリーゼは何もしないと死亡に至るため、一生の服薬治療が必要になる。日本では副腎クリーゼ緊急時のステロイドホルモンの自己注射が認められてこなかったが、20204月より認可された。また、CAHにおけるテストステロン過多は、コルチゾールが産生されないことによる副産物に過ぎない。命を保つためのコルチゾールを補充することで、副腎皮質からのテストステロン産生は機序的に減少することになる。:一般社団法人日本内分泌学会『急性副腎皮質機能不全(副腎クリーゼ)時のヒドロコルチゾンコハク酸エステルナトリウム製剤の在宅自己注射指導管理料の適応取得について』(2020930日取得)

 

CAHで生まれた女性ジャネットさん

CAHで起きる副腎ショックに対応するためのオランダの啓発動画

 次に多いのが、尿道口がペニスの先にまで達せずペニスの下側、あるいは付け根に開いた尿道下裂の男児である。軽度の場合は性別判定にまで至らないが、高度尿道下裂の場合、陰茎が小さく、下方に彎曲し、二分陰嚢かつ停留精巣を伴う事が多く、これも一見では性別が分かりにくく、然るべき検査の上で男児であることが判明する。他にも還元酵素Ⅱ型欠損症・17β脱水酸化酵素Ⅲ型欠損症男児、デニス・ドラッシュ症候群男児、部分型アンドロゲン不応症、性腺異形成などが判明することがある。

デニス・ドラッシュ症候群で生まれた男の子シェイファ君

 また、DSDsを性別(gender)の問題だと誤解していたり、sex differentiationを「男女の性別の分化」と誤解している人には見過ごされやすいが7、膀胱を含めた下腹部の器官が体外に露出した状態で生まれる総排泄腔外反症の女児・男児(女児の場合は子宮が二分していることもある)、膣口・尿道口と肛門が総排泄腔から分化しないまま生まれる総排泄腔遺残症の女児等もDSDsに含まれる8

7sex differentiation(性分化)とは、DSDs専門医療では、たとえば「iPS細胞(人工多能性幹細胞)が、神経や心筋、肝臓、膵臓などの各種器官に『分化』する」というように、体の性に関わる各種器官(性腺や膣・子宮、外性器など)に『分化』するということを指し、男女の身体への分化という単純な概念を表すのではない。

8総排泄腔外反症・遺残症両者とも,まずは人工肛門尿道の確保が必要となり、思春期以降など、男児の場合は陰茎形成術を行うか、女児の場合は膣・陰唇形成を行うか本人が決めることとなる。

 

 総排泄腔外反症の女性

 

 当事者団体も当初から訴えているとおり、DSDsは性別(gender)の問題ではなく、あくまで体の性の構造や機能に関わる状態群なのである9

 このような体の状態の場合、外性器の形状のみでCAH女児が男児と誤判定されたり、ジョン・マネープロトコル10で知られるとおり、陰茎/陰核の長さによって性別が「割り当て」され、小陰茎や総排泄腔外反症で男児と判定される新生児が陰茎切除・精巣摘出の上で女児に育てられるということが現実に起き11、たとえば総排泄腔外反症男性の場合、その約半数が性別違和を抱える結果となっていた12

10John Colapinto, As Nature Made Him: The Boy Who Was Raised As A Girl. Harper Perennial,2000(村井智之訳『ブレンダと呼ばれた少年―ジョンズ・ホプキンス病院で何が起きたのか』無名舎,2000年).ジョン・マネー1960年代を中心に、特にインターセックストランスセクシュアルの研究から、性科学の第一人者と呼ばれた性心理学者。「性的嗜好sexual preference)」を「性的指向sexual orientation)」に言い換え、トランスセクシュアリズム(後の「性同一性障害」の概念)の人々やDSDsを持つ人々に対して、言語学で使われていた「ジェンダーgender)」を「性別同一性」等の意味ではじめて援用する。マネーの理論は、生まれて18カ月以内の子どもの性自認は中立であり、24カ月までに社会的に獲得された性別同一性は不変のものとなるというもので、この理論のもと、割礼手術の事故でペニスを失った一卵性の双子男児の一方に対し、このままでは男性としての性別同一性が確立できないとし、精巣摘出・女性ホルモン投与の上、事故や「治療」のことは本人に一切隠した上で女児として育てることを勧め、両親もそれに従う。マネーはその後、この子どもが順調に女の子として育っており、性の分化において、生物学的な要素より環境に優位性があることを証明する揺るぎない証拠だとし、トランスセクシュアリズムの人々に対しては、性別同一性を変えることは不可能で、むしろ身体の方を自認する性別に合わせる方が良いとし、現在に言う「性別適合手術」を進める上では大きな原動力となり、また女性学では、いわゆる「Nature vs. Nurture(生得か環境か)論争」の中で、「男らしさ・女らしさ」あるいは性自認でさえ決して生まれによって決まるものではなく、社会的に構築されていくものだという有力な証左・象徴として繰り返し引用されていく。しかし1980年代になって、この少年は女の子として扱われることに一度として満足せず、両親に真実を打ち明けられた日から、元の男性で生活をしていることが明らかになる。このケースの結果は、性同一性障害トランスジェンダーの人々には、今度は「性の自己決定権」の必要性の象徴例として取り上げられるようになる。2004年にこの男性は自殺。しかしマネーによるプロトコルDSDsを持つ新生児への適応(新生児で陰茎を引っ張って2.5cm以上なければ、切除の上女児として育てる、女児で陰核が2.5cm以上あれば、陰核減縮術を行う)はその後も続いた。このマネーのプロトコル自体や、それに対する社会の毀誉褒貶した受け止めについては、この少年やDSDsを持つ人々の全体的な人間性がいかに没却・「切除」されてきたかを考える重要な点であると思われる。

11マネーの実験は,言うなれば、人工的に性同一性障害を作るようなものである。

 

 しかし現在では分子生物学の発展等により、その状態像がどのような機序から呈しているか判明するようになり、外性器のサイズや染色体の構成、性腺の種類などの何か一つの指標に強迫的に拘泥することなく、女児か男児かの総合的な「判定」が、遺伝子診断を含めた然るべきいくつかの検査によって可能になっている。たしかに一部判定が難しい体の状態もあるが、マネー・プロトコルによる「割り当て」ではなく、難しいケースでも総合的な「判定」13を行えば、現実には大多数の人々は出生時に判定された性別に違和を持つことはない14

13.「性別の割り当て」という表現は、現在トランスジェンダーの人々の性別同一性に関して政治的な運動で使われることが多いが、DSDsインターセックスでの、以前現実に行われた「割り当て」や、現在のDSDs医療の然るべき一連の検査による「判定」とは全く中身も意味も異なるため、注意が必要である。(本論では、以前のマネープロトコルの時代と区別するために、現在の然るべき検査の上でのものを性別「判定」と表現する)。

 

 実は、当事者団体はDSDsを持って生まれた新生児の男女の性別判定には当初から反対していない。求めているのは、マネー・プロトコルのような誤った「割り当て」ではない、エヴィデンスに基づく「男性・女性の性別判定」、女性か男性かの出生登録、また外性器の美容的外科手術等実施の自己決定なのだが15、「男女どちらでもない第三の性別を求めている」という偏見・誤解がアカデミズムの領域も含め未だに根強い。

15日本インターセックスイニシアティヴ『インターセックスの子どもは男の子、女の子どちらに育てたらいいですか?』、ISNA“How can you assign a gender (boy or girl) without surgery?インターセックスの子どもたちは、すべての人々と同じく成長して異なるsexgenderだというアイデンティティを持つ可能性もあるという認識のもとに、インターセックスの子どもたちも女性または男性として登録すること。」 Public statement by the third international intersex forum. Malta. December. 2013. 2020930日取得):外科手術実施の是非を性別(判定)の問題と混同するのは、後述する「社会的生物学固定観念」が強い故だと思われる。

 

 

2.思春期前後に判明するDSDs:主に女性の原発無月経から判明するDSDs

 

 DSDsは思春期前後に女性の原発無月経等で判明するパターンが多く、まず代表的なものは女性のターナー症候群である。低身長などの成長障害や二次性徴不全、あるいは女性不妊から、染色体の構成が45,X、卵巣が機能不全(幼児期での早期閉経)であることが判明する16

16ターナー女性には子宮は存在するため、現在、第三者卵子提供とパートナーの男性の精子との体外受精によって出産も可能となっている。

 

ターナー症候群の女性・女の子たち

 次に多いのがロキタンスキー症候群(MRKH)の女性で、染色体はXX、性腺は卵巣で一般的な女性の体の状態だが、生まれつき子宮と膣上部が発達していなかったことが判明する。

17たとえばロキタンスキー症候群の女性は、医学的には原発無月経に入っても、卵巣はあるため生理周期があり、彼女たちにとっては卵巣があることは非常に重要である場合が多い。DSDsと一言で言っても、体の状態ごとに全く体験が異なることに注意しなければならない。また、ロキタンスキー症候群については、スウェーデンを始めとした海外各国で、近親者や脳死者から提供を受けた子宮移植が行われており、ロキタンスキー症候群を持つ女性の卵巣から卵子を採取し、男性パートナーの精子体外受精をして、移植した子宮に戻すことで、子どもも多く生まれている。:木須伊織『子宮移植の現状と展望』Organ Biology VOL.25 NO.1 2018 35-40

 

ロキタンスキー症候群の女性たち

 また、女性のアンドロゲン不応症(AIS)と呼ばれる体の状態が判明することもある。染色体の構成や性腺の種類が、一般的には男性に多いXY・精巣であるが、体の細胞のレセプター欠損により男性に多いアンドロゲンに一部もしくは完全に反応せず、この場合生来的に女性に生まれ育つのである。XY染色体女性には他にも,卵巣・精巣に分化する前の元性腺が胎児期早期に退縮し,アンドロゲンの影響を受けないため,やはり女性に生まれ育つスワイヤー症候群の女性等もいる。

AISが判明した女性ケイティさん

 原発無月経等から判明するDSDsの診断には、大きなトラウマを受ける女性も少なくない。彼女たちが最もショックを受けるのは何よりも不妊の事実で、これはがんで子宮や卵巣、乳房を失った女性の多くの、女性としての自尊心の喪失以上のものになりえる。

 思春期前後に判明するDSDsは他にも、女性の場合で二次性徴不全や原発無月経から性腺機能低下症、男性の場合で二次性徴不全から性腺機能低下症や性腺異形成が判明することもある。更に男性でエストロゲンが産生され乳房発達が見られたり、女性で声域が低くなる変声や体毛発達、性器肥大などから、卵精巣性DSDが判明することもある。

卵精巣性DSDサポートグループのみなさんからのメッセージ漫画

 

 

3.XY染色体バリエーション:男性不妊や新型出生前診断での判明

 

 「男性=XY、女性=XX」というのが現在の一般的な理解と思われるが、これは既に基礎的な知識に過ぎなくなっている。確かに大多数の男性の体の染色体はXY、大多数の女性の体の染色体はXXだが、XXY染色体やXXYY染色体の人も生来的に男性に生まれ育ち、XYY染色体の男性、XXX染色体の女性もいる。

 

クラインフェルター症候群が判明した男性マイクさん

XXYY症候群が判明した男の子エイデン君

 女性・男性の体の違いを決めるのはXY染色体の構成数という誤解が多いが、通常はY染色体上にあるSRY遺伝子にあることが既に分かっている。たとえばだが、XX染色体の個体でもSRY遺伝子が付随する場合は男性に生まれ育つ。1990年のSRY遺伝子の発見以降、性腺の分化、外性器、膣や子宮の形成等の体の性の発達には、AIS女性の場合のX染色体上のAR遺伝子の変異など、恐らく約100以上の遺伝子が関係していると言われている18DSDsの先端医療は、その体の状態がどのような機序で起きているのか、染色体の数ではなく、既に遺伝子の時代になっているのだ。

 XY染色体バリエーションの場合、現在海外では、XXY男性やXXsry+)男性の場合は男性不妊治療から、XXY男児を含めたXY染色体バリエーションやターナー症候群女児などは、新型出生前診断で判明することが多くなってきている。

 

新型出生前診断に対するクラインフェルター症候群サポートグループの代表からのメッセージ

 

次の章「第3章:オランダ・ベルギーの調査報告で指摘されているDSDsに対する社会的偏見」

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1Intersex Human Rights Australia, Intersex for allies. 2020930日取得)2020年現在では「3040種類」とされている。CAHAIS,ロキタンスキー症候群,ターナー症候群など,現実のDSDs各体の状態ごとのサポートグループのレベルでは,8~9つほどのグループがある。

2Wisniewski A.B. Chernausek S.D. Kropp.B.P, Disorders of Sex Development: A Guide for Parents and Physicians. A Johns Hopkins Press Health Book, 2012.

3Hughes・前掲注(1

4医学的には”ambiguous genitalia”(曖昧な外性器)と呼ばれるが、社会ではまるで性別が曖昧であるかのような誤解・偏見があるため、当事者や家族からは批判が多い。代替案としては、”Different genitalia(形が違う外性器)”や”Nontypical genitalia(非定型的な外性器)”などがある。Lin-Su K,Lekarev O, Poppas DP, Vogiatzi MGCongenital adrenal hyperplasia patient perception of disorders of sex development nomenclatureInt J Pediatr Endocrinol. 2015;2015(1):9Ellie Magritte,Working together in placing the long term interests of the child at the heart of the DSD evaluation, J Pediatr Urol. 2012 Dec;8(6):571-5

5Hughes・前掲注(1):「2000人に1人」がDSDsを持つ人々全体の割合のように言われることがあるが、この数字は元々出生時に性別判定が必要な新生児の割合であり、DSDs全体の数字ではない。また、この数字も精査され、現在では4,5005,500人に1人とされている。

6この副腎の異常は、元はコルチゾールという命に関わるステロイドホルモンの欠乏を起こすものであるため、現在日本では新生児マススクリーニングの一つに入っている。コルチゾール欠乏により、感染症やケガ、精神的ストレスによって引き起こされる副腎クリーゼは何もしないと死亡に至るため、一生の服薬治療が必要になる。日本では副腎クリーゼ緊急時のステロイドホルモンの自己注射が認められてこなかったが、20204月より認可された。また、CAHにおけるテストステロン過多は、コルチゾールが産生されないことによる副産物に過ぎない。命を保つためのコルチゾールを補充することで、副腎皮質からのテストステロン産生は機序的に減少することになる。:一般社団法人日本内分泌学会『急性副腎皮質機能不全(副腎クリーゼ)時のヒドロコルチゾンコハク酸エステルナトリウム製剤の在宅自己注射指導管理料の適応取得について』(2020930日取得)

7sex differentiation(性分化)とは、DSDs専門医療では、たとえば「iPS細胞(人工多能性幹細胞)が、神経や心筋、肝臓、膵臓などの各種器官に『分化』する」というように、体の性に関わる各種器官(性腺や膣・子宮、外性器など)に『分化』するということを指し、男女の身体への分化という単純な概念を表すのではない。

8両者ともまずは人工肛門尿道の確保が必要となり、思春期以降など、男児の場合は陰茎形成術を行うか、女児の場合は膣・陰唇形成を行うか本人が決めることとなる。

9The Intersex Society of North America (ISNA): www.isna.org/ 2020930日取得)

10John Colapinto, As Nature Made Him: The Boy Who Was Raised As A Girl. Harper Perennial,2000(村井智之訳『ブレンダと呼ばれた少年―ジョンズ・ホプキンス病院で何が起きたのか』無名舎,2000年).ジョン・マネー1960年代を中心に、特にインターセックストランスセクシュアルの研究から、性科学の第一人者と呼ばれた性心理学者。「性的嗜好sexual preference)」を「性的指向sexual orientation)」に言い換え、トランスセクシュアリズム(後の「性同一性障害」の概念)の人々やDSDsを持つ人々に対して、言語学で使われていた「ジェンダーgender)」を「性別同一性」等の意味ではじめて援用する。マネーの理論は、生まれて18カ月以内の子どもの性自認は中立であり、24カ月までに社会的に獲得された性別同一性は不変のものとなるというもので、この理論のもと、割礼手術の事故でペニスを失った一卵性の双子男児の一方に対し、このままでは男性としての性別同一性が確立できないとし、精巣摘出・女性ホルモン投与の上、事故や「治療」のことは本人に一切隠した上で女児として育てることを勧め、両親もそれに従う。マネーはその後、この子どもが順調に女の子として育っており、性の分化において、生物学的な要素より環境に優位性があることを証明する揺るぎない証拠だとし、トランスセクシュアリズムの人々に対しては、性別同一性を変えることは不可能で、むしろ身体の方を自認する性別に合わせる方が良いとし、現在に言う「性別適合手術」を進める上では大きな原動力となり、また女性学では、いわゆる「Nature vs. Nurture(生得か環境か)論争」の中で、「男らしさ・女らしさ」あるいは性自認でさえ決して生まれによって決まるものではなく、社会的に構築されていくものだという有力な証左・象徴として繰り返し引用されていく。しかし1980年代になって、この少年は女の子として扱われることに一度として満足せず、両親に真実を打ち明けられた日から、元の男性で生活をしていることが明らかになる。このケースの結果は、性同一性障害トランスジェンダーの人々には、今度は「性の自己決定権」の必要性の象徴例として取り上げられるようになる。2004年にこの男性は自殺。しかしマネーによるプロトコルDSDsを持つ新生児への適応(新生児で陰茎を引っ張って2.5cm以上なければ、切除の上女児として育てる、女児で陰核が2.5cm以上あれば、陰核減縮術を行う)はその後も続いた。このマネーのプロトコル自体や、それに対する社会の毀誉褒貶した受け止めについては、この少年やDSDsを持つ人々の全体的な人間性がいかに没却・「切除」されてきたかを考える重要な点であると思われる。

11言うなれば、人工的に性同一性障害を作るようなものである。

12Reiner WG, Gearhart JPDiscordant Sexual Identity in Some Genetic Males with Cloacal Exstrophy Assigned to Female Sex at Birth. N Engl J Med. Jan 22;350(4):333-41, 2004

13「性別の割り当て」という表現は、現在トランスジェンダーの人々の性別同一性に関して政治的な運動で使われることが多いが、DSDsインターセックスでの、以前現実に行われた「割り当て」や、現在のDSDs医療の然るべき一連の検査による「判定」とは全く中身も意味も異なるため、注意が必要である。(本論では、以前のマネープロトコルの時代と区別するために、現在の然るべき検査の上でのものを性別「判定」と表現する)。

14Callens N・前掲注(1124

15日本インターセックスイニシアティヴ『インターセックスの子どもは男の子、女の子どちらに育てたらいいですか?』、ISNA“How can you assign a gender (boy or girl) without surgery?インターセックスの子どもたちは、すべての人々と同じく成長して異なるsexgenderだというアイデンティティを持つ可能性もあるという認識のもとに、インターセックスの子どもたちも女性または男性として登録すること。」 Public statement by the third international intersex forum. Malta. December. 2013. 2020930日取得):外科手術実施の是非を性別(判定)の問題と混同するのは、後述する「社会的生物学固定観念」が強い故だと思われる。

16ターナー女性には子宮は存在するため、現在、第三者卵子提供とパートナーの男性の精子との体外受精によって出産も可能となっている。

17たとえばロキタンスキー症候群の女性は、医学的には原発無月経に入っても、卵巣はあるため生理周期があり、彼女たちにとっては卵巣があることは非常に重要である場合が多い。DSDsと一言で言っても、体の状態ごとに全く体験が異なることに注意しなければならない。また、ロキタンスキー症候群については、スウェーデンを始めとした海外各国で、近親者や脳死者から提供を受けた子宮移植が行われており、ロキタンスキー症候群を持つ女性の卵巣から卵子を採取し、男性パートナーの精子体外受精をして、移植した子宮に戻すことで、子どもも多く生まれている。:木須伊織『子宮移植の現状と展望』Organ Biology VOL.25 NO.1 2018 35-40

18Quigley C.A: Disorders of Sex DevelopmentWhen to Tell the Patient. ,20092020930日取得)

 

 

DSDsとキャスター・セメンヤ 排除と見世物小屋の分裂① 「はじめに」

 2020年12月に発行された『ジェンダー法研究7号』(信山社浅倉むつ子先生・二宮周平先生責任編集)に掲載いただいた,ネクスDSDジャパン主宰・日本性分化疾患患者家族会連絡会代表ヨ ヘイルによる論考を,責任編集者の先生と信山社様のご厚意により,オンライン上で公開する許可をいただきました。

 一部情報をアップデートし,発行時に掲載できなかった画像資料などを加えています。

 

 大変残念なことですが,DSDsに対しては大学のジェンダー論を教えている先生方,LGBTQ等性的マイノリティのみなさんやアライのみなさん,性教育に携わる先生方,お医者様などでも,根深い誤解や偏見があります。

 当事者・家族のみなさんにはつらい描写もありますが,広く多くの方にお読みいただければと願っております。

 

DSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患インターセックス)とキャスター・セメンヤ

排除と見世物小屋の分裂

 

目次

 

Ⅰ.はじめに

 

 性分化疾患Disorders of sex development)とは、医学的に「染色体や性腺、もしくは解剖学的に体の性の発達が先天的に非定型的である状態」1を指す。欧米の一部の運動では「インターセックスintersex)」とも呼ばれている。しかし、両用語とも、包括用語自体を拒否する患者家族会やサポートグループがほとんどであるため、本論では、当事者の発案から近年医療でも用いられるようになっている「体の性の様々な発達(Differences of sex developmentDSDs)」という呼称を用いる2

2呼称の問題については後述。筆者としては、日本のDSDを持つ子どものある親御さんから「自分の子どもを”セックス”とは呼べない」と言われ、「sexとは性行為ではなく、体の性の意味」と説明しようとも思ったが、傲慢にも思えたため、以降ネクスDSDジャパンでは必要に応じた時しか「インターセックス」という用語は使っていない。また本論では基本的にDSDsという略語を用いるが、これは欧米の「インターセックス」の定義「これが女性・男性の体という固定観念とは、生まれつき異なる発達をした体の状態」と同じ意味、またそういった包括用語に含まれる体の状態群も同じものとして用いる。さらに「男でも女でもない(間性)」といった、DSDsに投影される社会的イメージ(ハーマフロダイトイメージ)としての「インターセックス」については、現実のDSDsインターセックスと区別するため、<インターセックス>との括弧付きとする。

 

 DSDsは、1993 年、当事者女性のシェリル・チェイスBo Laurant)による北米インターセックス協会(Intersex Society of North America:ISNA)3の発足以来、当事者・家族の医療状況が問題となり、日本では橋本秀雄氏の著作で取り上げられ、「男でも女でもない性」「性のグラデーション」といったフレーズで、LGBTQ等性的マイノリティの人々とともに<インターセックス>の認知が広まった。

 オランダの報告4では全人口の約0.5%が何らかのDSDsを持っているとされている。しかし現在LGBTQの人々の多くがカミングアウトし、その正しい理解が深まり、当事者の人々の人権擁護の機運は高まっている一方、DSDsを持つ人々でカミングアウトする人々の数は極めて限られている。これはどのような要因からくるものなのだろうか。 

 これを、社会が性別を男性と女性に分ける男女二元制の強さ故と考える人もいるかもしれない。この20年、<インターセックス>に対しては、アカデミズムやLGBTムーブメントの中で、「性の多様性」のひとつとして、「身体の性別が男か女か判別できない状態」5など、「男でも女でもない(ハーマフロダイト6)」というイメージに基づく定義で、「身体も男女2つに分けられない」証左として取り上げられることが多い。

5たとえば「人の身体的性は,典型的な男女身体を両極に様々なグラデーションをなすのであり,連続的にとらえる必要がある。」日本学術会議法学委員会 社会と教育におけるLGBTI の権利保障分科会「性的マイノリティの権利保障をめざして― 婚姻・教育・労働を中心に― 」(2017),「身体の性別の特徴(性徴)が男女どちらかといえない場合は「インターセックス性分化疾患)」と呼ばれます。」石田仁『はじめて学ぶLGBT 基礎からトレンドまで』ナツメ社(201916頁、「IというのはインターセックスのIなんですが、性分化疾患と呼ばれたりしております。身体の特徴が男女のどちらでもないということです。」石丸径一郎(2017)『LGBTsとの共生:大学でできること』、「Iインターセックス)というのは、先天的に「男性」(Male)あるいは「女性」(Female)としての解剖学的・生物学的特徴の両方を兼ね備えている人々のことです。」東優子(2016)『性的マイノリティの現状と人権問題』2020930日取得)

6Hermaphrodite:元は,精霊のサルマキスが青年ハーマフロダイトをレイプし,無理やり一体化することで両性具有となったというギリシア神話に由来する名称。日本では医学的には「半陰陽」と呼ばれていたが,現在このような「両性具有・男でも女でもない」といった神話的表現は,医学的にも人権支援団体でも,侮蔑的で誤解を与えるものとされている。例えばであるが,光過敏症の人を「吸血鬼」,多毛症の人を「狼男」と呼んだり,「狼と人のあいの子」「どれくらい血を必要とするか?」といったような,神話的なフレームワークで考えるようなものである。

 

 そういったアカデミズムの各種文献や、LGBTQなど性的マイノリティについての各種解説書、新聞社のルポやマンガ、ドラマなどのメディアの情報から、「男でも女でもない性別で生まれてきているのに、男女二元制の社会によって無理やり手術で男性か女性かにされ、本来は男女という性別を超えた生き方も享受できるはずなのに、それを抑圧されている人々」という戯画的なイメージを持つ人さえいるかもしれない。

 筆者は、北米のインターセックス活動家でISNAにも所属してい活動家が主宰している「日本インターセックス・イニシアティヴ」7に参加し、以降、欧米の各種DSDs患者・家族会,サポートグループや支援団体とコンタクトを行い、DSDsの各体の状態について海外の情報や文献などを日本語に翻訳・発信する「ネクスDSDジャパン」8を主宰している。近年日本でもDSDs各種体の状態の患者・家族会が設立され、日本性分化疾患患者家族会連絡会として連携も行っている。その経験の中で、外部では「<インターセックス>という存在を以って何が言えるか」という観念的議論は溢れている一方、当事者家族の利益となるような具体的な情報が実はほとんどないことや、社会的イメージと現実の当事者・家族の実態とのギャップに違和感を持ち続けていた。

 そういった中で、近年オランダやベルギーの公的機関が当事者・家族への調査を行い、報告書が発行されている9 10。そしてオランダの報告書では、当事者が出くわした偏見として「男女の中間」「完全な男性・女性ではない」「同性愛・トランスジェンダーである」「みな曖昧な性器である」などを挙げ11、ベルギーの報告書では、DSDsが男女以外の性別であるかのような「神話」は、医療提供者やマスコミ、教育機関の教師によってもさらに強められていることを指摘している12。つまり、「男でも女でもない」というイメージこそが当事者家族に対する社会的偏見としてはたらている状況が示されているのだ。

 

www.nexdsd.com

 

 本論ではまず、ここ20年の間に大きく進展している性分化疾患医療の知見から、現実のDSDsインターセックスの体の状態)の様々な体の状態を概説し、オランダとベルギーの報告書などで示されている当事者・家族の現実の状況、そして実際の当事者・家族の具体的困難をまとめる。さらに、2010年のロンドン世界陸上以来、「性別疑惑」という汚名を着せられている南アフリカの陸上女性選手キャスター・セメンヤに対して巻き起こった議論を批判的に検討し、DSDsに対してなぜこのような社会的イメージと現実の乖離が生まれたのか、DSDsを持つ人々に対する「原初的差別」について考察する。

 

 

次の章「第2章:DSDs:体の性の様々な発達」

nexdsd.hatenablog.com

 

1Hughes et.al., Consensus statement on management of intersex disorders. Arch Dis Child. 91(7):554-6,2006

2呼称の問題については後述。筆者としては、日本のDSDを持つ子どものある親御さんから「自分の子どもを”セックス”とは呼べない」と言われ、「sexとは性行為ではなく、体の性の意味」と説明しようとも思ったが、傲慢にも思えたため、以降ネクスDSDジャパンでは必要に応じた時しか「インターセックス」という用語は使っていない。また本論では基本的にDSDsという略語を用いるが、これは欧米の「インターセックス」の定義「これが女性・男性の体という固定観念とは、生まれつき異なる発達をした体の状態」と同じ意味、またそういった包括用語に含まれる体の状態群も同じものとして用いる。さらに「男でも女でもない(間性)」といった、DSDsに投影される社会的イメージ(ハーマフロダイトイメージ)としての「インターセックス」については、現実のDSDsインターセックスと区別するため、<インターセックス>との括弧付きとする。

3The Intersex Society of North America (ISNA): www.isna.org/ 2020930日取得)

4van Lisdonk, The Netherland Institute for Social Research, Living with intersex/DSD An exploratory study of the social situation of persons with intersex/DSD. 2014. ネクスDSDジャパン訳『性分化疾患/インターセックスの状態とともに生きる』)(2020930日取得)

5たとえば「人の身体的性は,典型的な男女身体を両極に様々なグラデーションをなすのであり,連続的にとらえる必要がある。」日本学術会議法学委員会 社会と教育におけるLGBTI の権利保障分科会「性的マイノリティの権利保障をめざして― 婚姻・教育・労働を中心に― 」(2017),「身体の性別の特徴(性徴)が男女どちらかといえない場合は「インターセックス性分化疾患)」と呼ばれます。」石田仁『はじめて学ぶLGBT 基礎からトレンドまで』ナツメ社(201916頁、「IというのはインターセックスのIなんですが、性分化疾患と呼ばれたりしております。身体の特徴が男女のどちらでもないということです。」石丸径一郎(2017)『LGBTsとの共生:大学でできること』、「Iインターセックス)というのは、先天的に「男性」(Male)あるいは「女性」(Female)としての解剖学的・生物学的特徴の両方を兼ね備えている人々のことです。」東優子(2016)『性的マイノリティの現状と人権問題』2020930日取得)

6Hermaphrodite:元は,精霊のサルマキスが青年ハーマフロダイトをレイプし,無理やり一体化することで両性具有となったというギリシア神話に由来する名称。日本では医学的には「半陰陽」と呼ばれていたが,現在このような「両性具有・男でも女でもない」といった神話的表現は,医学的にも人権支援団体でも,侮蔑的で誤解を与えるものとされている。

7日本インターセックス・イニシアティヴ:http://www.intersexinitiative.org/japan/2020930日取得)

8ネクスDSDジャパン:www.nexdsd.com/2020930日取得)

9van Lisdonk・前掲注(4

11van Lisdonk・前掲注(452

12Callens N・前掲注(1155

 

 
 

 

 

アリス・ドレガー「非定型的な体の性を持つ子どもたちのケアはどのように変化したか?」

アリス・ドレガー

非定型的な体の性を持つ子どもたちのケアはどのように変化したか?

アリス・ドレガーさん

 非定型的な体の性を持つ人々への(誤った)医学的治療について、1998年私がHastings Center Reportで書いた小論、『「あいまいな性器」かアンビヴァレントな医療か?インターセクシュアリティ治療の倫理的問題』を再版しないかと、毎年、生命倫理のテキストブックの編集者がそれぞれにリクエストしてきているようです。この小論は、あの領域ではじめて、倫理的批判を表明したものであり、それは今でも十分説得力を持つものであり続けているわけですが、今年、また別の再版リクエストを受け出版されるのを機に、改訂をすることにしました。改訂の権利は私にありますので、ここで少しご紹介したいと思います。

 新しい論を加えるだけではないのには、3つ理由があります。

(1)今日、非定型的な体の性への医学的ケアシステムは流動的になっており、現在行われている様々な医療行為を正確に把握することは難しく、できたとしてもすぐさま時代遅れになってしまうということ。

(2)1998年に私が出した倫理的批判は、医療ケアの一部が変化してきていても、まだ十分参照する価値があるということ。

(3)1998年の小論に2011年の終章へという流れにすれば、エヴィデンスと倫理に共感してくれる(医療従事者を含む)支援者の努力によって、医療行為が更に良くなっていくという予感を読者に与えてくれるかもしれないということです。

 さまざまな性のあり方は、1998年以来大きく世間に知られるようになりました。このことは、インターセックスの医学的治療に関心を持っていた人たちにも重要な機会となりました。なぜなら、一般に知識が広まることで、医療従事者の考え方も変化してきたからです。ゲイ、レズビアンバイセクシュアル、トランスジェンダーの権利運動も、世間の人々や医療従事者の非定型的な体の性に対する考え方を変えてきました。1990年代初頭では、医療従事者の多くがインターセックスはタブーだと信じ、そのために恥辱と隠蔽の立場から行動していたのです。

 今日、患者や両親が、インターセックスについての知識や、セクシュアルマイノリティの権利運動に影響された知識をバックグラウンドに持ってきていることが多いということに、医療従事者も気づいてきています。その結果、今日インターセックスは、ほとんどの場合、恥辱や秘密、ホモフォビアやトランスフォビアなしで扱われるようになっているようです。

 1998年以降広く一般に知られるようになったのは、Max BeckやHoward Devore、そしてボー・ローラン (シェリル・チェイスとしても知られています)など、インターセックス権利運動のリーダーを扱ったテレビ番組も含め、インターセックスのちゃんとした話がメディアの注目を集めたことも大きいでしょう。2000年には、John Colapintoのすばらしい著書、『As Nature Made Him(ブレンダと呼ばれた少年)』で、私が1998年の小論の最初に、マネーがつけていた偽名(“John/Joan”)で紹介した男性、David Reimerのすべての物語が語られました。2004年、悲しいことにReimerは自殺し、その結末は、Reimerが恥辱や時代遅れの性規範、そして嘘に基づいた問題だらけの医療システムによって損なわれたからだという印象を一般に与えました。

 2002年には、Jeffrey Eugenidesの小説『Middlesex(ミドルセックス)』が、インターセックスの5α還元酵素欠損症を持つ人のライフストーリーを―その中には、John Moneyのような医者との出会いも入っていました―物語ります。『Middlesex』は300万部以上売れ、Oprah’s Book Club(訳者注:アメリカで有名なブックレビューの番組)にも登場し、そして奇妙なことに、フィクションのお話にも関わらず、なぜか多くの医者がインターセックスの治療について考え直すことにつながっていったようです。

 2009年、ベルリンの国際競技で、性別疑惑を持たれた南アフリカのまだ歳若い選手、キャスター・セメンヤが(本人には不本意にも)国際的な注目をあびました。スポーツ界での性別検査への反応で初めて、本当に大きな―そして完全にオープンな―国際的議論が巻き起こり、多くのコメンテイターが、セメンヤがスポーツオフィシャルや医者から受けた扱いに抗議しました。彼女のケースは、国際オリンピック機構や国際陸上競技協会(それより小さなスポーツ組織も)がそれぞれのポリシーを改訂する動きとなりました。一般のコメンテイターたちの共通テーマは、体の性が非定型的な選手も「人」として完全に尊重して扱う権利に集約されていきました。これは大きな前進を象徴しています。

 医療従事者が、両親や患者に、それぞれに関わるインターセックスの状態について全ての詳細を伝えることが今日更に多くなっているようです。今では私がサポートグループを訪問すると、自分の診断や完全な医療記録を知っているティーンエイジャーに会ったり、自分のまだ幼い子どもに、その子の診断や医療記録をオープンに話している両親に会ったりします。

 これはもっともラディカルで歓迎すべき進歩です。医療従事者の中には、患者や家族に、それぞれの疾患のサポートグループを積極的に勧める人もいますが、多くはそこまで行っていません。彼らが私によく言うのは、間違った情報や「間違った態度」を患者がサポートグループで拾ってくるのではないかと心配しているということです。Androgen Insensitivity Syndrome Support Group(AISのサポートグループ)やHypospadias and Epispadias Association(尿道下裂・尿道上裂のサポートグループ)といった良質なサポートグループもたくさんあるんですけどね。

 1998年以降、医療行為で恐らくもっともはっきりした変化は、「インターセックス(中間性)」という用語や「hermaphrodite(半陰陽:両性具有・男でも女でもない性)」を基にした用語(「male pseudohermaphrodite(男性仮性半陰陽)」など)から、「disorders of sex development (DSD)(性分化疾患)」への専門用語の変更です。私はこの変更を進めたひとりです。なぜなら、

・多くの医療従事者は、尿道下裂やCAH由来の,男の子か女の子かの性別判定に然るべき検査が必要な外性器の状態を「インターセックス」というものと認識することを拒否していたため、「インターセックス」という用語を使っている間は、共通の問題と切実に必要とされる共通の解決に取り組んでもらうことはできなかったから。 

・多くの両親は「インターセックス」という用語に脅かされていて、外科手術をすることでなんとかそれを切り離そうとしていたから。 

・「インターセックス」という用語はクィアLGBT等の性的マイノリティ)権利運動によって政治化されてしまっていて、体の性が非定型的な子どものケアへの疑問を更に混乱させるような、クィア権利運動に回収されてしまったから。 

トランスジェンダー活動家の多くが(インターセックスではないのに)自分たちのことを「インターセックス」と名乗り始め、「インターセックス」の意味が変わってしまったからです。

 「disorders of sex development」という用語は、2006年シカゴでの、主要な北アメリカとヨーロッパの小児内分泌学会によるコンセンサス会議で正式に採用されました。DSDとは、「染色体、生殖腺あるいは解剖学的性別の発達が非典型的な先天的状態」を意味します。私と同僚たちはまた、2005年に編集した2つのハンドブックでも「DSD」という用語を使いました。ひとつはDSDの小児科ケアの医療ガイドライン、もうひとつは両親のためのハンドブックです。

 小児内分泌学グループの「シカゴコンセンサス」は、いくつかの医療行為に関して、とても大きな前進を果たしています。たとえば、コンセンサスの文書では、「DSDの専門知識を持ったメンタルヘルスケアスタッフが提供する心理社会的ケアが、肯定的な適応を促すマネージメントの中心となるべきである」と謳っています。またコンセンサスでは性器手術の危険性を認め、少なくとも陰核形成術に対しては、「ただ単なる美容的外見ではなく、機能的転帰が強調されねばならない」としています。

 更にコンセンサスでは、完全型のアンドロゲン不応症(CAIS)のケースでは以前考えられていたよりも精巣腫瘍はあまり見られないというデータを示し、腫瘍の徴候が見られないCAISの女性には(摘出してホルモン補充療法を行うのではなく)経過観察することも合理的な選択肢であろうと示唆しています。これは、医療従事者が、非定型的な(しかし健康上の問題のない)性組織について、怖がるのではなく、患者の中に置いておいて、じっくりと長い期間をかけてデータを集めるようになっているというあらわれです。*1

 専門家はまた、ペニスが小さい(マイクロペニス)の男の子の赤ん坊の性別を女の子に変えることはしないようになってきています。また、まだ幼い女の子の子どもに膣形成術を勧めることもやめるようになっています。早期の膣形成術は失敗することが多く、思春期に大幅な再手術を必要とすること、そして、膣拡張器―よちよち歩きの頃からの膣拡張をしなければならなくなった子どもや両親を傷つけるかもしれないような―を必要とするためです。*2

 まだ公開はされていませんが、ミシガン大学の小児心理学者David Sandbergの調査データでは、DSDケアについての医療従事者の考え方は、どのような治療を行うのかという以上に、意識の変化が行動の変化を上回っていることが多いと示唆しており、これは希望の持てるものでしょう。私が一番うれしいのは、DSDの医学論文が、ジェンダー性的指向は生得か環境かなんたらかという議論を中心としたどうでもいい話から、恥辱や秘密、そして医原性のトラウマをいかに軽減していくかという重要な話が中心となっていったことです。

 インフォームドコンセントと皆で決定を共有していくアプローチ(これは両親に本当の権利があります)*3は、それぞれのケースでは実際どのようなものになるのかという本質的な議論も多くなっています。2008年、Intersex Society of North America(ISNA)が解散してから、医療改革の推進をより活発に行なっていく2つの組織が、Accord Alliance (DSDへの進歩的なチームケアを実行していくことに焦点を当てた組織)と、Advocates for Informed Choice(非定型的な体の性を持った人とその両親の権利を守るための法的なツールを用いることを中心とした組織)です。

 体の性の違いを持った子どもへの「モンスターアプローチ」が過去の歴史となったと、いつか報告が出来ればと私は願っていますが、現在でも未だ、子どもたち(そしてその母親)には、権利という点で特殊な扱いをされるリスクが残っているのを目にします。たとえばですが、最近私や同僚たちは、女の子たちが性別判定に然るべき検査が必要な外性器を持って生まれないようにと、何百もの妊婦に、同意なしに、リスクの大きい、ちゃんと管理もされていない医学実験が何年にもわたって行われているようだということに光を当てています。*4

 また私たちは、最年少で6歳の、外科手術に納得・同意するにはまだ十分ではない時点で、外見的な理由で陰核減縮術を受けさせられた女の子に行われた「クリトリス感覚テスト」に関心を深めています。このテストには、外科医が意識のある女の子の性器を、綿棒や「医療用バイブレーター装置」で触り、触られて気持ちいいかどうかを尋ねるというものも含まれていました。

 他にもたくさんの女の子がそんな行為にさらされているとは想像しがたいことです。もっとも気味が悪いのは、この最近の話についてコメントする人の中には、性別判定に然るべき検査が必要な外性器を持った女の子は普通じゃないのだから、こんな異常な治療でも構わないんじゃないかと論じようとした人もいるということです。このような態度が示唆するのは、まだまだ道は長い、ということでしょう。

(翻訳:ヨヘイル)

*1:訳者注:それまでは性別に合わない性腺は切除することが適当とされ、理由の一つに未分化性腺の悪性腫瘍化リスクが挙げられていた。しかし一律に切除という方針のために、個別の疾患ごとの悪性腫瘍化リスクが調査されることがなかった。現在では調査が行われ、CAISはこのような結果が出ているが、PAISやスワイヤー症候群、混合性性腺形成不全などは悪性腫瘍化リスクが非常に高いことも一方で判明している。

*2:訳者注:1950年代からのマネーのガイドライン下では、性別同一性は性器の形なども含めた環境因によって操作可能とされ、マイクロペニスを持って生まれた男の子は、ペニスの長さを基準にして、手術が容易という理由から、ペニス切除の膣形成術が行われ女児として育てられていた。また、形成された膣が癒着しないよう、挿入器を入れておくことが必要とされた。更に大きくは、ペニスの大きさを基準としたこのようなガイドライン下では、マイクロペニスだけではない外性器の原因となるそれぞれ個別の疾患の特徴などはほとんど考慮されず、よって長期のアウトカムは調査されなかった。

*3:訳者注:外科手術をするかどうかは以前は外科医がすべて決めていた。

*4:訳者注:CAHの女の子への胎内治療のことを指す。日本では医学的エビデンスが揃っていないとのことで、行われていないとのことです。

 

 

 

 

 

キャスター・セメンヤの弁護士が世界陸連に回答を要求

www.telegraph.co.uk

キャスター・セメンヤの弁護士が世界陸連に回答を要求

 独占ニュース: セメンヤ選手は,現在では「予備調査」だったとされている研究に基づくDSD規制により,東京五輪への出場を禁じられていた

 By Ben Bloom, Athletics Correspondent 18 August 2021 - 7:19pm

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 キャスター・セメンヤの弁護士は,後になって「誤解を招くような」と認められた研究によって彼女の出場が禁止された世界陸連からの回答を求めている。

 キャスター・セメンヤ弁護団は,世界陸連のテストステロン規制の発端となった調査結果が「誤解を招く可能性があった」と運営組織の科学者たちが認めていたことで,議論を呼んでいる世界陸連のテストステロン規制が破棄されるという新たな希望を抱いている。

 セメンヤ選手は,体の性の様々な発達(DSD)を持つ選手がホルモン低下薬を服用しない限り,400mから1マイルまでの距離で国際的に競うことを禁止する規制に基づき,東京オリンピック800m2冠の防衛戦を行うことができなかった。

 しかし,世界陸連の科学者が,調査結果の一部が「エヴィデンスとしては低いレベル」であることを認めたため,彼女の法的代理人から規制を廃止するよう求められている。

 

 2017年に世界陸連の科学者2人が集めたエヴィデンスによると,テストステロン値が高い女性は低い女性に比べて,800m1.8%,400m2.7%のパフォーマンス向上が見られたという。

 しかし,最初のエヴィデンスを発表したBritish Journal of Sports Medicineは,今になってその2017年の論文の「訂正」を発表したため,この規制ルールはすぐに捨て去られるべきだという声が高まっている。また,セメンヤ選手の弁護士は,なぜオリンピック終了の数日後まで発表されなかったのかということを疑問視している。

 テストステロン値の高い女性のパフォーマンス向上との間の潜在的な関連性について調査した,世界陸連の健康・科学部門のディレクターであるステファン・バーモンとその前任者であるピエール=イヴ・ガルニエは,「明確に言えば,報告された観察された関係性には因果関係を示す確証的なエヴィデンスはない」と記していた。「我々は,2017年の研究が予備的なものであったことを認める」と。

 また「これに関連し,論文中の記述が因果関係の推論を暗示することで誤解を招く可能性があったことを認識している」ともした。

 具体的には「400m400mハードル,800mハンマー投げ棒高跳びにおいて,テストステロン値が高い女性アスリートは,テストステロン値が低いアスリートに比べて,明らかに競争上の優位性がある」(‘Female athletes with high fT [testosterone] levels have a significant competitive advantage over those with low fT in 400 m, 400 m hurdles, 800 m, hammer throw, and pole vault.’)としていたが,「この記述は次のように修正されるべきだ。『女性アスリートにおける高テストステロンレベルは,400m400mハードル,800mハンマー投げ棒高跳びにおいて,低テストステロンレベルの人よりも高い競技力と関連していた』と」(‘High fT levels in female athletes were associated with higher athletic performance over those with low fT in 400 m, 400 m hurdles, 800 m, hammer throw, and pole vault.’)。

 科学者たちは,今回の発見は「エヴィデンスとしては低いレベル」であり,「予備的なもの」であり,「それ以外の何ものでもない。つまり,確証でもなければ,因果関係のエヴィデンスでもないと見るべきだ」と結論として認めたのである。

 

セメンヤ選手は,スポーツ仲裁裁判所CAS)やスイスの最高裁判所で規制に対する異議申し立てを行ったが不調に終わり,先の東京オリンピックを欠場した。現在,欧州人権裁判所での審理を待っているが,世界陸連競技連盟はいかなる判決にも拘束されないと主張している。

 セメンヤの弁護士であるノートン・ローズ・フルブライトのグレゴリー・ノット氏は,Telegraph Sportに「これは非常に重要な新情報です」と語った。

 「私たちは欧州人権裁判所での訴訟の真っ最中で,この情報をどのように訴訟手続きに導入するか,ロンドンのQCや法務チーム全体と話し合う予定です」。

 「世界陸連は最近,欧州人権裁判所の訴訟に介入する意向を通知しており,彼らが今回規制を無効にすることを支持することを期待しています」。

 「世界陸連が先日の東京オリンピックの前にこのエヴィデンスを公表せず,そのためキャスターが800mのタイトルを守ることができなかったことは本当に驚きです」。

 

世界陸連は,今週の「訂正」に含まれる情報は新しいものではなく,CASは,この論文のエヴィデンスが「因果関係を提供することはできない」,「関連性を示す」だけであることを科学者たちも「譲歩していると告白した」ことを十分に考慮していたと信じている。

 世界陸連の広報担当者は「世界陸連競技連盟が実施した10年間の調査結果は,女子クラスの参加資格規制に影響を与えるものではない。今回の訂正による譲歩は,2019年のCASで行われ,CAS裁判員によって検討され,公開されたCASの裁定に記録され,我々の規制を支持している」と述べている。

「さらに,2017年以降,いくつかの査読付き出版物が,血清テストステロンレベルの上昇と,若い女性の身体測定/生理学的特徴および陸上競技のパフォーマンス向上との間の因果関係を支持している」とも。

 また,British Journal of Sports Medicineとの話し合いは何年も前から行われており,発表のタイミングは自分で選んだものではないと世界陸連は主張している。

 

ロジャー・ピールケ・ジュニアは,2019年にインターナショナル・スポーツ・ロー・ジャーナル誌に発表した3人の科学者のうちの1人で,当初の世界陸連のエヴィデンスには「欠陥」があると主張しており,今回の告白はルールを直ちに停止すべきであることを意味すると述べている。

 「科学者も人間であり,他の人と同じように間違いを犯す。だから研究において訂正はよくあることです。しかし,科学の最も重要な特徴の1つは,自己修正機能を備えていることであり,間違いは特定され,認められ,修正されなくてはなりません」。

 「しかし,本日発表された訂正は,単に取るに足らない論文の誤りを認めただけのものではなく,世界陸連が女性アスリートの参加資格規制の根拠となる唯一の実証分析の誤りを認めたものです。その影響は甚大です」と述べている。

 また,「本日提示された訂正は,世界陸連の誠実さを公に試すものです。世界陸連は一連の科学的主張に基づいて規制を行うことを選択しました。この組織は,その主張が間違っており,誤解を招く可能性があったことを認めています」。

 「陸連がアスリートに対して正しいことをするためには,事実が証明されれば,それまでの方針を変更することを意味するでしょう」。

 

オリンピックのトリプルチャンピオンであるアメリカのティアナ・バートレッタ選手は,次のように述べている。「普通は研究を改善するべきです。そしてその結果が反映されなくてはなりません。しかし,彼らはそれをしなかった。私はそれに怒りを感じています」。

 「私は科学が恣意的なものではあってはいけないと信じていますし,たとえ心が違うと感じても,科学が教えることは受け入れます。ですが彼らは最初から自分の求める結果を求めており,それは正しいことではないでしょう」。

 

今月初め,世界陸連競技連盟のセバスチャン・コー会長は,クリスティン・ムボマ選手がオリンピックの200mで銀メダルを獲得したことは,テストステロン値が自然と高くなる女性を取り締まることの正統性を示していると言った。

 今年4月,ナミビア出身の18歳のムボマ選手は,女子400mで世界第2位のタイムを記録したが,東京大会の2週間前に,DSDであることを理由に大会への出場が禁止されたことを知らされた。

 その後,200mに転向した彼女は,決勝でジェットヒールのような走りを見せて20歳以下の世界記録を更新し,東京オリンピックで銀メダルを獲得した。

 「(ムボマ選手の)最後の30メートル,40メートルがインパクトのあるものであることはよくわかるだろう」と,コー会長は言う。「しかし,実際には,それが400mの決定を正当化したと思う。200mをあのようにフィニッシュしたのであれば,それは判断の裏付けとなるだろう」。

 

2019年の規制を支持したCASは,規制が「差別的」であることを認めた上で,その適用に「深刻な懸念」を抱いていた。しかし「このような差別は,女子陸上競技のインテグリティを維持するためには必要かつ合理的で,比例した手段である」との裁定を出している。

  

世界陸連競技連盟のテストステロン規制とは?

 テストステロンの値が自然と高くなる女性選手(正式には「DSD:体の性の様々な発達」と呼ばれている)は,ホルモン低下薬を服用しない限り,400メートルから1マイルまでのトラック距離の国際大会に出場することができない。

 陸上競技統括団体は,この規制がすべての女性にとって「公正で有意義な競争を保証する」ものであり,テストステロンは男性と女性を区別するための最良の指標であると主張している。

 ほとんどの女性の血中テストステロン濃度は0.061.68nmol/Lであり,男性は7.729.4nmol/L。世界陸連では,女性の上限を5nmol/Lとしており,選手は競技前6ヶ月間これを遵守しなければならない。

 この規制を特定の競技にのみ適用した結果,ナミビアティーンエイジャーであるクリスティン・ムボマ選手は,オリンピックで得意の400mへの出場を禁止されたが,200mでは銀メダルを獲得することができたという一風変わったシナリオが生まれた。

 

2018年の実施にはどのような根拠があったのか。

2015年に世界陸連のテストステロン規制の第1弾が中止された後,統括団体はスポーツ仲裁裁判所CAS)から,主張を裏付けるエヴィデンスを探すよう言われた。その後,世界陸連は共同で,2011年と2013年の世界選手権に参加した女性から採取した2,127個のアンドロゲンサンプルの調査を行った。

 その結果,テストステロン値が高い女性は低い女性よりも,400m2.7%),400mハードル(2.8%),800m1.8%),ハンマー投げ4.5%),棒高跳び2.9%)のパフォーマンスが向上することが示唆された。世界陸連は,この規制を陸上競技全体に適用するには十分なエヴィデンスがないと判断し,トラック競技に限定しています。

 また,世界陸連は,エリート女性アスリートの1,000人に7.1人がテストステロン値が上昇していることを確認したとしており,その大半は400mから1.6kmの種目で,その人数の割合は一般女性の「約140倍」にあたるとしている。

 

なぜ今,そのエヴィデンスが疑問視されているのか?

 科学的なエヴィデンスは決して万人に受け入れられるものではなく,2019年にはCASでさえ,DSD選手が1,500mとマイル競技で有利になるという「具体的なエヴィデンス」に疑問を呈しています。

 ロジャー・ピールケ・ジュニア,ロス・タッカー,エリック・ボイエの3人の科学者は,2019年に,テストステロンの影響があるとされた競技のデータの1733%に「問題がある」と主張し,研究の信頼性はさらに落ちていた。

 元のデータを作成した世界陸連の科学者は,そのデータに問題があることを認めていた。British Journal of Sports Medicineに掲載された「訂正」を書いたステファン・バーモンとピエール=イヴ・ガルニエは,テストステロンの上昇と女性の運動能力の向上との間に「因果関係を示す確証はない」と述べていたのだ。

 この科学者たちは,自分たちの発見は「低いレベルのエヴィデンス」であり,「予備的なものであり,それ以外のものではない」と結論づけていた。また「論文中の記述は誤解を招く恐れがあった」と認めていたのだった。

 

なぜ今になってこの「訂正」が出てきたのか。それに対する反応はどうなのか。

 セメンヤ選手の弁護士は,この「訂正」が東京オリンピック前に出てこなかったことを「驚くべきことだ」と指摘しているが,世界陸連は「British Journal of Sports Medicine」との話し合いは何年も前から行っており,出版のタイミングは自分たちで選んだものではないと主張している。

 また,このルールを廃止すべきだと主張する人々もいる。ピールケ・ジュニアは,今回の「訂正」は「世界陸連が,女性アスリートに対する出場資格規制の根拠となる唯一の実証的分析担っている論文の誤りを認めたもの」だと述べている。また「陸連は,一連の科学的な主張に基づいて規制を行うことを選択していたが,その主張が間違っており,誤解を招く可能性があることを認めたのだ」と述べている。

 しかし,世界陸連は,この情報は新しいものではなく,エヴィデンスの強さに関する譲歩は2019年のCASの審理の前に行われており,そのため評決にも考慮されていると主張している。

 

キャスター・セメンヤはこの規制にどう対応してきたか?

 キャリアの大半において,セメンヤはDSDのある選手の不本意な代表となってきた。彼女のパフォーマンスは,2014年と2015年に世界陸連の以前のテストステロン規制の下で顕著に低下したが,その後規制が凍結された後は,国際的な主要800mレースで2年以上にわたって無敗を貫いた。

 2018年にテストステロン規制が新たに定められ,彼女の800mのキャリアは終わりを告げた。彼女はCASとスイスの最高裁判所に規制を訴えましたが不調に終わり,現在は欧州人権裁判所での審理を待っている。

 東京オリンピックでは,テストステロン規制の対象外である200m5,000mへの出場を目指していたが,失敗に終わった。

 昨年彼女は,この規制によって「私が私であることを止めさせません」と語っている。また「女性アスリートを排除したり,生まれ持った能力だけで健康を損なうことは,世界陸連を歴史の間違った側に置くことになります」とも述べている。

 

キャスター・セメンヤ インタヴュー 「彼らはスポーツを殺しています。人々は並外れたパフォーマンスを求めています。」

 

www.theguardian.com

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キャスター・セメンヤは怒るべきだが,彼女は怒っていない。東京オリンピックに向けて刻々と変化する時間の中で,この南アフリカ人は,ライバルたちと同様に,3年連続の金メダル獲得に向けてトレーニングを行っているべきだ。

 しかし,人生を通じて偏見や汚名と戦ってきたこの30歳の女性は,欧州人権裁判所ECHR)からのニュースを寂しく待っている状況だ。裁判の結果によっては,生まれつきの体の状態を持つ女性は不当に優位だと考える人がいる中で,そういう女性に薬を飲ませることなんて,おそらく最も非人道的な対処法だと世界陸連を承服させる可能性もある。

 セメンヤの罪」とされていることは,陸上競技で圧倒的な強さを誇っていることのほかに,体の性の発達の違い,つまり体内のテストステロン濃度が高くなる状態の選手であることだ。このため,陸上競技の統括団体は,彼女の急激な知名度向上を受けて,2018年に,同様の状態を持つ女性が400m1マイルのレースで国際的に競うことを,薬(経口避妊薬を毎日服用することも選択肢のひとつ)を服用しない限り禁止するという裁定を作った。そうなれば言うまでもなく,セメンヤはそのレーンに留まることはできなくなる。

 彼女は南アフリカからガーディアン紙に「私の体から魂を奪っている」と電話で語った。「彼らは,私自身のシステムを破壊しろというのです。私は病気ではありません。病気でもないし,薬も必要ない。そんなことは絶対にするつもりはありません」。

 現状では,たとえ彼女のケースが有利に決定されたとしても,セメンヤが今夏の800mに出場する可能性は極めて低いと思われる。ECHRは,世界陸上競技連盟のセバスチャン・コー会長に方針転換を勧告することしかできていない。強制的に手を動かすことはなかった。

 「メッセージはとてもシンプルです」とセメンヤは言う。「彼はひとりの男性として,自分の(元)妻の目を見てこう言うべきです。『僕たちには子どもがいる。もし誰かが私たちの子どもをこんなふうに扱っていたら,君はどんな反応をする?』と。彼は組織の会長としてではなく,ひとりの人間として考える必要があります」。

 セメンヤ選手は,DSDs(体の性の様々な発達)のアスリートとして分類されています。当時のIAAFは,2018年にそのようなアスリートが女子スポーツに出場することを禁止する制度を導入し,20195月のスポーツ仲裁裁判所CAS)とその後の控訴審でもその判決が支持された。これにより,セメンヤ選手はドーハでの世界選手権のタイトルを守ることができなくなり,痛恨の極みとなった。

 水泳選手の肺は他の人とは違う。ウサイン・ボルトは卓越した筋繊維を持っている。世界陸連は彼らを止めることができるのだろうか?

 5,000mへの出場はセメンヤの選択肢のひとつだが,時間は彼女の味方ではない。先週行われた南アフリカのナショナル・チャンピオンシップでは,1552秒を記録して優勝したが,オリンピック出場基準の1510秒には42秒足りなかった。

 「私は40歳まで走れるし,今のところはまだ十分に速いので,もっと上を目指すことができます」と彼女は言い,次の世界選手権である2023年の5,000mが現実的な目標だと主張した。

 しかし,200mは除外されているものの,彼女の代表的な競技である800mに関しては,最悪でも,彼女は観戦者の興味をひくことになるだろうか? 猜疑心に満ちた目ではあるが,答えはイエスだ。2018年に15425の自己ベストを記録したセメンヤは,「私はいつでも800mを見すえています」と言う。「私が走っていた競技をこういう女の子たちが走れるかどうかを見たいのです。でも彼女たちは155秒でまた補欠扱いになるのでしょうか? 勘弁してもらいたいです」。

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 禁止,議論,非難は,人をスポーツから遠ざけるのに十分だろう。しかし,セメンヤは冷静だ。「最高の選手になるために,奴隷のようにトレーニングしてきました」と彼女は言う。「ウサイン・ボルトのトレーニングを見てきました。彼のトレーニングは正気の沙汰ではなく,私も同じです。私のテストステロン値の高さは生まれつきのもので,ひとつの障害です。でも,それだけでは最高の選手にはなれません。そこにはトレーニングと知識が必要なのです」。

 「マイケル・フェルプスの腕の幅は,何をするにも十分でしょう。水泳選手の肺は他の人とは違います。レブロン・ジェームズのようなバスケットボール選手は背が高い。もし背の高い選手が全員出場禁止になったら,バスケットボールも同じようになるのでしょうか? ウサイン・ボルトは卓越した筋繊維を持っています。彼も止められてしまうのでしょうか? 私の器官が違っていても,声が低くても,私は女性なのです」。

 判決を発表した裁判所は,国際陸上競技連盟の方針が,セメンヤのようなDSDを持つ選手に対して「差別的」であることには同意した。しかし,3人の仲裁人のうち2人は,女性アスリートにテストステロンが多いと,思春期以降の体格,体力,パワーに大きなアドバンテージがあるというIAAFの主張を認め,したがってこの方針は女性スポーツの公正な競争を確保するためには「必要であり,合理的であり,妥当である」とした。

 セメンヤは,スポーツ界の権力者たちが頭を振るたびに,自分のレガシーが残り,より強くなると信じている。彼女は,明日のキャスター・セメンヤのために,声を上げられない人々のために戦っているのだと言う。

 彼女は,プレトリアポロクワネ,ソウェトの子どもたちを支援する仕事をしている。また,妻のヴァイオレット・ラセボヤと一緒に運営しているランニングクラブ「マサイ」にも情熱を注いでいる。2016年に結成された,教育に力を入れている「キャスター・セメンヤ財団」も,今後も彼女を活動的にしてくれるだろう。

 「とてもシンプルなことです」と彼女は言う。「自分を受け入れ,自分に感謝し,世界にアピールすること。人生には希望が必要で,前に向かって走っていかねばなりません」。

 引退の年齢が見えてきても,彼女は動じることはない。少なくともあと10年は長距離を走りたいと考えているが,例えば200mに挑戦しても頂点まで達することはないだろう。しかし,トラックでの彼女の存在感は変わることはない。

 「私は自分の目標を達成しました」と彼女は言う。「もちろん,私はオリンピックチャンピオンです。確かに私は世界チャンピオンであり,主要なタイトルを獲得しています。今,私たちは将来の女の子たちのためにこの状況を正そうとしています。彼らは800m女子を殺しているのですから」。

 「彼らはスポーツを殺しています。人々は並外れたパフォーマンスを求めています。私がリーダーであれば,人々が求めるものを提供します。セバスチャン・コーは自分のことしか考えていません。彼はすべてのアスリートの利益のために行動しなければなりませんが,今は私たちを排除しようとしています。彼は,陸連が走らせまいとしている若いアスリートを政治的に利用しているのです。ただ受け入れて応援すればいいだけなのに。彼の仕事は何よりも汚職と戦うことでしょう」。

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セメンヤは,美容ブランド「Lux」と共同で「Born This Way」と題した公開キャンペーンを開始し,女性たちに「自分の美しさと女性らしさを堂々と表現する」ことを呼びかけている。また,「#IStandWithCaster」というハッシュタグをつけた嘆願書を作成し,コー会長の考えを変えさせようとしている。

どんな結果になっても,彼女は偏見や不正との戦いを続けようとしているのだ。「私が出会った子どもたちの中には,自殺しようとした子もいれば,生き残った子もいます。彼女たちは自分を受け止められないのです。子どもを産んでもその子の道を選ぶことはできません。人生は演技ではないのです」。

彼女はコーに会ったことがないし会う予定もないが,彼女が望んでいる対話は,英国人の核心を突くことを目的としている。セメンヤは自分が世界陸上からターゲットにされていると感じてきた。2012年のロンドン大会,そして4年後のリオ大会で金メダルを獲得した瞬間の成功が,彼女に対する不当な非難や逆恨みの対象となったのだ。

彼女は,長年にわたって彼女がさらされてきた問題の理由について尋ねられると,「私が若いアフリカ系黒人であること。これが全てです。私は自分がどこから来たのかを知っています」と答えた。

世界陸連はセメンヤのコメントを受けて「生物学的規制が人種や性別のステレオタイプに基づいているという申し立てを拒否する」としている。

東京大会が開催されるとしても,南アフリカで最も有名なアスリートの一人は出場しないかもしれないが,変化の胎動はすでに始まっている。セメンヤは,自分と同じような体の状態を持つ多くの女性と出会ってきた。「彼女たちを見ればすぐにわかります。そして,彼女たちが自分とは違って,怒りを表明する舞台を持っていないことも」。

「この規制は特定のアスリートを狙ったものではなく,女子カテゴリーのインテグリティを保つためのものです」と,2019年ドーハで開催された世界選手権の800m決勝で,ウガンダのハリマ・ナカアイが他の3人のアフリカ人女性を破って金メダルを獲得した事実を指摘している。「私たちのスポーツのエリート女性アスリートの1,000人に約7.1人は,テストステロン値が男性並みに非常に高いDSDアスリートであることが,10年以上の研究でわかっています」と。

 しかし,セメンヤは人生を歩み続けている。最近,彼女は母親になった。娘の名前は今のところ秘密だが,その時が来たらこのスポーツの武勇伝をどう説明するか,すぐに考えてしまうそうだ。「難しいでしょうね」と彼女は言う。「娘は混乱するでしょうし,誰かのキャリアを潰そうとする人がいるなんて,と思うでしょうね」。

 多くの人が感じただろうことをセメンヤが感じていることは明らかだが,彼女は黙ってはいない。そう。なぜ黙らなくてはならないのだろう?

 

 

キャスター・セメンヤと,黒人女性の残酷な歴史

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キャスター・セメンヤをターゲットにした世界陸連の規制は,黒人の身体が白人の基準に縛られてきた長い歴史的遺産に根ざしている。

www.sbnation.com

 2009年の世界選手権でキャスター・セメンヤ18歳で優勝してから10年。スポーツ界はずっと彼女の物語を削るだけ削り取って,ただひとつの事柄だけに還元してきた。彼女のカラダだけに。

 尻が引き締まってる。肩がデカイ。あごのラインが隆起している。まるで男のようだと。

 彼女の身体を語るときの嫌悪感に満ちた口調を見ると,他の誰とも違う身体を持ったランナーはセメンヤだけだと思うかもしれない。アイラ・マーチソン選手は,180cmのがっしりとした体格で「人間スプートニク」と呼ばれ,オリンピックの4×100で金メダルを獲得したが,その特異性をスポーツ界は忘れてしまったようだ。それに世界記録保持者のウサイン・ボルトは,ライバルの誰よりも背が高く,足が長かった。

 このような男性とは異なり,セメンヤの身体は,彼女のスポーツを統括する団体からは,不要なもの,場違いなものとみなされてばかりだ。彼女のキャリアを通じて,World Athletics(旧国際陸上競技連盟)は,彼女に検査を強要し,ホルモン規制を課し,2019年に彼女をターゲットにしたと思われるルール変更を制定した後,最終的に彼女を競技から追放した。

 しかし,これはセメンヤだけではない。800メートル走でセメンヤのライバルだったブルンジのランナー,フランシーヌ・ニヨンサバ。彼女はそのほとんどが南半球出身の多くの女性アスリートのひとりだが,高アンドロゲンだと世界陸連の規制のターゲットにされていると明らかにした。ウガンダ出身のランナーであるアネット・ネゲサは,競技を続けるために世界陸連の医師に言われて侵襲的な手術を受けたことを公表した。その手術の合併症で,彼女は心身ともにダメージを受けた。

 このような残酷で差別的な扱いの背景には,誤った生物学的指標や時代遅れの性別観念への固執があることは間違いないが,それだけではない。1950年代,男性が女性を装って競技に参加している国があるという,根拠のない疑惑から始まった「性別確認検査」は,元は選手に下着を脱ぐことを求めるだけのものだった。(1932年のオリンピックで金メダルを獲得したステラ・ウォルシュのように,このような調査を受けた選手の中には,インターセックスに似た疾患が発見された者もいた)。

 セメンヤの扱いは,もっと不穏なものに根ざしている。16世紀にアフリカ大陸に渡ったヨーロッパの探検家たちは,出会った人々の解剖学的特徴を指摘するようになった。黒い肌,たくましい体格,大きな唇と鼻は猿に似ているからと,ヨーロッパ人は,アフリカ人は猿と定期的に交尾しているという考えを広めていった。時が経つにつれ,このような考えはジェンダー的な色合いを帯びていき,アフリカ人女性とヨーロッパ人女性を比較することで,人種的な違いや劣等性を恣意的に助長するだけでなく,アフリカ人女性を「女性」というカテゴリーから完全に排除することを正当化した。

 世界陸連は,何世紀にもわたって受け継がれてきた白人至上主義的な考え方に固執し続けている。それは,「女性らしさ」を白人でシスジェンダーの女性の身体で定義し,それ以外の人,特にアフリカ系の女性を社会的に受け入れられない存在とするものなのだ。

 世界陸連はその使命を,「卓越した競技選手」を育成し,「アスリートに新しくエキサイティングな展望を提供する」ためにスポーツを強化することとしている。しかし,世界陸連は歴史的に,黒人女性とその身体に対する卑劣な態度を助長してきているのだ。

 世界陸連が設立されるわずか15年前の1897年,英国の宣教師で医学博士の資格を持つアルバート・クック卿は,現在のウガンダで倫理的に問題のある女性の生体検査を行ったことを大々的に記し,次のように述べている。

ネグロイドの臀部の異常なまでの小ささに心を打たれない人はいないだろう。腰の高さで直立した状態で後ろから見ると,ネグロイドの女性の体は,平均的なヨーロッパ女性の「大きな臀部」に比べて小さくて丸い。それぞれの骨盤を並べてみると,それは明らかで,ムガンダ人の骨は,その大きさと構造の細かさにおいて,子どもの骨のように見える....ネグロイド人種の骨盤の形は,原始人と高等文明人の中間の形をしている....。 類人猿のように,その縁の形は長楕円形である」。

 今となっては証明されたこともないクックの研究が,女らしさや女性性をめぐる人種的な考えを発展させ,最終的には黒人女性の身体を非人間的にすることにどれほど重大な影響を与えたかは,いくら強調してもし過ぎることはない。クックは,アフリカ人女性の解剖学的研究が話題になった後,英国医師会の会長を2度務め,ジョージ5世からナイトの称号を授与されている。クックは,アフリカの「他者」と関わることで得られる「知識」を,植民地を広げた世界に示したわけだ。

 クック以前には,「ホッテントットのヴィーナス」という蔑称で知られるサラ・バートマン(Sarah Baartman)が,西洋社会の黒人女性の身体への固執を体現していた。バートマンは,現在の南アフリカ(セメンヤの母国)で捕らえられ,奴隷にされた後,1810年にヨーロッパに連れて来られ,サーカスや公衆の面前で展示(display)されたが,彼女が亡くなるまで,科学者たちが彼女の大きな大陰唇を測定し,解剖した。この研究は,黒人女性の「欠陥」だと,白人女性よりも「女らしさ」に欠けることを示す証拠として宣伝された。

 このような考え方の影響は,今日の医学界でも,(数は少なくともほとんどの場合)大した健康上の問題ではないにもかかわらず,大陰唇が大きなことを医学用語で言う「大陰唇肥大」の診断が広く行われている。大陰唇の長さや大きさを短くしたり小さくしたりする手術である「ラビア・プラスティ」の増加は,女性器の正当性は黒人女性の身体の生理機能との比較によって定義されるべきだという考えを再確認させるものだ。

 こういった考えは,人種差別が「あからさまに」行われていた大昔の時代のものであり,現代ではあまり意味がないと考える人もいるかもしれないが,ヨーロッパではスポーツなどの分野で人種差別を制度化するのには役立っているというわけだ。その結果,セメンヤ,ニヨンサバ,ネゲサのような黒人女性に勝ち目を与えないほどに,社会や世界陸連の女性像の基準となっている医学的知識は,人種差別に深く根ざしたものとなっているのだ。

 例えば,性ホルモン。テストステロンとエストロゲンのレベルには人種差がある,特に黒人と白人の間で…という考え方は現在でも広く信じられているが,大きな議論を呼んでいる。黒人女性は他のあらゆる人種の女性よりも男性的だという考えは17世紀から18世紀に根付いたもので,アフリカ系の人々は動物的で攻撃的であるという考えに基づいている。1995年には,人気心理学者のJ.フィリップ・ラシュトンが,黒人は白人やアジア人に比べて知能が低く,衝動的で,これは主にテストステロンのレベルが高いことが原因だと主張している。ラシュトンの研究は長年にわたって批判されてきたが,彼の著書『人種・進化・行動(Race, Evolution, and Behavior)』は現在第3版まで発行されている。ラシュトン自身,カナダ心理学会の名誉会員に選ばれ,グッゲンハイムフェローシップを一度受けた。科学者たちはここ数十年,ラシュトンの主張に反論し,皮肉にも人種疑似科学の炎を燃え上がらせている。

 米国の高齢女性において,黒人女性は白人女性に比べて,女性ホルモンであるエストロゲンの一種,エストラジオールの濃度が低いという研究結果がある。一見すると,世界陸連の人種差別的なポリシーの元凶のように見えるかもしれない。しかし,異なる人種の女性の間での人種的なホルモン差を評価した研究はほとんどなく,実際に再現できる結果が得られた研究はさらに少ないことに注意する必要があるだろう。むしろ,男性の性ホルモンの人種間格差を調べた研究の方が多いのではないだろうか。一般的に考えられているのとは異なり,テストステロン値は黒人男性と白人男性ではほぼ同じで,遊離エストラジオール値は黒人男性の方が他の人種の男性よりもはるかに高いという結果もある。しかし,このような結果でさえ,内分泌学者,生物学者,医師の間では,この分野で矛盾した研究のために疑問視されている状況だ。

 世界陸連が男性の体のヴァリエーションに相対的に関心を持たないことは,対照的に,女性に対してどれほど不公平な行いをしてきたかを示している。歴史学者のジョン・ホーバーマンは,1996年に出版した『Darwin's Athletes』の中で,この矛盾は,何世紀も前から続く「黒人の運動能力」への執着が原因であると主張している。1851年,医師のサミュエル・カートライトは,「黒人と白人の間に色の違いがあるのは皮膚だけではなく,膜組織,筋肉,腱,そしてすべての体液や分泌物にまで及んでいる」と書いている。ホーバーマンが主張するように,カートライトの著作は奴隷所有者に広く読まれ,アメリカの他の地域で道徳的な反差別運動が高まっていても,人種的なヒエラルキー奴隷制度を維持するための(擬似的な)科学的,生物学的な正当性を与えるものとなっていたのだ。カートライトの著書には,黒人の身体的特徴は利益のために使役できる場合にのみ受け入れ可能なものだという考えが含意されていた。

 今日,我々はカートライトの遺産をスポーツに見ることが可能だ。力強さや大きさを特徴とする男性の優れた肉体は,しばしば畏敬の念を抱かせ,怒りを買うことはない。しかし,女性の身体の強さは,まだそれほど利益を生むものではないから,いとも簡単に嘲笑の対象となるわけだ。

 異人種間の視点から見ると,黒人アスリートが富を得るに値すると考えられるのは,その価値が合理的な基準を超えて証明されてからだ。そうでなければ,白人選手が簡単に得られるような名声,富,評価を得ることはできない。ジョン・ベールとジョー・サングは,ケニア人選手の中長距離界での活躍を分析している。20世紀初頭からアフリカ系アメリカ人スプリンターが圧倒的な強さを誇っていた頃,ヨーロッパの白人スプリンターは,黒人選手には長距離レースで成功するためのスタミナや戦略的洞察力が欠けているとスポーツライターに言われ,静かに長距離レースに退いていた。さらに,黒人選手が白人選手よりも優れた成績を残すようになると,レース関係者は白人選手に再出場の機会を与えるか,黒人選手が出した速いタイムを失格にするかのどちらかだった。1962年にモザンビークで開催された大会で,アフリカ人ランナーのハンフリー・コシとベネット・マクガマテが白人ランナーを上回っていたにもかかわらず,役員が勝利を認めなかったのもその一例だ。

 現在,世界陸連は,アフリカをはじめとする「南半球」の各地に「発展センター」を設置し,かつて競技会での成功を阻んでいた才能ある選手を採用し,育成しようとしている。この地域の発展センターは,実際にはここのアスリートを欧米に輸出し,イギリスやフランスのような国で競争させるための手段であるという意見もある。しかし,このセンターは男性アスリートの育成を目的としており,女性のスポーツ参加に寛容な国でも女性は取り残されているのだ。

 世界陸連は,女性の才能,特に南半球の黒人女性の才能を認め,育成することにはあまり意味がないと考えているようだ。ある種の人種差別的な考え方の典型として,彼女たちは「本当の女性」ではないというわけだ。そして,世界陸連は,何世紀にもわたる白人至上主義,植民地主義ジェンダー本質主義の神話に反した身体を持つ黒人女性の運動能力を高めることを拒み,代わりにあらゆるレベルで彼女を辱めることを選択してきている。

 スポーツとプロテストのこの時代,おそらく他のランナーからの連帯の動きが立ち上がり,世界陸連の姿勢を見直させることができるかもしれない。しかし,陸上競技は依然として熾烈な競争の場だ。多くの競技者は,表彰台の隙間を埋めるチャンスだと考えているか,最悪の場合,反発を恐れずに自らの人種差別を広めることになるだろう。イギリスの中距離ランナー,ジェマ・シンプソン選手は,セメンヤとのレースを「文字通り男性との戦いだった」と表現した。オーストラリアのマデリン・ペープ選手は最近,セメンヤを擁護し,「彼女のパフォーマンスを『アンフェア』と非難する声のコーラス」に加わったことを後悔している。サハラ以南のアフリカに住む黒人女性アスリートは,非常に周縁的(marginality )な位置に置かれつづけており,彼女たちが広く支持される可能性は最初から低いものだった。皮肉なことに,世界で最も速いランナーの一人である彼女たちは,これまでと異なる結果を生み出すのに必要な注目を集めることができなかったのだ。

 しかし,彼女たちは自分で自分を擁護する必要はない。社会が他の方法で社会制度の人種的遺産と向き合い続ける中で,世界陸連のようなスポーツ団体は,人種差別的,性差別的な考えの結果としての被害に対処する明確な機会を持っているのだから。偏った科学,医師,測定基準の裏側に隠れるのはもうやめたほうがいい。セメンヤ,ニヨンサバ,ネゲサをはじめとする,高アンドロゲンのアフリカ人女性アスリートたちは,彼女たちの排除を前提として構築された女性性の理想に合わせて,自分自身を変えたり,支配されたりする必要はない。彼女たちの身体は問題ではないのだから。

 
これまでも,これからも,決して。